8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.228

偉大なるコメディ大革命 ー 空飛ぶモンティ・パイソン



おさかな踊り

あけましておめでとうございます、頑固8鉄です。
いきなり、モンティ・パイソンの古典ギャグ「おさかな踊り」で幕開けの2022年、
どんな年になるんでしょうね。景気がよくなって世界に活気が戻るといいですねえ。

さて、新春お笑いで思い出したのですが、かつてイギリス発、
お笑いの質に大革命を起こした「コメディのビートルズ」がいました。
我が国でも70年代、東京12チャンネルで深夜に放送されていた
「空飛ぶモンティ・パイソン」。
日本では今野雄二がこのイギリステレビ番組を紹介する形で放送され、
その際、日本の新しいお笑い芸人として登場、有名になったのがタモリです。

エルビス・プレスリーもモンティ・パイソンの大ファンで、
パイソン映画の「ホーリー・グレイル」を自宅のシアターで繰り返し繰り返し見ては
、死ぬほど笑い転げていたといわれています。
ポール・マッカートニーはレコーディングを中断してかかさずテレビ放映をみていたとか。
映画版製作で資金提供した最も有名な音楽家はジョージ・ハリソン。
ピンクフロイドもそうです。さて、一昨年、パイソンズのテリー・ジョーンズが亡くなり、
残った4人も80代前後となっています。今回は、彼らの軌跡を振り返ってみます。



モンティ・パイソン(Monty Python)は、イギリスの代表的なコメディグループ。
グレアム・チャップマン、ジョン・クリーズ、テリー・ギリアム、エリック・アイドル、テリー・ジョーンズ、
マイケル・ペイリンの6人で構成される(ただし、ニール・イネスと
キャロル・クリーヴランドを「7人目のパイソン」と表現することもある。
もともと全員がコメディ作家出身。さらに企画、脚本、俳優などを兼ねています。

当時話題になったのは、全員が超エリート。(チャップマンはケンブリッジ大卒で医師、
クリーズは同じくケンブリッジで弁護士、アイドルもケンブリッジ、ジョーンズと
ペイリンはオクスフォード大。)
それぞれの大学のコメディサークル時代から台本を書いていて、
すでに面識があったらしい。そういう連中がテレビ制作の現場で
出会ってできたのがモンティ・パイソンというわけです。

彼らに、大きな影響を与えていたのが、幼いころに放送していた
ラジオコメディ番組『ザ・グーン・ショー』。1951年から60年まで
イギリス国営放送(BBC)が流していた。その徹底したナンセンスさは、
5人に衝撃を与え、のちのコメディ作りにも大きな影響を及ぼしました。

ちなみに、この「元祖モンティ・パイソン」ともいうべき、異質なお笑いを誇った番組を
作り上げた人は、スパイク・ミリガン。
番組の共同制作者、メイン・ライター、そして主要キャスト。
アメリカのお笑い系バンドで有名だった「スパイク・ジョーンズとシティ・スリッカーズ」
(これを日本で真似たのがフランキー堺とシティ・スリッカーズ)から
つけた芸名なので、もともとの根っこにアメリカ冗談音楽の影響があるのが面白い。
ミリガン自身、ミュージシャンとしての顔ももっており、なんでもこなすマルチ・プレイヤーだった
といわれています。我が国、というより世界的に有名になったグーン・ショーの主要メンバーは、
ミリガンよりもピーター・セラーズでしょう。
キューブリックのブラックコメディ「博士の異常な愛情」でひとり4役をこなしたり、
「ピンクの豹」でクルーゾー警部を演じました。(クリーゾーは当たり役となり、わが国でも有名。)
のちのモンティ・パイソンもグーン・ショーの影響からか、
音楽が非常に重要な役割を果たすことになります。



パイソンズ結成までさかのぼると、1967年。クリーズとチャップマンが参加していた
テレビコメディ『アット・ラスト・ザ・1948ショー』とアイドル、ジョーンズ、ペイリン、
アニメーターとしてテリー・ギリアムが参加(加えて、ニール・イネス率いるボンゾ・ドッグ・バンドも出演)
していた子供向け『ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット』の2つがあります。
当時から有名だったクリーズはBBCから新しい番組枠への出演を促されており、ペイリンと組んだのを
きっかけに2つの番組メンバーが合流、パイソンズとなりました。
なお、イネスが参加していたボンゾ・ドッグも有名なロックバンドで、奇妙奇天烈な音
楽をやっていた。ここでも初期ロックンロールとつながりますね。

そして2年後、1969年からBBCからとうとう「空飛ぶモンティ・パイソン」がスタート。
とてつもない大反響となって、コメディの大革命になった。
とにかく、これまでにまったくないお笑い。スケッチ(コント)間の境界線をなくしたこと。
そして、パンチライン(オチ)を絶対に設けないという大革命ですね。
ひとつひとつのコントもまったくナンセンスでシュール。
この不条理なスタイルは「Pythonesque」という造語で表され、
『オックスフォード英語辞書』にも収録されているそうです。

日本では1976年、東京12チャンネル(現テレビ東京)で、
金曜日の22時台に吹替版が放送。
吹き替えが大変面白く、これも日本ではずいぶん評判になりました。
(クリーズが近石真介と納屋五郎、アイドルが広川太一郎、
チャップマンが山田康雄、ペイリンが青野武、ジョーンズが飯塚昭三)。
プログラミング言語であるPython、大ヒットした傑作スケッチがもとになった
スパム(コンピュータ用語)はどちらもモンティ・パイソンが語源となっています。

ネットフリックスでは、当時のテレビ版モンティを全編見ることができますが、
吹替はなかなかない。こちらは、TUBEにある吹替版のスケッチで、
今では古典といっていい「死んだオウム」とそれに続く「オカマの木こり歌」


ふたつのスケッチのつなぎ目に注目。シュールにそのまま移行していて、
つなぎ目がない。だから最初のオウムのスケッチにはオチがありません。
ちゃんちゃん、とかいいかげんにしろ、とかいっさいないわけ。
つなぎ目に頻繁に登場するのは、テリー・ギリアムのシュールなアニメで、
これはオウムスケッチの前で見ることができます。
これがパイソンズの最大の特徴でしょう。これはミリガンからきていますが、
パイソンズが世界的に有名にしたというわけです。

スケッチの内容も当時の世相から見れば過激。政治、宗教などをナンセンス化
するものが多く、BBCとはそうとう喧嘩した。それでも、視聴者の評判を
無視するわけにはいかず、結果、大ヒット番組になりました。

『空飛ぶモンティ・パイソン』は1974年に、第4シリーズで終了しましたが、
これはジョン・クリースがマンネリ化を懸念しておりてしまったから、という理由でした。

彼らは映画も撮ったのですが、これがまた、一筋縄ではいかない。



モンティ・パイソン・アンド・ナウ (1971年)、モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル 
(1974年)、ライフ・オブ・ブライアン (1979年)、人生狂騒曲 (1983年)の4本。
「アンド・ナウ」は、アメリカ進出のために制作されたテレビスケッチのリメイクからなっていましたが、
不出来で、長編をとろうということになり、「ホーリー・グレイル」が作られましたが、
この恐ろしくリアルな中世を映像化したなかで、繰り広げられるバカバカしいコントの連発、
めちゃくちゃなラスト(なんと撮影隊が警察に取り押さえられるというメタフィクションオチ)で
もって、大評判となり、パイソンズは改めて世界的に有名になりました。
監督はジョーンズとギリアムの二人。

続く「ライフ・オブ・ブライアン」は、聖書をパロディ化した内容であったため、
あちこちで論争を巻き起こし、公開禁止の地域も多数現れたとされますが、
全部、彼らの計算通り。宗教界から批判されればされるほど知名度があがり
大ヒットするとはじめからよんでいた。そのとおりに大ヒットして、
全員が大儲けした。この資金提供者がジョージ・ハリスンですね。

モンティ・パイソンの誇る名曲、Always Look on the Bright Side of Life
映画「ライフ・オブ・ブライアン」のラストシーンで歌われました。
作詞作曲はビートルズの友人でもあったパイソンズのエリック・アイドル。
「無から生まれて無に帰るだけ。人生失うものなんてはじめからない。」という
バカ陽気な歌をはりつけで殺される人たちが大合唱するという、
トラウマ級の大傑作だと思います。


そして、ラストワンの「人生狂騒曲」人生とはなにか、を正面切ってバカにした
大変な傑作で、これまた大評判になった。
あれやこれやと「人生とは」がテーマのスケッチが展開したあげく、
最後に「人生とは、人に親切に、脂肪を避ける、良い本を読み、
良く歩く、信条や国が違う人々と平和に暮らすことです」となげやりに結んで、
こんな馬鹿らしい映画やーめたという素晴らしい結末。

そんな中、1989年にチャップマンが死去。

他のメンバーはそれぞれソロとなって活躍。全員一生遊んでくらせる身分になったので、
あとはお遊びみたいなものかもしれません。
クリーズは、『フォルティ・タワーズ』を制作。俳優としてマイペースに活動。
ジョーンズは監督、ペイリンは俳優になった。
アイドルはニール・イネスらとビートルズのパロディ・バンド、ラトルズを結成。
最も活躍したのは、たぶんギリアムで、映画監督の道へ進み、
「バンデットQ」「未来世紀ブラジル」「バロン」など。
カルト化した傑作を次々とりました。



その後もあれやこれやあったけれども、全員が顔を合わせたのは、
2013年になってから。モンティ・パイソンの再結成が正式に発表され、
本国イギリスではトップ・ニュースとして報道され、アリーナでの一夜限りのライブは
チケットが発売開始後43秒で完売。世界1500館の映画館で中継上映されました。

しかし、2020年、監督を多く務めたテリー・ジョーンズが77歳で死去。
パイソンズはいよいよ伝説の中に入ってしまいそうです。

では、最後に、冒頭のおさかな踊りを再現。
今年82歳になる本物のジョン・クリーズがびっくりの登場で、
「おさかな踊り」を再現したいという孫世代の一般人の
夢をかなえてあげるというほっこり企画。
3世代にわたって熱烈なファンがたくさんいる、というのが
パイソンズの真価を証明するなによりの証拠です。


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