8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.252

頑固8鉄版「寅さん読本」8

作品集(後期)



第39作「寅次郎物語」

第38作「知床慕情」で、「惚れたと伝えなきゃ愛じゃない」と寅さんにきっぱりと言わせて、
男は黙って人に尽くすもの、という任侠の世界にピリオドを打った、「男はつらいよ」は、
以後、少し異なる質感の物語へと変容していく。

その最初の作品、「寅次郎物語」は、満男の存在感が大きく増していく、
「満男シリーズ」の序章ともいえる物語だ。

話の筋立てはシンプルで、死んだテキヤ仲間が残した孤児とともに、
生き別れた母を探すロードムービー。
満男が子供の面倒を兄のように見てあげるあたり、すでに満男が寅さんの
後釜という感じで物語が進んでいく。

旅の途中で知り合い、ピンチを救ってくれた化粧品セールスレディに秋吉久美子。
これまでのマドンナと違い、袖触れ合うも多少の縁で、寅さんは彼女の失った時間、
後悔にもそっと寄り添う優しさをみせる。
そして、母と引き合わせて去っていく寅さんと子供の港での別れは、
シリーズ通して最も感動的な場面のひとつ。

「やくざ者のおやじや俺みたいなのになるんじゃないぞ。おかあちゃんをしっかり守る男になれよ。」と
言って去る寅さんは、アラン・ラッドよりかっこいい。これは、寅さん版のシェーンなのだとわかる。

ラスト、満男に「人ってなんで生きてるんだろう」と尋ねられた寅さんの有名なセリフで映画は終わる。

「難しいこというね、おまえは。あれじゃないか、たまーに、
ああ、生きててよかったな、って思える時があるじゃない。
そのために、生きてんじゃないのか。おまえにもいつかそういうときが来るよ。」

寅さんは、あっさりと、しかし、深いセリフを残して去っていく。
このラストが、まさに満男シリーズの始まりであった。



第40作「サラダ記念日」

この作品は、2つのパートに分かれている。
ひとつは、信州の田舎でひとり死んでいく老婆の話、もうひとつは、寅さん早稲田へ行くのパート。

老婆の話は、とても重いテーマを扱っている。それは、「病院で死ぬということ」だ。
小諸のバス亭で知り合った一人暮らしのおばあちゃんと仲良くなった寅さんは、
嫌がるおばあちゃんを迎えに来た病院への入院に手を貸す。

住み慣れた我が家に、「これで見納めじゃ。」と涙を流して手を合わせるショットは、
加藤嘉の代表作にして世界的名作「ふるさと」のラストに匹敵する。
結局、おばあちゃんは病院でひとり死んでいく。
それを後悔し悩む女医に三田佳子。その姪に三田寛子。
早稲田大学に通う姪を訪ねていく寅さんのひと騒動は、
ワット君の楽屋落ち(第20作)もあって明るい喜劇パートになっている。

三田寛子と満男の大学受験エピソードがからんで、東京の若者パートということもできる。
医療の不足に悩む僻地医療問題と、ほとんどが病院で亡くなるという解決の難しい日本の現状を描きつつ、
若い人たちの明るさを描いて、全体のバランスをとった見事な脚本演出の作品であった。

さらに、最強のお笑い部分は、プロローグとエピローグに登場する、
笹野高史の俊足泥棒。本当に速い。オリンピック選手並みで爆笑を誘っている。
また、この作品から、とらやの屋号がくるまやに変更され、レギュラーとなる店員、
三平ちゃん(北山雅康)が初登場した。



第41作「寅次郎心の旅路」

寅さんヨーロッパへ行く、で有名な一作だが、「真実一路」と同じく、過酷な仕事でうつ病になり、
鉄道で自殺未遂をするエリートサラリーマンと寅さんとの交流を描いている。
といっても、こちらは珍道中もの。真実一路の米倉斉加年にあたる役をここでは柄本明が演じているが、
シリーズ後期で最も明るく楽しい、初期を思わせる喜劇になっている。

寅さんに付き合わされる人のいい車掌に笹野高史。
さらに、怪しい旅行会社社員にイッセー尾形。かなり強力にお笑い寄りなのがわかる。
柄本と寅さんふたりの珍妙な会話が、いちいち楽しい。

「おまえが会社に行かないと会社つぶれちゃうのか?」
「なにも、死ぬまでガツガツ働くこたあねえんだよ。
どうせ黙ってたっていつか死んじゃうんだから。」
「どこへ行くかって?そうさなあ、吹く風にでも聞いてみらあ。」
寅さんの呑気さで、柄本明は、救われる。で、ヨーロッパ旅行に寅さんを連れ出す、という展開だ。

この作品の企画は、ウイーン市長が飛行機内上映で寅さんを見て感激し、
ウイーンに招致したことで実現。第三の男パロディも交えた「番外編」的な面白さが楽しめる。

竹下景子のマドンナもかわいい。
「おい、さくら。俺は本当にウイーンに行ったんだろうか。夢じゃないかな。」
「御前様がね、寅の人生そのものが夢みたいなもんだから、っておっしゃってたわよ。」
「では、夢の続きでも見るとするか。」
旅に出た寅さんがポンシュウと「オーストラリアはウイーンの舶来品」
(本当はオーストリア)を啖呵売するシーンは、関敬六の
昭和の香り満載のギャグ「ヨーロッパだよ、ハラッパじゃないよ。」
がさく裂、楽しさ満点のラストとなった。



第42作「ぼくの伯父さん」
ここから、男はつらいよ、は、大きく変貌する。
もう、これ以前の作品とは全く違う系統だと言ってもいい。

寅さんが主人公を降りて、満男にバトンタッチするからだ。
寅さんは存在感のある脇役となった。実際、寅さんの出番は半分に満たないのではないか。

渥美清の健康状態の悪化が主な理由で、立って芝居するのも難しくなっていき、
冒頭の江戸川土手を歩いてくる場面も矢切の渡しの船に乗って登場する。
よく見ていると、全編通して座ってゆっくりと話す場面がほとんど。

元気いっぱいに見えるのは、イッセー尾形とからむ
タイトルバックの一幕くらいなのだ。

そういう意味では、若干悲しい雰囲気が漂うが、
その分、吉岡秀隆と後藤久美子が明るい青春映画にしている。
主人公となったさくらの息子、満男は、浪人生だが
、高校時代の後輩いずみ(後藤久美子)に恋をしている。
遠く離れてしまったいずみに会うために、バイクで家出をするという話。

途中で出会う笹野高史のオカマライダーがこの映画最高の爆笑シーンだが、
それ以外、あまり喜劇らしさが感じられない。

マドンナも出ない。やはり、これは、寅さんシリーズというより、吉岡秀隆主演の青春映画だ。
「旅をすれば、人間、賢くなるから。」という最後の寅さんのセリフは、
「男はつらいよ」の任侠旅が満男にバトンタッチ
されたことを物語る。そして、シリーズ全体の終焉を予感させるものでもあった。



第43作「寅次郎の休日」

何度も同じことを書くが、「男はつらいよ」は、オリジナルのテレビシリーズ当初、
「愚兄賢妹」、「無法松の一生」を基本コンセプトとしてスタートした。
そして、それは映画シリーズでも作品の骨格として生き続けた。
その「男はつらいよ」が、「無法松の一生」を捨てたのは、本物の無法松、三船敏郎をゲストに迎えた、
第39作「知床慕情」であった。

第43作では、再び驚くべき展開を見せる。ストーリーは、満男が恋するいずみに付き合って、
いずみの別居中の父に会いに九州に旅するというものだ。
父(寺尾聡)は、薬屋の女性(宮崎美子)と同居しているが、
いずみは幸せそうな父につらい言葉をいうことができない。

家族の複雑さ、幸福の在り方といったことに思い至る満男は、
いずみとともに、悩みつつも人間として成長をとげていく。
そして、恋愛が人間関係の極意だとすれば、満男はまだ一兵卒だ。
それを見守り、励まし、肝心なところでゴーサインを出す(ゆけ!青年!の名セリフはこの作品)
名司令官は百戦錬磨の寅さん、というわけだ。

そして、驚くべきは、映画のラスト、いつもの柴又駅での別れのシーンだ。
いつも、さくら達者でな、と別れる兄に涙する妹、ではなく、
満男と伯父の描写に置き換わった。

「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名を呼べ。
伯父さん、いつだって飛んできてやるからな。」

シリーズは、このとき、渥美の説得力溢れる素晴らしいせりふ回しとともに、
「愚兄賢妹」のテーマにも別れを告げた。
渥美清の病気からくるやむを得ない事情から始まった、満男の物語。
いよいよ、シリーズは、ラストスパートに向けて、素晴らしい展開を見せるのだ。



第44作「寅次郎の告白」

満男青春ドラマの第三弾。
母の再婚問題で家出をしたいずみを追って、鳥取砂丘に出向く満男。
鳥取で偶然寅さんと再会したいずみ、満男の3人で、寅さんが昔なじみだった旅館に泊まるが、
そのおかみが昔の寅さんといい仲だったという設定で、
旅がらすの寅さんの今まで描かれなかった裏の一面が垣間見れるような話になっている。

おかみにはまり役の吉田日出子。それにしても、シリーズ最後近くの寅さんは、とてもかっこいい。
どんどんかっこよくなるという感じだ。もともと、モテ男だったというのが納得できる
不思議なマドンナとの関係で見ていてほっこりする。

しかし、あくまで主役は満男といずみのふたり。渥美清の体調は悪くなる一方だったのだ。
なお、1991年(平成3年)公開の今作で、人で不足で悩むタコ社長が、
「大企業が55歳定年を60歳にしてしまったが、さすがに60過ぎた人に
新しい仕事を覚えてもらうわけにはいかないよ。」という場面がある。

定年を70歳にするところも出てきている2022年現在とは隔世の感があるが、
人間、60過ぎて新しいことは無理、というのはまったく変わっておらず、
現在の世相のゆがみが痛感できる時代背景描写だ。



第45作「寅次郎の青春」

寅さんが宮崎の理髪店に居候することになる、寅さん版「髪結いの亭主」。
今回のマドンナ、理髪店の店主に風吹ジュン。

ここでも寅さんは、マドンナに惚れられるのに、柴又に帰ってしまう。
「おじさんは、奥行きがないから、どうせいつかうまくいかなくなる。帰るのは正解だ」と
いう満男のセリフに納得する寅さんが可笑しい。

結局、せっかく東京に就職したいずみは母の病気を理由に名古屋に帰ってしまう。
満男の青春物語は、山あり谷ありで進んでいく。

ラスト、これまで博にたるんでるといわれていた江戸川ジョギングで、
いつの間にか、父を追い抜いていく満男のたくましさが
描かれて、世代交代を告げている。

寅さんは怪我して歩けない設定だが、渥美の体調を気遣ってのことだろう。
なお、前作でのタコ社長の「定年延長のぼやき」から派生して、
工場に外国人労働者が参戦しているのが可笑しい。よくできたディティール描写だ。
なお、この作品は、シリーズ通して出演した名優、笠智衆(御前様)の遺作となった。



第46作「寅次郎の縁談」

再終盤戦で、実に久々、マドンナらしいマドンナが登場する。
寅さんが主役の、男はつらいよのいいところがすべて揃った、なつかしさ満点の傑作。

第27作「浪花の恋の寅次郎」以来久々に松坂慶子がマドンナを演じた。
瀬戸内海の琴島で寅さんと松坂慶子が出会うところは、
シリーズ初期を彷彿とさせる素晴らしい場面だ。

モネの絵を思わせる美しい風景、美しいマドンナ、山本直純の
素晴らしいテーマすべてが揃っている。

おまけに、おとぎ話のようにのどかな島民に、
桜井センリ、笹野高史と、いつものキャストも揃っている。

就職活動挫折で家出した満男も今作では、脇役にまわっている感があり、
ある意味、これは、最も寅さんらしい寅さんが見られる最後の作品という感じだ。

なお、亡くなった笠智衆(御前様)が生きている設定のためなのか、
シリーズ最初のマドンナ、冬子(光本幸子)がゲスト出演。

さらに、釣りバカ日誌のハマちゃん(西田敏行)までカメオ出演している。
訣別したかに見えた、任侠パロディとしての寅さん、恋をする寅さん、
喜劇タッチの寅さん、マドンナとの切ない別れ、泣けるエピローグ、
なにもかも初期のまま。久々の無法松が帰ってきたような、懐かしい楽しさがあふれる作品となった。

そして、「本編男はつらいよ」は、あと残すところ2作のみとなる。



第47作「拝啓車寅次郎様」

タイトルは、ラストで描かれる、満男の伯父さんあての手紙。
タイトル通り、ラスト直前のこの作品は、満男と寅さんの交流が
メインテーマになった素晴らしい作品。

寅さんと旅の途中知り合った人妻にかたせ梨乃。
すれ違うばかりの夫婦生活を嘆く彼女に寅さんがそっと寄り添って、心を洗い流していく。
もはや、寅さんは、御前様も超える、名カウンセラーだ。

後日、彼女の家を訪ね、幸せそうな彼女を見て、声をかけることもなく去っていく寅さんは、
他人の幸せこそ、わが幸せという、利他主義を極めた男として描かれている。

一方の満男は、大学の先輩の妹と親しくなったのに、
先輩の余計なおせっかいでせっかくの仲を裂かれてしまう。
そして、就職1年目で、会社員生活に悩み、さらに失恋の痛手を負った満男を寅さんが励ます。

江ノ電での別れのシーンは、満男、寅さんの交流を描いた最高の名場面だ。
「失恋してほっとした。だってくたびれるもんな、恋は。」という満男に寅さんが叱る。

「くたびれるなんてことはな、なん十辺も失恋した男のいう言葉なんだよ。
おまえまだ若いじゃないか。燃えるような恋をしろ。
大声だして、のたうち回るような、恥ずかしくて死んじゃいたいような、恋をするんだよ。
ほっとしたなんて情けないことを言うな、馬鹿野郎。」

男はつらいよを最初から見通している観客は、寅さんの
ひどい失恋、情けない、恥ずかしい、みっともない失恋を延々みてきた。

それを、シリーズラストで、寅さん自身が総括する。
そして、若い甥っ子を励ます。「今度会うときは、もっと成長してろよ。」
という寅さんに真剣にうなずく満男。
涙なしでは観られない、最高の名場面となった。

そして、いつもの関敬六=ポンシュウとゲスト出演した小林幸子のツアーバスに乗っていく
エピローグは、また別の意味で感動的。

若いころから渥美最大の親友だった関は、病気で精神的に弱くなっていた渥美を支えるため、
山田洋次の配慮により、ポンシュウとして最後期の作品すべてに出演。
芝居の向こう側からそれが伝わってくるような、自然な友情あふれるエピローグとなった。

そして、いよいよ、実質上、最後の作品となった第48作「寅次郎紅の花」を迎えるが、
これについては、昭和48年、シリーズ初期に作られた「寅次郎忘れな草」まで、
一度さかのぼらなくてはならない。

ラスト大団円を迎えるためには、寅さんのアナザーストーリーとでも呼ぶべき、
作品群が不可欠なのだ。

それが、浅丘ルリ子の「リリーの物語」である。


GO TO TOP