8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.105
                                                                                       
              
                 音楽の先生

 みなさん、わんばんこ。クラシックな挨拶で始まります本日のお題は、「音楽の先生」。
お題、ったって、わたしが勝手に決めるんですけど。
学校の先生の話じゃないですよ、あれは、単なる「ビジネス」ですから。ビジネス論なんて柄じゃないんで、しません。
なんて言ったら、良いのでしょう。ええと、先に結論から言っちゃいますと、未だに全然わからなくて困っているんです。
え?何の話かって?
楽器の演奏についてです。いえ、演奏自体は一応出来るんですよ。
ただ、楽器を演奏することが出来ても、「これはこうやってこうやるんだよ。」と、弾けない人に教えることが出来ないんですよね、昔から。
そもそも、どの楽器も、ちゃんとプロの師匠について教わったことが一度もないので、他人に教えることもうまく出来ないのです。だって、自分で勝手に覚えちゃったんだから。
「あんたもそうすればいいじゃん。」としか言えなくなってしまいますよね。
いきなり何を言い出すんだ?って?
実は、20年も前の昔話になりますが、わたしのウクレレ演奏を聴いて、「ウクレレを教えて欲しい」と申し出てきた女性が2人いらしたのです。「私に出来ることならば」と、教えることにしました。

もちろん、わたくし、師匠どころか、「ウクレレギョーカイの一員」、ですらない。当時は、全くの趣味道楽の世界で、ウクレレ専門の奏者だったわけですらないのですが、相手も全くの初心者2人だったものですから、「お金はとれないよ、ノーギャラで」と、気楽に引き受けちゃったわけです。まあ、楽しくやってはいたのですが、1年しても、簡単なコード伴奏くらいしか出来るようにならず、やがて、自然消滅してしまいました。
たとえ、ノーギャラとはいえ、相手がふたりだけとはいえ、やはり、教えるからには、それは「音楽の先生」。「教えるのは難しい。ちゃんとした人に教わっていれば、もっと弾けるようになって、楽しくなったかもしれない。彼女たちの興味をしぼませてしまったようで、悪いことをした。」とずっと後悔してるんですよ。だから、以来、他人に音楽を教えることをやめました。
元をたどってみると、我が家には、はじめから楽器があったのです。オヤジが、アマチュアのギタリストだったので、クラシック・ギターがありました。小学1年生くらいのときに、ギターをオヤジから教えてもらって弾いてみたのですが、なにしろ、6歳では、手が小さいので、無理です。それに、父も、教えるのが苦手だったようで、あまりギターを教えてはくれませんでした。
そのとき、それじゃあ、と、父が買ってくれたのが、子供でも指が届く、ウクレレだったのです。「ウクレレ教本」も買ってくれたので、それでいろいろとコード伴奏や単音のソロを覚えていったのです。父はウクレレを弾いたことがないため、わたしは、まったくの独学でした。自分でいろいろと工夫をして試行錯誤してきた。だから、未だに、「こう押さえるといい感じになる」と知っていても、それが「なんという名前と構造を持ったコードなのか」全くわからないことも多いです。説明のしようがないわけ。
さて、話は戻りますが、その後、中学のときに、東京の大学に合格して一人暮らしを始めた秋田の従兄弟が頻繁に遊びに来るようになりました。東京で頼れる身内は、わたしの両親だけだったからです。彼が、たまたま父のギターをひょいと手にして弾き出したのを見たわたくしはびっくり。クラシックギターとは違う、なにか、かっこいいことをやりだしたからです。当時、流行っていたサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」なんかを英語で歌いながら、ギター伴奏を弾くのです。ピーター・ポール・アンド・マリーとかね。もとをたどれば、1930年代のジミー・ロジャースとかウディ・ガスリーみたいな、古典的カントリーやフォークソングに行き着くんですけれども。

それに、彼は、クラシック楽曲を弾いても見事なものでした。難曲、のはずの、「アルハンブラの思い出」を最初から最後まで完璧に弾きこなす人を、私はそのとき、はじめて見たのです。もともと、映画音楽が好きで、小学生時代からルイ・アームストロングなんかを聴いていた生意気なガキだった私は、とにかく、「教えてくれ!」と彼に頼み込んだ。
そんな彼は、単にギターがうまい大学生のおにいちゃん、ではなかったんですよ。彼は人に教えるのが実にうまかったのです。私が彼からギターの初歩を教わったおかげで、楽しさを知り、40年を経た今でもやり続けているのですから、私自身が証人です。
彼は、大学は理科大だったので、その後卒業してエンジニアになりましたが、家庭の事情で秋田の実家に帰ることになり、地元でいろいろと転職を重ねたあげく、結局は、自分で学習塾を経営し始め、成功。現在でも、塾のトップとして活躍しています。やはり、彼は、人に物事を教えるのがとても向いていたのです。それをビジネスにしたのですね。
一から、手順を踏んで、一番平易なところから、何をどうやって習得していったら効率よく覚えられるか、それを人に伝えるのがうまい。
その点、わたしはさっぱり駄目だと思っていた。独学でそれなりに上達はしたけれど、楽器が演奏できる才能と、それを人に伝授する才能は、実は別のものなんじゃないか、と思っていたのです。
しかし、一方で、邦楽だのの伝統芸能では、「師匠を10年、ただひたすら、まねろ」というのですね。師匠は実践的なことなんかなにも教えてくれない。しかし、弟子は師匠と同じ人間なはずはないので、必ず、弟子には弟子のクセが出てくる。それが「個性」と言われるわけです。だから、本当は「俺がやることを黙って見てろ」というだけでいい。
それ以外に、手取り足取り、楽譜を書いて、コードを教えて、押さえ方を教えて・・とやっていくのは、実は、「教室」っていう名の「金儲け」に過ぎないんじゃないか、と思います。本当にやる気がある人は、自分で何か見つけてきて、見よう見まねで勝手に練習してうまくなっていきますから。かつて、ウクレレを教えたり、大学サークルで後輩にギターを教えていた当時のわたしは、「手取り足取りしすぎた」ような気がします。やめちゃう、っていうのは、実は、教わる本人にそこまでやる気がなかっただけのことなんですよね。
それにしても、小さな子供のころに覚えたこと、っていうのは、そんなに一生懸命にならなくても、割合と簡単に出来ますよね?

楽器や音楽が特殊なわけではない。キャッチボールしたことない人が大人になってから野球を覚えるのと、小学生の草野球チームでも、毎日やっていた人が大人になってから復活するのでは、天と地ほど、習得のスピードに差があると思います。今は、わたしたちの子供の世代が大学生でバンドをやったりしているのですが、子供のころから、ギブソンが家の中にごろごろあっても不思議じゃない、豊かな時代に育った上に、とまどうほどたくさんの情報があふれているので、ますますうまい人は増えていると思います。
じじくさいことを言うようですが、昔は、楽器を覚える、なんてのは、実はたいへんなことで、まず、楽器そのものが高い。私が子供時分は、1ドルが360円の時代です。アメリカのまねをして作った国産のギターですら、高値の花。ビデオテープなんてものすらありませんから、せいぜい、「教則本」を買ってきて、五線譜とかコード表とかタブラチュアとかとにらめっこしながら、基礎を覚えて、あとは、お気に入りの曲をひたすら、「ああでもないこうでもない」と試行錯誤しながら、コピー。それだって、わたしはたまたま東京のど真ん中に住んでいたから簡単に見ることができた。音楽教本類って、値段が高いから、場合によっては、立ち読みで暗記しちゃったりしました。そういった基礎知識を基にレコードで鳴っているバンドの一員になりきったつもりで、必死で練習したものでした。楽器も一応あれば、教えてくれる父も従兄弟もいたわたしなどは、その点、まだ恵まれていたと言えるでしょう。
現在は、楽器も買いやすくなり、パソコンだのなんだので、無料で、簡単にテクニックがわかったり、教則がタダで入手できたりする時代になりました。You tubeなんか見れば、フツーのアマチュアっぽい人(といっても、かなりうまい人)が、懇切丁寧にジャズ・ギターを教えてくれたりしますし、バッキングだけのカラオケだのなんだの、便利なソフトや機器が、古い人間にとってはかえってわかんなくなっちゃうくらい氾濫してます。それも、つい、ここ10年くらいの話。
我々のような苦労をしなくて済むからなのか、今の若いミュージシャンは実に器用です。我々の若かったころと比べると、楽器の腕前はとてもあがっていると思います。
しかし、説教くさいことを言うようですが、正直なところ、「腕前があがる」のと、「訴える力がある」のとは、イコールではないように思います。
昔は、たいしたことが出来ないヘタックソなジーパン野郎が、ギターで簡単なコードを押さえてジャカジャカやりながら、「愛がどうたら」「世界平和がああたら」とか、怒鳴り散らして唄うのが流行っていた時期もありました。こんなこと書くと、その筋の方から、こっぴどくおしかりを受けそうですが、正直、そう思います。わたしはそういうのは、あまり好きではなかった。
それに比べると、今の若いアマチュアのバンドなんか、ずいぶんとうまくまとまっているし、ひどい音痴もあまり見かけない。こじゃれたコードやジャジーなソロだってこなしてしまう。若いかわいい女の子が、正確無比なドラムをぶったたいたり、ばかでかいベースをすごい音量でボンボン鳴らしたりする。そんなのは、昔はあまり見かけなかった光景です。
たいへんな大師匠について、特訓している、なんて話も聞かないので、たぶんほとんどの人たちは独学でしょう。たいしたものです。
でも、なんか足りないんじゃないか、と感じることが多くなりました。「もっとシンプルでいいんじゃないか。」「場合によっては、ギター、ジャカジャカだけで十分なんじゃないか。」「演奏なんて、そのときの気持ち次第で、楽しくなったり、つまらなくなったりするものだから、うまい、上手だ、なんてことに、そんなに意味なんてないんじゃないか。」そんな風に思うのも、きっと、私自身が歳をとったからかもしれません。
実際、名盤をたくさん残している、天才的な伝説のジャズマンだって、へたくそな演奏もたくさん残している。ラリってたり、病気だったり、いろいろな事情があるのでしょう。そんな憶測そのものが「伝説」になったりもしている。
それに、プロは、「金になる音楽」を作る人、のことですが、「金になる音楽」を作る力って現代では、「企業力」がほぼすべてを占めています。
あとは、みな同じような立場で、家でギターを鳴らしてようが、ライブハウスで唄ってようが、うまかろうがへたくそだろうが、関係ありません。「アマチュアの王様」みたいな人もいますが、そんなのは、よく考えてみれば「裸の王様」みたいなもので、企業のバックアップでも受けてない限り、アマだのプロだのの境界なんてないんですよ。
そんな風に考えてみれば、楽器だの歌だのなんて、思うとおりにやってみればいいだけ。金儲けと関係ない、「道楽」なんだから。「道楽」の一番いいところは、「他人の評価なんて気にしなくていいところ」ですよね。「いいねえ」とか言ってもらえたら、それはそれでラッキー、くらいなもんです。
その点、「プロ」は大変ですよ・・・。自分がやりたいことは出来るけど、そのために、山ほどやりたくないこともやらなくちゃいけない。「職業」ってのは、それが、八百屋だろうが洋服屋だろうがリーマンだろうがミュージシャンだろうが同じです。「責任」と「金銭管理」が常について回りますから。
「音楽の先生」やるのも、金もうけじゃなければ、単なる「頼まれごと」ですから、断っても良いし、相手がどう結果をだそうが、知ったことではない、ということになります。
そう考えると、悪いことをしたかな、なんて後悔する必要も本当はなかったんですね。

でもね、本当の「音楽の先生」(くどいですが、学校の先生を除く)は、実は、プロの作った音源なんですよ。努力してもへたくそなままかもしれないし、うまくなるかもしれない。だけど、本物にはとてもなれない。だけど、根気よく続けていけば、本物にはない個性が出てくる・・ね?要は、伝統芸能と同じなんですよ。先生が生身の人間ではないだけです。
さて、長くなりましたので、今回の講義はこれでおしまい。
あれ?講義じゃないの?ま、いいよね、社長?
じゃ、最後に、わたくし、頑固8鉄兼サンチャゴ・タムラのウクレレ教室をどうぞ!

どうやって弾いてるか、わかるかなー?じゃ、またね!ばいびー!




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