ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.82


THE START of 「The 2nd decade of Rock‘n’Roll」
「ロック・ニュー・ムーブメントの産声」〜前編/1966、67年のロックシーン
    
エルヴィスのメジャーデビューから10年、突然変異(?!)したロックシーンの実態



 突然じゃが、53週中36週、52週中32週―これ、何の数字か分かるかのお? カシコイ諸君のこと。 今更説明する必要もないじゃろうが、1956、1957年にエルヴィスが放ったシングル曲が、ヒット・チャートNo.1(ビルボード誌)の座に輝いていた期間じゃ。 ため息が出るようなスゴイ数字じゃな。 ロック史上に残る不滅の大記録じゃ!
 ところでアメリカという国は、経済でも文化でも何でも、10年間を一区切りにしてその間の特徴を定義したがるものじゃ。 ストレートに“ten years”と言うよりも“decade”(ディケイド)というスペシャルな言い回しが使われておるくらいじゃ。 エルヴィスが空前絶後の快進撃を続けた56、57年からの10年間は「The 1st decade of Rock‘n’Roll」と呼ばれておる。
 それでは10年後の66、67年からの「The 2nd decade of R&R」、20年後の76、77年からの「The 3rd decade 〜」はどうじゃったのか? ってのもこうやってロックの歴史を区切ると、「2nd」「3rd」のスタート期には計らずもロックの新しい流れが確実に始まっておるんじゃ。 そして新しい流れは短期間に大ブームとなってその時代の文化の「代名詞」になるんじゃな。 今回は66,67年あたりの「2nd」の方のオハナシといこう。 まあ小泉、いや“エルヴィス・チルドレン”たちが踊り狂っておったお祭りみたいなもんじゃよ。 新作ナッソーをバッチリキメて、「ほほぉ〜、カワイイもんじゃのお〜」なんて余裕をかましながら読んでいただきたい!



■プロローグ 〜時代背景 

 豪華絢爛たるフィフティーズの文化は、60年代の到来とともに表面化してきた「平和主義/反戦思想」「ドラッグ・カルチャー」によって徐々に主役の座から降りることになるのじゃ。 もちろん、50年代に少年時代を送った者がこの時代の主役になったワケじゃから、60年代の若者のスピリッツの根底にはフィフティーズが生きておる! 50年代という“享楽の揺りかご”の中で遊んでいた少年が、60年代に思春期、反抗期を迎えて、イッチョマエに自己主張をおっぱじめた時代になったんじゃな。
 更にベトナム戦争という大きな影が忍び寄っており、それがまた燃え盛る反抗心に油を注ぐことになったんじゃ。 そんな60年代も半ばを過ぎた66、67年のロックシーンの代表的なエピソードをセレクトしてみよう。


■episode-1 ビートルズ最後の全米ツアー
 エルヴィスが映画出演に忙しくてロックをお休みしておる間、チャートを独占していたのがビートルズ。 瞬く間にアメリカ市場を征服して、全米ツアーも空前の大盛況。 そんなビートルズも66年の全米ツアーを最後にツアーのジ・エンド宣言をしおった。 「The 1st decade of Rock‘n’Roll」の終焉じゃな。 66年8月29日最後の公演地は「The 2nd decade〜 」発祥の地となるサンフランシスコ。 奇遇というか、これもロックの神様の配剤じゃろう。 ビートルズ殿、お疲れ様でございましたってとこじゃ。


■episode-2 ビーチボーイズの迷走
 50年代の香りの漂う軽快なサーフィン・サウンドで、60年代前半にヒットを連発しておったのがビーチ・ボーイズじゃ。 当時の代表的アメリカン・グループじゃが、彼らは次第にアルバム志向を強めるようになり、レコード会社と激しく衝突。 リーダーのブライアン・ウィルソンは精神病を患い、益々難解なアルバム作りに没頭するようになったんじゃ。 ビーチボーイズの変貌は、時代の文化が完全に60年代へとシフトされたことを象徴するエピソードと言えるじゃろう。


■episode-3 ボブ・ディラン、ロックの世界へ!

 フォーク界のトップ・シンガーじゃったボブ・ディランがエレクトリック化に走ったのがこの時期じゃ。 最初は「裏切り者!」「引っ込め!」とステージで野次り倒されておった。 強気で知られるディランもファンの激しい罵声にノイローゼになった挙句、バイク事故を起こして約1年間の休業を余儀なくされたのじゃ。 後にディランは、「あの時休んでいたから、時代の影響をまともに受けずに済んだ」と語っておったが、そんなツッパリ発言が似合う、エエ面構え(←写真左)をしとったな、当時のディランは。 うむ、よかろう。 ロックの世界へようこそ!



■episode-4 
 お花とお薬と「LOVE & PEACE」

 「The 2nd decade of Rock‘n’Roll」はサンフランシスコのヒッピーのたまり場、ハイト・アシュベリー・ストリートから始まったんじゃ。 当時の若者は「LOVE&PEACE」(愛と平和)を合言葉に、反戦を唱え、お花、お薬(ドラッグ)を持ってハイト・アシュベリーに集結しておった。
 そんな世相を意識したビートルズの「愛こそはすべて」、スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」は、時代のシンボル・ソングとして愛されたもんじゃ。 ロックが若者の思想、ライフスタイル、ファッション、各種アートにまで絶大な影響を与えた「幻想と幻覚の時代」が始まったのじゃ。 
 ことファッションにおいては、センス至上主義、何でもござれ!ってなもんで、フィフティーズ・ファッションのような、遊び心がありながらも一本筋の通った気品はなかったなってのがわしの本音じゃ。
■episode-5 
 今日もハッピー、お薬が美味しい(?!)

 この時代に生まれた超有名用語が「サイケデリック」。 お薬でキメた時の視聴覚効果を表す形容詞じゃが、これは「サイコ」(麻薬)と「デリシャス」(美味しい)の合成語じゃ。 まあ猫も杓子も「サイケ、サイケ、あ〜さよけ〜♪」のドラッグ全盛時代じゃった。
 でも本当に賢いロッカーってのは、みんな早い内にドラッグと手を切っておった。 そこら辺の真実を正確に報道しなかった当時のメディアは誠にけしからんぞ!

■episode-6  吹き荒れたインド旋風
 もうひとつのキーワードはカレーの「インド」! ビートルズとミック・ジャガーがマハリシ・ヨギっつうインドの瞑想家に師事したことで、インド思想/文化があっという間にロック・シーンの中へなだれ込んできおった。 
 やがてインド音楽の楽器や旋律を取り入れた「ラーガ・ロック」ブームも始まり、シタールの名手ラヴィ・シャンカールはロック界でも神格化された存在となったもんじゃ。 しかしインド化したロッカーって、みんな突然老け込んだ容姿になっておった。 「悟り」ってやつかのお〜??? 

■episode-7 マジック・サマー 
 
67年夏、60年代後半のロック人気を二分するドアーズのファースト・アルバム「ザ・ドアーズ」、ジェファーソン・エアプレインの「シュールレアリスティック・ピロウ」が相次いで発表された。 さらにビートルズの「サージェント・ペパー〜」も登場。  いずれも歴史的名盤として語り継がれることになり、この3枚がほぼ同時に発売されたことで67年の夏は「マジック・サマー」と呼ばれるようになったのじゃ。
■episode-8 ギターの神様相次いでブレイク!
 二人の超絶ギタリストの突然の出現にロック・シーンは騒然となった。 ジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンじゃ。 ギターサウンドの歴史を一気に20〜30年も駆け昇ったような神業の数々はまさに革命!
 更にジェフ・ベック、アルビン・リー、ミック・テイラー、ピーター・グリーン等も続々とブレイク。みんなイギリス人じゃったが、彼らがイギリスに招聘されていた多くの黒人ブルースマンとセッションを繰り返していた経験が、この時期に一気に花開いたのじゃ。
■episode-9 ウーマンリブ・パワー
 60年代の代表的な社会現象のひとつに、ご婦人方の人権のジャンプ・アップがある。 それはウーマンリブ(女性上位)と呼ばれ、ロックシーンにも大きく波及したもんじゃ。
 代表的なヒロインがジャニス・ジョプリングレース・スリック(ジェファーソン・エアプレイン)、ニコ(ベルベット・アンダーグラウンド)じゃ。 みんな歌姫と呼ぶにはあまりにも強烈過ぎる個性を発揮しておった。 しかも美女と言うより(失礼)、キレル女!って感じもこの時代ならでは! ヒロインがカワイイお人形ちゃんばっかりの時代は終わったのじゃ。 腕も立つし口も立つし、さらに3人揃って大酒飲み! 一度でいいからご一緒したかったわい!!


■episode-10 アンディー・ウォーホールが“ロックシーン”にデビュー

 シスコ&ロスを中心とした西海岸(ウエストコースト)のロックが華やかになる一方、東海岸はどうじゃったのか。 意外や意外、独自のロックのムーブメントは乏しく、社会派フォークやジャズが主流じゃった。 
 そこに爆弾を落としたのが、ポップ・アートの巨匠アンディ・ウォーホール。 無名のベルベット・アンダーグラウンドに目をつけ、サウンドとライブに斬新なアイディアを投入してアングラ・バンドのヒーローに押し上げた。 アンディが施した強烈なライティング効果と退廃的なエレクトリックサウンドは、“ロック的スタイル”の原型としてその後のロックシーンに多大な影響を与えることになった。

 
■エピローグ 〜トリはやっぱりキング!
 それにしても一度にいろいろあったもんじゃ。 ロック・カルチャーの大文明開化時代じゃ! でも68年の“カムバック”で、多様化、肥大化するロック・シーンを一度ビシッと締めて「キング健在!」を知らしめたエルヴィスはオ・ミ・ゴ・トじゃった! 「やっぱりエルヴィスには適わんわい・・・」と誰もがうなったはずじゃ。 何でもござれのぐちゃぐちゃ状態になったロック・ファッションに対しても、「喝っ!」とかましているようなシンプルなレザーファッションもイカシテおった。 あっぱれじゃ、キング殿! やはり何が起ころうと、エルヴィスが原点にして頂点!
 しかしロック・シーンはその後も自由気ままに拡散していき、既にロックでやるべきことをすべてやったエルヴィスはミスターカネゴン・パーカー大佐の指示により「ヴェガス化」への道へ・・・。 すさまじい進化を遂げていったロックも、72〜3年頃から安定期に入り、ビジネス・システムだけが巨大化していくことになるんじゃ。 それが66、67年からの「The 2nd decade of Rock‘n’Roll」の概要じゃ。
 
さて、次回は76,77年あたりからの「THE START of The 3rd decade of Rock‘n’Roll」といこう。 エルヴィスのメジャー・デビューから20年後、“エルヴィス・チルドレン”のそのまた“チルドレン”の時代じゃ。 フィフティーズ・ファンの諸君はより余裕をかまして、THE-KINGおニューのナッソーを更に着こなすためのコーディネイトを考えながら待つのがよろし!





七鉄の酔眼雑記
 〜頑張れNHK!(?!)

 わしの友人で、テレビはNHKしか観ないというヤツがおる。 さそがしカタブツと思われるじゃろうがとんでもない。 わし同様に旅が大好きで、既に世界40数ヶ国をまわってきた旅の専門家じゃ。 酒が飲めない分、各国のスイーツを食べまくっており、世界のお菓子事情にやたらと詳しいのじゃ。 そのヤツ曰く、インターネットが普及する以前は海外で観られる日本語のテレビ放送はNHKの衛星放送だけだったので、NHK放送を吟味するクセがぬけず、そのうちに民放に興味がなくなったんだそうじゃ。
 わしも似たような症状があるからよく分かる。 海外で金がなくなり、仕事しかすることがなくなっていた頃、部屋におる間ずっとNHK衛星放送をつけっぱなしにしておったんで、その内に「お母さんと一緒に」「100歳ばんざい!」なんて番組まで観ることになっていたもんじゃ。
 そんで帰国するとテレビは真っ先にNHKにチャンネルを合わせてしまうのじゃ。 現在でも韓流ドラマや「サラリーマンNEO」は習慣として観るようになってしもうた! これは海外生活が長かった者全員に共通する弊害(?)かもしれんな。
 でもわしは番組によってはNHKカラーを純粋に好いとるぞ。 旅番組、スポーツドキュメントなどは、味わいや余韻が民放のそれとは全然違う。 「感動させよう」という見え見えの演出が少なく、心にじっくりと沁み渡ってくることが多いのお。 「今度はあそこに行ってみよう」「あの選手に注目してみよう」という気持ちが長続きするのは、大概はNHKの方じゃな。 なんか昔の映画にあったような作品の深みっちゅうもんがNHKの番組には確かにある。 これが国営放送の品格ってもんなんじゃろうな。
 しかしNHK放送も最近は様子が変わったもんじゃ。 漫才あり、ポップス番組あり、ヤング向けドラマあり、大河ドラマも主演格は若手人気俳優ばっかし。 あの手この手で若者の興味を向けさせようと涙ぐましい努力をしておるのがよく分かる。 何を放送しようがわしの知ったこっちゃないが、どうか品格だけは失わないでもらいたい。 頑張れNHK!



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