8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.251

頑固8鉄版「寅さん読本」 7

作品集 後期



第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」

第33作の主題は、シリアスなドラマだ。
ほぼ喜劇の範囲に入っていない感じですらある。
そもそも、寅さんが、いつものようなコメディリリーフとしての活躍がほとんどないのだ。

ここでの、寅さんは、フウテンの風子(マドンナ。中原理恵)を
堅気として更生させようと暗躍する、優しさ溢れる男中の男で、
やくざとしての凄みをたたえたその姿は、シリーズ中最もかっこいい。

渡り合うヤクザものは渡瀬恒彦(オートバイ乗りのトニー)。

もともと、男はつらいよの喜劇部分は、ほとんど「任侠映画のパロディ」で出来ていた。
普通のお茶の間(とらや)で、かっこいいつもりのやくざ者が、
「渡世人のつれえところよ」なんてクサいセリフを吐いても、おいちゃんに
「馬鹿だねえー」とあきれられて、一気にお笑い種になってしまうところが、寅さん喜劇の本質なのだ。

それがこの作品では、そうはならない。寅さんがやくざ者として本当にすごみを見せる。
冒頭、堅気になった登(初期作のレギュラーだった寅さんの舎弟。秋野大作)との再会が伏線となり、
やくざと堅気の世界を行き来する寅さんの姿が描かれる。
風子を守ろうと、やくざのトニーに「風子から手を引け」と頼む場面は、シリーズ通して、
これまで一度も描かれなかった、裏社会の人間としての寅さんが描かれている。
第33作は、まともに描かれた任侠映画だということもできる。
だから、どうしてもいつもの「寅さん喜劇」にはならないのだ。

そんな作品を喜劇として印象付けるために、サブ部分で、
ひときわ多くのコメディリリーフが投入されている。
なかでも、最大のヒットは、タコ社長の娘、美保純演じるあけみの初登場だろう。
しかも、あけみは、爆笑シーンと同時に、この作品中、
最も泣ける場面の主役でもあり、大変な大活躍だ。
さらに、女房に逃げられたさえないサラリーマン役で、佐藤B作
(なんと、役名が福田栄作)も異様なお笑いを引っ張る。

映画はラストが肝心とばかり、熊に追いかけれた寅さんという、
漫画チックなスラップスティックギャグで終わるが、
ここでは、黒沢組の名優、加藤武が特別出演。

しかし、なんとなく、とってつけたような印象である。
それくらい、これは真面目に任侠映画っぽい、すごみのある寅さんをみられる貴重な作品であった。



第34作「寅次郎真実一路」

男はつらいよシリーズ全体を一言でいうと、トータルで50年に及ぶ大河ドラマということになる。
そこには、当然ながら、主題と主人公と時代背景がなくてはならない。

大仰な政治経済文化などではない、庶民の誰にでも心当たりがある日常生活の変化を
通して時代背景を描く。それが、シリーズを通した「男はつらいよ」の特徴だ。
寅さんの朝ごはんは、白いご飯に味噌汁、
漬物にたらこひとかけでもあったらいいかな、などと毎度同じことを言う。
おいちゃん、おばちゃんはそれは当然のことだと思っているが、
さくら一家の朝食は、徐々にパンとコーヒーになっていくのがわかる。

こうした細かなディティールを積み上げて、その時代変化をとらえている点で、
このシリーズは他に類をみない。
さくら一家は、旧来の日本文化と新しいアメリカナイズされた価値観の中間あたりにいるのがわかるし、
寅さんは時代遅れな日本文化にこだわっているのもわかる。
加えて、柴又、東京だけでなく、寅さんの旅先である田舎
、全国津々浦々の昭和から平成にかけての風景、生活の変化を見事にとらえてもいる。
第34作は、そうした時代背景描写が最も色濃く出た作品。

この作品では、時代の最先端(バブル期)の人物が描かれる。
それが、米倉斉加年演じる証券会社のエリートサラリーマンだ。

この人物は、さくらたちより一歩先を行った、ある意味拝金主義、
合理主義、都市化の象徴として存在するが、古い日本文化が生きる地方出身者である彼は、
それに徹しきれずに精神が壊れてしまう。無機質なオフィスビルディングから
出て、立ち飲み屋でクダを巻き、深夜の通勤電車で茨城県牛久沼まで帰る、
というディティール描写で、バブル期以降の日本の都市が細かく描かれている。

そして失踪したところを、寅さんが探し回る設定である。
現在でもよくある話を、ひとつのたとえ話のように語る物語。
しかも、あまり深刻にならず、喜劇に仕立て上げているのがさすが、男はつらいよ、なのだ。
米倉の妻を大原麗子が演じ、寅さんが恋してしまうという、いつもながらの、
無法松設定も生きているが、やはり、の物語は、時代に翻弄されていく日本人の
姿を象徴的にとらえたという印象を残す、面白い作品となった。



第35作「寅次郎恋愛塾」

第20作「寅次郎頑張れ」から始まった、寅さん恋愛コーチものの1作。
シリーズ後期だが、喜劇色豊かで、明るい作品。

五島で、寅さんが偶然助けたばあさんが亡くなり、残された不幸な生い立ちの孫娘の就職、
恋愛を応援する寅さんの活躍を描いている。じめじめした感じにはならずに、
明るい下町情緒溢れる素晴らしい喜劇になっている。

いつも繰り返される、とらやでマドンナを交えたお茶の間場面が、
この作品ではとりわけ輝いており、この作品の明るさを
象徴するかのように、夏の空気感まで伝わってくる団らんのシーンは素晴らしく綺麗だ。

こうした定番シーンのなにげない風景の演出がシリーズの一番素晴らしいところなのかもしれない。
平田満が、当時(昭和60年)よくいた司法試験をめざす留年学生を演じ、
秀才なのに受からなそうという、微妙な役柄を見事にこなしている。

マドンナの樋口可南子が可憐で、明るく、素晴らしく美しい。
さらに、この作品のもうひとつの見どころは、シリーズ屈指の、笑えるエピローグ。
しばらく前の作品から、寅さんの行商旅の仲間として徐々に活躍が目立ってきていた
関敬六との漫才のようなやり取り。関敬六は渥美清の親友なので、
実に自然で生き生きとしている。
そして、この作品のラストで、この人物が「ポンシュウ」と呼ばれる。
以後、関の2代目ポンシュウは寅さんの相方として大きく躍進するのだ。



第36作「柴又より愛をこめて」

栗原小巻がマドンナを務めた「24の瞳」の美しいオマージュ作品。
素晴らしいドラマ作品なのだが、前半の「あけみ家出騒動」が楽しい。

ここでの寅さんは、いよいよ保護者モード全開で、
のちの満男シリーズに直結する作品という感じだ。

ラスト近く、空をながめながら、寅さんどこにいるのかなあ、
とつぶやく美保純は切ないほど可愛らしい。
レギュラー出演が8回と少なかったのが残念だが、この作品では、
準主役級の大活躍で、栗原小巻の印象が薄いほどだ。

なお、シリーズ名物のちょい役、笹野高史がこの作品で初登場。
下田の長八というヤクザなのだが、これが捧腹絶倒必至の破壊力で、
笹野は以後、レギュラー出演、最終作では2代目御前様まで演じている。



第38作「知床慕情」

シリーズ中、最も豪華、最も驚くべき作品。
こんなに贅沢な楽屋落ち映画は、歴史上、どこにもないだろう。
なんと、昭和の無法松、寅さんが、オリジナルの無法松、1958年の映画「無法松の一生」で主人公、
富島松五郎を演じ、歴史に名を遺した三船敏郎と、ひそかに思いを寄せる女性(淡路恵子)と
の仲を取りもつ、というストーリー。

淡路恵子は、三船主演の黒澤明映画「野良犬」がデビュー作でもある。
三船演じる獣医の娘が、竹下景子。マドンナ役である。寅さんは気がつかなくても、
明らかに好かれている、そんな関係で終わる。

竹下景子が以前、マドンナを演じた第32作「口笛を吹く寅次郎」と同じである。
映画のクライマックスは、淡路恵子に恋の告白をする三船敏郎。
無法松そのもののような三船演じる獣医が、とうとう告白をする。

もちろん、「日本のモーリス・シュバリエ」森繁久彌の歌う、
「知床旅情」が気分を盛り上げる。
「想いを相手に伝えずに尽くす美学」を描いた任侠映画の代名詞
「無法松の一生」の主人公を演じた三船が、想いを相手に伝える。

そして、それが本当の愛だ、という、ある意味、
古い任侠の世界の終焉を描いた、驚くべき作品であった。

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