8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.122

                    頑固8鉄のロッキン・ギャラリー
  

みなさん、ばんわんこ!頑固8鉄です。

本日は、趣向を変えまして、私が昔々そのまた昔、さかのぼること紀元前500年くらいに書いた壁画、じゃねえよ!

絵画とかイラストとかのうち、いかにもロッキンなものをセレクトしてごらんいただきたいと思います。

どれも5億円均一という大変リーズナブルな価格となっております。 社長、5.6点いかがざんしょ?

ショッピングカートにリズムよくジャンジャン放り込みましょう。 っていうかカートねーしぃ。

題して、ロッキン・ギャラリー。なんの工夫も見られないタイトルですが、面倒くさいのでこの辺で!

あとは絵をごらんください!ではさらば!




























改めまして こなさん、みんばんは!8個頑鉄でっす!
暑くてじめじめして脳みそがくさりそうな今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
わたしは、しっかり腐ってます!!
さて、どかどかと、昔、自分が書いた絵画やイラストをアップしてますが、いろいろとつまらぬことを思い出したので、若い人の参考になれば、と(どこにいるのかしらないが)ちょっと書きます。歳をとると回顧的になっていかんです。

子供のころから絵が好きでした。小学校の美術の先生が大好きで、RCの「僕の好きな先生」を聴いたときは、思わず泣けました。
「職員室が嫌いなんだ・・劣等生の僕と同じ・・僕の好きな先生、僕の好きなおじさん」。それを地で行くような人だったと記憶しています。
よく誉めてくれました。「絵がうまい、観察眼がすごい・・」それまでほとんど誉められるという経験がなかった俺は、すごくうれしかったものでした。
麹町小学校というのは、日本一の進学校で、たまたま地元にいたから行きました、という俺のような人間より、「将来は東大ー官僚」に、と考える親が子供をわざわざ越境させて送り込むような学校です。子供のころから、大変スパルタな英才教育を受けさせられたボンボンの学校にただの地元の貧乏人が紛れ込んだと思ってくれていいです。勉強では、他の学校とは桁はずれ(小学生から高等数学をマスターしているようなのがごろごろいた)なので、とてもついていけません。
そんなオレが、結構自信を持てたのは、絵の先生のおかげだ、と今でも思っています。
しかし、当時は、「結論がひとつしかない時代」でした。それはなにかというと、「いい大学を出て、官僚や医者などになること」です。
絵や音楽で飯が食えるか、ばか者が!というのが世間一般の常識だったと思います。
オレも、絵を描くことは「単に面白いこと。プラモデルと同じで熱中できる趣味」と思っていて、それを疑ったことはありませんでした。やがて、中学、高校と進んで、あまり疑問にも思わずに、大学に行きました。当時、「つぶしがきく。就職に有利」と言われていた早稲田の法学部です。卒業してからも、当然、そっち関係の仕事に就きました。今でも、オレは「法務系」のプロです。
実は、40過ぎてからも、もうひとつ「カレッジ」で法学を学びなおしてます。
絵であれ音楽であれ、「好きなこと」は「趣味、道楽」でありました。
それでも、音楽はさておき、好きな絵の仕事に就けないか、真剣に考えたことがありました。20代の後半、毎晩11時まで続く、面白くもない仕事に飽き飽きして、部署が動いたのをきっかけに、デザイン学校の夜学に通うことにしたのです。
いろいろありましたが、結果的に、オレはそっち方面には行きませんでした。
駄目だしを先生からされたことはただの一度もなく、どちらかというと「お手本」にされてました。でも、家庭の事情と転勤(千葉県庁)が重なり、タイミングを逸した形になりましたが、本当は、決心がつかなかったのです。

実は、転職ではないのですが、友人のつてで、教材にイラストを描かないかという仕事が舞い込んできたのです。(インテリアデザイン科だったのですが、かなりそれが役にたつ仕事でした)当時のプロのイラストの相場は、1カット5000円で、「あんな落書きみたいな小さなカットひとつで5000円ももらえるのか」とびっくりしたものです。オレはプロではないので、3000円でいいです、ということにしました。
大変だったのは、それからです。イラストの仕事はそんな楽しいものでも楽なものでもありませんでした。
これで完璧だ、と信じたものを社長のところに持っていく。すると、もっと目がぱっちりしていないと、目線がわかりにくい、とか、もっと、線があっさりしてないと、年寄りは観づらいとか、注文が入りまくる。1カットを何度も描きなおしさせられる。10枚書いても3000円。しかも、納得できるものからどんどん離れていく。よく電車の中吊りのだっさい不動産屋の広告みたいなものになっていく。万人にわかりやすく、と考えると、そうなっていってしまう。
仕方がないので、だくだくと、言うがままに、面白くもおかしくもない、小学生でもかけそうなカットを徹夜しながら、描き続ける日が続きました。

それでも、社長はたいそう、オレを買ってくれて、「サラリーマンなんてつまらないものはやめて、こっちでいけ!」と言ってくれはしました。
しかし、オレは考えた。「いつ仕事がなくなってもおかしくないイラストレーターをやり続ける余裕があるか」(我が家は重度障害者介護家庭だった)、「そうするほど、やりがいがある仕事なのか」「自分の希望からどんどんかけ離れていく作業を社長の意向に従ってするだけなら、サラリーマンと同じじゃないか」「それなら、安定している法務系にいたほうが、はるかにマシなんじゃないか」。オトナになると、天秤にかけます。逆にいうと、「本当に楽しいことは趣味のほうがいいんじゃないか?」と考えるようになった。
結局、デザイン学校に支払った学費の元を全部稼いだくらいで辞めました。
それがただしいのか、単に、やる気だの根性だの実力だの自信だのがなかっただけなのか、未だにわかりません。
いずれにせよ、組織にいられるのもあと数年となり、そんなこともどうでもよくなっています。試行錯誤しても、なるようにしかならない、いや、むしろ、なるようになる、ということなんだなあ、と改めて思うのでした。

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