8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.217 |
フィリー・ソウルの神髄 ー スリー・ディグリーズ 70年代、アメリカですごく流行ったサウンドに「フィラデルフィア(フィリー)・ソウル」と いうのがあるのをご存じでしょうか。 流麗なストリングスが情熱をかきたてるような甘くてソフトなソウルサウンド。60年代ソウルのイメージがどちらかというと、 管楽器が中心になり、粗削りで、ガッタガッタと突き進んだり、もしくはコーニイにまとまった渋いサウンドなのに対し、 フィリーはとても都会的でゴージャスでロマンティックな感じです。 これは、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードのハウス・バンドによるものでした。 拝啓としては、フィラデルフィアでは、黒人人口が多い割にはソウルは栄えず、アイドル歌手等による白人のポップ・ミュージ ックのほうが受けていたらしい。70年代以前にフィラデルフィアで勢力があったレーベルはキャメオ・パークウェイ。チャビ ー・チェッカーで当てたところで、流行のダンス・ミュージック中心で白人受けを狙ったものでしたが、 このレーベルも1968年には倒産。 そこで、70年代の公民権運動の盛り上がりもあってか、より黒人向けのフィアラデルフィア。サウンドを目指したのが、フィ ラデルフィア・インターナショナル・レコードだったということのようです。 アーティストは、オージェイズ、ビリー・ポール、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツや、 後にソロとなったテディ・ペンダーグラスなど。 さて、そんななかで、ひときわ忘れがたい、フィリー・ソウルを代表する、そして、日本でも極めて有名なのは スリー・ディグリーズ。1963年頃にペンシルベニア州フィラデルフィアで結成されたグループです。 延べ15人のメンバーが入れ替わり立ち代わりしていますが、編成はトリオです。現在でも現役(ヴァレリー・ホリデー、ヘレ ン・スコット、フレディ・プール)。ホリデーは1967年、スコットは本当のオリジナルメンバー(1963年ー1966年)で1976 年以降不動。特に英国で成功し、1974年から1985年の間に13のトップ50ヒットシングルを達成しています。 最初のメンバーは、ファイエット・ピンクニー(故人)が中心で、1967年から1976年までのグループの最大のヒット曲のほと んどはピンクニー、ヴァレリー・ホリデー、シェイラ・ファーガソンです。特に、わが国でも大ヒットした1974年大シングル 「天使のささやき」(アメリカ2位、イギリスで5位)はこのメンバー。(当時のリードシンガーはファーガソン)。 ピンクニーは1976年にヘレン・スコットと交代。 1989年から2010年(シンシア・ギャリソン、ホリデー、スコット)は、最も安定したメンバーで、1998年に「ラストクリスマ ス」をヒットさせたましたが、ギャリソンは健康上の理由で2010年の終わりにバンドを去り、フレディ・プールと交代。ホリ デーとスコットは現在40年の古参メンバーとなっています。 さて、そもそもは、1965年にスワンレコードのプロデューサー兼ソングライターのリチャード・バレット(50年代にはシャ ンテルズをプロデュースしたガール・グループ・プロデュースの開祖みたいな人)によって発見されたことから始まります。 バレットとともに、数多くのシングルをリリースして、ナイトクラブでは名が出ましたが、レコード・ヒットには至らず。 バレットは、ワーナーブラザース、メトロメディア、ネプチューンと、今後3年間でレコーディング契約を結びましたが、 ネプチューンは、5年後に出会うケニー・ギャンブルとレオン・ハフが所有するレコード会社でした。 1970年、彼らはルーレットと契約し、ファーストアルバム、「メイビー」をリリース。タイトル曲(シャンテルズのヒットと は同名異曲)で、米国のR&Bチャートで4位にランクインしました。シングル「アイ・ドゥ・テイク・ユー」と「ユア・ザ・ フール」が続きます。セカンドアルバムも順調な売れ行き。この成功により、1971年の映画「フレンチコネクション」にカメオ 出演し、ますます有名になっていったスリー・ディグリーズ。 "I DO TAKE YOU" 1973年、ルーレットとの契約が終了したとき、バレットはケニー・ギャンブルとレオン・ハフ(ギャンブル&ハフ)のフィラ デルフィア・インターナショナル・レコードと契約。ここで最大の成功を収めることとなります。最初の録音は、テレビ番組 「ソウル・トレイン」のテーマソング「TSOP」で、ついにチャートでナンバーワンに躍り出ます。 ファーストアルバムからは、「荒野のならず者」(オランダとベルギーでゴールド)、「イヤー・オブ・ディシジョン」 (イギリスで13位)そして、シングルになった「天使のささやき(When Will I See You Again)が1974年8月に2週間にわ たってイギリスでチャートにとどまり、アメリカでも2位、ゴールドレコードとなりました。 余談ですが、わたくし、中学生のころ、「荒野のならず者」を毎日聴きくるっていた時期がありまして、今動画を見ると、 かっこよすぎて気絶しそうになります。 "DIRTY OL MAN" 続いて、1975年には、イギリスと日本のライブをアルバム化。2番目のスタジオアルバムからはヒットシングル「テイク・ グッド・ケア・オブ・ユアセルフ」が、UKトップ10に到達。アルバムは日本でも大成功を収め「苦い涙」が 日本から提供され、これもヒットしています。 1976年、スリー・ディグリーはギャンブル&ハフと別れ、CBSソニー/エピックレコードに移り、2枚のアルバムを発売。 1980年代以降もイギリスではコンピ盤やベスト盤がトップ10入りのヒットになったり健在でしたが、それからなんと40 年もたった2021年現在もまだ現役で活動中。亡くなったピンクニーを除き、ほぼオリジナルメンバーなので、 大変な長寿グループといえます。 |