8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.19
                                 
  
  
 
   1950年代のアメリカン・メンズ・ファッション

 1950年代のメンズ・ファッション、というと、みなさんは何を想像するでしょうか?
THE KINGの、ハリウッドスタイル?
ジェームズ・ディーンの赤いマクレガー
それとも、70年代のテレビ番組「ハッピーデイズ」のフォンジーみたいな、革ジャンにジーンズ?

 欧米でも、革ジャンにジーンズ、リーゼント(ダックテイル)を連想する人がとても多いそうですが、実際の50年代のメンズ・ファッションは、女性のファッションが、大きく発展、開花したのに比べ、一般的に、非常に地味なものでした。
むしろ、キャブ・キャロウェイ(黒人ジャズシンガー)が「ハイディハイディホー!」と叫びながら、幅広パンツの裾をヒラヒラさせて踊りまくったズート・スーツ流行の影響もあり、40年代のスタイルのほうがデザインも色も派手だったのです。
 男性は、大変機能的ではあるけれども、デザイン的にはすっきりしていて、遊びが少ないスーツスタイルが主流。ヨーロッパ起源の「コンチネンタル・ルック」も流行りましたが、ウエストを絞ったシェイプが異なるものの、やはり地味でした。
 そのあたりは、後年の、50年代を舞台にしたドラマなどではなく、本当に1950年代当時に作られた、コメディーやドラマなどのハリウッド映画を見てみれば、すぐにわかります。
そんなスーツスタイルの上、髪の毛はクルーカットで、アクセサリーは結婚指輪と腕時計のみ、といった感じが「紳士の服装」と考えられており、その起源は、今世紀初頭、イギリスの富裕層で流行ったアイビーのスタイルと考え方が基本になっています。

 
  なんだか、それでは、丸の内あたりをうろうろしている、判で押したように同じ格好のジャパニーズ・ビジネスマンみたいじゃないか!と思われるかもしれませんが、その通り!
実は、今の日本における、ごく普通の地味〜な、サラリーマン・ルックの起源も、1950年代のアメリカン・ルックあたりにあるのです。
1950年代は、大企業が好景気の時代。サラリーマンが激増した時代で、「男は独立独歩で生業をたてていくより、大会社で出世を目指したほうがいい。」という価値観が一般に広まった時代でもあります。そういう意味では、今日の日本社会は、アメリカの50年代のようだ、ということもできるかもしれません。
現代と一番異なるのは、たぶん、帽子で、当時は、フェルトのフェドラ(ソフト帽子)をかぶるのがスタンダードでした。例えば、ギャング映画や「カサブランカ」で有名なハンフリー・ボガートのスタイルは、今観ると、「しっぶういい!ダンディーだわああ!」とおしゃれな女性も喜びますが、あれは、「君の想い出に乾杯だ」なんて言ってもサマになるハンフリー・ボガードだから、ダンディに見えるのであって、わたくし頑固8鉄が同じ格好をしたところで、「変なコートと帽子のサラリーマン」にしか見えませんし、そんなきざなセリフを言ったら、一緒にいる女性がカクテルを思いっきり吹き出して笑い転げると思います。
ハンフリー・ボガートは映画の中で、「見かけはごく普通のオジサンだけど、中身はすごい男」を演じていたわけですね。


 カジュアルウエアの分野では、ウエスタンウエアの影響で、男性にピンクが流行ったのが特徴的。
 また、40年代までは、ハワイの金持ちしか持っていなかった特別な服であるハワイアン・シャツが、安価な素材レーヨンの一般化に伴って大量生産されるようになり、リゾートウエアとして流行。さらに、レーヨン素材のシャツのカジュアルなヴァリエーションとして、当時流行したボーリングの影響から、刺繍をほどこしたボーリング・シャツが流行ったりもしました。当時のこういったシャツは、非常に魅力的な、独特の肌触りと軽さ、そして色合いと柄を持っているため、マニアがたくさんいて、珍しいものは大変な高値で取引されたりするようです。




 また、カリフォルニアでは、温暖なフロリダ方面のリゾートウエアが起源となった、ハリウッド・ジャケット(ナッソー・ジャケット)を代表とする、ハリウッド・スタイルが流行し、これは、当THE KINGで首まで、いやおでこ辺りまでドップリつかっている事ですっかりお馴染み。ゆったりした、リゾート感覚とダンディズム溢れるスタイルで、世間一般のビジネスマンよりも、ハリウッドの映画スターやロック・アーティストに好まれた、非常におしゃれなスタイルでした。こちらも、欧米には、昔から熱狂的な愛好家が今日でもおり、良心的な価格で状態の良いオリジナルを見つけるのは、極めて困難になっております。


 というわけで、1950年代のメンズ・ファッションは、地味なスタイルのスーツがスタンダードで、今日、「若者文化、ロック文化の50年代」というイメージから連想される、赤いドリズラーの若者も革ジャン姿のバイカーも、社会の中では、マイナーな存在だったのです。
というのも、そうした特別なスタイルを支えることになるティーンネイジャー層は、当時は、消費層として、世間から顧みられることがほとんどなかったからです。若者、というのは、18歳から法的に成人扱いとなる21歳までを言うのですが、それ以下のティーンは「単なる子供」で、親の言うとおりにしていればいい、ということであり、経済的にも自立していませんし、若者層(ハイティーン)も、ほとんどは、サラリーマン予備軍という意識が強かったのです。ティーンネイジャーは、まだまだ「沈黙の世代」でした。
実際の50年代ティーンで、一般的だったのは、プレッピールック(アイビールック)です。非常に清潔感ある、ドレス・ジャケットにパンツにローファーという、当時の大人の10代アレンジ版といったところで、細めのタイとかスエードのシューズといった少しの工夫で自分たち世代の自己主張を控えめにする程度。
今日、ロックンロール全盛時代の客席の様子を見ても、そんな感じなのがわかります。



 しかし、マイナーとはいえ、1950年を境に、独特のティーン文化の芽が出てきたのも50年代。
なぜかというと、戦後のどさくさから経済成長期に移り、ティーンネイジャーをバイトで雇い入れる雇用主が増えたからです。50年代を通じて、ティーンは気軽にバイトできるようになり、結構な額のお小遣いを稼ぐようになります。
そして、彼らが独自の価値観でモノを買うようになりだすと、そこに目をつけて金儲けを企む連中が出てくるのは世の常。「ガキどもはかなり金になるぞ!」と気づいたあざとい経営者たちによって、ティーン向けの音楽、服飾、レジャー産業が多くなっていくのです。
そして、映画、テレビ・ラジオの広告、雑誌、といったメディアが、50年代後半のロックンロール文化とティーン独特のファッションなどを生む土壌となっていきました。
さらに、ティーンネイジャーは、自分たちの世代のための、カフェやミルクバーなど行きつけの店を持つようになっていき、独特のファッションと髪型で自己主張を始めるのです。
というわけで、大人世代と若者世代のジェネレーションギャップが広がっていき、55年を境に、一気にロックンロール音楽とそれを支えるティーン文化の大爆発へとつながっていくのですが、50年代のティーンファッションのほうは、一般的にはまだまだ、おとなしいもので、「アンチアダルト」という感じではありませんでした。




一方、今日、50年代というと連想されることの多い、「グリーザー・スタイル」は、もともとは、マーロン・ブランドの映画「無法者」(THE WILD ONE 1953年)の影響から、バイカーに流行ったスタイルで、革のモーターサイクルジャケット、デニムのジーンズ(特にリバイス501,505)、Tシャツ、ワークブーツなどを中心とするものでしたが、これも第2次世界大戦当時のミリタリーやメカニックのワークウエアからきたもの。バイカーや、街のチンピラたちがブランドの映画を観て、流行らせたのですが、一般的な認知度は極めて低く、有名になったのは、ずっと後年、50年代リバイバルブームがあってからのこと。「グリース」(1978年)、「ハッピー・デイズ」(70年代)など後年の映画やテレビの影響によるものです。
北米以外のティーン文化に目を転じると、ロック大国となったイギリスのテディ・ボーイ・ルックがあります。これは、特徴的で独特なエドワーディアンジャケットが印象深いスタイルですが、おおもとは、1940年代の、「ズート・スーツ」。実は、イギリスでは、1949年に、ジャマイカから大量の移民を受け入れる政策がとられたのですが、そのジャマイカ人たちが好んで着ていたのが、ズート・スーツだったのです。これに、街の不良たちが目をつけて流行らせるようになったようです。

 というわけで、大きな流れとしてみてみると、欧米のメンズ・ファッション(洋服)というのは、時代ごとに少しづつ流行や変化はあるものの、20世紀初頭からほとんど変化なく現在に至っているのがわかります。
カジュアルウエアやティーン文化というバリエーションはありますが、今も昔も、男はスーツかワークウエアで働くもの、ということです。
結局、おしゃれ、というのは、なにも突飛な格好をすることではなく、既存のスタイルのちょっとしたアレンジや、コーディネーションのセンスなんだなあ、と改めて教えてくれる、メンズ・ファッションの歴史の一端をご紹介いたしました。




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