8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.245

頑固8鉄版「男はつらいよ読本」その1

みなさん、こんにちは、頑固8鉄です。
今回から、数回に分けて、お送りする「男はつらいよ」8鉄版読本。

エルビスじゃないの?ええ、違います。
我々日本人の、昭和世代の心のふるさとみたいな映画、「男はつらいよ」。

一度くらいご覧になったことがあると思います。
え?大ファンだって?そんな方がたくさんいてもおかしくない。
全50作の映画館観客動員数は、なんと、8000万人を突破。
日本人で見たことがない人はいない、と言っても過言ではない、
正真正銘の国民的映画。わたしも子供のころから、
どれほど見返してきたかわかりません。

今でも、よくテレビで再放映が組まれますし、
ネットフリックスではいつでも見直すことができる。
お読みになっていただき、あ、そうだったな、あったあったそんなこと、
もう、一回見てみようかな、などと思っていただけたら幸いです。
まずは、登場人物紹介とまいりましょう。主人公の寅さんは後回しで、車家の人々。

その前に、あの有名な主題歌、なんといっても、ここからスタートです。
いつもの渥美節ではなくて、演歌の女王、八代亜紀版でいきましょう。




諏訪さくら

昭和44年と45年、フジテレビのドラマとして企画された、
オリジナル「男はつらいよ」は、「愚兄賢妹」と「無法松の一生」という、
2つのコンセプトのもとにスタートした。

愚かな兄の寅さんをいつも心配し、励まし続ける賢い妹さくらは、
テレビ版で長山藍子、映画版で倍賞千恵子が演じた。

さて、さくらは、主人公といっていい。寅さんとセットなのだから、当然そうだ。
有名な、山本直純の主題歌を思い出してもらいたい。
「俺がいたんじゃお嫁にゃゆけぬ、わかっちゃいるんだ、妹よ。
いつかおまえの喜ぶような、偉い兄貴になりたくて。
奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の日が落ちる」
これが「男はつらいよ」シリーズ全体を貫く「愚兄賢妹」コンセプトのすべてを表している。

これで、全部。それを延々、手を変え品を変え、
心の琴線に触れる見事なお話と映像でつづったのが、「男はつらいよ」シリーズだと思う。

男はつらいよ、は、寅さんの恋物語の姿を借りた、兄と妹、
そして家族の思いやりの物語だともいえる。
毎回、物語に、お笑いに、花を添える、日本を代表する美人女優が登場して、
哀しくも可笑しい恋物語が展開するが、いつも、最後は、
「さくら、博と達者でな。」と言って旅に出る兄と妹の別れで終わる。
そこがいつもの見どころなのだ。

そんな、寅さんの真の女房役、下町のおばちゃんというのでもない、
普通の家庭の良妻賢母としてのさくらを全作で演じ続けた倍賞千恵子は、
博役の前田吟とともに、最多出演(渥美清は実質48作である)となった。

毎回、エンディング、真夏の雲の図、正月の凧揚げの図とともに、
寅さんのいつものハガキが読み上げられるエピローグをはじめ、
頻繁に流れる感動的なテーマ曲は、「さくらのテーマ」と言われる。
哀しいのに、なぜかいつも明るい主題歌が兄のテーマだとすれば、
それを支える妹の底知れぬ思いやりを感じさせるさくらのテーマは大変に美しい。
山本直純の心が洗われるような名曲。
「おにいちゃん、もう行っちゃうの。」と呼びかけるさくらの声が、今にも聞えてきそうだ。

男はつらいよ 歌子の幸せ(さくらのテーマ~歌子のテーマ)




諏訪博

「男はつらいよ」シリーズは、この男の恋愛物語からスタートしたと言っていい。
第1作で、さくらの亭主になった諏訪博(前田吟)である。
惚れたはれたのすったもんだを寅さんがひっかきまわして、
大騒動になるのだが、結果、結婚して、映画の終わりにはもう満男が生まれている。
そこまではいいのだが、その後は、この人物が、庶民、というか、
戦後日本民主主義を代表するみたいな人になっていくのだ。

それは、簡単に言うと、「中道、中庸主義」「平凡」「理屈っぽい」という
、三種の神器を持ったやつ、という感じだ。
寅さんやおいちゃんが、困った変わり者だけど超面白い人たちだとすれば、
それを本能みたいに、変な理屈で八方うまく収めようとする博は
超つまらない、存在感がぜんぜんないやつに見える。悪い人ではない。そこが実にいらだたしい。

まさに、サイレントマジョリティの日本人が集約されたみたいな人なのである。
今の自民党政治みたいな人、と言ってもいい。
「にいさんのおっしゃることもわかります。
でも、おいちゃんやさくらのいうことだってわかるでしょ?にいさんだって。」

「にいさん」をあっちの団体だのこっちの派閥だのに置き換えてみればいい。
こういう人は、まったく平時の平和な時代には、平々凡々、
なんとか勤まるが、有事に近い時代になると、ぜんぜん役に立たない。
あっちの意見をきいて、こっちも尊重して、とか言っている間に、世の中が崩壊する。
博が工員でよかった。

渥美清さん最後の作品、「紅の花」で、阪神淡路大震災復興ボランティアで
大活躍した寅さんを、博は、「ああいうめちゃくちゃな人が、
案外ああいう状況では役にたつこともあるんだな。」とか言ったりするが、
まったく、その通りなのだ。



車竜造(おいちゃん)

ご存知の方は多いが、とらやのおいちゃん(車竜造)は、
2回、役者が交代している。
初代が、TV版から続投した森川信、急死した森川に代わり、
松村達雄、さらに下條正巳に交代。最も長かったのが3代目で、
温厚で真面目な優しい下條おいちゃんが印象に残る。
しかし、である。

初期の異常なほどにバイタリティ溢れる喜劇映画「男はつらいよ」を
牽引していた渥美と双璧の第二の男は森川信だ。
森川おいちゃんは、寅さん以上にバカっぷりが炸裂していて、今の目で見ても凄い。

一度観たらトラウマになるレベルの「バカっだねえええ、寅は。。。」の
あの情けない顔、「おらあぁ、あ、アタマ痛くなってきた。
おう、まくら、さくらとってくれ。」のアドリブ炸裂ぶり、無理やり笑おうとしてヒョットコ顔になる
クサい芝居、あらゆるギャグが志村けんに多大な影響を与えたのではないか。

実は、映画シリーズは第5作目で終了となるはずだった。
第5作目「望郷編」で、長山藍子ほかテレビ版キャストが
勢ぞろいしたのもそういう事情による。
テレビ版で放送したエピソードの主要な部分は5作目まででほぼ網羅されている。
はじめからおいちゃんを演じていた森川はその後、
亡くなる直前の第8作目まで登場し、だんだん人情ドラマっぽくなっていく
「男はつらいよ」に当初の喜劇魂を吹き込み続けた。
1972年(昭和47年)60歳で死去。



車つね(おばちゃん)

「男はつらいよ」に登場する「いつもの柴又の面々」の真打はだれか。
それは、寅さんでも、さくらでも、おいちゃんでも、もちろんタコでもない。
それは、あの、おばちゃんである。

映画シリーズ通して、すべての作品(第50作除く)に出演した俳優は、
渥美清、倍賞千恵子、前田吟、そして、おばちゃんこと三崎千恵子しかいない。

抜群の安定感で、まさに、「柴又の重鎮」と呼べるのは、
天空人の御前様を除けば、おばちゃん以外にいないだろう。
「寅ちゃん、いいかげんにおしよ!」「もう、やだねえ。
なんだか哀しくなっちゃうじゃないか。」「ほら!しっかりおしよ!」

おばちゃんに言われると、博の屁理屈と違い、
寅さんもしどろもどろになって、結局、負ける。
よくみれば、寅さん、おいちゃん、タコ、博、どっかへんてこな人物ばかりなのに、
おばちゃんは別格。もう、こんな人よくいたよな、なんてレベルではない。
実在の人物としか思えないのだ。

「寅ちゃんの好きないもの煮っころがし作ったよ。」
なんでもないこんなセリフが心にしみる。どんな人だって、
どんな喧嘩してたって、ごはんにはかなわない。そんなのあったりまえなのだ。

俺だって小さいころ、どんなに叱られても、学校で悪さしても、
最後は、母の「ほら、ごはんだよ。」で全部ちゃらになった。

そこで、見事に生活がリセットされる。それがまさに昭和の最も偉大なところだ
。ウーバーなんとかの世界なんてのは
邪道だ、と思うのは、そういう思いがあるからだ。

「お茶の間」というのは、ただ、ごはんを食べるところなのではない。
そこには、歴然と愛がある。それを支えるのは、おばちゃん。
どんな理屈も必要ない。問答無用の最強キャラであった。

「なんだか、寅ちゃんがかわいそうになっちゃっうよ。」としくしく泣くこともある、
暖かいおばちゃんがいたから、寅さんはちゃんと帰ってくる。
さくらだけじゃダメなのだ。
演じた三崎千恵子は、もともとはムーランルージュにいた人だが、
下町のおばちゃんの化身のような、車つね役を演じきった。
2012年、老衰のため91歳で没。



諏訪満男

さくらの息子で寅さんの甥っ子、諏訪満男。
吉岡秀隆が演じたのは第27作目からで、4代目。

寅さん役の渥美清が病気で出番が限られるようになった第42作、
「ぼくの伯父さん」から満男のサブストーリーがシリーズとなって、
以後、当時、高校生ながら事実上の主演となった。

伯父としての寅さんは深いい名台詞を言う、守り神のようになっていく。
そして、渥美清の死後、シリーズ終了から23年を経て作られた、
男はつらいよ50周年記念の第50作にして最終話、「男はつらいよ おかえり寅さん」で、
すっかりいいオヤジになり、娘と暮らす男やもめの小説家、満男を演じた。

その「おかえり、寅さん」は、最後の最後に驚くべき結末を迎える。
満男がスランプを抜け、書き出した新作が、「おかえり、寅さん」なのだ。

モニターに映る小説の文中冒頭で、くるまやに帰ってきた
寅さんのとなりには美しい女性がたっている。
その人だれ、と尋ねる満男に寅さんは照れくさそうに、俺の女房だよ、と応える。
一気に、素晴らしいテーマ曲とともに、数十年に渡るシリーズのマドンナたち全員が
フラッシュバックしていき、この映画は終わる。

圧巻のラストシーン、怒涛のフィナーレだ。
そして、もし、そのラストに導かれた観客が69年の第一作冒頭に戻れば、
柴又に20年ぶりで帰ってきた寅さんに会える。

おかえり、寅さん。

そして、再び話は続いていく。その円環の中で寅さんは永遠に生き続けるのだ。

さて、では、次回は、その周辺のレギュラー陣について、つづりたいと思います。
やけのやんぱち、日焼けのなすび、色が白くて食いつきたいが、
あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ、ときたもんだ。
では、また!次回!

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