ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.91



■第2回 1969/70年(昭和44/45年)
 人間ってのは歳をとるとだな(いきなり笑うでない!)、自分の都合よく思い出を脚色したがるものじゃが、わしは自分自身の過去を振り返った時、都合よくも、都合悪くも脚色出来ない不思議な期間がある。 その時期を思い返すと、すべてがやたらとリアルに蘇ってくる。 そしてどの季節の出来事だろうが、何故だか太陽がジリジリと空気を焦がす真夏の光景と重なるのじゃ。 
 それは1969年、70年あたりの記憶なんじゃが、一年中常夏の楽園ハワイにいたなんて優雅な事実はなかったし、インターネットで「過去の気温」を調べても、この2年間が異常気象だったという記録もない。 1960年代ってのは、社会もロックも、若者たちが先導していたモーレツに熱い時代じゃった。 大統領も総理大臣も若者にするべきだ!とまではいかないものの、若者たちの逆襲を受けた大人たちが確かにたじろいでいた時代じゃった。 そして69年、70年は若者たちのリーダーたる存在の「討死(うちじに)」が相次いだものじゃった。 そこにわしは「若者の時代の終結」を感じ取り、さらに個人的に特殊な体験も重なって、この二年間の記憶の温度が異常に上昇してしまい、いつも暑かったような錯覚をもたらしておるのじゃ。 わしの個人的な体験は「酔眼雑記」に付記するとして、「若者の時代の終結」の実態を、社会と若者文化とロックの側面からご紹介していこう! 新作ナッソーの芸術的完成度で、わしも諸君も気分は最高潮! コムズカシイお話は最低限なんで、一気に読んでくれ〜い!



さらば60年代。さらば青春の光・・・。若き識者、勇者が玉砕していった、 「体制vs若者」最後の聖戦の時。



【ザ・事件 1969/70】
 その1 〜若き文豪・三島由紀夫の割腹自殺


 三島由紀夫ってお方は1960年代に若者たちに絶大な人気と評価を誇った小説家じゃ。 「青白くてヤサオトコ」ってそれまでの文士のイメージを覆す、精悍なマスクと鍛え上げられたボディをも兼ね備えた異色の物書きじゃった。 そして右翼寄りで(とみなされた)、武道的な思想と古典的純文学の才能とが共存する前代未聞の作品で時代の寵児的存在じゃった。 若者の間で三島由紀夫の作品を読むことは絶対的なステータスだったのじゃ。
 その三島由紀夫が1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地において、当時の総監を人質にとって決起クーデターを主張。 建物のバルコニーから檄文をばら撒き、演説をした後に割腹自殺したのじゃ。時に三島由紀夫45歳。 若者たちのオピニオンリーダーでもあった彼のクーデター未遂/自殺事件に、日本中に激震が走ったものじゃった。


その2 〜東大紛争の終結
 「若者の時代」を象徴する代表的な現象が、世界各地で勃発していた「学生運動」じゃ。 高校生も大学生も、コムズカシイ哲学論を振りかざし、「世直し」と称して政府やら学校やらの体制側のお仕事に牙をむく運動じゃ。 これに参加しないと「ノンポリ」(ノー・ポリシーの略語)と軽蔑されたもんじゃった。 わし? わしよりも姉上が熱心にやっとったな。
 日本最大の学生運動が「東大紛争」じゃ。 東京大学側の強引な「御触れ」に異を唱えた学生運動の闘士たちが、その最終手段として東大・安田講堂に籠城し、機動隊と一戦交えることになったのじゃ。 結局は機動隊の放水と催眠ガス攻めに学生側が屈して騒ぎは収拾されたが、その一部始終はテレビで大々的に放映されたもんじゃ。
 この年、アメリカの学生運動の熱さと終末を描いた映画「いちご白書」が大ヒット。 抗議の座り込みを続ける学生たちを警官たちがひきづりまわすラストシーンが涙を誘い、学生運動に没頭していた当時の若者のレクイエム的作品となったもんじゃ。


 


【ロック 1969/70】
 
その1 〜エルヴィス、ロックシーンへ劇的カムバック!

 七鉄つぁんよ、68年カムバックじゃないんかいな!? ってお声が既に聞こえてきとるが、日本にこのニュースがインしたのは翌年69年っということであえて言わせてもらおうとするかの。
 この当時、ロックは熱い若者の時代のシンボルであり、「ロックで世界が変わる!」とマジで信じられておった。 「モンタレー・ポップ・フェスティバル」「ウッドストック」等の大規模な野外コンサートが成功を収め、なんつってもキングが復活したんじゃからのお〜♪と穏便に語って終わらせたいところじゃが、実はわしの印象はチト違っておった。
 確かに久しぶりにロックするエルヴィスの絶世のクールぶりには気絶しそうになったもんじゃ。 「なにがサイケだ、なにがアートロックだ。 こっちはキングだ!首を洗って待っていろテメーら」とワケのわからん雄叫びを上げたくなるほどコーフンした!
 しかし、あまりにもカッコ良過ぎたのじゃ。 あれは計算され尽くしたカッコよさだったのお・・・。 メジャーシーン登場の頃のワイルド、エレガント&セクシーとは明らかに別種であり、そこにわしは来るべきべガス色の・・・とまでは言い切れんが、エルヴィスの隠された変貌の香りをも嗅ぎ取っておった。ロックが巨大なショービジネスとして利用される時代もそこまで来ており、先駆者エルヴィスでさえその流れに抗うことが出来なかったのじゃ。 「カムバック・スペシャル」もまた、「若者(ロック)の時代の終結」を静かに告げていたんじゃ。

 

その2 〜Jimi Hendrix、Janis Joplin、Brian Jones、Jim Morrison “4Jの悲劇”

 
時代が大きく変貌する時、それまでの時代を作った偉人たちが必ず犠牲になるもんじゃ。 1969〜70年のロック界は大物の他界が相次いだもんじゃ。 ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリック、ジャニス・ジョプリンじゃ。 これが俗に言う“3Jの悲劇じゃ”。 71年に逝去したドアーズのジム・モリスンまで含めると実に“4J”じゃ。
 全員がまだ二十代後半の早過ぎる死であり、ロック史上、大物がこれだけたて続けに若くして他界した例はないんじゃ。と言いたいが、バディーやコクランというより大物がその前に逝ってもうとる。
 わしは今でも真剣に信じておるが、この4人の内3人、いや2人がもう5年は生きておれば、70年代のロックシーンの中に巨大ビジネス化の風潮に対抗できるだけの流れを作り出すことが出来たのではないかと。 それだけこの4人の死はロック界にとって大き過ぎる損失じゃった。
 (左写真は、モンタレーポップ・フェスティバルでのブライアン・ジョーンズとジミ・ヘンドリックス。 右写真は、フランス・パリにあるジム・モリソンの墓)


その3 〜巨星ビートルズの解散 “夢は終わった”

 1960年代最大の社会現象とまでいわれたビートルズ。 「カラスは白でございます」と言わせるだけの絶大な影響力を持っていたビートルズは、若者たちにとっての万能の神みたいな存在じゃった。 60年代という時代がビートルズを生み、育んだことは明白じゃ。 それだけに60年代の終わりとともにビートルズが消えることは、あまりにも出来過ぎたシナリオであり、本当にひとつの時代が終わったんじゃな・・・と心の底から寂しい思いがしたもんじゃった。 若者が中心となって燃え続けた時代が終わったことの、「神の告知」だったのじゃ。
 ジョン・レノンはビートルズ解散から半年後にソロアルバム「ジョンの魂」を発表した。 ラストソング「神」の中で“オレはビートルズを信じない!”“夢は終わったんだ”と歌いよった。 ロック史上、ファンにとってあの曲ほど残酷な曲を、わしは他に知らんな。


その4 〜ハードロック野郎どもの狂演

 
“3Jの悲劇”とビートルズ解散で、腑抜けになっていくようにも思えたロック・シーンじゃが、その穴埋めのように台頭してきたのが、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロードに代表されるハードロックの連中じゃ。 いずれも日本でも人気が高かったもんじゃ。
 当時はハードロックといえども、R&Bがベースになったサウンドが多かったんで嫌いではなかったが、何せ音がデカ過ぎた!1970年の流行語のひとつに「悪ノリ」ってのがあったが、ゼップ・フリークやパープル信者の諸君には大変申し訳ないが、50年代からロックを愛し続けてきたわしの耳には、ハードロックは行き場を失ったロックの「悪あがき」のように聞こえて、ただひたすら虚しかったもんじゃ。



 
【にっぽん 1969/70】
 
勝負に勝って、試合に負けた・・・。
 アングラ界もオバグラ界も、音楽は“青春の鎮魂歌”へ。


 この時代の日本は高度成長期の真っただ中にあり、国民の生活は向上の一途を辿っていたとされておる。 万国博覧会が大阪で開催されるなど、国際社会での立場も格上げされておったな。 ただし、わしのようなロック狂の若者(ガキ)にとっては、そんなことよりも、若者パワーの衰退傾向の方が気がかりじゃったよ。
 それはわしの大好きな野球の世界でもまた然り。 1969年夏の高校野球甲子園大会決勝戦は、松山商業高校と三沢高校が延長18回&再試合の激闘じゃった。 全員野球が信条の松山商に対して、白面の美男子だった三沢・太田幸司投手が2日連投合計27イニングを一人で投げ切って立ちはだかった。 翌70年のプロ野球では、組織力の巨人軍と、剛腕江夏投手を全面に押し立てた阪神とが史上稀にみるデッドヒートを繰り広げた。
 太田投手も江夏投手もたった一人で組織に立ち向かう、当時の若者にとってシビレルような投球を見せてくれたが、最後には力尽きた。 江夏投手は 「男と男の勝負には勝ったが、試合には負けた」と語ったという。 世界を揺るがした若者たちの情熱が燃え尽きていった1970年の幕切れにこれほど似合う言葉もないじゃろう。

 エルヴィスの登場以来輝き続けていた若者パワーの巨大な光が相次いで消滅していった時代、それが1969〜70年と解釈していただきたい。
 そう言えば、今をときめく宇多田ヒカルちゃんのお母さんであり、美人演歌歌手だった藤圭子が女の怨念、情念を綴った歌で次々とヒットを飛ばしたのも1970年じゃった。 また先日亡くなったブルース歌手の浅川マキが、「アングラ界の天使」と謳われ始めたのもこの頃じゃ。 疲れ果て、燃え尽きた若者たちは、酸いも甘いも知り尽くした、大きな揺りかごの様な女性シンガーの歌声に包まれたかったんじゃろうなあ〜。 
 まあよく「若者からイデオロギー(思想、哲学)が消えていき始めた時代」なんて言われるが、わしはイデオロギーだか、コオロギだか知らんが、空元気だけはあったぞ! あの時代THE-KINGブランドがあったら若者は元気を取り戻すのに苦労せんかったはずじゃ。 あ〜現代はいい時代じゃよ!




 


七鉄の酔眼雑記
 〜1970年の思い出

 諸君は初めて酒を飲んだ時のことを覚えておるか? わしのアルコール初体験は実は1970年だったのじゃ! しかも人生初の海外旅行先でな! 商社マンじゃったわしの父上が、当時インドネシアに駐在しとってな。 七鉄少年はガッコの夏休みを利用して、母上と一緒に父上の赴任先を訪ねて行ったのじゃ。 
 生まれて初めて見た国際線のスチュワーデスの美貌に、七鉄少年の目は釘付けじゃった!なんてことよりも、ある日バリ島に連れて行かれたわしは、そこでカクテルをフルーツ・ジュースと間違えて飲んでしまったのが初めてのアルコール体験だったのじゃ! 一口飲んだ瞬間に「ん?」とは思ったが、「日本にはない果物の味じゃろう」と早合点して、のどの渇きにまかせて一気飲みしてしもうた! 父上の話によると、七鉄少年は土気色の顔をして半日ベッドに倒れていたそうじゃ。
 その為なのだかどうだかは分からんが、バリ島の記憶がまったくない!まだ観光地化していなかった当時のバリ島は、「最後の楽園」と呼ばれておって、それはそれは美しい情景を誇る島だったらしいので、まったくアホなことをしたもんじゃよ。 1970年というと、いまだにこの「初体験にして大失敗!」がフラッシュバックしてくるんじゃ。
 
 インドネシア旅行を終えた二か月後、母上が交通事故で入院してしまい、今度は初めての一人暮らしを体験することになった。 お陰様で(?)で夜遊びの快感を覚えてしもうた!さらに初めて骨折をしたのも、女の子からコクられた!のも1970年じゃ。 ついでに、何故かガッコの成績が一番良かったのも1970年なんじゃよ。 「初物尽くし」ってのがこの年に特別な感慨をもたらしておるんじゃろうなあ〜。
 ちなみにわしが体育の授業中(サッカー)に足首を骨折したのは、入院中の母上が退院する前日じゃった! 偶然にも母上と同じ病院に運ばれてしもうてな。 松葉杖姿の愚息を見た母上は動揺したのか、エレベーターの扉に腕を挟んでしまって入院延長・・・。 顔見知りだったお医者様に「親不幸モンだね、キミも」と呆れられてしもうた。
 片足のガキに一人暮らしは無理ということで、急遽九州からおばあ様が上京。 おばあ様は超放任主義じゃったから、骨折で夜遊びが出来ない分、堂々と深夜テレビを見まくったもんじゃ。 いやあ〜いろいろあった1970年じゃった。 時代の主導権が若者から大人に戻りつつあったあの頃、七鉄は青少年(?)からほんの少しだけ大人の体験をした年だったのかもしれんな。


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