8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.146


三角頭オヤジと頻尿オヤジのサン・アントニオ珍道中 その2

(左からオノリオ・イマムラ、リッキー・デ・ラ・ローサ、サンチャゴ・タムラ)
とにかく、この三角頭のオヤジは、有名人である。次から次へと歩いているだけで、「おおおお!!オノリオ!!今日は出演か?」と人が押し寄せてくるのである。握手とハグの嵐である。で、ミスター・トライアングルは、「こいつもアコ弾きやねん!」「こちらは歌手や」と、必ず私と小山を紹介してくれるので、数メートル歩く度に握手とあいさつが続く。
「あれは、トニー・デ・ラ・ローサの弟の嫁の旦那の・・」となんだかよくわからない説明が続いたり、「あれ、誰やったかなー」と首をかしげたり、彼も大変である。
で、着いたはいいがそんなのが延々と続くので、ますます暑い。とりあえず、ビールである。テキサスでは、どいつもこいつもよってたかって「バドライト」を飲んでいる。(日本にはほとんど入ってきていない)。度数が弱いせいか、暑いせいかわからないが、際限なく飲んでいても、ほとんど酔わない。単にますます頻尿になるだけである。
(左からサンチャゴ・タムラ、小山亜紀、オノリオ・イマムラ、リンダ・エスコバル)
そして、テックスメックスの歌姫、スターであり、ベテランであるリンダ・エスコバルと会う。三角男は、彼女のバックでレコーディングもしていて、旧いつきあいの友達だ。先にわたしたちロス・ペリキートスの動画も観てくれていたので、歓迎してくれた。小山に「オ−!アキチャン!ビューティホー!」というので、「あなたこそ!」と返すと、「ノ−!アイム・デブー!!」と切り返して自分でゲハハハと笑う豪快な楽しい人だ。50代だが流石にスターだけに美人である。
基本的に、テックスメックス音楽はダンスのための音楽である。同じようなポルカ・ビートが一日中爆音で鳴り響いているのを聴いていると、感覚が麻痺する、とういうか、他のものを寄せ付けなくなってくる。

バドライトを飲みつつ、ステージを眺めたり、踊ったり、ホーナーの売店(アコーディオンを売っている)でジャムしたりしていると、いろいろな人がよってきて、一緒に写真をとろうと言ってくれたり、やたらとフレンドリーである。気がついたらもう夜中になっていた。


ステージは毎日、午前0時までやっているのだ。ムスタングを飛ばし、モーテルへ。夜だとなにもないところなので、道をよく間違える。なんどもフリーウエイに載ったり降りたり、ターンアラウンド(Uターンポイント)を通ったりしたが、東京あたりでいらいらような気分は全く起きない。混雑がまったくないからだろう。のんびり行けばいいさ、という気分にほっといてもなる。そういう土地柄なのだ、と実感。第二日目おしまい。

16日(第三日目)
午前中、もう一度、シェプラーズに行き、小山がブーツを買ったり、私がカウボーイハットを買ったりする。
その後、地元のミュージシャンにとっては聖地のひとつである、デル・ブラボー・レコード・ショップ(要するにアツコさんち)へ。アツコさんはフェス会場にお目当てのバンドを観にいってしまっていたので、旦那さんに挨拶したりする。大変に心の広い紳士である。

その後、ダウンタウンのマーケット(お土産物屋さんデパート)に行く。途中、デニーズに入ろうとして入り口がわからず、うろうろしたが、もう慣れた。ちょっとしたお土産ものを物色して歩くが、どこもおいてある商品が同じである。ぜんぶ、メキシコ系のお土産物で、テキサスというのは、アメリカ合衆国だけれど、文化的にはメキシコそのものだ、といわれているのを実感する。もともと、メキシコだったところをアメリカがぶんどったわけだから当然と言えば当然である。サンアントニオは、人口もヒスパニック系が過半数を占めている。

夕方近く、フェスの会場へ。もともとFBフレンドである歌手アルベルト・ソリスのバンドから観る。同じくFBフレンドであるベーシスト、トニー・ウエルタにも会えた。なにしろ、フェスにいると時間などあっという間に過ぎていく。怒濤のポルカビートと際限のないバドライトは、世間のことなどどうでもよいと思わせてくれる麻薬のようなものだ。コンフント・マジックである。
ビール券売り場で現地の3人のおっさんたちが「チンゴチンゴ」というので、何か、と言うと、「たくさん」の意味らしい。「日本でチン○というと、男のあれだ」と言ったりすると、腹を抱えてゲハハハハと笑う。ホントに気さくで愉快な人たちである。
夜中になり、フェスが終わるころ、ボスマンズというコンフントJも出たことがある、有名バーへ。住宅街のど真ん中にあるバーで、その中庭で爆音演奏が展開されるという異様な空間である。近所は住宅ばかりなのだが、きっと、コンフントが子守歌がわりに出来る人たちが住んでいるに違いない。
(フラーコ・ヒネメスの息子さん、娘さんたちと)
ここには、御大、フラーコ・ヒメネスのご家族が飲みに来ていて、オノリオ氏の紹介で会うことが出来た。ここにもアルベルト・ソリスが出ていて、挨拶する。会場の見知らぬ連中から、「ロス・ペリキートスだろ!!FB動画でみたよ!」と声をかけられてびっくり。さらに、「オーノリオ!オーノリオ!」コールも起きたが、営業時間終了の2時となったので、出演はせずに引き上げる。
帰りの車中、「わし、頭にウンコ付けて歩いていたことがあるねん。」という嘘みたいな発言をきっかけに、一気にウンコオシッコネタに。くやしいので、「おれなんか頻尿なだけじゃなくてしまりも悪いんで、いつもしまったあとでちょろちょろ流れるから、ジーンズがびしょびしょよ!」とまるで小学生の対決である。「ウンコ付き三角頭オヤジ」と「小便まみれジーンズ頻尿オヤジ」に挟まれて、「私は、最低の連中と旅をしているのかもしれない」と頭を抱える小山が可笑しい。
モーテルに戻ると、小山の部屋のとなりから、アルベルト・ソリスがでてきてびっくり。なんだ、すぐとなりに泊まっていたのか。(第三日目おしまい)

17日(第四日目)

朝、寝ぼけ眼のまま、リンダ・エスコバルが泊まっているオヒートスさんの家に招かれて、朝食を食べに行く。リンダはコーパス・クリスティの人なので、サンアントニオからはちょっと遠い。テキサスの家は巨大である。そんな中でもとりわけ大きな豪邸だった。
たくさんの量のテックスメックス料理が用意されていたが、リンダと我々以外にも続々と人が集まりだした。昨夜あったフラーコ一家もいる。ご本人は来なかったが。で、突然、演奏を始めるわたしたち。持って行ったリンダのCDにサインをもらったりすると、自分の全部のCDを持ってきて、わたしと小山に、あげる、という。なんていい人なんだ!とミーハーにさわぐわたしたち。
普通の観光客どころか、テックスメックス音楽ファンですら、かなわないような体験が続く。まるで夢でも見ているかのようである。三角オヤジ、もとへ、オノリオ氏のおかげである。
この日は最終日で、大御所が次々に出演する日である。フェス会場に向かうとリンダもやってきて、お礼に準備を手伝ったりする。
リンダはこの日の夕方出演し、コンフント・ホール・オブ・フェイムを受賞。
続いて、サンチャゴ・ヒネメス・JR、ベナ・メディナ、ニック・ビヤレール、ミンゴ・サルディバル、フラーコ・ヒメネスと、大物が続々登場。ジジイといえば、ジジイだが、世界的に名が知られている人たちである。それでも、やはり、これほどそうそうたる人たちをいっぺんに観られるのは、このフェスしかないだろう。
会場をうろうろしていると、FBフレンドのロバート・T・グティエレス、チャーリー・スミスなど、バンドマンの連中に続々出会う。みな非常に親切でフレンドリーだ。

そんなこんなであっという間に時間は過ぎた。トリのフラーコは、先日まで怪我で車いすだったそうだが、ステージ上では実に堂々たる演奏を聴かせてくれた。この人は、別格なようで、完全にVIP扱い。巨大なリムジンでSPがずらりとついていた。
(フラーコ・ヒメネスバンドのバホセスト奏者、マックス・バカと)
深夜、モーテルに戻り、明日は帰国だね、とオノリオ氏と話をする。なんと彼は、「日本でコンフント仲間を増やす目的は、お互いに陰口を言い合うことだ」と腹黒いことを言い出した。仕方ないので、わたしたちも、コンフントJのあら探しをして、たんまり悪口を言わなくてはならなくなった。さあ、どうしてくれようか。(第四日目おしまい)

18日(第五日目)
早朝から帰国準備で忙しい。途中、乗り継ぎのダラス空港で、チャーリー永谷氏率いる日本のカントリー・ゴールドのツアー一行と鉢合わせるハプニングが。帰りの飛行機の便も、席もすぐ隣という偶然。立ち話をし、またいつか再会を、ということで友達になった。
さて、成田に到着。オノリオ氏は大阪へ。別れ際、次は11月の「スクイーズ・ボックス・ナイト」(大阪と東京で交互に開催されるアコーディオン音楽イベント。目黒のリトル・テキサスで今年11月22日(日)に開催)だねえ、という話になる。この三角頭オヤジは、なんと、「本気で対抗意識向きだしで来るで!」と言う。仕方ないので、こちらも何か飛び道具を用意しなくてはならない。いや、それより、裏で手を組んで、ザディコ・キックス(3つ出演するうちのひとつで、イベントの主催バンド)をボッコボコにしようか、などと悪巧みのタネはつきない。
こうして、ウンコ付き三角頭オヤジとびしょびしょジーンズ頻尿オヤジの旅(介護役:小山亜紀&タニグチアツコ)は終わったのである。
一言で感想を、と言われれば、もう、毎年行きたい、としかいいようがない。
アメリカ音楽はアメリカに行ってみないとわからない。
どこでもかならず言われたことがある。それは、「音楽は心だ」ということである。テクニックがなかろうと、シンプルだろうと、失敗しようとそんな細かなことなど誰も気にしない。心があれば(センティミエント、という)、素敵だ!と心から言ってもらえる。逆にそうでない、うわっつらだけの音楽は、クソ扱いされる。
やたらと馬鹿みたいに広い大地で、「地平線の向こうになにがあるか、馬に乗って見に行くべ!」なんていう風土のアメリカ音楽が、小賢しい理屈なんかでできているはずがないのである。おおらかに哀愁の雄たけびを上げる。それがアメリカ音楽の神髄である。本当に、行ってみると、よーくわかるのである。


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