8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.165 |
楽器ギャグの王様
ビクター・ボルゲ みなさんこんばんわんっ!犬田犬八です。 ボブ・ホープをはじめとした30年代から続くアメリカンコメディ(ボードビル)の世界の大人物。 日本ではたぶんあまり知られていませんが、百聞は一見に如かず。 とりあえず、tubeでもどうぞ。 いかがでしたか?ちなみに日本語の字幕がついた動画がひとつもないので、 たぶん日本ではあまり知られていないのでしょう。 現在の目で見ると、相当ヤバいギャグもあるので、そういうのが嫌な方は文句を言うかもしれません。 英語の堪能な方は余計なお世話かもしれませんが、先ほどの動画のギャグをいくつか説明しますね。 あと、英語としてはかなり訛ってます。デンマークで生まれ育ったからです。 1 「(煙を吐いて)つかれたので、一息いれてます。なにせ長い一日で、ずっと呼吸してたもんだから。」 2 「ピアノ音楽は好きですか?」(客 イエー)「そらひでえな。」 3 「なにをやろうかな。モーツアルトはどうかな。デンマークの作曲家でハンス・クリスチャン・モーツアルト。」 (注:有名なモーツアルトはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。) 4 「モーツアルトはご存知のとおりここまでしかなかったんです。(胸から上)」 (注:モーツアルトの外見はたった1枚の肖像画、しかも死後に想像で描かれたものしか残っていない。) 「そんな肉体のハンディキャップがあるのに幸せな結婚をしました。でも婦人は幸せではなかったようです。 いつも婦人は床にはいつくばっていました。」 (注:アブナイギャグですね。今ならたぶん身障者差別だとクレームがつくでしょう。) 5 (ピアノの前で)「なにこれ。でかい黒盤がひとつあるだけなの?あ、ごめん、これ蓋か。」 6 譜面たてをたてて、鏡替わりに蝶ネクタイをいじる 7 「一番リクエストが多かった曲をやります。最後のリクエストは1936年でした。だからなんだったか覚えていません。」 8 「3つ絶対に憶えていられないことがあります。(沈黙)・・・・・4つです。」 9 (ピアノを弾きだす)これは、ベニスのワルツです。(やめる)今のところはイントロ。(弾いてやめる) 今のはメインのところ。 (流麗に弾く)今のはなんか変なところ。なんでかったいうと、ショパンだから。」 以下、本格的な楽器をつかった漫談が続く。といった感じです。この辺はご覧になれば可笑しさがわかります。 ボルゲのギャグは、たくさんのバリエーションがあって、もっとフィジカルなギャグもたくさんあるのですが、たっぷりご覧になりたい方はこちらをどうぞ。 動画でもわかるとおり、大変な人気です。とにかく、ギャグのひとつひとつがよく練られていて、スマートです。 もともと、アメリカの古いコメディは専門のギャグライターが必ずいて、演者と分業になっていたので、 出たとこ勝負みたいなところがありません。 しかし、ボルゲを観ていると、相当アドリブで演じているのがわかります。ギャグもたぶんすべて自前で考えたものです。 日本でいう「ピン芸人」の、今でも通じる芸風をもった最初の人だったのではないかと思います。 1909年生まれのボルゲはデンマーク人で、母国でもピアニストであり、コメディアンでしたが、 もともとお父さんが有名オーケストラのバイオリニスト、お母さんがピアニスト、という音楽エリート家庭の出身です。 いわゆる神童ですね。1926年には初のコンサートを開き、33年にはもうユーモリストとして活動していたといいます。 しかし第二次世界大戦が勃発。反ナチスの痛烈なジョークを得意としていたものの、デンマークがドイツに占領されるとフィンランドに逃げて、着の身着のままアメリカに移住するわけですね。 アメリカにわたると、ピアニストとして、クルーナー歌手の元祖として 今日知られるルディ・バリやビング・クロスビーのバックを務めます。 必死で英語を学んだ彼は、語学ネタや欧州のクラシックとアメリカのジャズをネタにした独特のジョークを編み出し、 40年代の戦中には再びコメディアンとして大活躍。自分のラジオショーをもつまでになりました。 その後、50年代以降、アメリカとヨーロッパの両方で人気芸人となり、 2000年に91歳で亡くなるまで、80年に渡り活躍しました。 その間に、やはりヨーロッパとアメリカ双方で数多くの栄誉賞を受賞。ニューヨークには 彼の名を冠したコンサートホールも作られました。 今現在、こうしてみてみると、とても古典的なボードビル芸に見えますが、 時代性がないために時間を飛び越えて普遍的に楽しめる良質なギャグをたくさん作った人だったのがよくわかります。 ヨーロッパの紳士然とした佇まいと酒脱なおしゃべりで子供も大人も楽しませ続けた見事なミュージシャン、 そしてコメディアンでありました。 |