8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.248 |
頑固8鉄版「男はつらいよ読本」その4 頑固8鉄の「男はつらいよ」作品集 (初期~中期) 「男はつらいよ」(第1作 昭和44年) 8月27日は、昭和44年、第1作公開の日で、「男はつらいよ」の記念日。 シリーズの観客動員数は7,957万3,000人。 まさに、国民的映画。 第1作の一番印象に残る場面はなにか、と言ったら、面白い森川ギャグの数々、 御前様のバター、冬子の輝くような初登場シーンを差し置いて、 「日本映画史上最も感動的な名場面」と言われた、さくらの結婚式における、「志村喬の挨拶」だろう。 博と仲たがいし、わだかまりしかない父親の沈黙の22秒。 そして、父は語りだす。 「この8年間は、われわれにとって長い長い冬でした。 みなさまのおかげでやっと春を迎えられます。」 志村喬だから活きたこのセリフ、この場面があったから、その後50年も続いたのだ、と俺は思う。 そして、50作目のエンドロール、最後の最後にそのまま流用された、 シリーズを代表する美しい場面は、第1作目のラストシーン。 いつもの啖呵売の場面である。 舎弟、登(津坂匡章)とともにある寅さんは、日本三景の一つ、 京都府宮津市の天橋立の風景に溶け込んでいる。 掛け値なしに美しい。風景画の傑作のよう。希代の名カメラマン、高羽哲夫の功績である。 まさに、有終の美を飾るにふさわしい名ラストシーンだった。 「望郷編」(第5作 昭和45年) 男はつらいよ第5作目の望郷編(昭和45年、1970年)は、 昔世話になったテキ屋の親分のみじめな死に立ち会ってショックを受けた寅さんが、 浦安の豆腐屋で堅気になろうとする話。 まだのどかな田舎町だった時代の浦安が見られる、貴重な映像でもある。 やくざと労働、という重いテーマの本作だが、 実は、シリーズ中究極の楽屋落ち映画でもある。 まず、浦安の豆腐屋のおばちゃん(杉山とく子)は、映画版男はつらいよのもとになった テレビ版でとらやのおばちゃん 役、豆腐屋の娘のマドンナ長山藍子は、テレビ版のさくら、 そしてマドンナの恋人井川比佐志はテレビ版の博なのだ。 長山藍子のもとにたずねてきたさくら(倍賞千恵子)が出会う場面、 ラスト近くふたりで寅さんについて話す場面は、まるっきり「ダブルさくらの図」で面白い。 長山、杉山と団らんの場面で、井川比佐志に寅さんが 「おまえはうちの妹の亭主博にそっくりだな」といったりするのだ。 まるで自己パロディである。 また、冒頭、おいちゃんが危篤とウソをついて大騒動になるところでは、 寝っ転がったおいちゃん(森川信)の寝顔をみたタコ社長が 「満男ちゃんもあと50年したらこんなじいさんになっちゃうんだなあ」というが、 第50作「お帰り寅さん」(2019年)で実際にすっかりおやじになった 50年後の満男(吉岡秀隆)を見ることができる。 なお、吉岡は1970年、この第5作公開の年生まれで完全に一致している。 なお、起き上がったおいちゃんが、俺はぴんぴんしてらあ、 という場面があるが、実際はこのころには森川信の健康状態はあまりよくなく、 翌年の第8作寅次郎恋歌を最後に、1972年に肝硬変のため死去している。 60歳であった。 「純情編」(第6作 昭和46年) 男はつらいよ第6作純情編(昭和46年)は、柴又中心の話で、 別居中の人妻(若尾文子)に思いを寄せる寅さんをめぐるいつもの おかしなドタバタと博の独立騒ぎのふたつの話が同時進行する。 博独立の話では、タコ社長の生い立ち、苦闘、哀愁が存分に描かれていて、 太宰久雄の熱演がたっぷりみられるのがうれしい。 さらに、シリーズ中屈指の兄妹別れのシーン(柴又駅のホームで子供時代の思い出話をする) は何度見ても泣ける名場面となっている。さくらが本当のマドンナなんだろうな、 と特に思えるのはこのあたりからだ。主題歌のとおりなのだ。 さらに、特筆すべきは、旅のパートで登場する森繁久彌。 娘の幸せを願うひとりぐらしの老人。出番は少ないのに、 最後の最後にすべてをかっさらう名演をみせてくれる。 こういうディティールが、男はつらいよの真骨頂だ、と思う。 「奮闘編」(第7作 昭和46年) 男はつらいよシリーズ中、最も異色で最も美しい作品として、 昭和46年の第7作、奮闘編を挙げたい。 マドンナは榊原るみ。あどけない、知的障害の女性、花子を演じた。 障害者だからと説教臭くなったり、お涙頂戴になったりしないのがいいところ。 おいちゃん、おばちゃん、さくら、寅さん、みんなとの何気ない 気持ちの通い合いがメインテーマになった素晴らしい作品だ。 どんな立場の人だろうが別け隔てなく思いやることが出来る寅さんが いつも報われないという、現代社会の不条理が、当作品に限らず、シリーズの 根底を流れるテーマであることがとてもよくわかる。 「寅次郎恋歌」(第8作 昭和46年) 「ボン!ボンじゃござんせんか。あっしですよ、松五郎でございます。」 懐かしいのりお・よしおの爆笑ギャグの元ネタは、岩下俊作の小説。 荒くれ者の人力車夫・富島松五郎の物語だ。 1938年(昭和13年)に『富島松五郎伝』で出版されたが、 その後、何度も映画化。「無法松の一生」である。 特に1943年版と1958年版が有名で、それぞれ坂東妻三郎、三船敏郎が演じた。 無骨で不器用でやくざな男が子持ちの未亡人に人知れず数十年尽くす 人情話は観客の広い共感を得て、映画は大ヒットした。 男はつらいよは、もともとフジテレビが渥美主演のドラマを作ろうと企画を練った際に、 「愚兄賢妹、無法松の一生」というコンセプトからスタートした。 それに、渥美本人の希望でテキ屋というキャラ設定を得て、 山田洋次が書き上げたものだといわれている。 その愚兄賢妹のテーマは、1969年の第一作で全開だが、 無法松の一生が最も色濃く出たのが、昭和46年(1971年)公開の第8作目「寅次郎恋歌」だ。 喫茶店経営で苦労する子持ちの未亡人という無法松設定のマドンナを 池内淳子が演じた。 前半で展開する志村喬(博の父)の話「りんどうの花」(家庭とはなにか)を 最後まで伏線として使うシナリオが感動的。 寅さんは昭和の富島松五郎であることが最もよくわかる作品となった。 (公開時のポスターは人力車(リアカー)を引く寅さんの絵だが、 本編にそんな場面はなく、無法松を意図したものと解釈した) なお、コメディらしい、ドタバタとして、おいちゃんを話の中で死なせてしまい、 本人が怒るというところがあるが、この作品を最後に森川信本人が死去している。 わかって撮っているとしたらすごいネタだ。 また、当作品は、その後繰り返し登場する坂東鶴八郎一座(寅さんが旅の途中で出会う一座) との交流が描かれた最初の作品になった。無法松を演じた最初の俳優が 坂東妻三郎であることを意識したシナリオかも、と思うと感慨深いものがある。 鶴八郎座長役の吉田義夫の顔を見るだけで個人的に胸が熱くなるが、 それはこの人が子供のころ慣れ親しんだテレビ番組「悪魔くん」の 初代メフィスト役だったからかもしれない。1986年没。 「柴又慕情」(第9作)と「寅次郎恋やつれ」(第13作) 映画「男はつらいよ」は、第1作から第5作までで原作といえる テレビ版の主要エピソードを網羅した。 寅さんといえば、マドンナという図式は初期作品ではどちらかといえばサブストーリーで、 メインは、さくらの結婚、恩師との別れ、実母への複雑な思い、 やくざと労働などさまざまなテーマを扱っていた。 第6作「純情編」(昭和46年)では、「愚兄賢妹」という、 兄妹と家族の思いやりを描くシリーズの基本コンセプトが頂点を迎える。 ここでのマドンナ(若尾文子)は単なる脇役に過ぎないといえるほどだ。 異色作の第7作「奮闘編」(昭和46年)では、障碍者自立をテーマにハートウォーミングな ラブストーリーが展開するが、第8作「恋歌」で、 もうひとつの基本コンセプト「無法松の一生」昭和版が描かれた。 そして、第9作「柴又慕情」で、とうとう、無法松テーマも乗り越えて、 マドンナが主役に躍り出る。それが、吉永小百合の「歌子の物語」だろう。 続く第13作「寅次郎恋やつれ」は歌子物語の第2章であって、 この2作は「歌子2部作」だ。 歌子の物語は、女性の自立、結婚、親子の絆など、ごく普通の女性を通して 人生の幸福とはなにかを掘り下げた作品で、 歌子はもはやマドンナなどではなく、ヒロインだろう。 山田洋次自身が言うように、吉永小百合ありきで撮った異例の作品でもある。 ここでの寅さんは、いつものノリであっても「恋するバカ」ではなくて、 歌子に深く共感し、力になろうと必死で努力する、昭和の無法松役。 振られるといっても、それはなすことをなした男のカッコよさ満点で、 歌子物語は別格の感動がある。 第9作のラスト、夜の題経寺で流れ星を見つめるふたり、 第13作のラスト、縁側で花火を見つめるふたりの両シーンは 心が洗われるようなシリーズ屈指の名場面だ。 なお、吉永小百合には、もう一度出演をと山田洋次からオファーがあったが、 諸事情で断ったらしい。それを深く後悔している、と、 渥美清の死後、吉永小百合自身がコメントしていた。 やはり、歌子の物語は3部作のはずだったのだ。 さらに特筆すべきは、山本直純の「歌子のテーマ」で、 いつもの「さくらのテーマ」と並び、シリーズ中劇伴の最高傑作。 いずれにせよ、この2作は「男はつらいよ」シリーズの頂点だと思う。 |