8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.243

ムードテナーの帝王 ー サム”ザ・マン”テイラー



みなさん、こんにちはまぐりの醤油焼き、頑固8鉄だよーん。
こんな暑い夏に、ますます暑くなるようなこちらをお聴きください。

ハーレム・ノクターン

いいでしょう!このエロい感じ、路地裏の淫靡なストリップ劇場みたいなエロいサックス!
チョットだけよーん、じゃないすよ。あれは、「タブー」という曲。
こちらのハーレムノクターンは、サム”ザ・マン”テイラーを一気に有名にした代表曲です。

サム”ザ・マン”テイラーのこってりしたサックスブローは、ロックンロールから日本の演歌まで
大きな影響力があり、「ムードテナーの帝王」と言われました。
かつて、こんな下品な音を出してはいけない、音楽的でない、芸術的に格下。。。
いつも出てくるこうした「見解」を見るにつけ、ジャズ愛好家だか
ヒョウロンカだか知らないけど、マジでつまんねえやつらだな、それならジャズなんか
どうでもいい、と思ったものですが、実際には、お芸術なジャズ屋なんかより、
この人のほうがよほど売れたんですね。なんか痛快な話です。

さて、そんなサム・テイラーさん、どんな人だったのでしょう。



テイラーは、1916年、テネシー州レキシントン生まれ。アラバマ州立大学でジャズを始めた、
とあるので、かなりのインテリ。当時の黒人ジャズマンでは、
ジャズサックスの元祖、コールマンホーキンスも大卒でしたが、学校なんてロクに出ていない、
ワイルドな周囲の音楽仲間に溶け込むのが難しかったそうで、テイラーも珍しいタイプの
ジャズマンだったのではないかと思います。

その後、スキャットマン・クローザーズ、クーティ・ウィリアムズ、ラッキー・ミリンダー、
キャブ キャロウェイ、レイ・チャールズ、バディ・ジョンソン、ルイ・ジョーダン、
ビッグ・ジョー・ターナーと仕事をしたテイラーは、1950年代にニューヨークの
レコーディング スタジオで最も依頼の多かったセッション サックス奏者の 1 人になりました。
彼はまた、CBS のアラン・フリードのラジオ・シリーズ、キャメル・ロックン・ロール・ダンス・パーティーの
ハウス・バンドリーダーとして、カウント・ベイシーに取って代わり就任しています。

まあ、経歴を見ればわかるとおり、クーティ・ウイリアムス、ラッキー・ミリンダーなどの
ジャンプジャズオーケストラにいたいわゆる「ホンカー」で、同じ系統の出身でも、
チャーリー・パーカーのようにモダンジャズにいかず、ロックに流れていった
サックスマンのひとりですね。初期ロックソングで有名な、ビッグ・ジョー・ターナーの
「シェイク・ラトル・アンド・ロール」(アトランティック1954年)のサックスソロは、この人です。

「シェイク・ラトル・アンド・ロール」

クライド・マクファター&ドリフターズの「マニーハニー」やコーズの
「シュブーン」といったヒットソングのサックスもテイラーさん。

さて、そんなテイラーさん、1960年代に入ってから、なぜか、
頻繁に日本で演奏と録音をしだすのです。

「おらっちはよ、東京さいってベコ飼うだ、じゃねえわ、東京さいってサックス吹くだ。
んで、大スターになるっぺよ。」

と言ったに違いないテイラーさん。ジャズとかじゃなくて、
日本の歌手のこぶし回しを真似た「歌うサックス」で次々にレコーディング。
これが絶大な人気を得て、たくさんの昭和歌謡をうなり声のテナーで吹き込みました。

これが、異色とはいえ、かなり凄い。
彼から見れば他国の、まったく異なる音楽ニュアンスを深く理解しないと
こんな音はとても出せない。ぞくぞくするようなテナーサックスによる
「歌の世界」。とてつもない才能だと思います。
この音色、この哀愁、シンプルなメロディだけで心に触れる歌心には、
凄みすら感じますね。素晴らしい、本物のプロフェッショナル技が堪能できる。




顔見せとしては、1974年放送の『第25回NHK紅白歌合戦』にゲスト出演。
にしきのあきら「花の唄」の伴奏を担当。
また、1978年放送『夜のヒットスタジオ』にゲスト出演し、都はるみの曲「なんで女に」に合わせ
サックスを演奏しました。

そんな我が国独特のスター、テイラーさんは残念ながら 1990年、
ジョージア州アトランタで亡くなっています。74歳。

さて、話のついで、といってはなんですが、わが国の昭和歌謡全盛期には
、テイラーさん以外にも素晴らしいサックスマンが活躍しています。

例えば、わたくし世代以上にはお馴染みの石原裕次郎クラシック、「夜霧よ今夜も有難う」。
サブトーンで息が漏れる音がはまりにはまったイントロと間奏のテナーサックスは、松浦ヤスノブ。
サム・テイラー、松本英彦とともに、昭和歌謡に欠かせないサックス奏者だった人です。
裕次郎の歌、素晴らしい器楽、オーケストラが一体となって、
当時のヒット曲は作られていたわけで、音楽がなによりいい時代だったと思うのです。

「夜霧よ今夜も有難う」

そして、最後は、これ。八代亜紀&サム”ザ・マン”テイラー
演歌の女神とムードテナーの帝王、夢の共演。

さて、それでは、まだまだ続く暑さに負けないようお気をつけてお過ごしください。
またねー、ブッフフフウー!(ムード・サックスで)


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