8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.224

世界最高のポップ音楽作曲家 ー チャールズ・チャップリン



みなさん、こんばんはげあたまの頑固8鉄です。
子供のころ、よく日比谷の映画館に映画を観にいってました。小学生のころは母か父と一緒です。
当時、チャーリー・チャップリンの回顧上映シリーズがあって、全部観ました。残らず全部です。
で、あまりに好きだったので、ビデオを買いました!
わけないですね、当時はそんなものありません。パンフレット、全部集めました。
ロードショーとかスクリーン(当時の映画専門誌。
スクリーンはちょっぴりエッチで大好きだった)の切り抜き集でも飽き足らない。
で、買ってもらったのが、チャーリー・チャップリン映画音楽集2枚組。
フランスのミシェル・ヴィラール・オーケストラによるチャップリン作品の映画音楽演奏大全集。

タイトルを、VIVA CHAPLINといいます。まだ持ってます、というより、
これはわたしの子供時代からの音楽のバイブル。ついでに久々にLPを開いてみたら
スクリーン誌の楽譜の切り抜き(ライムライトのテーマ)が出てきた。
なんかもう、自分で勝手に感無量です。
こんなに素晴らしいレコードはありません。毎日、そらでオケの全部のパートをハミングできるくらい、
聴きまくっていました。このときから、今日まで、チャップリンは史上最大のポップス作曲家の
ひとりだと信じています。実際、たくさんの有名歌手がチャップリンが自ら作曲したテーマ曲を
ヒットチャートに送り込んでいます。
さて、日本人でも知らない人がたぶんいない、世界で最も影響があった映画人としての
チャールズ・チャップリンについて、とやかく言うこともありません。みなさん、ご存じのとおりでしょう。



改めて簡単にご紹介しますと、喜劇王チャーリー・チャップリンは、本名、チャールズ・スペンサー・チャップリン。
イギリス人です。生まれたのは、1889年ですから、のちに「独裁者」で
チャップリンがコケにしてみせたアドルフ・ヒトラーとは同い年。
ちなみに、わが国の知名度高い有名人は、石橋征二郎。(ブリジストンタイヤの創業者)、
作家の夢野久作などがいます。
ちょっと意外だったのは、ハッブル望遠鏡で有名な天文学者エドウィン・ハッブル。
まあ、ずいぶん古い人ですね。
チャップリンがなくなったのは、1977年なんで、88歳と長命でした。

サイレント映画時代に名声を博しましたが、あの有名な浮浪者キャラ、
山高帽に大きなドタ靴、ちょび髭にステッキという、今ではアイコンになっている
キャラクターの元祖です。
映画史の中で最も重要な人物のひとりであって、サイレントからトーキーに至る時代に
今でも受け継がれる物語映画の基盤を作ったといわれています。
とくに、自伝的要素や社会的及び政治的テーマが取り入れられているため、作家性が豊かで単なる
エンタテインメントに終わらない芸術性とメッセージを持っていました。というのも、
子供時代は貧困と苦難に満ちており、救貧院に何度も収容される生活だった。
飢えのあまり靴を食べるギャグがありましたが、あれは子供時代の実体験をもとにしている。
どれほど貧しかったかわかります。

やがて舞台俳優や芸人としてミュージック・ホールなどの舞台に立ち、
19歳で名門のフレッド・カーノー劇団と契約後、アメリカ巡業中に映画業界からスカウトされ、
1914年にキーストン社で映画デビュー。1919年にはユナイテッド・アーティスツを設立し、
自分の映画製作を独立独歩の体制にのせます。

1920年代に長編映画を作り始め、『キッド』(1921年)、『黄金狂時代』(1925年)、
『街の灯』(1931年)、『モダン・タイムス』(1936年)などを発表。
おかしくも哀しい、貧困と社会の不平等、資本主義の矛盾を鋭く突いた作品を次々に製作し、
ついに台頭してきたナチスへ喧嘩をふっかける大変な作品『独裁者』(1940年)でトーキーに完全移行しますが、
体制側からの締め付けが厳しくなり、人気は急速に低下。1952年の『ライムライト』から
アメリカへの再入国許可を取り消され、それ以後は亡くなるまでスイスに定住しました。
1972年、やっとアメリカ側から再評価がすすみ、アカデミー名誉賞を受賞。
「今世紀が生んだ芸術である映画の製作における計り知れない功績」による、とされました。



さて、その音楽。
チャップリンは子供の頃から音楽が好きで、独学でチェロやバイオリン、ピアノを演奏したいたらしい。
1916年には、チャップリン音楽会社を設立するほど。音がないサイレント映画時代から
映画音楽の重要性を訴求していて、『キッド』以降は伴奏音楽を指示したキューシートを付けて配給し、
トーキーが出現すると、チャップリンは『街の灯』からのすべての作品で自ら映画音楽を
作曲するようになりました。大変なこだわりと完ぺき主義で知られる人なので、音楽の探求具合も半端では
なかったそうです。正式な音楽教育を受けていたわけではないため、
楽譜を読むことができず、スコアを作る時はデイヴィッド・ラクシン、レイモンド・ラッシュ、
エリック・ジェイムズなどのプロの作曲家に助けてもらいながらも、
自分で作った曲で自分の映画を埋め尽くした。

そんな中から、後世に残る、世界中の音楽ファンに愛される大傑作を3曲作り出しました。
『モダン・タイムス』のために作曲した「スマイル」は、1954年に作詞家のジョン・ターナーと
ジェフリー・パーソンズにより歌詞が付けられ、ナット・キング・コールの歌唱でヒット。
『ライムライト』のために作曲した「テリーのテーマ」は、ジミー・ヤングにより
「エターナリー」のタイトルで広まった。そして『伯爵夫人』のために作曲し、ペトゥラ・クラークが
歌った劇中歌「This Is My Song」は、イギリスのシングルチャートで1位を獲得。
また、チャップリンは1973年年に再公開された『ライムライト』で、
第45回アカデミー作曲賞を受賞しています。

それぞれの曲について、とやかく言うことはありません。
世界中の人々の心を震わせた大傑作は、たくさんのカヴァーを生み出し、
アマチュアからプロまで、あらゆる楽団で演奏し続けられています。
これは20世紀の生んだ最大の古典音楽のひとつと言っていいと思う。
それ以外表現のしようがない。事実がすべてを物語っています。



さて、映画音楽を再現してみせたものの中から、まずは、「モダン・タイムス」のテーマとして有名な「スマイル」。

スマイル(モダン・タイムス)

ジュディ・ガーランドの素晴らしい歌唱版も。


バーブラ・ストライザンドも。


そして、世界ヒットになった極めつけはナット・キング・コール。

マイケル・ジャクソンもチャップリン曲が大好き。


続いて、ライムライト。哀しくも美しいテリーのテーマ。

ライムライト 

ペトゥラ・クラークの歌唱版。

そのペトゥラ・クリークがオリジナルと言っていい、
チャップリン晩年の「伯爵夫人」のテーマ、「ディス・イズ・マイ・ソング」。

そのほかにもたくさんあるけれど、もうこれだけで十分といっていいような、
まったくの大傑作3曲であります。


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