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8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.160 |
井上さん
![]() 井上さんは、「太陽にほえろ!」に出てくる「殿下」みたいな顔をしてニコニコしながら
「そうなのー」とうなづく。今日も明日もこれまでもこれからも。 困った。井上さんに関して文章を書こうと思ったのだが、どう脳内を検索しても、出てくる結果はこれだけである。
彼のことを書こうと思うくらい印象に残る人物なのに、まるで透明人間のように、ただ漂う空気のように、
彼はまるでつかみどころがない。 たいてい、誰かに関して文章を書こうとすると、どこの出身だ、とか、何を話したか、とか、
そういう言葉にしやすい事柄をもとにするのだが、彼にはそれがない。 不思議なことに、私の夢に、井上さんは、ちょくちょく登場するが、一言もしゃべらない。
ただ、ニコニコしながらうなづいたり、相槌を打ったりするだけである。 そして、わたしの40年以上前の記憶の片隅にある井上さんは確かにそういう人であったと思う。 つまり、文章化出来ない人なのだ。
夢はいつも、地下室に続く狭い階段から始まる。
地下室に続く階段、というと、なにか怖い夢に思えるが、実際は心地よい、安らぐ夢である。
その階段は、一般の人は利用できない。守衛に身分証を提示しないと入れない職員専用の入り口を
はいったところにあるからだ。 狭い階段を下りた地下1階の目の前に、井上さんはいつもいる。ぐるぐる回る青と赤の懐かしい看板の
となりの入り口はいつも開けっ放しである。 井上理髪店、という屋号を見た記憶がない。そこは一般向けではなく、建物内の職員専用の理髪店
だったのだから、わざわざ宣伝する必要もなかったのではないか。 今のようにネットの口コミもなにもない時代でもある。
その建物は、今はない麹町会館(現在はルポール麹町という建物が建っている)で、
職員用の入り口は裏手にあった。表側はホテルである。 昭和40年代に建てられたこじんまりした建物で、表側の1階にはホテルらしいフロントとロビー、
喫茶店があり、二階には結婚式場があった。 3、4階は事務所フロアで、この建物を管理する地方職員共済組合、4階には当時の自治省の
外郭団体の事務所が入っていた。 表側からはアクセスできない裏側の入り口は表側からは1つ下のフロアにあり、
井上さんの理髪店はさらに地下にあったのだから、地下2階ともいえる。 そんな、日の当たらない、地味で目立たないところにあってもそこは不思議な安らぎの空間であり、
当然いつも化粧品の香りが漂っていた。 ![]() そうだ。記憶をよみがえらせるカンフル剤は常に匂いである。
人は鼻がきかないくせに、なぜか、記憶中枢と匂いは強く結びついている。 わたしははじめてかみさんにあったときのことをよく覚えているが、
それはなにより彼女のつけていた香水の匂いが最も記憶に残っている。 白状すると、わたしはこの香水に弱かった。10代のころにつきあっていた彼女も同じ香水をつけていたのだ。
この話はかみさんにもしたことがあるので、怒りはしないだろうが、 実際にそうなのだから仕方ない。香水の名前はかみさんが使っているのでちゃんと知っている。
ランコムのトレゾア、である。 さて、井上さんはいつも「資生堂のエロイカ」臭かった。
逆にいうと、エロイカの匂いをかぐとすぐにあの理髪店を連想してしまう。 わたしの父は麹町会館内の事務所に勤めていたので、いつも井上理髪店を利用していた。
わたしは中学から高校にかけて、父の紹介で同じようにここに月1で通っていたのだ。 父についていけば、身内なら職員用の理髪店でも利用でき、路上店よりも安い価格で利用できたから、
だと記憶する。 ![]() 普通の店と違って、ここはのんびりしていた。客が少ないからだ。
並んで待ったり、大勢の理髪師がイモ洗い式にどんどん処理したり、 美容院のように時間のかかる手間暇は必要なかった。 いつも暇そうな井上さんは、態度も動きものんびりゆったりしていて、優雅だった。
人柄もあるのだろうが、彼はまるで、エロイカの香りが人の形をして漂っているような透明感のある人だった。 そして、70年代らしい、なにかドライヤーでふんわりさせた長目のさわやかなヘアスタイルで、しかも、
いかにもこうした建物内の店らしく、決して派手にならない清潔感あふれるスタイルできめていた。 だから、ちょうど、太陽にほえろの殿下、である。
彼自身の人生のことをなにも覚えていないのは、もともとそんな話をいっさいしない人だったからで、
ときどきニコニコしながら話すことといえば、「今日はいい天気ですね。」「今日はどんな髪型にしますか」 「ヘアトニックはなににしますか」といった事柄だけであった。 父と井上さんは仲良しだった。よくふたりでバカ話をしていた記憶があるが、しゃべっていたのは多弁な
父のほうで、井上さんはニコニコしながらうなづいていただけだった印象がある。 とても聞き上手な人だったのだろう。 わたしの井上理髪店通いは、7年間くらいで、大学に入ると途絶えてしまった。
父が退職し、わたしは地元の団地内にある小さな個人経営の理髪店に行くようになった。 ここのおかみさんはわたしの母より少し若く、現在もお元気である。娘さんも理髪師で、
なかなかの美人さんであった。わたしは彼女とよく話をした。ちょっと付き合いたいなと思っていたのだけど、 大学のほうでカノジョができて、何事も起きなかった。その後彼女はお嫁に行き、実家の理髪店を 離れてしまったが、一番末の息子が理髪師になり、近くに別店舗を開店した。 わたしが通っていた小さな団地内の店はもうない。それから私自身が麹町に就職したので、舞い戻ったのだが、
井上さんの理髪店には戻らなかった。もっぱら休日に地元で済ますようになっていたからだ。 やがて時が流れ、麹町会館はなくなり、代わりに立派な高層のルポール麹町というホテルになったが、
井上理髪店はもうなかった。 最近、母から聞いて知ったのだが、井上さんはわたしの記憶の中の若々しいイメージとちがって、
わたしの父の1つ下だったらしい。存命していたらもう87歳になる計算だ。 存命だったとしても、さすがに現役ということもなかろうと想像する。
つらつら思い出しながらこうして文章にしてみると、懐かしい昭和の空気の中にエロイカの香りが漂っているような
気分になる。そして、私は井上さんにあこがれていた。 大きな組織で複雑な人間関係に悩まされることもなく、固定客だけを相手に、綺麗な部屋といい香りの中、
淡々と仕事をし、いつもゆったりニコニコしている、そんな仕事にあこがれたと言ってもいい。 しかし、わたしは理髪師になろうと思ったことは一度もないのだ。
わたしは、理髪師にあこがれていたわけでも、井上さんにあこがれていたわけでもない。
わたしはたぶん、「井上さんという職業」にあこがれていたのではないか、と最近思う。
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