8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.161 |
70年代、80年代の原宿グラフィティ
スイート・リトル・シックスティーン、シックスティーン・キャンドルズ、 ハッピー・バースデイ・スイート・シックスティーン。。。 16歳は、アメリカでも日本でも、思春期の真っただ中で、その時期、わたしは原宿にいた。
厳密にいうと、外苑前、というところで、表参道のとなり、そのまたとなりは原宿である。
高校が外苑前にあった、というそれだけのことなのだが、わたしは変わり者のオタクで、
子供じみたところがいつまでも抜けない高校生だった。 自分は知らなかったが、小、中、高校と首尾一貫して、入学後に両親は学校に呼び出されて、
「息子さんは風変りで心配だ」と言われていたそうである。 周囲から観ると「かなりずれている人」で、それは、還暦近い今日まで変わらない。
どこか脳みそが足りないのだと思うが、人はそういう意味では変わらない。 急に周囲に溶け飛んだり、突然頭がよくなったりもしない。それは生まれつきの素質で、どうしようもないものだ。
単なる音楽趣味が流行とかけ離れていたというだけではない。
それは人柄の根幹にかかわるものだと中年も過ぎるころに専門医を通じて知ったことだ。 他人と普通に付き合うのは、わたしには人並み以上にパワーが必要で、くたびれてしまうので、
あまり積極的に周囲に溶け込もうとしなかったが、それがわたしの趣味の方向を決定づけていた。 要するに「モノにこだわるオタク」だ。
さて、表参道には、パイドパイパー・ハウスというレコードショップがあり、そこは、わたしにとっては聖域だった。
古い50年代録音のドゥーワップ、ロックンロール、ポップなどの輸入盤レコード店として、
日本で屈指の有名店であった。 ほかにもニューオリンズものとかホーギーカーマイケルとかなんでもあったような気がする。
確実に覚えているのはオービソンで、当時はカットアウトになっていた。
人気がなく、超レアだったけど、現在はちゃんと名盤としてCDになっている。時代がどんどん変わっていく。 一方、表参道から原宿方面に向かうと、そこはレコードではなく、
ヴィンテージウエアとアメリカンアンティークの世界だった。 Garageパラダイスtokyo クリームソーダ、ピンクドラゴンはキャットストリートだ。
近くのファィアーストリートはサーファー系で、
メルズとかサンデーマート(のちのボートハウス→キャプテンサンタ)、バックドロップとかがあった。 わたしはキャットストリート系だった。キャットストリートとファィアストリートは明治通り挟んでお隣どおしだったが
当時は二手に分かれていた。サーファーとロッカーに分かれていたってことだ。 竹下にも古着屋が軒を連ねていた。コブラのマークが有名なペパーミントや
チョッパー(竹下通りの中ほどの二階にあったクールスの秀光さんがやってたブティック)があった。 外苑前にあった高校とクリームソーダ系列と骨董通りのミッドセンチュリーモダンなどの
家具店、レコード店のハシゴが日課みたいなものであった。 実は、どこまでが高校時代の記憶でどこからがその後なのか判然としない。
かなり長い間、わたしの表参道~原宿通いは断続的に続いていったからだ。 大学時代は、当時の付き合っていた彼女が原宿渋谷系(ハマトラ)だったので、
よく一緒にブティック巡りをしたりラフォーレでお茶したり渋谷で飯を食ったりしていた。 その後、大学卒業後には東京デザイン専門学校の夜間部に通ったのだが、
これは原宿駅側の竹下通り入り口にあった。 卒業後は、転勤があったりであまり原宿近辺にはいかなくなったので、
1977年から1988年くらいまでの約10年間が、 「表参道~原宿をうろうろしている怪しい人期間」だったことになる。 キャットストリートに話を戻すと、ちょうど、ガレッジパラダイス東京、クリームソーダ→ピンクドラゴンに
移行していく過程をそのまま追いかけていったことになる。 パイドパイパーでロイ・オービソンやリトル・リチャードのLPを買って、そのままデザイン学校の専門分野である
インテリアデザイン関連のアンティークショップを巡り、家具や小物と同じくらい好きな アメリカ50年代の古着をあさる。 そんな生活を延々と繰り返していた。高校生のころはまだウォークマンがない時代で、
いつも頭の中でビル・ヘイリーやカール・パーキンスやビル・モンロウを歌いながら、 ウォークマンがでてきてからは、実際にカセットテープを聴きながら、 街と店を散策する。「孤独のグルメ」という漫画もドラマもあるが、わたしの場合はなんだろう
。「孤独のミッドセンチュリー」だろうか。 新しい古着店だのアンティークショップを見つけては一喜一憂し、家ではレコードをかけながら
銀座のイエナで買った洋書のギター、家具、ビンテージ服の写真集を眺めつつ、 大学の法学関係書を読んだり、専門学校の図面を仕上げたり、副業だったイラストを徹夜で 描いたりしていた。そこは一人の小宇宙で、いわば完全な真空だった。 真空の中をハーマンミラーの椅子やビル・ヘイリーのレコードやボーリングシャツが ふわふわと漂っているような、そんな小宇宙にわたしは住んでいた。 そこは本音の部分では、人づきあいが苦手なわたしの、本当にくつろげる、
楽しく美しい宇宙だったのだと思う。 それは、ロックンロールからジャズ、カントリー、アメリカのミッドセンチュリーモダンから
スカンジナビアモダン、ボーリングシャツから19世紀のワークコートに変わろうとも本質的には 変わらないまま、今でも続く私的宇宙だ。 そういえば、わたしが古着趣味の中で、気になっていた伝説的な50年代のジャケットがあった。
本物は竹下通りで目にしてはいたが、サイズが合わなかったり、きわめて高価だったりして、 なかなか手が出ないものだった。 やがて時代は変わり、カセットウォークマンどころか家にパソコンがあるのが当たり前の世の中になって、
いろいろネット検索をすることができるようになった。あるとき、わたしはおもわず息をのんだ。 そこには伝説のジャケットの新品がずらりと並んでいた。
わたしは、とうとう、THE
KINGのホームページにたどり着いたのだった。
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