ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.66

 うむっ、新年の挨拶もそこそこに、のっけからかますのでよろしゅう頼むぞ!
今年は2009年。 この「9」という数字から諸君は何を連想するかのお。 かつて数年間お世話になった東南アジアの国々では「9」はラッキーナンバーなんだそうじゃが、わしの場合、ことロックの世界においてエルヴィスがメジャーデビューした「1956年」の「6」と並んで、「9」というとほとんど無条件反射で「1969年」を連想するのじゃ。 1969年にロックに一体何が起きたのか? それは“愛と平和と音楽の3日間”と称されたロック史上初の大規模な野外コンサート「ウッドストック」が開催された年じゃ。 そしてこの「ウッドストック」を皮切りに次々と同類のロックフェスが実現した、いわば大ロックコンサート元年というに相応しい年なんじゃ。
 今年は「ウッドストック40周年」じゃから、夏ごろになれば、たいしてロックを知りもしない文化人づらした奴らが“知ったか”をカマすことは間違いない。 そこで、諸君の純粋な「ロック・スピリットが、“知ったかメディア”に汚染される前に、わしから「ウッドストック」と「ロック野外フェスティバル」の歴史の真実をお伝えしておこう。 ひとひねり効いたアメリカン・ロングコートで身も心も暖まってエンジン全開になったら、40年前の「ロックがもっとも熱かった夏」に思いを馳せてくれ! あの頃・・・わしも若かったって!? 大きなお世話じゃ!


ウッドストック40周年記念〜歴史的ロック野外フェスティバルを追え!


■スタートは「モンタレー」から

  まずロック史に残る60年代末期の4大ロック野外フェスティバルを列記してみよう。

「モンタレー・ポップ・フェスティバル」

                (開催日:1967.6/16〜18)

「ウッドストック・フェスティバル」   (1969.8/15〜17)
「オルタモント・スピードウェイ・フリーコンサート」
                        (1969.12/6)

「第3回ワイト島ミュージック・フェスティバル」
                    
(1970.8/26〜8/30)

 「ウッドストック」に先立つこと2年。 「モンタレー・ポップ・フェスティヴァル」が既に成功を収めており、
正確にはロック野外フェスの歴史は「モンタレー」から始まったといっていい。  しかし集客数は「モンタレー」が数万人、「ウッドストック」は30〜50万人と言われており、規模からいけば、 「ウッドストック」が最初の“大規模な”ロック野外フェスとなる訳じゃ。
 もちろん「モンタレー」の果たした役割も大きく、その後「ウッドストック」が実現するまでの間の様々な中規模の野外コンサート実現の呼び水となり、 ロック野外フェスは紆余曲折を経て「ウッドストック」という集大成を迎えることになるのじゃ。


■なんでエルヴィスもヴィンセントもいないのか?

 
ここで当時のロックファンを代表して不満をひとつ!  なんで「ウッドストック」にエルヴィスが出とらんのじゃ、ドアホッ! プロモーターは何考えて生きとるんじゃボケっ!ってのが当時のわしらの偽らざる心境じゃった。 
 一説によるとパーカー大佐が「駆け出しロッカーばかり集まるところになんざに、大事なエルちゃんを出せるかバカ者!」 と言ったとか。 まあ要するに他の出演者全部のギャラを足しても、エルヴィス一人のギャラを賄いきれないほどの存在だったのじゃ、キング殿は。
  じゃあ、せめてヨーロッパで孤軍奮闘を続けていたジーン・ヴィンセントを招待したってええじゃないか!  「ウッドストック」に集まった当時の若者はそりゃ〜喜んだことじゃろう。 出演者だってヴィンセントに敬意を表したに違いない。 アメリカン・ロック界の「大アニキ」に対して、それぐらいの心づかいがプロモーター側にあってもよかろうってなもんじゃ。  40年あまりが経過した今でも、わしはこのことをネにもっとるぞ!


■1969年は、とにかく若者が熱かった!

 
名目は何であれ、云十万の若者たちが一か所に集結したことは、そりゃあもう前代未聞の一大事件であり、 当時のロックのもつパワーがどれだけ巨大であったかを雄弁に物語っておる!  それに、とにかくこの当時の若者のパワーそのものがスゴカッタ!  「ウッドストック」の約一か月前にアメリカは、宇宙船アポロ11号で人類初の月面着陸を成功させており、 「アメリカ・イズ・ナンバーワン!」って世界に胸を張っておった。  しかしこの人類史上に残る大偉に対して若者連中は、「泥沼化したベトナム戦争から視点を逸らし、税金を無駄遣いする暴挙だ」っつって、業全米各地で勃発していた学生運動に猛然と火が付きおったんじゃ。
 日本の学生だって、東京大学の安田講堂を占拠して国政に抗議しておったし、高校野球・夏の甲子園大会決勝では延長18回引き分け再試合という空前絶後の死闘に誰もがにっぽん男児のド根性ってもんを神聖化しておった。
 まあ小金もってイケメンぶってキャバクラに通うような若モンなんざ皆無に等しかったぞ。
 若者がそこまで熱かった1969年のシンボリックな事件として、「ウッドストック」は長らく語り継がれておるのじゃ。


■決死の演奏とお目が高い(?)観客たち

 上記の4大フェスの映像は、現代ではほぼコンプリート状態で入手できる幸せな時代となった。  その一方で、毎年夏になるとロックの野外フェスが季節の風物詩のように世界各地で開催される時代にもなった。  日本の「フジ・ロックフェス」などはその代表例じゃな。
 4大フェスがロック史に名高いのは、凄まじいパフォーマンス、素晴らしい演奏が数多く披露されておるからじゃ!  「モンタレー」のジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックスオーティス・レディング 「ウッドストック」のテン・イヤーズ・アフター(知っとるか?)、ジョー・コッカー 「ワイト島」のザ・フーなど、彼らのライブ・キャリアの中でもベスト3に入る渾身のパフォーマンスじゃ。
 さらに特徴的なのは、観客がいい意味で自分本位っつうか、ホンモノのロックを知っとるとことじゃ。 そう、諸君のようにな!  下手クソな演奏には見向きもせず、知名度の低い出演者には品定めをするようにじっくりと聴いておる。  昔のお客はシビアじゃのお〜。
 そこでプライドある出演者は「ざけんなっ、このクソ野郎ども!」って気合十分になって、観客との壮絶な戦いが繰り広げられたのじゃ。 「ウッドストック」のサンタナ、「ワイト島」でのフリー、「モンタレー」でのローラ・ニーロなんか、 観ている方が「毛細血管切れまくりで大丈夫か?」と心配してしまうほどの強引な自己テンションアップ・プレイじゃ。
 最近のフェスの映像を観ていると、お客さんは優しいのお〜。 義理堅くずっと手拍子かまして、拳振り上げてながら楽しんでおる。  「どうせ来たなら、楽しまにゃ損、損」って訳ではあるまいが、つくづく時代の流れを感じてしまうもんじゃ。 果たしてミュージシャンにとっても、ファンにとっても 、どっちが幸福な時代なのか、考えさせられてしまう好対照の光景じゃ。


■当時のロック・ファッションについて
 THE-KINGのコメンテーター的役割を担っておる(?)わしとしては、 4つのフェスの映像集では、集まった大観衆のファッションも目を皿のようにしてチェックしておるぞ。
 残念ながら季節柄から、大観衆の半数は上半身裸かラフなTシャツ姿。 それでも開場前や休憩時間などの映像まで丹念にチェックすると、エルヴィスたちが確立したフィフティーズ・ロック・ファッションの面影は、表面的にはほとんどないことが分かる。
 ヒッピー&ドラッグ文化大全盛時代じゃから、各自やりたい放題って感じじゃが、逆に原色同士の大胆な組み合わせ方や、数多くのアクセサリーのちりばめ方なんかは 、エルヴィスがその先導者となって、遠慮会釈のない超個性的なスタイルを強調した70年代のロック・ファッションに共通するもんがある。
 当時はTHE-KINGのようにファンをリードするロック・ファッション・ブランドはなかったから ファンは自分の感性で思い思いの工夫を凝らしておった。 これはロッカー(およびその志向者)の生き様が、ふつ〜の方々の生き様とは完全に分離し始めたことの証明でもあ〜る。

 ええではないか、キング・エルヴィスがあくなき前進のために、勢いのある後輩たちから刺激を受けたって!
 カッコいい文化というのは、時代と時代との間でこうして価値感がキャッチボールされ、またバトンタッチされていくもんなんじゃよ。  諸君、歴史的映像というのはこうやって鑑賞するもんじゃぞ、 オッホン!


■4大ロック・フェスティバルの真の功罪とは何だっか?
 「オルタモント」では、会場の警備にあたった悪名高き暴走族ヘルス・エンジェルスが殺人事件を起こしてしもうた。 しかし他の野外フェスでは、どデカイ会場内での大きなトラブルやクレームもなく、長髪の大群衆は音楽そのものを楽しむことに没頭しておった。  ここが4大フェスを始めとする当時の野外ロックフェスが「愛と平和のロックフェス」と語り継がれる所以じゃが、裏舞台では頭のキレるゼニ勘定に長けた連中が目を光らせておった。 そう、第二、第三のパーカー大佐が密かに二ヤリ!と金歯を光らせていたのじゃよ?! 「ぐふふふふ、ロックってえのはゼニになるのお〜♪」  とな。

 「ウッドストック」以降のコンサート会場はやたらとバカでかくなり、 宣伝費に過剰な金がかけられるからチケット代はうなぎ昇り!  会場がデカイだけに、演奏よりもショーアップの要素が重視されるから、ロッカーの演奏力は著しく低下する。  それでもひと会場でガッポリ稼げるから、一回のツアーで大金持ちになってしもうてロック・スピリットは消えうせる・・・。 “なんとか”中毒者が増えて、栄光をドブに捨てるような惨めな晩年を迎えるロッカーも後を絶たなくなった・・・。
 
これらすべては「ウッドストック・シンドローム」となって、その後のシーンの悪しき習慣として今だに残っておるのじゃ。  まさに1969年はロックが大きな曲がり角にやってきた年じゃったのお。  4大野外フェスとは、膨大な数のファンを前にして、ロックが自らの手で一度ロックを葬ってみせた祭典でもあった訳じゃ。 過ぎたるは・・・ナントカじゃ。
 
 一方我らがキング・エルヴィスは、そんなロックシーンの風潮に飲みこまれることなく、キング・オブ・キングへの道を歩み続けるのであ〜る! さすが本物は違うのお。 THE-KINGブランドにも、諸君にも、
ついでにわしも! こんな道を歩み続けていただきたい!! 
 

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