8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.241

オーストラリア最初の世界ポップヒット ー ザ・シーカーズ



シーカーズと聞いて、ジョージーガール、懐かしいなあ、と
思い出す世代ももう60代以上となりました。
とりわけ、オーストラリアのグループなので、あまりなじみがないかもしれませんが、
可憐な美人の女性リードボーカル、ジュディス・ダーラムの絶大な
人気と相まって、世界中で売れに売れたグループ。
百聞は一見にシーカーズ! というわけで、こちらをご覧ください。

The Seekers - I'll Never Find Another You

シーカーズはイギリスとアメリカで主要なチャートで成功を収めた最初のオーストラリアの
ポップミュージックグループと言われています。結成は1962年。
ポップとは言っても、聴けばわかるとおり、
フォークグループとしてとらえられているかもしれません。
オーストラリアの音楽史家イアン・マクファーレンは、彼らのスタイルを
「明るくアップテンポなサウンドで、ポップすぎて厳密にフォークとは見なされず、
フォークすぎてロックとは言えない」と説明しています。
この非常に微妙な線が、ザ・シーカーズの個性を見事に言い表しているし、
それは唯一無二の素晴らしいものでした。



1960年代に「アイル・ネヴァー・ファインド・アナザー・ユー」、「ア・ワールド・オブ・アワ・オウン」、
モーニングタウン・ライド」、「サムデイ・ワン・デイ」、「ジョージー・ガール」でトップ10ヒットを記録。
「アイル・ネヴァー・ファインド・アナザー・ユー」と「ジョージー・ガール」で、
米国でも成功を収め、結局、世界中で5000万枚以上のレコードが売れたと言われています。
1967年、「オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー」に、1995年、ARIAの殿堂入り。


ザ・シーカーズは、もともとは、1962年にメルボルンでベースのアソル・ガイ、
12弦ギターのキース・ポガー、ギターのブルース・ウッドリーによって結成されました。
彼らは全員、ビクトリア州のメルボルン男子高校の同級生で、
1950年代後半に活動を開始。最初は、ドゥーワップグループで、1962年に、
辞めたリードシンガーの代わりに、ジャズ歌手として活躍していた
ジュディ・ダーラムをリードに抜擢したところからザ・シーカーズとなりました。
それにしても、50年代のアメリカ音楽を代表するドゥーワップスタイルは、
オーストラリアでも流行したんですねえ。

ダーラムとガイは、同じ広告代理店勤務で、ダーラムは地元のジャズクラブの歌手でもあったので、
ザ・シーカーズはダーラムのコネで、W&Gレコードとレコーディング契約を結びます。
彼らのデビューアルバム、Introducing the Seekersは1963年にリリース。
彼らのデビューシングルは、トラディショナルなオーストラリアの
ブッシュバラード「ワルツィング・マティルダ」で、メルボルンの「トップ40」シングルチャート入り。



シーカーズは、1964年にイギリスをツアーした後、
定期的にイギリスのテレビに出演することとなります。
イギリスで活動を開始後、ソングライター、プロデューサーの
トム・スプリングフィールドと出会いました。
トムは、イギリスの歌姫、ダスティ・スプリングフィールドの実兄。
ダスティがソロになる以前に組んでいた人気トリオ、ザ・スプリングフィールズの
結成人で、フォークっぽいポップヒットを書いていました。

シーカーズ「ほうー、ここがえげえれすかあ。
おー、あれが和光の時計台だべか。」
トム「ハロー、違います、あれはビッグベンですたい!
おいどんはトム・スプリングフィールド。よろしくですたい!」

なんてアホな会話があったはずはないですが、
ばったり会っちゃったんだから仕方ない。

1964年11月、トムが書いた「アイル・ネヴァー・ファインド・アナザー・ユー」は、
シングルチャートのトップ50入り。
とうとう、1965年2月に、英国とオーストラリアで1位、
米国で4位になり、1965年の年間通して、イギリスで7番目に売れたシングルになりました。
続いて出た「カーニバル・イズ・オーヴァー」は、
追い打ちをかけて世界ヒットになり、結局ミリオンセラーになった。

65年5月には、トム・スプリングフィールドの別の作曲、「ア・ワールド・オブ・マ・オウン」が、
オーストラリアと英国でトップ3、米国でトップ20に到達。
さらに、スプリングフィールドの書いた次のシングル「ザ・カーニバル・イズ・オーヴァー」が
オーストラリアとイギリスのチャートで1位になり、
ピーク時にはイギリスだけで1日93,000枚を売り上げる勢いでした。

また、1965年には、英国でソロキャリアを追求していた
ポール・サイモン(サイモン&ガーファンクルの)と出会い、
1966年、サイモン作の「サムデイ・ワンデイ」が、オーストラリアで4位、英国で11位。
これは、ソングライターとしてのサイモンの最初の英国での成功であり、
作曲家としての彼の最初のソロメジャーヒットとなりました。

そして、1966年12月、トム・スプリングフィールドの手になる決定版、
「ジョージーガール」をリリース。
1967年2月にビルボードホット100で2位、キャッシュボックストップ100で1位に達し、
世界中で350万部を売り上げ、とうとうゴールドレコードに。
英国では3位、オーストラリアでは1位。

The Seekers - Georgy Girl (1967 - Stereo)

なんとも、明るくて、オーストラリアの風が吹きそうな曲調ですが、
イギリスの磨き上げられたポップ曲でもあり、瞬く間に世界ヒットになったわけですね。

1967年、オーストラリア凱旋ツアーは、大成功。20万人の聴衆が参加。
1968年テレビスペシャル、The World of the Seekersが放映され、
定期的に上映されて、オーストラリアで20世紀に最も視聴された
テレビ番組のトップ10に入っています。

しかし、残念ながら、1968年、ジュディス・ダーラムがソロとして独立、
シーカーズは解散しました。
さすがに歌姫なしでは、解散ということになるでしょうね。

その後、70年代は分裂したまま、それぞれの活動を続けていきましたが、
90年代に入って、リユニオンが実現。
2枚のアルバムは、プラチナ・ディスクを獲得。

2013年のオーストラリアツアー中、ジュディスが脳卒中になり、回復しましたが、
これを期に引退。
これがフェアウェルコンサートになりました。

わが国でオーストラリアポップというと、オリヴィア・ニュートン・ジョンが有名ですが、
その先駆けとなった、ジュディス・ダーラムとザ・シーカーズのご紹介でございました。



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