8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.254

スインギングロンドンの女性歌手ふたり



こんにちは、頑固8鉄です。
やー、寒くなりました。やー、なんていうと、8鉄がやってきた、
やー、やー、やーみたいですが、わたくし、60年代イングリッシュポップの大ファン。

ビートルズ以前、同時期にたくさんの女性歌手が活躍しました。
そんな中で、代表格だったダスティ・スプリングフィールド、ペトゥラ・クラークのほか、
サンディ・ショウ、スーザン・モーンが素晴らしかった。
いや、今聴いてももちろん素晴らしい。
そんなおふたりをちょびっとご紹介。ちょぴっどなんて、レトロだわー、昭和だわーね。

スーザン・モーン




スーザン・モーンといえば、「ボビーに首ったけ」(Bobby's Girl)ですが、
素晴らしいイギリスの大歌手です。

1938 年生まれなので、今年85歳になられますが、まだお元気らしい。
全盛期は、1960 年代。
「ボビーズガール」は、カバーですが、1962 年のクリスマスの時期に
UK シングル チャートで 3 位になりました。
その年のノルウェーのチャートで6位に達し、オランダのシングルチャートで23位。

スーザンの家族は、スーザンが 15 歳のときに バーミンガムに引っ越し、
そこで速記のタイピストとして働き始めましす。

有名なミッドランドのバンド・リーダーであるロニー・ハンコックの
オーディションを受けて、採用。3年間歌手を勤めました。
50年代半ばのことです。

60年代入ると、スーザンは運試ししてみたくなり、ロンドンに行きます。
そして、わずか36時間の訪問で、彼女はレコーディング契約だけでなく、
レイ・エリントン・カルテットの注目歌手としての1年間の契約も勝ち取りました。

彼女の最大のブレイクは、1962年9月に「ボビーズ ガール」をレコーディングしたときで、
シングル・チャートで3位の大ヒットとなり、1963年、ソロ・アーティストとしての活動を開始。

その後、「Hand A Handkerchief To Helen」と
「She's New To You」がマイナー ヒット。
また、その時、彼女はフィリップスから「I Wanna Be Bobby's Girl But....」という
ファースト アルバムをリリースしました。

その後、60年代、70年代を通して、テレビドラマや映画に出演。
このあたりの流れは日本と似てますね。野際陽子あたり思い出しました。

80年代も主にテレビタレントとして活躍。
現在も演劇監督の旦那さんとイギリスで健在なようです。


サンディ・ショウ



1947 年生まれで、 1960 年代に最も成功した英国の女性歌手の 1 人であるサンディ・ショウ。
64年の「ゼアズ・オールウェイズ・サムシング・ゼア・トゥ・リマインド・ミー」
65年の「ロング・リブ・ラブ」、「パペット・オン・ア・ストリング」で 3 つの
UK ナンバー 1 シングルを獲得しています。

残念ながら、 2013 年に音楽業界から引退していますが、
現在でも伝説的歌手として多くの人の心を動かし続けています。

生まれ故郷のダゲナムの音楽学校に通っていたショウは、
ロンドンでのチャリティー コンサートに出演、歌手のアダム ・フェイスに見出され、
1964年にパイ・レコードと契約をさせて、「サンディ・ショウ」として売り出しました。

2 番目のシングルが、バカラックとデヴィッドの手になる
「ゼアズ・オールウェイズ・サムシング・ゼア・トゥ・リマインド・ミー」で、
1964 年の秋に全英シングル チャートで 1 位。
翌年の初めに米国のビルボード ホット 100 で 52 位になりました。

フォローアップとして出た「アイド・ビー・ファー・ベター・ウイズアウト・ユー」の
B面だった、 「ガール・ドント・カム」が英国で3位に達し、
さらに、彼女の最大の米国ヒットとなりました。

その後もヒットが続き、人気テレビ番組のレギュラーになったショウは、
「スインギングロンドン」を代表する存在になり、
裸足でパフォーマンスすることで有名になったりもしました。
ヒットシングルのほとんどをイタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語で録音し、
ヨーロッパ全域で人気者となり、ウィーンで開催された
ユーロビジョン ソング コンテストで英国を代表するよう招待された結果、
「パペット・オン・ア・ストリング」でコンテストに勝った最初のイギリス歌手となりました。
この曲は、結局、英国とヨーロッパで 100 万以上の売り上げを達成し、ゴールド ディスク。



パイとの契約が切れた 1972 年にポップ シンガーとしての生活から引退。
ロック・ミュージカルの共同執筆、作詞作曲、舞台作品での演技をしたり、
子供向けの本を書いたり、活躍の場を変えますが、結局、音楽業界を去り、
ロンドン中心部のレストランでウェイトレスとして働いたりしています。

その後、プリテンダーズのクリッシー・ハインド公演に招待されたことをきっかけに、
83年から音楽業界に復帰。

90年代には、自伝を出版。
オックスフォードとロンドン大学で勉強を始め、心理療法士の資格を取得。
心理療法士としての新たなキャリアに専念して、
1997 年に夫と共にアーツ クリニックを開設し、
1998年には、王立音楽家協会の名誉教授となっています。現在76歳で健在。

GO TO TOP