8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.195

40-50年代カントリー音楽のルーツ

みなっさん、こんちはげあたま!
直球勝負しかできなくなってきた昭和の男、頑固8鉄です。
もう、なんかね、こんなに暑いとお、原稿なんて書いてらんねえべらんめえ、ビール1ガロン持ってこいっ!
あづいよー。熱中症に注意報!熱中っていうだけで、
水谷豊の顔が出てくる昭和のトラウマ、いやですねえ。最悪だな俺。

アメリカのカントリー音楽。日本では全盛期のころの愛好家世代が80代近くになり、
演奏者も下の世代に受け継がれてはいますが、お客さんがだいぶ減ってきたという噂も聞きます。
私も近年のものはあまり接することがなくなり、よく知らないのですが、数年前、テキサス州サンアントニオ郊外
の屋外ライブバーでホンモノのバンド演奏を堪能するチャンスを得ました。すごいですよ、ツアーバス
ですっげえド田舎の、まるで1940年代あたりで時がとまったような小さな町にやってくるバンド。
テキサスですから、今でも古めかしい
クラシックカントリーやウエスタンスイングが大人気です。そしてそれを見に来る観客。
全員カウボーイなんですよ。(マジ)。だって、町の周囲は数10キロ四方、牧場しかないんだもん。
行けども行けども車すらすれ違わないんですよ。
で、やっぱり100パーセント白人なのね。私らはめちゃめちゃ目立ってまして、
日本人なんて初めてみたんじゃないかな、あそこの人たち。
ちょっと、怖い目にもあいました。どこから来たんだ、邪魔なんだよ!ってからまれたりした後、
やばいなあ、とびくびくひとりでトイレに行き、出てきたところを数人の190センチくらいある
カウボーイ数人に囲まれた。
おまえ、どこから来たんだ、と訊いてくる。日本です、と答えると、こういうのが好きなのか、
というので、あれこれと好きなカントリーミュージシャンを挙げてみせると、
おおおお!友達じゃん、おまえ、ちょっとみんな来いよ!とたちまち囲まれ、写真を
一緒に撮ったりして、めちゃめちゃ安心。
会場の外には、40年代の車、馬とならんで、牛までが駐めてある。
あれは異世界だったなあ。映画の中に入り込んだみたいな。

ああいうのは、思い切って、観光客なんて絶対に行かないような辺鄙なところまで
いかないと味わえないだろうなと思いました。何人も友達ができてフェイスブックで
つながってるんですよ、今でも。



アル・デクスター

ピストル・パッキン・ママ

さて、カントリー音楽の歴史は1944年に始まります。(ビルボードのカントリーチャートの前身、
ジュークボックスフォークチャート)。44年に最も聴かれたのは、
 ビング・クロスビーの「ピストル・パッキン・ママ」で、オリジナルは43年に書かれました。
(アル・デクスター)

ホーム・オン・ザ・レンジ

1872年にダニエル・E・ケリーによって作られたホーム・オン・ザ・レンジは1947年にカンザス州の
州歌となりました。40年代に始まったカントリー音楽チャート前身はビルボードフォークチャートで、
サブタイトルがついていました。
(ヒルビリー、スピリチュアル、カウボーイソングその他)。複数ジャンルの統合でできたのが
カントリー音楽だとわかります。その中で、これは最も世界中に知られたカウボーイソングのひとつ。
我が国では66年にNHKみんなのうたで、峠の我が家として紹介され、広く親しまれるようになりました。

レッド・リバー・ヴァレイ

赤い川の谷間、として我が国でも古典になっているレッドリバーバレイ。
最初のレコーディングは1926年、タイトルはカウボーイ・ラブ・ソングといいます。もろですね。
私の世代は小中学校の音楽の時間に習いましたが、大人になってからカントリーソングとして
演奏する人が奇妙なほど少ない。峠の我が家、ユーアーマイサンシャインなどもそうですね。




ジーン・オートリー

ユー・アー・マイ・サンシャイン

歌う知事として有名なジミーデイヴィスのルイジアナ州知事当選のきっかけになったのが、
ユーアーマイサンシャインであるのは三井徹先生の著書に詳しいです。
(ユー・アー・マイ・サンシャイン物語)
デイヴィスはもともとがカントリー歌手だが、同時に政治の裏方仕事もする2足の
草鞋稼業の人でありました。
一石二鳥で成功したその手法は、この他愛のない歌をキャンペーンに使い、
歌えば平和に暮らせるという、
まるで子供だましなもので、ある意味、当時のアメリカ南部の状況がわかる例かも。
もともとアメリカはポピュリズム傾向が強いこともわかる気がします。
しかも、長年彼の自作とされ、著作権で大儲けしたのに、
実は他人から二束三文で買い取ったものということが発覚したみたい。

カヴァード・ワゴン・ロールド・ライト・アロング

カヴァード・ワゴン・ロールド・ライト・アロングは、ウエスタンスイングのスタンダード。
1942年のスパイク・ジョーンズ盤がヒットした後、スペイド・クーリイ、テックス・ウイルアムズ、
ボブ・ウイルス、フォア・エイシズ・オブ・ウエスタン・スイング(ビル・ヘイリーがボーカル)、
マール・トラヴィスなど、40年代に数多く発売されました。
古式ゆかしいカウボーイソングの体裁だが、書かれたのは、1940年(ブリット・ウッド、ハイ・ヒーツ)で、
you tubeにある最も古いものは、「最後のシンギングカウボーイ」と呼ばれる
ジミー・ウエイクリーのもの(1941年の映像)。



テックス・リター

ウイチタ

カントリー音楽にはもうひとつ別の側面があります。それは西部劇の音楽で、
映画音楽専門のコンポーザーがサウンドトラックとして作ったものです。
そんな中で有名な人は自分も映画スター(シンギングカウボーイ)だったテックス・リターで、
「ハイヌーン」(真昼の決闘の主題歌)は我が国でもよく知られている。
リターはのちに、自身の冠番組であるカントリー音楽テレビショー「ランチパーティ」の
司会者としても活躍しました。
ウイチタは、映画「法律なき町」(ジャック・ターナー 1956年)の主題歌でテックス・リターが歌った。
作曲はハンスJサルターで、映画音楽専門の作曲家。
日本の時代劇、股旅もの、という印象の曲調、のんびりとした西部劇らしい歌詞も面白い。

ザ・ウエイワード・ウインド

1956年、ゴギグラントによって吹き込まれたウエイワード・ウインド(スタンリー・リボウスキ作)は
ビルボードで1位に
なる大ヒット。すぐあとを追ってテックスリター版もヒットし、1度耳にしたら覚えてしまえる
印象的で美しいメロディで現在まで聴きつがれるカントリーの古典となっています。

えー、さて、いろいろ紹介しましたが、とりあえずここまで!こういった古いルーツものは
面白いと思う人とピンとこないなあという人にはっきり分かれる気もしますが、
温故知新はけっこう大事。
正しい歴史認識がないと今を見誤ってしまう、ということは何にでも言えると思います。
それでは、渋い展開のカントリー音楽モノ、いずれ続きをお送りします。お楽しみに。

PS わたくし、カウボーイ・ビスケッツというデュオ(ギター&フィドル)を作りまして、初ライブは8月29日(土)
。そこでこれらのナンバー、すべて演奏いたします。今後ライブを続けると思いますので、よろしく!


カウボーイ・ビスケッツ


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