8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.125

                   ザディコ音楽ーロックの風変わりなルーツ



みなさん、こんにちぼんじゅーる!!
頑固ハッテツーヌです。なんだって?え?馬鹿野郎??
なんだ、ばれてたのか・・なんて言ってる場合じゃない。The kingの新作買ってね!
おしまいっ!というわけにもいかないので、ちょっと、難しそうな話をしてごまかしちゃおうっていう、政治家みたいな姑息な原稿を書いちゃいましたよ。
さて、みなさんは、ケイジャンとかザディコとか、知ってます?
中華で使う調味料?それはコチャジュンのことすか?違います、ケイジャンですケイジャン!
さて、面倒くさいので、wikiから勝手に引用しちゃおう。ごちゃごちゃ書いてあるので、わかりやすくアレンジしますからね、おじさんが。安心しなさーい。

「ケイジャン(英語: Cajun)とは、「アカディア人」を意味する「アケイディアン」(acadian)の訛りで、北米にあるフランスのアカディア植民地に居住していたフランス語系の人々のうち現在の米国ルイジアナ州に移住した人々とその子孫。」
わー、最初からわっかんねー。アカディア植民地??なんだそりゃ?
面倒なときの奥の手、知ってますか?無視するんですよ、無視。
そういう調子でどんどんわかりやすくしちゃいますね。
よーするにですね、もともとイギリスからの移民が主だったアメリカ合衆国で「おらあよ、えげれすやろうってのはよう、でえっきれでよう、がーっ!!!ぺっ!!」とか言ってワイン飲んだくれてたフランスの連中が、フランス植民地だったルイジアナにどっかんどっかん引っ越していって移住した時期があるんすね。ニューオリンズおよびルイジアナ州南部の「アケイディアナ」と呼ばれる地域に定着した人たちが多かった。
ケイジャンのコミュニティでは、現在でもケイジャン・フレンチと呼ばれる独自のフランス語方言が話されてるそうですが、これがアメリカ人もフランス人もさーっぱりわからないってくらいの正体不明言語。もともとはフランス語アカディア方言、ケベック方言、ハイチ方言、ハイチ語、インディアンの諸部族の言語やスペイン語、英語の語彙などが長崎ちゃんぽんみたいになんでもかんでもまぜこぜになっちゃった言語みたいです。あー、いやだな、こういうの。苦手なんですよ、お好み焼きみたいなまぜこぜ料理が・・話がそれました。
この連中が、自分たち独自の音楽を自分たちの仲間うちで踊るために演奏するってのが、伝統でありまして、これをケイジャン音楽っていうのですよ。主にアコーディオンとフィドル(バイオリン)で演奏されるダンス音楽ですね。

ほんの一部の地域音楽だったケイジャンが世界的に知られるようになったのは、たぶん30年代にフィドルをフィーチャーしたハリー・チョウツが「ジョリ・ブロン」を吹き込み、カントリー&ウエスタン界で頻繁にカヴァーされるようになったあたりだと思います。その後、47年には、アコーディオンのネイサン・アブシャーが「パイングローブ・ブルース」でけだるいブルース・アコーディオンを弾き、これもかなりのヒットになりました。こうして、ケイジャンのふたつのメイン楽器が有名になったわけです。



一方同じルイジアナには、主に黒人達が演奏する、ザディコという音楽が存在します。ザディコは、ケイジャン・ミュージックを基にして、アフリカ人の末裔であるクレオール系黒人(要するに奴隷解放後、ニュー・オーリンズに住んでいた比較的地位の高い黒人層)らがR&Bやブルースの要素を取り入れて発展させてきた音楽で、18世紀から連綿と続いてきたケイジャン音楽に比べるとずっと歴史が新しい、20世紀の音楽です。
ザディコは、ケイジャン同様アコーディオンがメインの楽器となっていますが、旧いスタイルのケイジャンにたいてい入っていたフィドルは入らず、その代わりにパーカッションの役目を果たすラブボード(洗濯板が楽器に変化したもの)が使われます。ケイジャン・ミュージックとザディコはお互い影響を受け合いながら歩んできていて、現在では、どっちがどっちだか区別がつかないくらい同じようなものになっている。少なくとも、現地事情がよくわからない日本人にはそうきこえると思います。
歴史を辿ると、1928年、アミディ・アルドワンによって録音された曲が最初のザディコと言われているようです。

1954年には、ブーズー・チェイヴィズが「ペイパー・イン・マイ・シュー」を録音し、ルイジアナ州周辺でヒット。ベース、ドラムスを含めたバンド形式のザディコとしては最初のヒット曲となりました。



同じ時期、クリフトン・シェニエが最初のローカルヒットを出して、リトル・リチャードやファッツ・ドミノなどニューオーリンズの一番おいしいR&B、ロックレコードをリリースしていたスペシャルティレコードから名作「バッピン・ザ・ロック」などをフィーチャーした「バイユー・ブルース」というLPを発売し、これは、現在では、ザディコのお手本、バイブルとなっています ザディコというジャンル名が有名になったのも、一説によるとシェニエの"Les Haricots Sont Pas Sal?s" (インゲン豆は塩辛くない)という曲"Les Haricots" ("ルザリコ"と発音される)がzydeco(またはzodico)として音楽ジャンルそのものを指すようになったからだそうです。また、シェニエは、英語の歌を作り、英語で歌ったため、全国的に受け入れられたということもあるようです。


その後もザディコ音楽は、消滅に向かわずに進化しつづけ、1970年代に入ると、ロッキン・ドゥプシーやバックウィート・ザディコといったアーティストが、ソウル・ミュージックっぽい演奏をしたり、1990年代には、クレオール系白人のボー・ジョックが、ファンクに影響を受けた徹底したダンス音楽にしてみたり、と変化しつづけています。
最後に、個別に2人のアーティストを紹介。



さっきからご紹介している「キング・オブ・ザディコ」、クリフトン・シェニエについて。シェニエは、1925年、ルイジアナ、オペルーザス生まれ。
シェニエの最大の功績は、ケイジャン、クレオール音楽の枠を脱して、R&B,ニューオーリンズジャズ、ルイジアナ・ブルースをすべて融合して、「ザディコ音楽」を多くの人に受けるものに作り替え、世界的に有名にしたことにあると思います。
そういう「力学」みたいなものは、黒人だけのものだったR&Bがたくさんの人に受け入れられるようになったロック音楽の出発点とも同じです。
時は、1955年で、しかも、スペシャルティ録音ですから、聴けばわかるとおり、泥臭い、荒々しく、重いブルース演奏(しかもアコーディオン)当時の最初のロックムーブメントにも大きな影響を残しています。
彼はこれによって、1983年にグラミー賞を、1984年にナショナル・ヘリテージ・アウォードを、1989年にブルースの殿堂を受賞しました。今年、2014年には、グラミーのライフタイムアウォードの候補となっています。
ついでにもうひとり。ロックの初期のアーティストとして、関連して紹介するのは、ザディコの先駆者のひとりでもあるクラレンス・ガーロウ。シェニエともツアーに出て有名になり、チェスレコード、アーフリーレコードなどから、その後もたくさんのレコードを出した人です。



クラレンス・ガーロウは、1911年生まれ。R&B、ジャンプ・ブルース、テキサス・ブルース、ケイジャン、ザディコに及ぶ広範囲で、ギタリスト、アコーディオン奏者、作詞作曲者として活躍。最も有名なものは、1949年に自身が書いた「ボントン・ルーラ」で、これが1950年にR&Bチャートで大ヒットチャートのトップにあがり、全国レベルでザディコ音楽を有名にしました。これがなんといっても、知名度向上という点では歴史初でしょう。
まとめると、28年のアルドワン、49年のガーロウ、55年のチェイヴィスとシェニエによって、ザディコはそのスタイルの根幹を作り上げ、世界に知られていったといっていいと思います。
ちなみに、ガーロウはその他にも、テキサス音楽のほうで、強烈にスイングするジャンプ・ブルースの傑作、「クロウフィッシン」を出したりもしました。



ガーロウはフォークスターやゴールドバンドといった地元レーベルでレコードを出しましたが、ヒットはせず。しかし、郵便局員をして生計を立てながら、地元のラジオ曲でDJとなり、自分のバンドのライブショウを定期的に行っていましたが、1986年没。
さて、ルイジアナの湿地帯の奥地には、別にママが住んでいるだけはない!(あんのこはるいじあなままーーーー・・・いや、忘れてください・・)
アリゲイターが「しーゆーれいたー!」なーんて言ってるだけではない!
ザディコの重たいアコーディオンの調べがロッキンなリズムとともに流れているのでありますよ。






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