8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.21
                                 
  
  

 
リズム&ブルーズのゴッドファーザー - ジョニー・オーティス

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか、我が家のペット、チワワの「ライトくん」のゴッドファーザー、頑固8鉄です。
ゴッドファーザー(名付け親の意)、なんていうと、口の中に綿つめて下ぶくれメイクしたマーロン・ブランドだの、口がへの字になったロバート・デ・ニーロだの、マシンガンで穴だらけの死体だのの映画を連想しますが、リズム&ブルーズ音楽界で敬愛の念をこめて「ゴッドファーザー」と呼ばれている男がいます。
彼の名は、ジョニー・オーティス。

 ジョニー・オーティスは、1940年代から現在に至るまで、R&Bの歴史上、最も際だった活躍をした人物で、自身がドラマー、ピアニスト、ヴィブラフォン奏者、歌手、バンドリーダー、プロデューサーなど様々な顔を持ちながら、首尾一貫して、差別的待遇を余儀なくされてきた、たくさんの黒人音楽家を世に送り出しました。そんなオーティスを、人々は、「リズム&ブルーズのゴッドファーザー」と呼んだのです。
1950年代以前は、黒人向けの独立レコード会社、プロモーターの多くが、無名の黒人音楽家たちを「搾取」し、アーティストにはビタ一文入らなくても当たり前だった時代です。
そんな中において、黒人音楽家たちと対等の立場にたち、R&B界を裏からも支えた白人であるジョニー・オーティスの功績は、人種差別の厳しかった当時、大変な勇気と根性がいることで、戦後の黒人音楽全体が、彼の功績の恩恵を被っているという事も出来ます。

 1921年、カリフォルニア州ヴァレイホー生まれのジョニー・オーティスは、ギリシャ移民のオヤジさんが、バークレイ地区で雑貨店を経営していたので、ガキのころから、近所の黒人のおっちゃんやおばちゃんたちに囲まれて育ちました。
「おい!ジョニー!元気にしてるか!オレのブルーズを聴かせてやるぞ。」
「まあ、ジョニー!こっちへおいで!あたしがゴスペルを唄ってあげるわよ!」
「ねえねえ、ジョニー。あたしと教会でゴスペル踊らない?」
そんなやりとりの中で、楽しい幼少の想い出をたくさん残したジョニーくん、大好きだった黒人のおじさん、おばさん、近所の女の子たちと、いつまでも、楽しく一緒に生きていきたい、と思ったのかもしれません。
彼らの音楽である、ゴスペル、リズム&ブルーズ、ジャズも大好きになりました。

 1939年、カウント・ベイシーなどのビッグバンドジャズにあこがれて、ついにジャズ・ドラマーとなった彼は、1943年、ナット・キング・コールとジミー・ウイザスプーンの勧めで、ロス・アンジェルスに行き、「クラブ・アラバム」の箱バンであるハーラン・レオナルド・カンザスシティ・ロッカーズなるバンドに参加します。
そして、1945年には、とうとう念願かなって16人編成の自身のビッグ・バンドを結成。エクセルシア・レコードから、ビッグバンド時代、最も記憶に残る名曲の一つといわれる曲「ハーレム・ノクターン」をヒットさせました。これのサム・テイラー版は結構、アメリカではストリップのBGMとしても有名だったので、ご存知の方も多いかもしれません。
オーティスも、ステージでエロいおねえちゃんが、クネクネ踊るところをイメージして、「ああっ!あっはーん・・」なんてもだえながら、編曲したりしてたかもしれませんが、そんなことはどうでもいいことであります。

 このバンドでは、ナット・キング・コール、ルイ・ジョーダン、インクスポッツといった有名どころとツアーに出たり、初期のロック音楽(特にエルヴィス・プレスリー)に多大な影響を与えた偉大なブルーズ・ヴォーカリストのワイノニー・ハリスや、チャールズ・ブラウンといった人たちとともに仕事もしています。
さらに、ジャズ界の大物、レスター・ヤング、イリノイ・ジャケー、ジミー・ラッシングなどともレコーディング、華々しい活躍ぶりを見せるのです。



 そして、1947年、ロス・アンジェルスに、R&Bを演奏するナイトクラブとしては、史上初の、「バレルハウス・クラブ」をオープンします。オーティスは、バレルハウスクラブで演奏するために、バンドの規模を小さくし、メル・ウォーカーやリトル・エスター・フィリップス、ロビンズ(後のコースターズ)などを雇い入れました。
これがうまくいった。ビッグバンドとは異なる都市のしゃれたブルーズ音楽を演奏するようになり、その結果、彼らとともに創り出したレコードでも大成功、1950年には、ビルボードのR&Bチャートトップに10曲を送り込むことになります。
さらに、R&Bバンドのツアーというのがウケるのではないかと気づいたオーティスは、これまた史上初の試みとして、自分のバンドと自分が発掘した多くのアーティストともに、「カリフォルニア・リズム&ブルーズ・キャラバン」を組織し、全米巡業のツアーを行うことにしました。人種差別のひどかった当時、黒人ミュージシャンは、宿も満足にとることが出来ず、全米を巡業するのは大変なことだったのです。皆から信頼される白人のボスであるオーティスが、みんなでまとめてツアーを組んで廻ったらきっと、うまくいく!
案の定、オーティスの読み通り、これが馬鹿ウケ。「全米で最もホットな音楽アトラクション」として有名になるのです。
そのツアーの売り物のひとつが、ビッグ・ママ・ソーントン。彼女の最大の持ち歌が、リーバー&ストーラーが書いた、「ハウンド・ドッグ」(エルヴィス・プレスリーで有名な曲)のオリジナル版(唄はビッグ・ママ・ソーントン)であり、後にレコードとしてもR&Bヒットになります。



 そんなサーカス団の団長のような役回りをしながらも、彼は、新しいアーティストの発見に努力していて、1940年代末、ビッグ・ジェイ・マクニーリーを見いだしたり、1950年代には、後にソウル音楽の元祖のひとりとなるジャッキー・ウイルソン、ツイストの元祖であるハンク・バラード、「フィーヴァー」で有名な、R&Bの名歌手リトル・ウイリー・ジョンなども見いだし、成功に導きました。そうしたオーティスのレコードプロデュースの最初の大ヒットは、1954年のジョニー・エイス「プレッジング・マイ・ラブ」で、同時期のリトル・リチャードの初期のレコーディングもオーティスのプロデュースによるものです。
また、ソングライターとしても、1952年にロイヤルズのために書いた「エヴリイ・ビート・オブ・マイ・ハート」がヒットしますが、これは後にグラディス・ナイトによってさらにポピュラーになります。

                                     写真→「マリー・アダムズとジョニー」

 キャピトル・レコードに在籍してからは、歌手のメル・ウイリアムズ、ヴォーカル・グループの看板娘(?)マリー・アダムズ&ザ・スリー・トンズ・オブ・ジョイを率いて、マリー・アダムズ版の「グディ・グディ」「マー、ヒーズ・メイキン・アイズ・アット・ミー」などで成功、さらに、1957年には、10代をターゲットに作ったロックソング「ウイリー・アンド・ザ・ハンドジャイヴ」をオーティス自身が演奏し、歌って大ヒットさせます。
オーティスはブルーズ・スペクトラムという自分のレコードレーベルも持っており、ここでは、オーティス自身が、ビッグ・ジョー・ターナー、エイモス・ミルバーン、ゲイトマウス・ムーア、ジョウ・リギンズ、リチャード・ベリー、ロイ・ミルトン、エディー"クリーンヘッド"ヴィンスン、ルイ・ジョーダンといった、まるで「R&B神様辞典」みたいな、錚々たるメンツをプロデュースしたり、共演したりしています。


 オーティスの活動範囲は、メディアにも広がりを見せていて、1950年代には、自身のラジオ番組を持ち、自らがディスクジョッキーを勤めて、たくさんのR&Bレコードを紹介する役目を果たしてもいます。これは、南カリフォルニアで最もホットな番組として人気を得て、2006年まで50年に渡って続く長寿番組となりました。また、50年代には8年間、テレビでも「ジョニー・オーティス・ショー」は放送され、全米にR&Bを伝えるのに、大きな役目を果たしたのです。

写真↓「エスター・フィリップスとジョニー」

 そんなオーティス、少し時代の流れが変わってきた1960年代には、音楽プロデューサー、編曲家としての立場を維持したまま、政治の世界にまで入っていき、カリフォルニア州議員の選挙では、本名で出たためか落選したものの、民主党選出の黒人連邦議員、マーヴィン・M・ダイマリーのチーフ・スタッフとなったり、ランドマーク・コミュニティ教会の牧師になったりもしています。
1970年代にはいると、R&Bリバイバルの波にのり、リトル・エスターや、エディー"クリーンヘッド"ヴィンスンとともに、モンタレー・ジャズ・フェスティバルに出演したり、50年代のキャラバンを復活させたりして再び成功します。
近年は、1990年代に買ったカリフォルニアのサンフランシスコ北部の農場経営をはじめ、コーヒー・ショップや雑貨店、ブルースクラブなど経営するかたわら、サンフランシスコのブルーズ・フェスティバルにも出演するなど、現役で活躍していました。2000年を境に表立ったアーティストとしての活動はなくなりましたが、まだまだ元気で活躍しているようであります。

 今年は、6月2日に、ここでもコラムであげました偉大なリズム&ブルーズ・アーティスト、ロック音楽の始祖のひとりであり、ジョニー・オーティスの大の親友でもあった、ボ・ディドリーがこの世を去ってしまいました。当時の偉大な音楽家、ジョニー・オーティスの名前が、まだこれからも現役として聴こえてくることを願っております。                      
写真→「ボ・ディドリーとジョニー」

 さて、ジョニー・オーティスといえば、写真でもわかるとおり、ディナー・ジャケットを愛用していましたが、今回、THE KINGからリリースの
「ブラックチドリ・ピストルパンツ」は、そんなイメージにもジツによく似合う。
「ピストル・パンツ=ロカビリー」というだけではなく、ロカビリーはあくまでベース的存在で、そこから自由自在にトコトン広げるられるのもまたロカビリーの楽しさでもある。そんな使い道の広さも持ち合わせた品をご用意させていただきました。
早く注文するように!
 そして、ジョニー・オーティスの偉大な功績に支えられている、ロックの伝説的ミュージシャンたちの名前が刻まれたウォレットも同時リリース。
これから深まる秋の季節の中、ここは、ひとつ、THE KINGのアイテムで、ロック音楽のルーツに思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか。



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