8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.240

スラックキーの王様 ー ギャビー・パヒヌイ



こんにちは。季節はもう、完璧の完全の鉄壁の夏!
あっつーーーーーー
溶けてしまいそうな夏がやってきました。わたしは、もう1年通して、脳が溶けてはいますけども。
さて、わたしたちの世代は夏というと、海。海というと、三浦海岸、湘南、館山なんてところなんですけども、
やっぱりハワイっすよね。

もう30年前、わたし、ハワイに一度だけ行きました。
で、一言でいえば、あそこは、もう、行ったら最後、帰ってこれません。
日本に戻ってきて、じっとりしたよどんだ空気に接したとたん、がっかりしすぎて病気になりそうでしたもん。
それくらい、文句なしいいところ。あそこは人が気持ちよく住むところですね。何もしなくてもいい。
音楽でいったら、そりゃあもう、ハワイアンに決まってるじゃん!
昭和のハワイアンっていうと、バッキーさんですけど、本場のモノホンは、実はちょっと違うんですよ。
ちょっと、ご紹介しますね。本物のハワイアンミュージックの王様、ギャビー・パヒヌイのお話です。

1921年、フィリップ・クニア・パヒヌイは、ホノルルの貧しい地区で育ちました。
幼少期から、新聞や靴を売って家族を養っていたといいます。
ポフカイナスクールの5年生の後に学校を中退。
その後、チャーリー「タイニー」ブラウンのバックアップギタリストとしてバーで演奏するようになります。
すぐにスティールギターを習得。読譜技術も身につけて、活動をはじめました。

最初は、オーケストラでスティールギターを演奏。
ギグの標準的な衣装はギャバジンパンツ。で、「ギャビー」となった、とも言われています。
ギャバジンパンツを愛用し、ギャビーというニックネームを定着させたらしい。
なんとも、おしゃれで愉快な話ですね。

ハワイアン・スティール・ギターの熟練したプレーヤーになったギャビーですが、
伝統的なハワイアン・スラックキー・ギター(指で弾くオープン・コードスタイル)と
しても有名になっていきました。


1946年、ギャビーはベルレコードレーベルで彼の最初のレコーディング「Hi'ilawe」を行い、
これは、スラック・キー・ギターを使ったハワイアンソングの最初のレコードともいわれています。
このレコードは多くの地元のミュージシャンにインスピレーションを与えました。
翌年には、スラック・キー・ギターインストゥルメンタルの最初のレコード、「フラ・メドレー」を録音。
「フラメドレー」は、文化的、歴史的、または美的重要性のために
米国国立録音登録簿に登録されています。




さらに、アンディ・カミングス、レナ・マチャド、レイ・キニーなど、
当時の偉大なバンドやミュージシャンの多くと共演
。1930年代に始まった人気の国際ラジオ番組であるHawaiiCallsにも出演。
最終的に、ギャビーはオアフ島に引っ越し、家での週末ごとにミュージシャンを集めて
ジャムセッションをし、これが伝説的なハワイアン音楽発展の場となっていきます。

1950年代後半から1960年代にかけて、ギャビーは、アタ・アイザクス、ノーマン・アイザクス、
チャールズ・ミラー、若き日のピータームーンなどの仲間うちで、スティール・ギター、
スラック・キー・ギター、ウクレレ、ベース、ボーカル編成で、
当時ワイキキで人気だったバーで演奏するハワイアンスタイルのレコーディングを残しています。

1961年には、キングストントリオのデイブ・ガードが主催したソロセッションがあり、
スラックキーギターの素晴らしいソロ録音中心でしたが、
興味を持ったレコード会社が現れず、1978年になって、やっと、
「ピュアー・ギャビー」として、フーラレコードから2枚組が出ました。

こうした音楽的な成功にもかかわらず、それで食っていくほど経済的には恵まれず、
ギャビーはホノルル市と郡の道路作業員として働き続けました。

そうした、地味ながらも音楽的はたいへんに高度で、素晴らしい演奏の数々を
聴かせてきたギャビーが一気に脚光を浴びたのは、70年代になってからで、
ハワイ文化復興運動の台頭において非常に重要な役割を果たすことになります。

1972年から「ギャビーバンド」と呼ばれるようになったアルバムを4枚制作。
最初のアルバムは、息子と旧友のリーランド"アッタ"アイザックス、
ベーシストのマヌエル"ジョーギャング"クパフが参加。
さらに、若い世代のプレーヤー、ピーター・ムーンとランディー・ロレンソが参加。
そして、アメリカ本土の崇拝者であるライ・クーダーが参加。

ライ・クーダーは、76年の自身のアルバム、「チキン・スキン・ミュージック」で、
ギャビー・バンドと共演し、我が国にもはじめて、ギャビー・パヒヌイ、
そして伝統的なスラック・キー・ギター奏法が紹介されることになったのです。




しかしながら、このころから健康を害し、結局、道路工事の仕事を引退。
市と郡の文化プログラムで教え始めましたが、1980年に、59歳で亡くなりました。

死後の1997年、ハワイレコーディングアーティスト生涯功労賞を受賞。
サンズ・オブ・ハワイのメンバーとしての功績により、
2009年にアーツ・ライフタイム・アチーブメント・アウォードを受賞。
2002年にハワイ音楽の殿堂入りしました。

最後に。我が国にもギャビーに大きな影響を受け、その音楽に魅せられて
、自分のスタイルを確立していった音楽家がたくさんいます。
そんな中から、わたしの古くからの友人であるHIDEKI HATTORIが、
つい先日、ギャビースタイルのスティールギターと
スラック・キー・ギターを弾く素晴らしいCDをリリースしました。

こちらから、通販でも買うことができます。
万人にお勧めできる、ビンテージハワイアン気分満点のCD。
興味のある方はぜひ。




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