8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.265

頑固8鉄のOSHIGOTO NO. 14  プロジェクト契約社員(2022-2023)

焼きそば鈴木のある風景




焼きそば鈴木は、昭和47年から変わらず営業を続けている成田の名物食堂。

ここは、潔く、ソース焼きそばしかない。
しかも、手打ち麺。平日は、70代くらいの店主がひとりで切り盛りしている。
特にうまいわけでもない、お祭り屋台でよく食べたような、
具がキャベツしかない、紅ショウガの載ったソース焼きそば。
これだけ長く続くには、なにか秘訣があるはずだ。

経営的な面で、難所をクリアしているのは確かだけど、
ひとりの客として眺めた時、すぐにわかるのは、その立地。
成田山新勝寺の参道を少し外れただけで、そこは、昭和40年代にタイムスリップしたような、
古い墓地とまばらな住宅に囲まれたひなびた場所だ。

車ではいけない、なかなか発見するのが難しい場所にひっそりとたたずむ
「鉄板焼きそば鈴木」。文章にするのは難しいが、このあたり一帯が、
50年前から切り取って張り付けたような、そんな風情の場所だ。

2022年の秋から2023年にまたがる冬にかけて、
わたしは成田市役所で働いていた。派遣なのだが、
名目上は「プロジェクト契約社員」という名だった。

プロジェクトごとに委託請負をして、
クライアントのために働く人のことらしい。
なにげなく応募した案件にあっという間に決まって、
東雲をあとにしたわたしは、急遽、成田で働くことになったのだ。
チームは、出たり入ったりがあるが、だいたい12名。
SVと呼ばれる管理者、業務を先導するリーダー、集められた派遣会社のスタッフ。
年齢層も背景もそれぞれ異なる個性豊かなひとたちと4か月過ごしたが、

大量募案件と違って、これくらいの人数だと
人付き合いの密度がかなり濃い。
大量募集のオペレーターだと、ほぼ誰ともかかわらずに
過ごすことも可能なのと対照的だ。

おまけに、事務、となっていて応募したものの、コールセンターも受付も一緒くたで、12名で持ち回るらしい。
3分野にわたる濃密な研修のあと、スタートした仕事は、あっという間に終わった。
終わったというと語弊があるが、かなり速いピッチで進行したということだ。
スタートしてみないとわからない仕事というのは、誰もわからない。
わからないがそれでもなんとかなるものなのだった。

わたしは「向いている」と言われ、ほとんど受付にいた。
詳しくは語れないけれど、さまざまな人がやってくる。

受付というのは、ある種の接客業で、事務でくくられるのはなにか妙な気がしている。
受付に限らず、ホスピタリティ(おもてなし)の一言が出てきたら、それはもう、立派な接客業だろう。
そういう案件は、求人サイトで、いくらでも見ることができる。
コールというのも、接客の一種に思える。
事務の求人に、誇らしげに、「電話ナシ!」とうたっているものが多いが、
コールはよほど人気がないのだろう。

それにしても、前職と違い、モノではなくて、ヒトを相手にする仕事というのは、骨が折れる。
事務を探す人は、人と接するのがあまり好きでない傾向がある。
世間でいう、「ストレス」というのは、ほとんど、人間関係だろう。
モノが相手だと、非常にストレスが少ない。
モノは変なことを言ってこないからだ。

学者の養老孟司が、解剖学者になったのは、生きた人間を相手にする臨床医がいやで、
死んだ人を相手にするほうがいいと思ったから、と書いていたが、まったくその通り。
事務であっても、その紙切れの向こうに生きた人がいると、実はかなりやっかいだ。

客のデータを集めて整理するのはそうでもないが、
そのデータを確認しようとすると生きた人間を相手にしなくてはならなくなる。
そういう意味で、事務とか接客とかいうくくりよりも、人相手かモノ相手かでセレクトしたほうが、
より正確な就業活動ができるのではないかと思う。
電話あり、となっているのは、どんなジャンルの仕事であれ、
おそらく人相手の仕事だ。それなりの覚悟をしたほうがいいのだ。

慣れない接客業で、必死でどたばたしているうちに、
あれよあれよと時間が過ぎていく中、
あまり行ったことがない成田市役所周辺を徹底的に散策した。

こういう機会は派遣仕事ならではである。
そんなランチタイムに、店などありそうにない住宅街の片隅で、焼きそば鈴木を発見した。
それまで、成田山新勝寺参道しかない、ぱっしない田舎町、
と思っていた成田が、突然、タイムスリップし、
わたしが子供のころの千葉、昭和の田舎町に戻っていった。
これを機会にうろつきまわったわたしを待っていたのは、
成田山新勝寺の境内奥にある、巨大な常設土産物長屋。
そこの食堂で時間旅行は頂点に達するのだ。

ちょっと参道を外れて脇道に入れば、ここは、昭和40年代そのまま。
周辺の巨木が生い茂る住宅街もほぼ50年前の風情で、成田は東京などものともしない、
素晴らしい景観の街であることが判明した。
面倒極まりない市役所仕事も、街の持つ魅力さえ発見してしまえば、それほど苦にならなくなる。

田舎町の風情の中、アナログな仕事をするというのは、
なかなか魅力的なものじゃないか、と、結局、そんな感想に落ち着いたのも、
レトロな成田の街並みの思わぬ効果だったように思う。

プロジェクト終了とともに、成田を離れて、わたしが向かったのは、
再び東京臨海地帯。東雲のとなり、国際展示場駅。
ぎょっとするような、「オフィスビルテーマパーク」の街並みを一目見て、
成田に取って返したくなったわたしは、これからどうなってしまうのだろうか。


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