8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.17 |
音楽界のアインシュタイン ー レス・ポールの伝説 こんにちは、頑固8鉄です。 タイトルがタイトルだけに、相対性理論だのキンピラゴボウだのが出てきそうですが、ちと違う。でも、少し難しげな、科学っぽい話から始まります。 アカペラのように、人間の声だけで、っていうのもありますが、たいていの音楽には、楽器がつきもの。20世紀初頭ポピュラー音楽の世界で、大きな影響力を持った楽器は、10年代にブームになった、室内楽で使用される、バイオリンやマンドリンでありました。 1920年代には、ハワイアン音楽の大ブームがあり、ここでは、ウクレレが世界的大ヒット。30年代〜40年代のジャズブームでは、ピアノと各種管楽器が大活躍で、弦楽器は音のでかいバンジョーが主流、といった具合。今日、最もポピュラーな楽器であるギターの出番、というのは、極めて限られていました。 20世紀前半のギター音楽というのは、ヨーロッパ音楽の世界(フラメンコ、ジプシー音楽などの民俗音楽)とラテン音楽の世界(中南米民俗音楽)での、ほぼ独奏楽器としての使用が主流で、北米で、レコード産業を中心に発展したポピュラー音楽においては、せいぜい、管楽器ばかりのジャズバンドのバックで、ジャカジャカとリズムを刻むのが主な用途で、あまり目立つものではなかったのです。(例外は、フランスのジプシージャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトと、アメリカのジャズ・ギタリスト、エディ・ラング。) 「あー、つまんねえ・・・オレも、かっけえソロ弾きてえなあー・・」、「弾いても弾いても自分の音すら聞こえないじゃん・・」なんて、ギタリストのボヤきが天の神様だの会社の社長だのに届いたのか、変化の兆しが現れたのは、1930年代のことです。 もともとラップ・スティール(ハワイアンでお馴染みの、横置きのスライドギター)用に開発した、磁気コイル式ピックアップを、普通のギター(抱えて弾くギター。スパニッシュ・スタイルという)に搭載し、音量を電気増幅することによって、他の楽器と比較すると、極めて音量に乏しいギターの問題点を克服してからはじめて、ギターの出番が増えてきたのです。 しかし、ピックアップの搭載は、1920年代にギブソンが開発したアーチド・トップ・ギターへの搭載であったため、中が中空になっているギターの音響学的特性から、フィードバック(ハウリング)を起こしやすく、あまり音量をあげられません。また、トップ板の振動でピックアップ自体が上下運動を起こすため、ラップ・スティールのようにサステインのある、クリーンな音を出すことができませんでした。 「なんか、モコモコモッコリした、おじさんのピチピチパンツみたいなキモい音しか出ないじゃん。だめじゃん。」と思いつつ、「そうだ!スチールギターを、スパニッシュスタイルで演奏できるようなものにしちゃえば?」、と考えたミュージシャンがいました。彼の名は、レス・ポール。 ポールのアイデアは、その辺に落ちている線路の枕木に既存のギター用ブリッジとヘッドとネックをとりつけ、ピックアップを搭載するというシンプルなもので、「ログ」と名付けられましたが、この粗大ゴミ化したスチールギターのような代物がめちゃめちゃ音がよく、今日では主流になっている、世界最初の「エレクトリック・ソリッド・ギター」のひとつとなったのです。 これは、1930年代に、ポール自身の手によって、ギブソン社に持ち込まれましたが、時代の先端を行きすぎていたのか、一蹴されてしまいます。しかし、時代の流れがギター中心のロック音楽に向かっていった1950年代初頭、とうとうギブソン社によってちゃんとした形で、製品化され、「レス・ポール」と名付けられることになったのでした。 さて、いくつもの重要な発明から、今日、ミュージシャンとして唯一「発明家の殿堂」入りしている、「音楽界のドクター・○松」・・・じゃない、「音楽界のアインシュタイン」、レス・ポールは、1915年、ウイスコンシンに生まれました。 小学生時代から音楽が好きで、最初はハーモニカからはじめ、バンジョー、ピアノと手を伸ばすのですが、13歳で、ギターを演奏するようになって初めて、ギャラをもらって人前で演奏するという体験をします。 人前で演奏してウケるというのは、ものすごくトラウマ・・じゃない、大きな体験で、一度そういう目に合うと病み付きになるもの。 「オレは、やっぱ、ギターでいく!」と鼻息荒く決心したポールは、17歳でカントリーバンドに参加、高校を中退して、プロになります。 そして、1930年代を通じて、2つの顔で活動を展開することにしました。ひとつは、ジャズ・ギタリスト、レス・ポールとして、また、もうひとつは、カントリー・ギタリスト、ルパーブ・レッドとして活動したのです。 1943年にはハリウッドに行って、レス・ポール・トリオを結成。翌年、ナット・キング・コールのバックバンドを勤めた後、ビング・クロスビー・ラジオ・ショーに参加、クロスビーのレコーディングなどで演奏するようになります。 ミュージシャン、ギタリストとしての活動の傍ら、エレクトロニクスに興味があったポールは、1941年、とうとう「ログ」を完成させます。そして、このアイデアを1952年にギブソンが採用し、発売した「レス・ポール」は、最初のソリッド・エレクトリック・ギターのひとつ(もうひとつは、フェンダーのテレキャスター)として、後生に多大な影響を及ぼす大発明となるわけです。 さらに、1947年、ポールは、録音機材の分野で、画期的な発明をしてのけます。キャピトル・レコードがリリースした、「ラヴァー」は、ポールひとりの自宅多重録音で、自作の8トラックレコーダー(磁気テープではなく、ワックス・ディスクを使用)を駆使したものだったのです。これは、世界初のマルチトラック録音となり、40年代に世界で初めてテープレコーダーを開発したドイツのアンペックス社が、磁気テープ式マルチトラックレコーダー(オヴァーダビングレコーダー)を作ったときに、レス・ポールの8トラック録音システムが参考にされることになりました。 今日のデジタル時代においても、音楽分野のみならず、テレビ、ラジオなど、録音分野すべてにおいて、マルチトラック式は、スタンダードとなっていますが、「マルチトラックレコーディングの父」は、レス・ポールなのです。 また、録音効果(エフェクター)の分野でも、テープ・ディレイ、フェイジングなど、重要な発明をしています。 しかし、翌年の1948年、ポールは、大きな自動車事故にあい、右手を切断しなくてはならないほどの重傷を負います。切断はなんとか回避したものの、二度と肘を曲げられないようになり、医師と相談した結果、「ギターが弾ける位置で肘を固定」ということにしたのです。日常生活よりギターを弾くことを優先したわけで、すさまじいミュージシャン根性であります。 50年代初頭、ポールは、歌手兼ギタリストのメアリ・フォードと結婚、マルチトラック・レコーダーを駆使して、ギターと唄の多重録音を行い、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」、「ワールド・イズ・ウエイティング・フォー・ザ・サンライズ」、「バイバイ・ブルーズ」、「ヴァイア・コン・ディオス」といった、古い時代のスタンダードを演奏した一連の曲が、大ヒットとなります。 また1950年から始めた、柔らかなコメディと多重音源によるレス・ポール&メアリ・フォードの音楽で構成されるラジオ番組、「レス・ポール・ショー」も好調。 しかし、1960年代には、ブリティッシュ・ロック・ブームのあおりで、ヒットが出なくなり、メアリ・フォードとも離婚。レス・ポールは、半ば引退状態になり、たまにレコーディングをしたりライブをしたりするのみとなります。 しかし、さらに後年、1978年には、「グラミーの殿堂」入り、1988年には、ジェフ・ベックが「ロックンロールの殿堂」に招き入れ、2005年には「発明家の殿堂」、2006年には「ラジオの殿堂」入りするなど、続々と、その功績が称えられて、今日に至っています。 若いイカしたギタリストがギブソンのレス・ポールを弾いていると、そこに、よぼよぼのじいさんが現れます。そして、「そのギター貸してごらん」と言って、じいさんが弾くと、すごいフレーズの連発で、若者の目が点になってしまうのです。「じ、じいさん、誰だ?」と言う若者に、じいさんがニヤリと笑い、ギターのヘッドを見せると、そこには、お馴染みの「レス・ポール・モデル」という刻印が。 これは、レス・ポール自らが出演した最近のクアーズビールのコマーシャルですが、20世紀の録音技術、楽器の分野で多大な貢献をした偉大な発明家であるレス・ポールは、92歳の現在でも立派な現役。 ローリング・ストーン・マガジンが、「最も重要なギタリスト100」に選出するほど、後世に大きな影響を与えた、素晴らしいギタープレイは、現在も、毎週、ニューヨークのクラブで観ることが出来るそうです。 「音楽界のアインシュタイン」も、その音楽は、楽しく、軽く、暖かいノスタルジックさに満ちあふれています。こうしたノスタルジックで伝統的なアメリカといえば、50年代ファッションでその手の主流だったのがグレースーツ。グレゴリー・ペック主演の有名な映画「グレーのスーツを着た男」(the man in the grey frannel suit)なんてのもありました。 今回THE KINGからリリースのグレーパンツ、フランネルではありませんが、いかにも50年代の伝統的紳士服ファッションを彷彿とさせる出来栄え。レス・ポール&メアリ・フォードの音楽にもぴったりという感じです。 ノリノリのロカビリーもいいですが、THE KINGのグレーパンツとナッソーに身を包み、レス・ポール&メアリ・フォードの「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」でも聴きながら、旧き良きアメリカの香りを堪能するのも、大変楽しいのではないでしょうか |
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