8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.190 |
戦時のギター音楽を支えた女性たち カラマズー・ギャルズとメアリ・オズボーン みなさんこばやし。なかばやしおおばやし。頑固な8こと、頑固8鉄です。 そのまんまじゃねえかよ。こじまなかじまおおしま、とか大中小な名前が気になるお年頃なんですが、 そんなこととはなんの脈絡もなく本日は偉い女性たちのお話。 まあ、女性は女性ってだけでエライと相場が決まっておりまして、遺伝学的には、雄は出来損ない (雌になりそこねたのが雄になる)んだそうですから、価値観というより科学的事実なんでしょうな。 そんなエライかみさん、いや、女性たちの中でも、 「戦時中の忘れ去られた功労者」みたいなちょっと心くすぐるエライ女性たちがいました。 「男たちが戦地に送られて、シアトルのボーイング社の飛行機の組み立て生産ラインは 女性たちが埋めることになった。同じことがミシガン州カラマズーにあった ギブソン工場でも起こったんだ。」 戦前のアメリカンギター製作を支えた主要メーカーであるギブソン。 第二次世界大戦中、楽器製造は、軍隊に必要な木材と金 属の供給不足のために減速しました。戦後、ギブソンは、 「この期間に多くのギターを製造することを拒否し、戦争には歳を とりぎた熟練職人によってほんの一握りしか作られていないと主張していました。 しかし、コネチカット州の法学部教授であるジョン・トーマスは、1942年から1945年の間に 25,000近くのギターが同社によって生産されたことを最近発見。この数字には、これまでに製造 された最高のギブソンアコースティックギターの1つと見なされている9000を 超える「バナー」ギターが含まれています。 「バナーギブソン」という用語は、これらのギターのヘッドストックにある 小さな金色のバナーに由来しています。 「only a gibson is good enough」 という1940年代初頭のギブソンの広告キャンペーンで 最初に使用されたスローガンがヘッド部分に刻印されたギブソンのアコースティックギターの数々。 誰が作ったのでしょう? トーマスの本、「カラマズーギャルズ:ギブソンの第二次世界大戦「バナーギター」を 作った並外れた女性の物語」は、経験がほとんどないかまったくないがギブソンギターを 支えた女性たちの話を伝えています。ジョンの発見は、偶然によるものでした。 戦時中のギブソンギターの良さ、素晴らしさをよく知っており、素晴らしい楽器の 作成に責任があったと思われる、工場で「経験を積んだ」職人に関する詳細情報を求めたのです。 そして、彼は一枚の謎の写真を発見します。カラマズー工場の前に笑みを浮かべたギブソンの 従業員78人が映った1枚の写真。そこに映っていたのは、ほぼ全員が女性。 彼女たちをジョンは、「カラマズー・ギャルズ」と名付け、調査を開始しました。 それにしても、なぜギブソンは、このまぎれもない事実を否定しつづけるのでしょうか。 トーマスは、ギブソン社は戦争中に戦争と関係ない楽器製造を続けていたということを 隠しておきたいのではないかと分析しています。もうひとつは、ギブソンの消費者が経験も ほとんどない臨時雇いの女性たちが作ったというのはブランドの価値を 落とすと懸念したのではないかということ。 この時期のギブソンギターは「新古品」として販売され、戦前に製造され、 終戦まで備蓄されたものとして販売されたので、 今更、間違ってましたとは言えないということもある。 戦争が終わった1945年、彼女たちは全員解雇されました。ある意味、 これはギブソン社の闇とも言えます。カラマズー・ギャルズは 歴史から抹殺されたわけです。 しかし、トーマスは数少ない生き残りの当事者を探し出してインタビューし、 多くの事実を証明する記録を発見したのです。 実は、わたしも44年に作られた「カラマズー・ギャルズ・エイジ」のギターを 持っているのですが、現代のギブソンではありえない素晴らしいギターな ことは間違いありません。その物理的秘密は、板の厚みにあるようです。 彼女たちの作ったギターは軽く、それでいて頑丈で、今日でもビンテージギブソン の愛好者の間では大変な人気なのです。 さて、ちょっとここで、同時期に活躍した演奏側の女性アーティスト、ギタリストの代表格をご紹介。 彼女は、メアリ・オズボーン。とりわけ40年代に大活躍した当時としては珍しい女性の本格ジャズ・ギタリストです。 Mary Osborne 1958 - intro by Marian McPartland @ Bitter End オズボーンは、1921年、ノースダコタ州生まれ。21年生まれというと、先日ご紹介したバッキー・ピザレリより5歳上。 ロックンロール関係者でいうと、チャック・ベリーがバッキーと同じ歳なので、彼らより先輩ということになります。 母親がギタリスト、父親がバイオリン製作という音楽一家。初期の楽器は、ピアノ、ウクレレ、バイオリン、バンジョー など多岐にわたります。 10歳のときには、彼女は父親のラグタイムバンドでバンジョーを演奏。 音楽で名を成す人はこういう人が多いですね。15歳になるまで週2回のラジオ番組を続けていたそうですが、 彼女が演奏していた音楽は、主にカントリーミュージックであり、 ギターは単に自分のボーカルの伴奏楽器だったそうです。 15歳でチャーリークリスチャンの生演奏を聴いて衝撃を受けた彼女は、すぐに自分のエレキギターを購入し、 友人にアンプを作ってもらって、クリスチャンから直接手ほどきを受けたらしい。 1945年、オズボーンはフィラデルフィアのディジー・ガレスピー、アート・テイタム、コールマン・ホーキンス、 セロニアス・モンクとの共演で、絶賛されます。1946年には自分のバンドを率いて、ジャズマンの 大物たちと録音。1950年代を通じて、毎日の朝のCBSラジオ番組であるジャックスターリングショーで エリオットローレンスの四重奏団と共演。 1968年、オズボーンはカリフォルニア州ベーカーズフィールドに引っ越して定住し、 そこで生涯を過ごしました。 彼女は夫と共に、オズボーンギターカンパニーを設立しました。彼女は音楽を教え、 地元とロサンゼルスでジャズを演奏し続けました。1970年代初頭にはニューポートフェスティバル、 コンコードフェスティバル、1981年にはニューヨークのクールジャズフェスティバルに出演。 1989年と1990年にはロサンゼルスクラシックジャズフェスティバルに出演するなど長いキャリアを 誇りましたが、1992年に70歳で死去。 オズボーンの動画を観ていると、当時のギブソンを弾いているのがわかります。 ギターを作ったカラマズー・ギャルズ、弾いたオズボーン。 なにか、戦時中の女性たちの大活躍が目に浮かぶようなお話でありました。 |