8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.163
 
底抜け西部を行く
ジェリー・ルイスとディーン・マーティン

みなさん、小判は滅多にみられませんね。猫にご飯!もとへ、猫に小判!失礼じゃないかと思いますね、猫に。
あんなものを喜ぶのは人間だけで、そもそも食べることもできない役立たずな金属片ですから。
それはさておき、50-60年代にアメリカで大ヒットしたコメディ映画シリーズに「底抜けシリーズ」というのがありました。
わが国でもごく一部(主にテレ東、かつての東京12チャンネルが観られた地域)で
映画オタク少年(わたしです)の間で人気があったんでよく覚えてます。


(代表作)
底抜けやぶれかぶれ THE CADDY 1953
底抜け西部を行く Pardners 1956
底抜け船を見棄てるナ DON'T GIVE UP THE SHIP 1959
底抜けもててもてて THE LADIES' MAN 1961
底抜け大学教授 THE NUTTY PROFESSOR 1962
底抜けオットあぶない WHO'S MINDING THE STORE? 1963


このうち最も有名な作品は「底抜け大学教授」で、1996年にエディ・マーフィ主演で
「ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合」としてリメイクされたのでご記憶の方も多いかもしれません。
(原題はともに『The Nutty Professor』)。
もちろん、どの作品も原題に「底抜け」なんてついてませんが、先にあったビング・クロスビーと
ボブ・ホープのコンビによる人気コメディ映画シリーズを「腰抜けシリーズ」として日本公開していた関係で、
面白くするために「底抜け」と名付けたのだと思います。
主に、コメディロール(ボケ)を演じるのは、ルイスのほうで、マーティンはつっこみのほう。
そのせいかとぼけた二枚目のマーティンは素晴らしい才能豊かな俳優、歌手であったのにもかかわらず、
映画の成功はすべてジェリー・ルイスのおかげ、などと言われてつらい時期もあったそうな。
まあ、このシリーズそのものだけを見るとルイスが圧倒的に目立つのも確か。
この人「変な寄り目顔」(↑の写真)ギャグが有名ですが、今の目で見るとホントにすごい人。
体を張ったギャグでは右に出るものがなかった。その才能たるや凄まじいものがあります。


まずは、こちらをご覧ください。ロックンローラーに扮したジェリー

この動きは異常!ありえない動きをしてますが、当然、CGではありません!
凄まじい運動神経を持っている人だったんですね。
父親がヴォードヴィル芸人だったため、5歳から舞台に立っていたそうで、
ガキのころからバリバリのコメディ英才教育を受けていたわけです。


さて、そんなルイスがマーティンと出会ったのは1944年のことで、コンビとしてのデビューは、
1946年7月24日、アトランティックシティの「ファイブ・ハンドレッド・クラブ」であったそうです。
ナイトクラブやラジオ(1949年以降)、テレビや映画にコンビで出演。一連の底抜けシリーズが誕生するわけです。
1956年にコンビを解消。


ふたりは映画デビュー以来17本の映画に出演、ビング・クロスビーが主演の『バリ島珍道中』
(監督ハル・ウォーカー、1952年)1本を除いて、すべてが主演。そのうち13本が日本でも公開され、
日本で考案された「底抜け」の呼称はすっかり定着し、のちにジェリー・ルイスの単独主演作品にも、
ひきつづきこの呼称が冠されました。
映画「底抜けシリーズ」のメイン・ディレクターは、ハル・ウォーカー、ノーマン・タウログ、フランク・タシュリンでしたが、
1960年にルイスが映画監督デビューしてからも、この作家たちは引き続き活躍しています。

ルイスはのちに映画監督に転じますが、コメディアンとしても大活躍をします。
さらに、筋ジストロフィー患者の社会参加と治療費捻出、ならびに筋ジストロフィー協会の活動の啓蒙を念頭において
1966年から「レイバー・デイ・テレソン」と題したチャリティーコンサートを開催し、全米にテレビ中継。
2010年まで45年間担当した。日本の「24時間テレビ」はこの番組をお手本にして作られました。

まあ、次から次へと出るゲスト、ハリウッドスターの豪華なことといったらすごいものがあるのですが、
とりわけ印象深いのが、喧嘩別れだった底抜けコンビのディーン・マーティンとの20年ぶりのリユニオン

なんとカウント・ベイシー・オーケストラが出たことも。ルイスが指揮をしていますが、これが世界一かっこいい!

不死身としか思えない抜群のセンスと運動神経を発揮しまくったルイスは生涯現役を貫きましたが、
ネバダ州南部ラスベガスで2017年8月20日に91歳で亡くなりました。
老衰ですから、不死身だったといっていいでしょう。

さて、話を「底抜けシリーズ」に戻すと、これがまたなんというか、日本でいったら、志村けんの世界。
それもそうで、志村けんはルイスに多大な影響を受けています。
先日元号が変わり、「令和」となりましたが、わたくしが社会人として現役だったのは、
ちょうど昭和の終わりころから平成の終わりまで。社会人として一人前になるまで昭和だったのですが、
当時の「東京12チャンネル」で全部の底抜けシリーズを観たのは前述のとおり。
もちろん、吹き替えで、たしかどれも、マーティン=羽佐間道夫、ルイス=近石信介だったと思うのですが、
ひとつだけ違うのがありました。それが「底抜け西部へ行く」です。
西部劇マニアだったというのもあるのですが、吹き替えが出鱈目アドリブだらけでおかしかった。
というのも、マーティンを我が国が誇るアドリブ吹き替えの名優、広川太一郎が吹き替えていたからです。
で、ルイスは愛川欽也。
ラストシーンで、「俺、広川太一郎」「俺、愛川欽也」などとありえないセリフを言うのがのちのモンティ・パイソン
につながる日本語版のお遊びの元祖みたいで日本ならではの楽しみ方ができたので、
個人的にはこれがベストです。

「底抜け西部を行く」マーティンの歌う粋な主題歌シーンをご紹介して今回はおしまい
もうひとりの主役、ディーン・マーティンについてはまた後日。
では、みなさん、らたまいしゅう!さいらなさいらなさいらなー。



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