8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.177

1950年代のレッド・ツェッペリン ~ ジョニー・バーネット・トリオ




ジョニー・バーネットといえば、なんといっても知名度を上げたのは、大ヒット曲「ドリーミン」(1960年 11位)
「ユーアー・シックスティーン」(1960年 8位)で、甘いティーンポップ歌手として知られてますね。
ところが、昔、なにかの雑誌で「ジョニー・バーネット・トリオ~50年代のレッド・ツェッペリン」と紹介されていたの
で、お?こらなんだべ?とあわててLPを買って聴いたのですよ。30年も前ですが。
まあ、「ロッカビリー・ブギ」とか「トレイン・ケプト・ア・ローリン」とか、ざっと聴くと、エルビスっぽい、
シンプルなロカビリーなんですが、なんか変。こら、確かにハードロックだわ、と思いましたよ。

Johnny Burnette - RockaBilly Boogie

さて、ざっと時の流れを追ってみると、まずは、ジョニーとドーシーというバーネット兄弟がおったそうな。
1932年と1934年の生まれらしい。
で、彼らはボクシングとかやっているバリバリのスポーツマンだったのだけど、
音楽も大好きでバンドを始めたわけです
な。そこにドーシーのボクサー仲間のポール・バリソンが加わって、トリオで演奏することになった。
なんだか要するに、全員ボクサーじゃん。具志堅だの亀田だのが寄ってたかってロックバンド作ったようなものか。
うわ、こわそー。強そうだし、「へたくそ!」とか言ったら殺されそうな気がする。
結成当初の音を聴くと、バリバリのウエスタン(Go Mule Goなど)。ドーシーがもともとスティールギター
だったこともあるのかもしれないけど、技術的には決して完成されてないけど50年代前半のカントリーの香り
がする味のある演奏です。
まあ、しかし、ぜーんぜん売れなかった。別の仕事みつけてやっとこやっとこ働きながらライブハウスで演奏、
なんて生活をしていたバーネットトリオですが、エルビスとひょんなことで知り合いになり、サンレコードに売り込むと
撃沈。
たぶん、これがのちのちまでトリオが歴史に取り残された一番の原因でしょう。
サム・フィリップスにはねられたというのは相当キツい。
で、こんな南部の田舎にいらんねえっ!おらにゅーとーぐざいぐだ!と
勇んで大都会へ。ここでもまた、やっとこやっと
こ仕事探し。バイトル、とかリクルートなんとかなんてないでしょうからあ、新聞広告でも探したんでしょうかね。
ハローワークかな?ま、そんなことはどうでもいい。



テレビ番組「テッド・マック・アマチュアアワー」出演のためのオーディションを受けたのですが、トリオは一気に浮上。
3人の審査員の前で「トゥッティ・フルティ」「ハニー・ハッシュ」「ブルー・スウェード・シューズ」を演奏、TVショ
ー出演が決まり、本戦も順調に勝ち残り、9月開催のマディソン・スクェア・ガーデンでの決勝の出場資格を得ると、
こらすごい。懐かしのイカ天でチャンピオンになったようなもんでしょうか。時は1956年ですね。で、コーラルレコー
ドからレコード出すも全然ヒットなし。現在は大変なクラシックとなっている一連の録音のほとんどはナッシュビルでと
られたものですが、これもたいしたヒットなし。マディソンスクエアガーデンの決勝戦も敗退。というわけで、
当時のトリオは映画やテレビに出てはいるものの、それほど重要視されず、ヒットも出ず、カブキロックスやタマにも負けて(嘘)という、かなりかわいそうな状態のまま、解散してしまうのです。

その後ジョニーはソロに転向,「ドリーミン」「ユーアー・シックスティーン」がヒットするのですが、
1964年カリフォルニア州クリアレイクでの船舶事故により死去。
ドーシーはソロに転向、ソングライターとして活躍後、70年代にはカントリーのヒットシンガーになるも、
1979年心臓発作により死去。
ポールはメンフィスに戻り1960年「セーフティ・エレクトリカル」(電気工事会社)を設立、
成功させ、実業家となりました。



さて、そんな紆余曲折の3人は、70年代あたりから突如、ロックの伝説、カリスマになってしまうのです。
パンク、ハードロック、ガレージロックなどが出てきてバーネットトリオをカバーしまくったのが70年代。主な要因は
ポール・バリソンのギターだと思います。

The Pirates "Lonesome Train" 1977

最初のファズトーンというのが注目されがちだけれど、もっと重要なのは、パワーコードを持ち込んだこと。バリソン
は「オクターブ奏法」と言われているけど、要は3度と5度すら省いたルートオクターブでメジャーとも
マイナーともとれるコードでバンドのサウンドのかなめとなったのですね。
リンクレイ以前にもバリソンが近いことをしていたわけです。
まあ、しかし、もともとはベイシーのフレディグリーンが実際は6と4弦しか弾いていないのだから、このあたりからすで
にパワーコードの世界があったことになるし、もっと言えば、オクターブ奏法の最も効果的の例は30年代のジャンゴ・ラインハルトまでさかのぼる。その人の数だけ奏法があるようなブルースというでっかい基盤の上に様々な世界の奏法を加えていくのだから、フローチャートでまとめられるような代物ではないのですね。伝統は一夜にしてならない。

まあ、運命は皮肉なもの、というか、時代の先を行き過ぎていると報われないというか。でも、結局、ジョニーもポップ
歌手として成功したし、ドーシーもカントリーの世界で成功、バリソンも長生きして生きた伝説になったのだから、
めでたし、めでたしっていう感じかな。では、今日はこの辺で。バイナラー!


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