ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.84


THE START of 「The 4rd decade of Rock‘n’Roll」
「ロック・ニュー・ムーブメントの産声」〜追加編/1986、87年のロックシーン
    
エルヴィスのメジャーデビューから30年、幻に終わった第四次ロック革命期


 このところ前編(1966〜7年)と後編(1976〜7年)と2回に分けてロックの新しい10年間のスタートを紹介させてもろうた。 今回はまったく新しいテーマで臨むはずじゃったが、予定変更じゃ。 忘れ物をしたというか、後ろ髪を引かれているというか、どうもすっきりせんのじゃ。
 歴史ちゅうもんは華やかな時もあれば、空虚な時もある。 収穫期もあれば、不毛な時もある。 光の時代と闇の時代との両方を知ってこそ、歴史の全貌が分かるってもんじゃないかのお〜。 ってことで、追加編として「幻のロック第四次革命」ともいうべき1986〜7年からの「THE 4TH DECADE OF ROCK‘N’ROLL」のスタートの時も語ってしんぜよう。
 「なんだよ、追加編とか言って期待もたせやがって。 今回は闇の時代のオハナシかよ・・・」とガッカリせんようにな。 闇には闇の意義っちゅうもんがあり、新しい光の時代を迎えるための「布石が打たれるべき期間」でもあるのじゃ。 エルヴィスのデビューから数えて4たびロック革命が起こる機運は確かにあったのじゃが、果たしてその真相は・・・? 新作ナッソーかエドワードジャケットでキメながら、今回もまたロックの歴史をのんびりとくつろぎながらお勉強してくれ〜。
 (上の写真は、1985年イギリス・ウェンブリー・アリーナでの「ライブ・エイド」)


■時代背景 

 新しいロックを生み出す基盤は、アメリカでもイギリスでも、その時の社会情勢であることは毎度説明してきたが、今回の1980年代中盤においてはチョイト世界全体の情勢に注目してみよう。
 1980年代という時代の特徴は、アメリカ型資本主義(20世紀型資本主義)が世界規模で加速する一方、その流れとは無縁の国や地域に様々な混乱と災いが生じておったことじゃった。 どこの国にも貧富の差はあるもんじゃが、この時期は世界規模で富めるエリアとそうでないエリアとの差が国際ニュースの主流を占めたもんじゃった。
 日本はそろそろバブリーな時代を迎えようとしており、ヒラヒラの扇子持ったオネーさんたちがデビューの時を待っておった!
 ロック革命の歴史のパターンからすれば、混乱と災いのエリアから新しいブームが生まれてくるのじゃが、今度ばかりはアメリカに代表される経済大国の方、つまり本来新しいロックが生まれる社会背景は見当たらないエリアからロック・シーンが動き出したのじゃった。


■チャリティ・コンサートとMTVの時代
 
まずは「大チャリティーブーム」じゃ。 「アフリカ難民救済」を掲げたライブ・エイド、「アパルトヘイト反対」のサンシティ・コンサート、「被災農民救済」のファーム・エイドらの大々的なチャリティー・コンサートが1985年に次々と開催されておった。 “反逆者”のレッテルが似合っていたロッカーたちが、人類の救済者として立ち上がったのじゃ。 数々のチャリティー・コンサートによって、国籍もジャンルもキャリアも様々なロッカーたちが交流を深めたことは言うに及ばず、そこからロックの新しい流れが生まれることが大いに期待されたもんじゃ。
 また同時期、ロック界はMTVのプロモーション映像の全盛時代を迎えておった。 ロックを音楽とテレビ映像との両方からアピールしていくというか、ロックが一般家庭のお茶の間にまで進出する時代になったといった方が適切じゃな。
 大チャリティーブームとMTVという話題性十分の時代が到来したことによって、「第四次ロック革命が起こる!」ってな機運が当時大いに高まったもんじゃ。 「エルヴィスの登場。 サイケデリックとフラワームーブメント。 ディスコとパンク。 次は何じゃ?!」ってな具合じゃ。


■新人はお呼びでなかったロックシーン
 結論から言うとだな、結局は世界を震撼させるドッカ〜ン!は起こらんかった。 「チャリティ・ブーム」と「MTV」によって、ロックとロッカーの世間的な立場、役割は大きく向上したが、それが音楽的な革命には結びつかなかったのじゃ。
 何故なのか? 誤解を恐れず言い放てば、ロックがエラソーでメジャーな存在になり過ぎたからじゃ。 ロックのバブル化じゃよ。 エルヴィスの時代からロックってのは、「世の中を振り向かせやる!」「ふやけたポップスからゼニを奪いとってやる!」という反骨精神によって時代を突っ走ってきた音楽じゃ。 そして何よりも怒れる若者たちが、まず自分達自身を救うために奏でられるのがロックじゃ。
 しかし突っ走る行く先が「貧窮している人々を救う」ことと「お茶の間で一般人を楽しませる」ことにすり替わったのが問題じゃった。 それは人道的には素晴らしいことじゃが・・・う〜ん、難しい問題じゃのお。 はっきり言えることは、チャリティーの必要性やMTVの普及という外的状況と手を組んだ時点で、ロックは新しい時代を創る強烈なパワーを放棄したも同然じゃった。
 チャリティーコンサートに出演できたり、MTV用の映像を心おきなく製作できるのはお金持ちのロッカーに許された特権であり、新しい時代、ムーブメントを創り出すべき新人さんはお呼びがかかりにくいからじゃ。 え?プロモ映像は駆け出しロッカーにも作れるだと? あのね〜チミィ〜。 仮に新人の荒々しいロッカーが作ったって、そんなカゲキなもんがお茶の間向けに放映されるはずはないじゃろう。 悲しいかな、それが世の中っちゅうもんじゃ。 一見華やかに見えたこの時代のロックシーンも、実は新人ロッカーにとっては案外厄介な世界だったんじゃな。 
(右の写真は、ライブ・エイドの前身ともいうべきバンドエイドに参加したイギリスの有名ロッカーたち)
 それにライブ・サーキットによってのし上がっていくのが男、いやロッカーっちゅうもんであり、最初からプロモ映像なんざにうつつを抜かしておるヤツにスゴイロックが出来るはずもない! 
残念ながら最近はその傾向が強くて、ライブの前は鏡の前に張り付いてビジュアルばっかりチェックしておるようなヘナチョコが多いらしいがな・・・バカモノ!


■ベテラン・ロッカーとオールドスタイル・ロックのリバイバル
 じゃあ「チャリティ・ブーム」と「MTV」はロックに何をもたらしたんじゃろうか? それはベテラン・ロッカーの蘇生と、ロック界全体の必要以上のポップ化とビジュアル化じゃった。 ビジュアル化っつっても、70年代のグラムロックのケバケバしさの80年代版ってとこで、目新しい感じはわしはせんかったな。 70年代との違いは、新人でもやたらとキンキラでキメており、似合わないのなんのって! いい意味での“叩き上げのスゴミ”みたいな骨太さが新人から消えてしもうた。 
 またMTVは90年代になって「アンプラグド・ブーム」を作り出すことになり、これもまたベテラン・ロッカーの底力の誇示には役立ったもんじゃ。 しかし新しい才能(新人)の発掘にはならんかった。 ということは新しい時代を作る真のムーブメントには足りえなかったということじゃ。 
「アンプラグド」も結構じゃが、わしとしては、もっと激しくジャカスカやってほしかった・・・。
 
 ベテラン・ロッカーに脚光が当たると、当然彼らがかつて作り上げたオールド・スタイルのロックがリバイバルする訳じゃが、これに関してはヨシッ!とするべきじゃな。 なんつっても我らがブライアン・セッツァー兄貴を筆頭とする「ネオ・ロカビリー・ブーム」が大爆発したんだからのお〜。 
 その他ではハードロック(ヘヴィ・メタル)、ロックン・ロール、 ブルースの古典的なスタイルを引き継いだ若いロッカーが続々と登場したもんじゃ。 ここにきてようやく新人にもお鉢がまわってきたのじゃ。
 こうして「第四次ロック革命」は幻に終わり、「THE 4TH DECADE OF ROCK‘N’ROLL」の主流はリバイバル・ブームってとこに落ち付いたのじゃ。 ロックの歴史がここで完全に一回りした訳であ〜る。

 ついでに、さらに10年進んだ1996、7年あたりのロックシーンはどうじゃったのか。 「THE 5TH DECADE〜」では革命は起こったのか。 これについては、わしゃあ〜知らん! その頃は旅の風に吹かれて「明日はいずこへ〜♪」ってな風来坊をユーラシア大陸でやっておったもんでな。
 だからここら辺の事情は諸君の方が詳しいじゃろうが、わしの情報網にひっかからなかったことを考えると、革命なんざは起こらんかったと違うか? まあどうしても解説が欲しいのなら8鉄先生の方にリクエストをだしてくれ〜。 わしが知っとる特筆すべき事実はただひとつ、1993年にスタートしたTHE-KINGブランドが、この頃に俄然スケールアップしていたことじゃな! 諸君のマイ・ロック・ヒストリーの記憶の中に、今一度インプットしておくように! そして常連様もご新規様も、お久しぶりのお方も新作ナッソー&エドワード・ジャケットを2009年ラストシーズンのファッション・ラインナップにガッツリ入れれば、楽しい冬が迎えられるぞ!



七鉄の酔眼雑記
 〜あぁ幻の2016年東京オリンピック・・・。

 残念なことに、2016年東京にオリンピックはやって来ないことになってしもうた。 わしの目の黒い内に(?!)もう一度東京でオリンピックを観ることが出来るかもしれない!と期待しておったんじゃがのお・・・。
 しかし今回の落選で、ソウル対名古屋、北京対大阪に続いて、日本のオリンピック招致運動は3連敗じゃ。 日本での単独開催を掲げて臨んだ2000年のサッカー・ワールドカップを、韓国との共同開催にされたのを含めれば4連敗じゃぞ。 GNP(国民総生産)世界第2位の先進国としてはみっともない連敗街道じゃのお〜。
 アスリート諸氏が期待された結果を残せないと、マスコミから手のひらを返したように叩かれるもんじゃが、招致運動4連敗という惨状に対して、今度は日本のスポーツ振興団体の背広組が矢面に立たされるべきじゃ。 国民の血税で賄われていた百何十億円というオリンピック招致活動費用がまたまた無駄になったんじゃからな。 これは期待したほどメダルが獲れないことよりも、よっぽど重大な問題じゃぞ。 もっともっと怒れ、にっぽん国民!
 金の問題だけじゃないぞ。 国際オリンピック委員会をはじめとした世界オリンピック振興組織全体の中で、日本の発言力を挽回する絶好の機会を逃してしまったのじゃ。 最近のオリンピックでは、柔道、レスリング、スキージャンプ等など本来日本が得意とする種目のルールがどんどん変更されて、試合で苦戦を強いられることが多い。 野球やソフトボールに至ってはオリンピック競技から外されてしもうた。 これらもまた、ひとえに背広組の力のなさが招いた結果なんじゃ。 世界中から日本が「スポーツ後進国扱い」されていくようでくやしいのお〜。
 
 しかし今から45年前の東京オリンピックでは、日本は金メダル獲得数第三位(16個)という開催国の威信を保つ結果を残したもんじゃったが、昨年の北京オリンピックの結果を考えると2016年は・・・。 案外恥をかかなくて済んだのかもしれん・・・って、こういうネガティブな考え方はよくないな。 日本のアスリート諸氏にはしばらくアウェーの時代が続くことになったが、先述した無能な背広組を本気にさせるような活躍を望むぞ。 頑張れにっぽん!


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