8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.178

ふたりのガンター ~ ロックのご先祖様 

なみさん、こんばんは。八十六頑太です。
ハトロクガンタ!みなさまのハトロクガンタでございます!次の選挙にはぜひわたくしハトロクガンタ!
ハトロクガンタ!をよろしくお願いします!

いやー、地方選挙に出てきそうな名前だー、と思いますがいかがざんしょ?なにがざんしょだ!馬鹿者!
もう残暑なんて終わったわ!
なんだかんだでアナコンダ!大丈夫です、まだ完全には狂っていません!
というわけで、ハードロック・ガンターをご存じの方は最寄りの警察署まで、ではないですね、
滅多にいません、たぶん。ハードロック頑太?
それってもしかして、八十六頑太、略して八頑さんのこと?なーんか近くなってきたぞ頑固八鉄に!
与太はこれくらいしまして、ハードロックっていってもレッドツェッペリンをコピーしてた近所のガキの頑太くんでは
なくて、ホントに文字通り「硬い岩」のこと。
硬井岩男なんて名前もありそうですなあ。この人、本名をシドニー・ルイ・ガンター・ジュニアというので、
少しフランス系っぽいのかな。生まれは1925年なので、同じ歳の似たような立場の人は
ビル・ヘイリー御大です。ヘイリーと違ってこの人、ほとんど無名に近いけれども長生きした。
2013年没、となっているし、最晩年に撮られたインタビューもある。
カントリー&ウエスタン、ウエスタン・スイング系の人ですが、ロックのご先祖様のひとり。



話が飛びますが、常々思うんですけど、実はこの連載、たぶん13年くらいやってんじゃないかと思います。
かつて始めたころは、wikiとかがあまり充実していなくて、脳みそに昔ため込んだ豆知識だのうんちくだのを
駆使する余地もあったものですが、最近はwikiすごいっすからね。どんな百科事典も超えてるのに、タダ!
 識者がどんどん書き足していってますが、もちろんギャラが発生するわけでもない。タダで知識を共用できる時代が来たってことで、大変結構なんですが、これではギャラ(といっても杏アメなんですが)を
もらって原稿書くどころじゃない。

ハードロック・ガンターについては、こちら→(wikiのIP)
音源こちら→(tubeのIP)
以上でええええええええええええええええす!!
3行で終わってしまうじゃないか!

これでは、杏アメどころか、飴玉のかけらも出ないぞ!となってしまうのよね。ああ悲しい。
そんなわけで、「八十六頑太」っていうギャグを言うためだけに原稿起こしたりして、結構ツラいのよおお。

気を取り直して、続けます。ま、ぶっちゃけwikiによりますと、アラバマ州バーミングハムの生まれ。
ティーンころからマセガキだった頑太くん、フートオウルランブラーズというバンドを作ったり、ノベルティソングを
ソロで歌ったりして大活躍だよこのスケベ野郎!んでもって、1939年にゴールデンリバーボーイズというカントリー
スイングバンドに加入。ここで、「バンの扉に挟まれる事故にあってもケガひとつしなかった」という理由で、
硬井岩男、じゃなかった、ハードロックというあだ名がついたらしい。いやー、つまんねえ理由だなあ。
でもね、モダンジャズの神様チャーリー・パーカーだって、あだ名のバードの由来は、ツアー中、車でうっかり
曳いてしまった鶏をわざわざ拾いにいって、持ち帰り、「みんなで食おう」といったからだそうですよ。
どこが面白いんだこの話。

ジモピーの間で評判になったガンターさん、バーミングハムのローカルなレコードレーベル、バマ
(ものすげえわかりやっすいネーミング)でもって、「バーミングハム・バウンス」という曲(わっかりやすー)を
吹き込んだわけだね。で、これがなかなかのローカルヒット。20ものカバーバージョンが出た。
そのうち、有名人のレッド・フォーリー盤がビルボードのカントリーチャートとポップチャート両方でヒットしたから、
これはいわゆるひとつの「最初のロックレコード」なわけですよ。
1950年ですからね。少し後のヘイリーと比べるとかなりサウンドは古臭いかもしれないが、
先駆だったのは間違いない。

Burmingham Bounce - "Hardrock" Gunter 1950 (Bama label)


51年にはメジャーのデッカ(もちろんヘイリーがのちに入った)から、ドミノウズの大ヒットR&Bナンバー
「シクスティ・ミニット・マン」を出したりして、ますますロックの先祖みたいなことを始めます。
53年にはサンレコード(もちろんエルビスがのちに入った)で、
「ジュークボックス・ヘルプ・ミー・ファインド・マイ・ベイビー」を出したりして、これもローカルヒット。
ガンターは60年代まで活動しますが、なかなか成功せず、引退。コロラドで保険業に転職。
90年代、伝説的なロックの先祖となってポツポツとヨーロッパで活動しますが、2013年に88歳で死去。

で、時間がずーっと戻りまして、1954年。
「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」というエクセロから出たレコード。
吹き込んだのは、アーサー・ガンター。こちらのガンターさんは黒人でありまして、
1926年生まれ。先の硬岩氏とほぼ同級生。
これがR&Bチャートの12位にまでなるかなりのヒット。でもって、ご存じのとおり。
メキメキ人気が出てきたサンレコードの新人、エルビス・プレスリーが吹き込んで超有名曲になり、
ガンターさんも歴史書に出てくるようなロックのご先祖様入りしたのですね。
61年にエクセロを辞めてミシガンに移り、たまーにシアターで演奏するだけという活動をした後
、73年に引退。76年に49歳で亡くなっています。



ARTHUR GUNTER BABY LET'S PLAY HOUSE


カントリーとリズム&ブルース、白人と黒人、ほぼ同年配のふたりのガンターさん、たまたま同姓ですが、
ふたりそろって現在は立派な「ご先祖様」として奉られております。
どうかしら、社長、この原稿。え?またよっちゃんイカひとつだけ??
勘弁してくださいよおおおおお。




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