8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.1


ライフ・イズ・バット・ア・ドリーム(ドゥーワップ音楽の歴史)


今年から登場させていただく頑固8鉄でございます。はじめまして!

地球温暖化と言われてますが、冬はやっぱり寒い!
しかし、家で冬眠してるのもつまらない!
そんな夜には、クールなのに暖かい、THE KINGのコートを羽織ってライブハウスにでも行きましょう!

ところで、わたくし、50'Sアメリカンなドゥーワップ音楽が大好きです。「ストリートコーナー・ミュージック(街角音楽)」ともいいますな。
映画、「アメリカン・グラフィティ」でも、ロマンチックな場面でたくさん使われていました。
「ドゥーワップ」 ってのは、リード歌手のバックに「ドゥーワップ♪パッパラー♪」みたいなコーラスがついてる4,5人のグループによる音楽・・といってもよくわからないので、代表的なスタイルや個人的にとりわけ好きなグループを中心に、その歴史を紹介したいと思うわけです。

ドゥーワップは、たいていは男性、もしくは女性3〜5人のアカペラ(無伴奏)グループ。
テナーがリードをとることが多く、それを第二テナー、バリトンのハーモニーが支え、ベイス歌手は、独立したベースラインを受け持つという構成がほとんど。
ライブやレコーディングでは、楽器のバックがつくことも多いですね。
全盛期は1950年代の10年間、とりわけ、1955年から1959年にかけてで、その古典的な楽曲のほとんどがレコーディングされたといっていいでしょう。
サウンドの面では、当時は、地域による個性(専門に扱っていたレコード会社の所在地による)があるといわれており、おおまかにいって「クールでジャジーなウエスト・コースト系」、「渋くてブルーズっぽいシカゴ系」、「甘くロマンティックなニューヨーク系」といわれています。

曲調は、大きく分けて2つのスタイルがあります。
ひとつは、ロマンティックなバラードで、最も有名なところでは、プラターズがナンバーワンヒットにした、「オンリー・ユー」、ファイブ・サテンズのスタンダード「(アイ・リメンバー)イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」など。
また、もうひとつは、ロックするダンス・ストンプ曲で、代表格はキャディラックスの「スピードゥ」や、コメディ要素を入れた、50年代を代表する愉快なグループ、コースターズの「チャーリー・ブラウン」など。
コースターズ、後期のドリフターズなど、有名プロデューサーが腕によりをかけて売り出したグループもありますが、そのほとんどは、街角で楽しみのために唄っていたまったく無名の黒人グループをちいさな独立会社が数ドル払って一発録音したようなものがほとんどでありました。

「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」のファイヴ・サテンズ 50年代最高のコミックソングドゥーワップ、コースターズ



そもそもこうしたスタイルの源泉を探ると、ゴスペルグループの伝統を基盤にした、ミルス・ブラザース、インク・スポッツに代表される30年代〜40年代あたりの黒人ジャズ・コーラスグループにさかのぼることが出来ます。
こうした中から、初期のドゥーワップスタイル(バックアップコーラスが、ドゥー、ワップ♪といった単純なリフで構成されるもの)が生まれました。とりわけ大きな影響力を持っていたグループは、ジミー・リックスのベースボーカルを売り物にしたレイヴンズで、フラミンゴウズ、ペンギンズといった、鳥の名前を冠した多くのグループ、(バード・グループと呼ばれる)の先駆けとなりました。
そして、終戦後、1948年、ギターのみの簡素な伴奏で、ソニー・ティル&オリオールズが唄った「クライング・イン・ザ・チャペル」のヒットが、ドゥーワップ音楽全盛時代の本格的な口火を切ったといわれています。

こうした初期のグループを聴いて、高額なスタジオに行かず、楽器演奏を伴わなくても、街角で集まって唄えば十分イケる!と気づいた多くの無名グループによって、この音楽は発展し、広がっていきました。
そうしたドゥーワッパーによって、ニューヨークのスラムのボロアパートの一室や、シカゴの工場街の夜更けの路上などで書かれた今に残る名曲もたくさんあります。
そして、星の数ほどある無名のグループが、アカペラ、もしくは必要最小限の簡素な器楽演奏を伴って唄い、レコードにしたのです。
50年代の黄金期に入ると、そうした無名のグループから、ペンギンズ、フラミンゴウズ、クローヴァーズ、ハートビーツ、リー・アンドリューズ&ハーツ、ファイブ・サテンズ、ファイブ・キイズ、ハープトーンズ、スパニエルズ、クレフトーンズといったたくさんの黒人グループがヒット曲を出し、有名になっていきました。

珍しいですが、女性グループもありました。初期には、伝説的なリード歌手、アーリーン・スミスのずば抜けて情熱的な歌唱を売り物にしたチャンテルズ(「メイビー」など)があり、60年代に全盛となる「ガール・グループ」(シュレルズ、ロネッツなど)の先駆けとなっています。
また、白人(多くはイタリア系)グループ、人種混合グループもありました。こうした、黒人グループにあこがれて、彼らのような音楽を目指した真面目な白人グループの中には、非常に優れた、クレスツ、スカイライナーズ、カプリス、アールズ、ディオン&ベルモンツなどがあり、彼らのレコードは、当時の専門ラジオDJが聴いても、全く黒人グループと区別がつきませんでした。

しかし、ドゥーワップが流行り、一般的になっていくにつれ、メジャーの音楽業界が、一儲けしようとたくらみだしたため、ドゥーワップからは初期の簡素さが失われていくことになってしまいます。
後期のドリフターズに見られるように、専門のアレンジャーによる凝ったアレンジ、とりわけ大編成のストリングス・オーケストラを伴う形が、最も要であった複雑なコーラスワークそのものを器楽演奏に埋没させる結果となっていったのです。
それが、ドゥーワップそのものの衰退につながっていったのは歴史の皮肉と言うべきかもしれません。
ほとんどのグループは、「一発屋」として消えていってしまいましたし、全国的に有名になったグループも、60年代に活躍できたグループはほとんどいませんでした。

こうした、多くのドゥーワップ曲は、無邪気でピュアなラブソングですが、そこがまた、いいのです!
それは、まさに、一夜の恋、つかの間の夢のごとし、でありました。
しかし、ハープトーンズの名曲「ライフ・イズ・バット・ア・ドリーム」に歌われたように、人生はそうしたつかの間の夢の積み重ねでできているのではないでしょうか?

50年代ニューヨーク系を代表するハープトーンズ(右斜め上写真)

しかし、ドゥーワップ音楽は、60年代のモータウンを中心にしたソウル音楽への重要な布石になり、特に、60年代初頭に活躍した後期の、タイムズ、ジャイヴ・ファイブ、デルズといったグループなどは、ソウルサウンドの先駆けとして、重要な役割を果たしたことも確かです。
そんな、アメリカの「懐メロ」として、忘れられつつあったドゥーワップ音楽が、オリオールズの「クライング・イン・ザ・チャペル」から50年経過した1998年、「ドゥーワップ50周年記念」として、出来うる限りのオリジナルメンバーによる黄金期のグループ再結集のイベントが催されました。
ラストを飾る、ドゥーワップの出発点となった最古のグループ、オリオールズは存命中のオリジナルメンバーがひとりだけですが、満員の大ホールがスタンディング・オベイションとなり、感動モノです。
そして、現在、それこそ無数のアマチュア・グループが存在し、かつての名曲をかつての簡素なスタイルで蘇らせており、専門のラジオ曲や専門のレコード会社も健在です。


後期のドゥーワップグループ、ジャイヴ・ファイヴ スパニエルズの最近のショット


アメリカの音楽評論家であり作家であるグリール・マーカスが、ドゥーワップを簡潔に説明した文章が素晴らしいので、紹介して今回のお話はおしまい。

「ドゥーワップを聴くと、ごく普通の男の子が大好きな女の子を抱きしめながら、彼女の背中に回した手で友人たちと握手しているというイメージが浮かんでくる。世界にこれを超える音楽はない。」 by グリール・マーカス

「Nassauを羽織り、Flap Shoesに足をすべらすと、ロックンロールの創世期もみえてくる」 by 8鉄

(ちなみに、わたくし、「ザ・ジルコンズ」というドゥーワップグループを率いてライブ活動中。見に来てくださいねー!)


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