8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.246

頑固8鉄版「男はつらいよ読本」その2

こんばんは。タコ社長です。うそ、8鉄です。
前回に引き続き、「男はつらいよ 寅さん読本」8鉄版の第二回目。
今回は、とらや(途中からくるまや)周辺の人々。

昭和の下町は、みんな親戚みたいだったんだなあ、
と思わせる映画でしたが、当時は、山の手に住んでいても、そうでした。
私の出身地、麹町も似たようなもので、大金持ちもたくさんいる地域ではありましたが、
昔は結構仲良く、寄り合いみたいにして、生活してましたね。
今は、どうなんだろう、とふと考えてしまいます。
そんな時代を踏まえてご一読くださいね。

では、まずは、この方から~。



桂梅太郎(タコ社長)

ほとんど、「ミスター昭和」みたいな風貌の太宰久雄。
朝日印刷のタコ社長、本名は、桂梅太郎。
いつも資金繰りと税務署に追われて、死にたい、とこぼす陰キャなのだが、
令和の今と違って、圧倒的にバイタリティ溢れる昭和キャラを体現していた。

タコは決して死なないのだ。
中小企業、というか、零細企業の経営ってどうなんだろう。
昔と比べて今のほうがいいんだろうか。一度も経験がない
俺が、思い起こせるのは、映画の中の出来事くらいで、
まっさきに思いつくのは朝日印刷。(最初は共栄印刷だったような。)
柴又とらや(くるまや)の裏手にある印刷工場である。

社長の桂梅太郎(タコ社長)は、いつも、「もうダメだ」「税務署に追われている」
「もう死にたいよ」「なんのために働いているんだかわからねえ」
「中小企業経営者の苦労がわかってたまるかってんだ」ETC..
とらやのお茶の間に腰かけて、常に額の汗をぬぐいながら愚痴っている。定番の設定だ。

タコは「寅さんがうらやましいね」というのも口癖だ。
「毎日、旅をして、のんきに美女に恋をしているなんて夢のよう」というわけだ。
この人物は、シリーズの中では、博とペアの「堅気(庶民)の旦那代表」である。
旅がらすのやくざものにはそれなりにシビアな苦労があるが、
かといって堅気が楽なはずもない。どこにいっても理想郷も
夢の世界もあるわけではない。たとえ金持ちになったとて、それは変わらない。
スティーブジョブスだってそう言っている。

タコ社長のエンドレスなぼやきには、
そんなメッセージが詰まっている気がしてならない。
ちなみに、この人、ものすごくいいひとである。中小企業の経営者は、
借金を返しながら、労務費、人件費、維持経費をまかない、
残った利潤を経営継続に回し、さらに残りを自分の生活費に回す。
タコ社長はどうみても要領がよくないが、自分が雇っている労働者より
生活状態がよくなさそうだ。それくらい、自分の工場をささえる人々に対する責任を
なにより重んじる人物なのがわかる。

工場の職人たちの笑顔があれば、明日もなんとかがんばるぞ、という、そういう
社長。みんなの幸せのために俺は働くんだという、
そういう男が悪戦苦闘する。この男の戦いは、現代の聖戦といっていい。
てっとりばやく、稼いで、自分だけが得をすればいい、という
現代風のブラック企業経営者に見せてやりたい、人道的経営者の鏡。
それが桂梅太郎の物語なのだ。



御前様(坪内住職)

第1作目の「男はつらいよ」(1969年)は、シリーズ化するつもりはなく、
1本だけの予定で撮られた。
しかも、テレビ版26話を凝縮した形なので、ものすごい密度でスピーディに話が進む。
しかし、一瞬のスキもたるみもなく、しかも端折った感じがしない、
日本映画屈指の奇跡の名作である。

で、寅が柴又に帰るなり、最初にあいさつに出向くのが、
帝釈天(題経寺)の御前様(笠智衆)。坪内住職である。
ちなみに、テレビ版には登場しない。マドンナである娘の冬子(光本幸子)は、
テレビでは寅の高校の恩師、坪内散歩(東野英治郎)の娘という設定になっている。
坪内という名前は原版は恩師の名前だったのだ。
この恩師は、映画版では同じく東野英治郎が演じ、第2作に登場するが、
話もテレビ版をそっくりなぞっていて、最後に亡くなってしまう。
こちらのマドンナは佐藤オリエで、テレビ版と同じ。ただし冬子ではない。(ややこしい)

ともあれ、第一作は、「男はつらいよ」がコメディ作品であることが
徹底してわかる爆笑場面の連続だ。とりわけ森川信の力が大きい。
「おら、頭痛くなってきたよ、おう、まくら、さくらとってくれ」「おら、しらねえよおー」
「バカだねえ、寅は。」有名なギャグはほとんどおいちゃんが飛ばしている。
シリーズ通して、ふっと現れては素晴らしい人柄と
真面目な顔をしてなぜかユーモラスなことを言う御前様とて例外ではない。
もっとも有名なのは、写真をとるときに間違えて「バター」という、
伝説的名場面。こんなに可笑しな笠智衆はほかにないのではないか。

「ほんとうにい、とらにわあ、困った、困ったあ」も名セリフで、
シリーズ通して笑いをとった。どんなに中身が薄くても、笠智衆弁で言われると、
どこかコミカルで、しかも説得力抜群だから不思議だ。
「もともと寅の人生そのものが、夢みたいなものですから。」
というセリフ(第41作)には、観客をうならせるほどの説得力があった。

ちなみに、笠智衆は、住職の息子。
住職になるはずだったのが俳優になった経緯がある。日本を代表する名優であり、
無数の映画に出ているが、晩年にとうとう映画の中で住職になった、というわけだ。
なお、車寅次郎の名前の由来となったという説もある、
戦前の「喜劇の神様」斎藤寅次郎映画に出演したことがあるのは、
笠だけである。(1937年)。また、寅さん話の元ネタになった、無法松の一生(1958年)にも
出演している。「男はつらいよ」は脇役に日本映画全体の最重鎮を持ってきたすごいシリーズなのだ。
1993年、「男はつらいよ 寅次郎の青春」(シリーズ第45作)を最後に死去。88歳没。



源公

「男はつらいよ」に1作を除きすべて出演した佐藤蛾次郎演じる源公。
この男は、実は、レギュラーキャラ中、最も透明感のある人物である。
透明感、というと、なにか、透き通った、清楚なマドンナを連想するが、
透明人間に近いニュアンスの透明度でいくと、間違いなくナンバーワンだ。

なにせ、この男、本名もわからない。素性も家族もわからないし、仕事もわからない。
初期作では、寅さんの啖呵売のサクラをしていたり、
とらやで真面目に配達をしていたり、実にさまざまな場面で活躍している。
題経寺の寺男というわけではないのだ。

しかも、自己主張がまったくない。
幸せってなんだろう、って悩むマドンナ、「しっかりおしよ!」と下町気質丸出しのおばちゃん、
みんなどこか主張とかスタイルを持っているのに、
源公だけは、まったく、なんの主張もないのだ。派手なのはアフロだけである。
(初期はそれすらない。)

寅さんに金をとられたり、どつかれたり、脅されたり、暴力を振るわれたりしているが、
根に持つ素振りもなく、いつも、「兄貴いい」とかけよって鞄を持ってやる。
これはいったいどういう根性をしてるのか。もしかすると、バカすぎて聖人君子なんだろうか。

実は、登場人物中最も高潔な人物、笠智衆演じる御前様と源公は実はコンビである。
あまりにかけ離れた存在なので、
ピンとこないが、よく見ているとちょくちょくセットで出てくるのだ。
高潔な、煩悩を消し去ったような御前様とあらゆる煩悩の塊みたいな源公は
不思議な絆で結ばれているのかもしれない。
ちなみに、佐藤蛾次郎は、自己申告してもいるが、医者の息子で、
金持ちのボンボン。子役時代から常に売れ続けて、
なんの苦労もしたことがないらしい。これもなんだか、映画の裏表みたいな話で面白い。



桂朱美

第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」で初登場したタコ社長の娘、桂あけみ。
出色の人物。あのアバズレ感は昭和の匂いでむせ返るほどだった。

のっけから、「フツツカってどーゆー意味?」とマジ顔できくあたりから、相当ヤバい。
実は、同時にとても懐かしい。
日本語なんて知らねえよ、というワイルドなアバズレ感は
俺の従姉妹を強烈に思い出させるからだ。
フツツカなあけみは嫁に行き、お金もないのに使わせちゃってごめんね、
とタコを感動させるが、次の36作では家出して寅さんに保護される。
愛ってなんだ、結婚ってなんだ、と散々悩みながら釈然としないまま家に帰るあけみを
誰も笑うことはできないはず。誰にも当てはまることだから。

第50作では、すっかりおばさんになり、
亡きタコ社長そっくりのキレっぷりで爆笑をさらった。
ちなみに、くるまや周辺のレギュラー中、8作だけと最も少ない出演回数なのに
忘れがたいキャラを演じた美保純は、俺と同じ歳である。

その他特筆



備後屋

よう、備後屋。相変わらずバカか?
寅さんが帰ってくる第一声で有名な備後屋。
初代は名優佐山俊二。2代目は露木幸次。

ほとんどの人が覚えているのは2代目。それくらい必ず出ていたが、
この人、本職は俳優ではない。山田組小道具係。
先日、帝釈天参道に行ったが、向こうからこの人の備後屋が
チャリで走ってくる錯覚にとらわれた。素晴らしい夢を
ありがとう、備後屋さん。



三平ちゃん

男はつらいよ、第40作「サラダ記念日」から登場する、
くるまや(とらや)の店員、三平ちゃん(北山雅康)。
だんだんと番頭さんのようになっていく。

くるまやの奥のお茶の間でお昼ご飯をみんなで食べる。近所に住んでいて、
よく働き、親身になって身内のようにふるまう。
これは、古い日本の持っていた理想の職場ではないか、と思う。
ネットをみていたら、「三平ちゃんみたいな人は今は結婚できないよね」
「老人の見る映画だからもう古い」という
書き込みが目についた。
今の日本の一番いやなところは、ここだ。

格差社会になり、かつて、ヤクザな寅さんが結婚できなくても仕方ない社会から、
ごく普通の堅気ですら、人生設計がたてられない社会になった。
どうにかならないものか。



ポンシュウ

「さあさあ、ヨーロッパのバッグ、ヨーロッパだよ、原っぱじゃないよ。」
寅さんの相棒、関敬六演じるポンシュウを観るたびになつかしさでいっぱいになる。

関敬六は、渥美清の親友でもあった人で、息もぴったり、
友人同士にしか出せないような、演技を超えた空気が流れていて、素晴らしい。
それにしても、縁日にいくと、こういう人、いたよなあ。ムッシュムラムラ



仲居さん

男はつらいよ、寅さんが泊まる全国の宿の仲居さんが
いつも同じ人だと気づいている方はいるだろうか。
谷よしのさんという、名脇役女優。シリーズ31作に出演。

さまざまな場面に、中居さん、花売りの行商など、あらゆる人物に扮して溶け込んでいた。
この人のたたずまいは、素晴らしく懐かしい昭和の香りがする。

柴又の人々 その後

寅さん話で面白いのは、あまりに有名すぎて、
作り話であることを乗り越えてしまっていることだ。
現実にはだれも徳川家康に会ったことがないのに人気があるのは、
単なる年表ではなくて、物語化されているからだ。

進化論が人気があるのも物語だから。ビッグバンがありそうなのは物語だから。
全て同じである。科学的に立証がなされたかどうかは人気とは直接関係がない。
理数脳の人がつまらないといわれることが多いのは物語るのが下手くそだからで、
典型が学者と官僚である。理数で有名な人たちは、
ダーウィン、アインシュタイン、ホーキング、全員、素晴らしい語り手だった。話がうまいのだ。

さて、架空とはいえ、寅さんを巡る人々がその後どうなったのか、
創り上げた人たちの去就を交えて想像するのは、歴史物語的な面白さがある。
なにより、創造主である山田洋次が示したその後の物語はどうだろうか。
第50作目の「おかえり寅さん」ではどうなっているのか。

お話の中心にいた、車寅次郎は故人。さくら以外そう思っている様子なのだから、
厳密には行方不明でも死亡フラグだろう。演じた渥美清も故人。
車竜造(おいちゃん)、車つね(おばちゃん)ともに故人。仏壇に遺影がある。(下條正巳、三崎千恵子も故人)。
諏訪さくらと博は健在。ともに70代後半。(倍賞千恵子、前田吟ともに健在)。
とらや(くるまや)の家屋を相続し、住んでいる。

店の経営権を三平ちゃんに譲り、現在はカフェに。江戸川ほとりの家屋は売ったか。
諏訪満男(吉岡秀隆)は50代で作家。妻と死別。娘がひとり。
桂梅太郎(タコ社長)は、死去(推定)。(太宰久雄も故人)。工場は閉鎖。
跡地にアパートが建っており、娘のあけみ
(美保純)が大家として経営。居住。あけみには粋がったバカ息子がいる。
御前様(笠智衆)故人。寺男の源公(佐藤蛾次郎)だけが不変で健在。跡継ぎ住職は、笹野高史。
満男編のマドンナ、及川泉(後藤久美子)はオランダ在住。子供がふたり。泉の母(夏木マリ)も健在。
渥美の遺作「寅次郎 紅の花」のマドンナ、リリー松岡(浅丘ルリ子)は、
神保町でライブバーを経営。といったところか。
マドンナ全員のその後であるとか、備後屋が相変わらずバカなのか、とか、想像してみると面白い。

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