8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.244

40年代ウエスタンバンドのインパクト ~ ローズ・マドックス



みなさん、こんにちは、頑固8鉄です。
突然ですが、ネイサン・タークって知ってますか。
さあ、誰でしょうね。宅さんちのねえさん?
誰かなー、花子ちゃんのこと?春子だっけ?
タバコ屋のおばあちゃんにきいてみよ、って昭和下町か。

1895年、ポーランドのミンスクで生まれたネイサン・タークは、
10代でアメリカに移住。
1920年代初頭、彼はロサンゼルスに移り、ハリウッドの初期の西部劇スターが
住んで働いていた映画スタジオや家があったベンチュラ ブルバードで、
ドライクリーニングとリフォームのビジネスを始めました。

タークは「カウボーイとインディアン」の映画に魅了され、
彼の店に立ち寄ったラインストーン・カウボーイ(カッコだけのカウボーイ)
のために服をデザインするようになります。
1940年代になると、ロデオ・パレードや観光牧場の人気のおかげで
ド派手なウエスタンウエアの需要が急上昇して、タークの家族経営の
ビジネスは、軌道に乗ります。
と、いうわけで、ヨウフクヤさん。

ヨウフクヤさんといえば、THE KINGではないかえ?
ええ、そうです。
日本でも知る人ぞ知る、世界のTHE KING。
そのルーツのひとりみたいな、ヨウフクというより仕立て屋さんが
アメリカにおりました。タークのハリウッドスターのウエスタンウエアは、
ロックンロールの世界にも大きな影響を与えたと思います。

さて、その中で、最も重要な顧客となったのが、
マドックス・ブラザーズ&ローズ。
この人たちって、何がすごいかってまずはその衣装。
サウンドも素晴らしいですが、それ以前に、すごいインパクトを与えました。
ジーン・オートリーなどのシンギングカウボーイ連中も
タークの衣装を愛用していましたが、歌手単体でなくて、
バンド全体となると強烈ですよね。

The Maddox Brothers And Rose - New Step It Up And Go




ローズ・マドックスは、1925年アラバマ州ボアズ生まれ。
幼少当時は、世界恐慌の時代。南部では、綿花価格が暴落するなど、
農家はもう食べていけない。

一家は、カリフォルニアに向けて出発しましたが、 35ドルしかなく、
ヒッチハイク、貨物列車の無賃乗車など、乗り継いで
やっとカリフォルニア州ロサンゼルスに到着。

救世軍に助けられ、刑務所に泊まり、貨物船でオークランドまで行きました。
そこには、パイプシティと呼ばれる場所があった。
パイプというのは、巨大な暗渠管のことで、
そこに移住者たちが住んでいたんだそうです。
ほとんど、土管に住んでいるホームレス一家の物語ですが、
当時の大不況下のアメリカがいかに悲惨だったかわかるエピソードですね。



父親が最終的に仕事を見つけた後、
家族はカリフォルニア州モデストに行き着きました。
ローズは 11 歳のときに初めてアマチュア・ショーで兄弟たちと共演し、
地元のラジオ局KTRBに出演。レギュラーになります。
1947年にフォー・スター・レコードでレコーディングをはじめ、成功を収め始めます。
そして、マドックス・ブラザース&ローズはハリウッドに引っ越しました。

彼らは広くツアーを行い、ルイジアナ・ヘイライドのラジオ番組に定期的に出演。
エルビスともどっかで会ってるんでしょうか。
ローズは彼女のカラフルな衣装のパフォーマンスで知られるようになり、
保守的なグランド・オール・オプリでヘソ出しルック。
当時のお堅い聴衆相手に結構冒険をした人たちなんですね。

「おー、あのねえちゃんはすげえっぺ!山本リンダつうんだっけかあ?」
「ローズまどかちゃんだっぺよ!おまえ、なめえくれえ、ちゃんと覚えんさーい!」

なんて会話があったはずはないです、絶対に。

マドックス・ブラザーズは、1957年に解散しますが、
ローズは最初は兄のカルとデュオで、その後ソロで活動。
彼女は1959年から1964年の間にビルボードの
カントリー・シングル チャートで14のヒットを記録。

バック・オウエンスやビル・モンロウなどの大物とも
レコーディングをしています。
彼女の最大のヒット曲は、バンジョーをしたがえた素朴な
「シング・ア・リトル・ソング・オブ・ハートエイク」で、1962年
末にカントリー・チャートで3位になっています。

Rose Maddox - Sing a Little Song of Heartache


さらに、彼女はブルーグラス分野へ移っていき、
キャピトル レコードでレコーディング。
1965年に会社との契約が終了した後、彼女はツアーに専念し始め、
兄弟のカルとヘンリー、息子のドニーと一緒に、
英国、ヨーロッパなどで演奏しました。

1996年、には、アーフリーレコードから出た
ブルーグラスアルバムでグラミー賞にノミネート。
1998 年に72歳で死去。



さて、いかがでしたか。

戦後直後のアメリカ、戦勝国バブルだったのか、
戦争のあとの傷跡をいやすためだったのか、
ド派手な衣装のカントリーが大流行した当時、
大活躍をしたローズ・マドックスのお話でした。



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