8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.214

ボンネヴィルを時速331kmで駆け抜けた男 ~ バート・マンローの物語




「難しいなら、より懸命に取り組む。不可能なら、さらに懸命に取り組む。どんなことでも試し、
それでもそれをやり遂げるのだ」 ~ バート・マンロー

みなさん、こんばんは、頑固8鉄です。
バート・マンローというレーサーをご存じですか。もしかすると、「世界最速のインディアン」ご覧になった方もいるかも。
あの映画、ドキュメンタリーではありませんが、実在したニュージーランドのレーサー、バート・マンローの物語を元にした
実話。映画では、アンソニー・ホプキンスが見事にマンローを演じていました。大変高い評価を維持している
ニュージーランド映画の傑作です。

どれほど心打たれた人が多かったか、アマゾンのレビューを観ても一目瞭然。なかなか、ここまでの映画はありません。
ネット上でも有名な作家から一般の映画ファンまで、たくさんの人が絶賛レビューを書いていますね。

こちらはトレイラー(予告編)

トレイラーを観てもわかりますが、当時、マンローは63歳。ニュージーランドの片田舎に住む、
定年退職してわずかな年金で掘っ立て小屋に暮らす独身、元自動車整備士。
おまけに狭心症発作で倒れたり、あちこちガタが来ている。日課といえば、1920年製の鉄クズ同然の
ポンコツ、インディアンの改造です。
私がこの映画を観た2005年のときは、まだ、45歳だったので「じいさんの話なんだなー」と
どこか他人事でしたが、現在は、そのわたしも60歳になり、他人事とは思えない。
わたしが人生は有限なんだ、と思い知ったのも、マンローと同じく、狭心症を患ってからですし。
とにかく、ニュージーランドの人ですからね。ニュージーランドの人口密度って、平方キロあたり17人。
日本が336人、アメリカの平均的田舎であるジョージア州が59人、人が多い多いといっている中国が
149人ですから、ホントにスカスカなくらいの田舎です。ちなみに、日本は国土の大半が山で、
可住面積で算出するとダントツの世界一。こんなに狭いところに
押し合いへし合いしている国はどこにもありません。
日本の過疎市町村といわれているところも国際的にはごく普通の人口密度です。



そのニュージーランドの中でもとりわけ田舎なインバカーギルに住んでいた心臓病もちの63歳が
、若いころからの夢を決して忘れなかった。それは、アメリカのボンネヴィル(オートバイスピードレースの聖地。
ユタ州ソルトレイクシティ)で世界記録を出すこと。そのために、インディアン社製1000cc、
もともとは名車といわれる優れた設計のものでしたが、1962年ではもうスクラップ同然。
このタダ同然の鉄くずを部品を手作りし、アルミでピストンを作成し直し、それを数十年かけて、
たった独りで試行錯誤しながら改造していったんですね。
ご近所さんも隠居仲間も、みな誰もそんなマンローさんのいうことなんかまともに聴かない。
バカな年寄りの妄想だと思ってます。ひとりだけ、隣家の少年だけが耳を傾けてくれて、
ずいぶん歳の離れた親友みたいになります。
そんな純朴な少年に、「夢を忘れた人は、野菜と同じだよ。」と語りかけるのね。
これは素晴らしいシーンでした。やがて、マンローさんをバカにしていたバイカーギャングの連中までも、
一目置くようになり、旅費の足しに、とカンパまでしてくれるまで仲良くなる。
そして、お小遣いためた子供みたいに無計画にアメリカに船で渡るんですね。
なにせ金がないから、運賃が払えず、そのかわり乗り込んだ船で働くんですよ。
愛車のインディアンスタウトを積み込んで。1962年のことでありました。

さて、アンソニー・ホプキンス演じるマンロー氏、アメリカについたはいいが、
どうやって目的地にいったらいいのか。
右も左もわからず。出会った人たちに助けを求めながら、ソルトレイクシティを大陸横断しながら
目指すのです。なにしろ、「ヒトより鳥のほうが断然多い」鳥類天国といわれる辺鄙な国の
田舎町から出てきたもので、アメリカ程度の人口密度の街ですら大都会なわけ。
都会の人、アメリカ人たちが、自然の国から見たらどんなにヘンテコなのか、
そのあたり皮肉も含めたユーモラスな珍道中が繰り広げられるわけですが、
アメリカの人たちもみんないい人で、なにかと助けてくれる。そのあたり、
逆にリアルです。アメリカって怖い映画や犯罪ドキュメンタリみたいな国なわけないですもんね。
たいていはいい人です。まあ、映画でも描かれていますが、アメリカの62年はベトナム戦争前、
まだ豊かで夢のある、世界一の経済大国でしたから、モータースポーツなんて、
大金持ちの道楽。なんとか必要最低限の経費で、さまざまな知恵と工夫と行き会った人たちの
助けを借りて、ソルトレイクにたどり着いたはいいものの、ニュージーランドの貧乏人。宿泊先もない。
ところが、やはり、同じ趣味、同じ目標を持った人たちの連帯感は強いもので、
金持ち貧乏関係なく仲良くなる。そこでもさまざまな手助けを得て、とうとう、レース本番。
まあ、なんとかピンチをくぐりぬけて、とうとう、1000CCクラスで世界新記録を出すのです。
ついに、やった、とばったり地面に倒れたまま青空を観て満面の笑顔になるところは本当に素直に感動もの。
そして、ラストのテロップで、ダメ押しの感動。
この記録、2005年時点で、まだ破られていないんですよね。



世界の片田舎みたいなニュージーランドからぽんこつバイク持参でえっちらおっちらやってきたじいさんが
世界記録を打ち立て、いまだに破られていない。史上最速のインディアン。素晴らしいです。
歳をとっても、バカにされても、田舎者でも金がなくても、自分の本当に好きなこと、本当にやりたかったこと、
夢を絶対にあきらめず、人のためにがんばることで、人から助けてもらい、知恵と勇気と無邪気さでとうとう63歳で
夢をかなえたマンローの物語は、われわれに国や立場など関係なく、さまざまなことを教えてくれるのです。
映画の話ばかりじゃないかって?まあ、実話ですし、バイクとマンロー氏の大ファンの監督がたいへんな思い入れで
作った映画ですから、実際起こったことを忠実にとらえたと言っていいんだろうと思います。
ちなみに、わたくし、この実話を知って本田宗一郎という、わが国が誇るバイクメーカー、ホンダの創業者を思い出した。
「失敗が人間を成長させると、私は考えている。失敗のない人なんて、本当に気の毒に思う。」と言った人。
「社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない。」
と言った人。これってマンローさんと同じです。

ネットでこんな記述をみつけました。
「バート・マンローは、1000cc以下の流線型バイク世界記録保持者。1920年に購入したバイク
<インディアン・スカウト>を独力で改良、購入当時最高時速85キロだった同車を300キロ以上の
スピードを出すモンスターバイクに。63歳の時にアメリカのボンヌヴィルで世界記録を達成。
資金不足ゆえに、酒瓶のコルクを使った手作りパーツを使うなど、独創性と「もったいない」
精神が融合した奇跡のハイブリット・マシンをつくりあげた。本作『世界最速のインディアン』によって
その偉業が知られ、本年<モーターサイクル殿堂>入りを果たした。同殿堂には日本人では本田宗一郎を
含めて二人しか入っていない。」やっぱりね。この思想が、戦後日本のモノづくりを支えたんですよね。
今の日本があるのは、失敗を恐れず、体裁にとらわれず、やりたいことをとことん追求した職人魂があったから、
ということも、マンローの物語は改めて再認識させてくれるのではないでしょうか。


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