8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.262

シリーズ 頑固8鉄のOSHIGOTO

OSHIGOTO NO.10 地方公務員(1989-1991)
「毎日がびっくり仰天のウルトラC 中編」




35年たった今でも個人名は出せないが、
当時の企画部長はずいぶん風変りな苗字の方だった。

気が付いたのだが、同じ姓の人が県にたくさんいるのだ。
それどころか、自宅がある佐倉市でもよく見かける。
議員にもいるし、のちに佐倉市長になった人もいた。
なにやら、古くからの名家らしい。佐藤だの田村だのはどこにでもうじゃうじゃいるが、
珍しいのにやたらと県庁内にうじゃうじゃいる苗字がもうひとつあった。こちらも名家。

要するに、縁故採用なんだな、と理解した。
もちろん、きっと頭脳明晰、優秀な家系なんだろう、知らないけど。
すでにこのあたりから、「地方公務員は、公平な公務員試験を受けて
同じスタートラインから始められる」という世間の評判がなにかもやもやしてくる。
議員と親戚の職員がたくさんいたら重宝だよな、とか誰でも考えることだから。

それはさておき、企画課には、空対以外にも、
いろいろと面倒くさい問題を扱っているところがあり、普通の人、
とは、どこからどうみても違う、ちょっと怖そうな人もちょくちょく来ていた。

映画の中の菅原文太だの勝新太郎が来ていたと思えばいい。
わたしの直接の上司のひとりに主幹がいた。
この人、普段は、ぶすっとして座っているだけで、
なにかしている様子が見えない。

電話一本ならないし、書類を見ているふりもしない。
当時は各自のデスクにパソコンはないし、
携帯電話なんてSFの世界の出来事だ。

仕事がないのだろうか。5計チームの会議中、
あとから乗り込んできて黙って聞いていることがあるきりだ。
ところがである。かつ新または文太が来ると、この主幹がやおら立ち上がり、
大声でやあやあとか愛想いいことをいいながら連れ立ってどこかへ消えてしまうのである。
そのまま戻らなかったりする。

誰を相手になにを話しているのか、わたしはきいたことがないし、
詮索してはいけない空気が漂っていた。

とにかく、あの人は、なにか重要な、特殊なポストにいるのだ、と察する。
後日談になるが、この人かなり早くに亡くなっている。定年直後くらいだったと思う。
付き合いの席でいろいろ無理をなさったのかな、などと想像してしまう。
これもまた、理屈ではない、問題解決のウルトラCかもしれない。

毎晩毎晩、一日たりとて定時で帰ることはなく、
終電がなくなることもしばしばだったが、
当時はタクシーチケットを主査がもっていて、帰れなくなったらすぐに配ってくれた。

あれは助かったが、今日ではたぶん、ないだろう。
その代わりそんなに残業ばかりということもないだろうと思う。
収入は減るが、そういう意味ではいい世の中になった。
しかし、県庁近くには食べるところがないのだ。
夕飯はみな中華の出前で、わたしも毎晩中華丼を食べていた。
中華丼は、今は見るのもいやである。
これで体を壊さない人はいない。
検診結果がイエローカードで、ものすごく不健康になりだしたのは、このころからだ。

しかし、企画部企画課のお仕事がらみの最も強烈で奇妙な体験は、実はこのあと。
県警本部の警部の登場からはじまるのだ。



千葉県警というのは、本庁舎のとなりにあるのだけど、
建物自体が完全に分かれていて、内部で行き来できたりはしない。組織的にも別物である。
もうひとつ、本庁とは離れたところに、やはり別物の企業庁がある。
どちらも、一般職の公務員と癒着を防ぐためだろう。
この県警担当になると、この別組織の担当者と交渉しなくてはならないのだが、
よそ者で利害関係が生じないわたしは適任だったのかもしれない。

この担当者というのが、警部なのだ。
テレビドラマで出てくる警部は、コロンボだったり古畑だったり、
なんだか難事件を解決するヘンテコな人ばかりだが、この担当者もある意味変な人だった。

笑顔が作り物、というのが率直な印象で、今でも思い出すことができる。
そんなに笑顔作らなくてもいいのに、頻繁に作るのだ。
県警本部といえども、県の予算で動いているので、知事部局はオカミである。
おかみさんのオカミ、財布を握っている人である。
わたしは財政課ではないので、予算をにぎっているわけではないけれども、
中期計画は予算と直結すると思い込んで必死で売り込んでくる感じだった。

で、知事部局は、県警本部をあまり相手にしていなかった。
それもそうだ。なにせ、警察は金がかかる。
実際のところ、県警本部はあまりに膨大な予算を請求してくるので、
知事部局にとっては、困った存在だ。
しかし、千葉県はとりわけ警察官不足が深刻だったので、どちらの言い分もわかるのだが、
わたしは財政課でも決定過程に携わるわけでも、ましてや、正規の県職員ですらない。
わたしの立場を理解した警部殿は、わたしの臨時の友達になり(決して接待なんかではない)、
さまざまな話を聴くことになったのだ。
ある種、職場の愚痴大会である。

彼は、機動隊にいて、当時のいざこざで仲間が殉職するのを目の前で見て以来、
ずいぶん人柄が変わってしまったらしい。
内勤事務職となったその彼が、目をぎらぎらさせて、おれたちを金食い虫みたいにいうが、
本庁はとんでもない金の使い方をしているではないか、おてんとうさまは見ているぞ、と言う。
自民党で警察官僚あがりだった亀井静香がよくあちこちで言っていた「おてんとうさまがみているぞ」。
わたしは身が震え上がったものだ。もちろん、なにも悪いことはしていないが。
そう、見ているのだ。実は。
いつでも幹部をパクれる、とも言っていた。
時期を見てな、と、彼は歯ぎしりをしているような変な作り笑顔で言ったのだ。

わたしがいた当時、そんなことは起きなかったが、しかしである。
20年後の、2009年9月、千葉県庁は「過去5年で不正経理30億、
使途不明金が1億」との調査結果を発表した。
県警本部を除く、ほぼすべての部局で不正が発覚。公金横領、不正使用が組織化、
常態化していることが明らかになった、とした。
幹部が軒並み逮捕されたのだ。

さらに、少なくとも、1975年ころから頻繁に公金横領の内部告発がされてきたが、
歴代知事はこれを一切認めず、無視してきたということがわかっている。
1989年、わたしは真っ只中にいたことになる。
森田健作知事になって初めて、千葉県は浄化が進んだ。
警部殿がこのころ、どこでなにをしていたか、わたしは知らない。知らないほうがいいこともある。

翌年、わたしは、地方課に異動になった。
やっと、離れられると思った企画課から、例の主査が一段階出世してくっついてきたのには笑った。

おまけに、逃れられたと思った怒涛の残業も輪をかけておっかけてきたのである。(続く)

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