ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.62



 THE-KINGが秋冬にむけて今年もあいかわらず感動的な新作を発表し続けておるが、実はわしの方は調子がイマイチなんじゃ。 先月末のUPDATEの時も寄稿をスルーさせてもろうたばかりじゃが、風邪が去ってドンチャンやった時に、ギックリ腰を食らってもうてな。雨で杖が滑って新宿の駅でモロにこけた時は悲しかったのお。 世の中はドル安だ、円高だと騒いでおり、わしの周囲の旅好き連中もやかましい! ここは黙って耐えるしかないが、ただ黙っているのもシャクに障るんで、仕方ない、「想像力の旅」でもしてみるかのお。
 諸君の中にも、世の中の情勢を横目でみながら、「自らの時」が来るのを辛抱強く待ちながら日々お仕事に勤しんでおる方もいるじゃろう。 そんな時こそ、人間に求められるのは豊かな想像力であ〜る! まあ「想像力の旅」つったって、気分が盛り上がらなければ将来の活動の糧にはならんから、ここはロックの題材として取り上げられた世界の街をご紹介して諸君の想像力を盛り上げてしんぜよう。 もちろん、オッホン!すべてわしが行ったことのある場所じゃ。 ロックファンとしてのお約束であるメンフィスやミシシッピーでもいいんじゃが、それではあまりにも芸がないんで、ひとひねり加えることにして、第一弾はヨーロッパからじゃ。 TVの人気ショート番組「世界の車窓から」を観るようにのほほ〜んと読み進めてもらいたい。 首尾よく関心を持っていただけてCDを入手され、さらにその街に行きたくなったら是非ともわしにご一報を下され。 ある程度人数が集まったら今度は「七鉄先生ロックン・ロール・シティー・ワールドツアー」を企画してしんぜよう! となれば毎晩宴会じゃな!!


ロック曲名世界旅/ロックとポップスに描かれた世界の都市
                            〜その1 ヨーロッパ編
 
♪tune-1 霧のベイカー・ストリート/ジェリー・ラファティ

 まずはオシャレな諸君、そして酒好きのわしのために、ファッションと酒との両方に所縁(ゆかり)の深いストリートが舞台になった曲からいってみよう。 1978年にジェリー・ラファティーなるシンガーが大ヒットさせた曲じゃ。
 ベイカー・ストリートとはロンドンの代表的な目抜き通りであり、また同地で現在も存続しとるスーツ・ブランドの名称でもある。 「ベイカーストリート・ブランド」は、1930年代のイギリスの第一次スーツブーツのリーダー・ブランド「ドレーパーズベンチ」の後身ブランドであり、デザインとともに生地の品質や耐久性にこだわり抜く頑固ブランドとしても名高い! まるでTHE-KINGブランドのようじゃのお〜。 ベイカー・ストリートの近くには「リーゼントヘアー」が生まれたとされる「リージェント・ストリート」もあり、この辺りは洗練されたオシャレな大人のための一帯じゃ。
 またウイスキー・バーの多いベイカーストリートは、濃く深い霧に包まれることでも有名な場所なんじゃ。 夜ともなれば、霧に紛れ静かに飲みたい大人の男が集まってくることで独特の雰囲気に包まれるストリートとして多くの小説の題材にもなっておる。 あの名探偵シャーロック・ホームズのフランチャイズとしても名高い。 ナッソーの上からアメリカン・ロングコートをサラリと羽織って飲みに行くのが似合うスコッチ・ストリートじゃ。
 そんな様々な顔を持つベイカー・ストリートを唄ったこの曲、むせび泣くようなサックスの響きがいつまでも耳に残るエモーショナルでしっとりとした曲調が大人気を呼び、都市やストリートを唄った曲の中では最大のヒットをしたと記憶しとるぞ。 要するに「夜霧よ今夜もありがとう」のノリのロック版じゃな。


♪tune-2 ロンドン・コーリング/クラッシュ
♪tune-3 たそがれのロンドン・タウン/ポール・マッカートニー



 ロック第二の本場イギリスの首都ロンドンは、年がら年中どんよりと曇っており、慢性的な不景気状態にあることからも、なかなか曲の題材にはなりにくいとされてきた。 そんなロンドンの負の特徴を見事に逆手にとって大ヒットした曲が「ロンドン・コーリング」じゃ。 “コーリング”とは強烈なメッセージとでも訳せばよろしい。 要するにロンドンの惨状を世界に向けて発信するぞ! なんかモンクある、アンタ!ってな過激な曲じゃ。
 発表は1977年。 ロック界はパンク一色に塗りつぶされており、この曲はピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」(イギリス無政府状態)と並ぶ、ロックがもっとも過激だった時代を象徴する一曲じゃ。

 一方「ロンドン・コーリング」の衝撃的な発表から約1年後、希代の大ヒットメイカーであるポール・マッカートニーは、正反対の方法でロンドンをアピール。 「ロンドンだって、温かくて優しくていいところもたくさんあるよ〜、ボクもキミも本当は大好きなはずさ〜♪」みたいなほのぼのとした曲。 ジャケットも「ロンドン・コーリング」がギターをステージに叩きつける挑戦的なデザインに対して(エルヴィスのファーストアルバムから刺激を受けたデザインであることは有名じゃ。)、こっちはまるで勝ち組みのごとく「ロンドン・ブリッジ」を臨みながら幸せそうにコートの襟を立てるポールのデザイン。 この曲は完全に「ロンドン・コーリング」のアンサーソングじゃな。
 クラッシュのリーダーであるジョー・ストラマーは、後に労働者階級の若者たちのヒーローに、ポール・マッカートニーはイギリスの王室から「サー」の称号を授けられる超セレブになった。 諸君ならどっちの人生が幸せかのお? 
わしは、まあ酒が飲めるならどっちでも構わん!


♪tune-4 パリの自由人/ジョニ・ミッチェル

 お上品な“おフランスお帰りざます”のフランス、さらに花の都と言われるパリは、ヨーロッパの中でもっともロック不毛の地と言われ続けてきた。 大体アメリカ人やイギリス人はフランス人とは仲が悪いしな。 そんな風習に一石投じられたというべきこの曲、「パリにもステキな男がいるわよ〜♪」ってなテーマはロックの世界では確かに珍しかったのお。
 ロック界きっての女性奇才シンガー&ギタリスト、ジョニ・ミッチェルの代表曲じゃが、旅好きのジョニは世界中を回って男どもを観察しまくっていたそうで、パリにおいては、何事においても便利さや即効性よりも品性と格式を重んじるパリの男どもにちょっとホの字のフリをした?自己パロディ的なユニークな曲じゃ。
 まあ女ってのは違う世界を知っておる男に最初は弱いからのお〜。 わしも女があまり知らん酒をいっぱい知っとるがな・・・。 ビールやコーラをカブ飲みするアメリカ野郎ばかりみていたら、おワインとおエスプレッソをお上品にたしなむ“おフランス”君がよく見えたってそれはしょうがないってこっちゃ! 


♪tune-5 パリの散歩道/フィル・リノット&ゲーリー・ムーア

 こちらはアイルランドのロッカーである故フィル・ライノットとゲイリー・ムーアのコンビからなる名バラード。 日本の演歌にも通じる泣きの曲調が日本やヨーロッパで大ヒットしたな。
 あらためて歌詞に注目してみたが、「枯葉舞うパリの散歩道でえ〜ボクは君との思い出の写真をお〜・・・」ってな感じのありきたりの失恋ソングであり、舞台がパリじゃなきゃいかんという必要性はないんじゃな、これが。 まあロマンチックな雰囲気を加味するためにパリのお上品なイメージをちゃっかり借用した感じじゃ。 だ、誰じゃ。 ゲーリー・ムーアをフレンチ・ブルドッグと言ったらいかんぞ!
 レコード・マーケット拡大戦略として書かれた曲だ、なんてイギリスのメディアにはいい顔されなかったものの、ファンにはなかなか評判がよろしいかったようで、フィル&ゲイリー両者のステージでは絶対に欠かせない人気曲となった。 


♪tune-6 ワルシャワの幻想/デヴィッド・ボウイ

 ワルシャワとは東欧ポーランドの首都。 13世紀頃にはヨーロッパ随一の石造建築の大市街地が完成したと言われており、その街並みは第二次世界大戦によって崩壊してしまってのお。 その後国をあげての地道な復旧作業により80年代初頭にはほぼ完璧に復元されたんじゃ。
 デヴィッド・ボウイは、このワルシャワの歴史と文化を讃えるために、また復元されたはるか昔の街並みの素晴らしさに感銘を受けてこの曲を書き上げたと言われておる。
 曲の発表は75年。 当時流行のシンセサイザーの幻想的な調べとボウイの唸り声(?)だけで演奏され、曲を聞く限りでは「ワルシャワってトコに行ってみたい」とはならんが、これはクラシック音楽の交響詩というジャンルの技法らしい。 芸術作品や自然環境から受けた感銘を心のおもむくままに曲に仕立てるやり方なんだそうじゃ。 う〜ん、こういうのを理解するにはわしはノーミソノータリン状態じゃが、「古きスバラシイブツを現代に復活させる情熱と技術」はワルシャワもTHE-KINGも同じ!ってことでピックアップしたぞ!


 ♪tune-7 バルセロナ/フレディ・マーキュリー&モンセラート・カバリエ

 この曲は今やスペイン・バルセロナ五輪の賛歌のように価値付けされておるな。 クイーンのフレディ・マーキュリーと世界的オペラ歌手モンセラート・カバリエとのオペラチックなデュエットナンバー。 元々オペラを歌うことに大いなる憧れをもっていたフレディが、尊敬するカバリエ様へ共演のラブコールを送り続けたことで実現した企画であり、オリンピック賛歌となりゃあ、フレディの念願も大成就ってとこじゃろうな。
 確かオリンピックで銅メダルをとった日本女子シンクロナイズド・スイミングのデュエット用のBGMにも採用されたはずじゃ。 「ぶあ〜〜〜せろなあ〜!!」っつう強烈なハイトーンの雄たけびとともに、シンクロ嬢お二人がバシャ〜ンとプールに飛び込む演技じゃった。 実にメデタイ曲じゃのお。
 ロック(的)ナンバーが平和の祭典である五輪に大胆に採用されるなんて、時代も変わったもんじゃが、アメリカも今度どこかの都市で五輪を開催するならば、是非とも至宝エルヴィスのナンバーをフューチャーして、ロックの権威向上をやってもらいたいもんじゃ。 おカタイクラシック調ばかりではもう飽きた!


♪tune-8 ベルリン/ルー・リード

 世界大戦の敗北、東西分裂、ベルリンの壁、旧市街地のスラム化・・・ドイツの首都ベルリンには、ほんの20年ほど前までは不幸の歴史の傷痕がたくさんあり、家族断絶や悲恋の物語の舞台として陰鬱に描写されることが多かったんじゃ。 そのロックにおける決定版がこの曲じゃ。 収録されたアルバム1枚まるごとベルリン残酷物語であり、聞いていて気がおも〜くなってくる。 現に商業的にはまったくの失敗作じゃった。 しかし73年の発表当時は「ロックとアートとの理想的な融合」とか「比類なきロック・ミュージカル作品」とかなんとか、ヨーロッパのマスコミから大絶賛されたもんじゃった。
 70年代のヨーロッパのロックシーンには、60年代末期にイギリスで大ブレイクしたプログレッシブ・ロックの影響を受けた連中がぎょうさん出現。 ロックのダイナミズムとクラシックの様式美との融合に腕を競い合うようになったもんじゃったが、実はそのブームの火付け役となったのは、アメリカンロッカーであるルー・リードのこの作品だったとも言われておる。


 ロンドン、パリ、ワルシャワ、バルセロナ、ベルリンと巡ってきた「ロック曲名世界旅〜ヨーロッパ編」はいかがだったかのお。 やっぱりヨーロッパが題材になると、ロッカーもかなりシリアスにならざるをえないようじゃな。 ロックの基本は「オシャレとラブとファイトじゃ!」と決めておるわしも、いつになくしっとりとテーマに向かってしまったわい。 
 なんでヨーロッパが相手になると、シリアスにしっとりとなるんじゃろうか。 それはヨーロッパ伝統の荘厳な石造建築物と、静謐に整備された街並が放つ威光がそうさせるに違いない。 このわしもヨーロッパを旅しておると、オシャレのチェックもいつもより入念になり、ウイスキーを飲んでもなんとなく理屈っぽくなっていたもんじゃ。 アメリカとは違う魅力がヨーロッパには確かにあるのじゃ。 
 諸君もナリはいつものTHE-KINGブランドでキメながら、ヨーロッパを一度優雅に旅してみてはいかがかな? 都市や街並みの放つオーラによって新しい自分を発見できるかもしれんぞ。 お気に入りのファッションだって、扱い方がワンパターンではかわいそうじゃ。 新しい空気、雰囲気の中で呼吸をさせてあげれば、きっと新しい閃光を放つことじゃろう! さあ、冬本番、THE-KINGでビシッとお買い物をしてスッキリするように!  






七鉄の酔眼雑記〜「ロック曲名世界旅」よもやま話 
 
  

 ヨーロッパの都市の荘厳な雰囲気で色合いの異なる仕上がりをみせたロックナンバーを紹介した今回じゃったが、ひとつ番外編としてお笑いのパターンもこの際だからご紹介しておこう!

♪番外編 「ロンドン・パリ・ニューヨーク/M」
 このタイトルは曲名ではなくて、通称Mことロビン・スコットなる一発屋が放った唯一のヒットシングル「ポップ・ミューヂック」が収録されたアルバムのタイトルじゃ。 このタイトルといい、シングルの方のタイトルといい、恥も外聞もなく世界的ヒットを意識した安直さがあまりにも滑稽じゃな。 思いのたけをストレートに、シンプルにぶつけるのはロックやヒットポップスの専売特許ではあるものの、これはチョットやり過ぎじゃろう。 
 現実においては、ニューヨークまでは無理じゃったが、とりあえずロンドンとパリでは「ポップ・ミューヂック」はそれなりにヒットしおった。 なぜ「ミュージック」ではなく「ミューヂック」という表記をしたかというと、原題が「music」ではなく「muzik」だったからじゃ。 まあM本人はちょっとひねってみたつもりだったんじゃろうが、深い意味はなさそうじゃった。
 さらにこのシングルの初版盤には前代未聞の仕掛けがある!と話題を呼んだのじゃ。 シングル盤片面に「ポップ・ミューヂック」ともう1曲を収録するという。 これは追加収録ではなくて、1曲通しの音溝の隙間にもう1曲分の音溝をぶち込むという構成じゃ。 そんなことが技術的に可能なのかどうか物議をかもしたが、とりあえずレコード針を落とすまでどっちの曲が再生されるか分からないというフレコミじゃった。 ところがシングル盤のプレス段階で不良品が続出して、このミョーチクリンな企画盤はごく少数しか出荷されなかったらしい。 
 その後のMくんは、次のシングルヒットを出すことは出来ずじまい。 結局はいい加減なタイトルと企画倒れのプレスミスの話題だけが残ってしまい、今では「ロック史お笑い・ベスト10」にでもランクされるような存在に成り下がってしまったんじゃ。 最初から極端なことをやり過ぎると世間の笑いモンになってしまうので、諸君も気をつけるようにな!

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