ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.51



 先日マリナーズのイチロー君が球団の通算盗塁記録に並んだ。 恐れ入ったのはその直後の彼のプレイじゃ。 大観衆から拍手喝采が起きてゲームは一旦中断したものの、再開したらすかさず新記録の盗塁をキメた!  「相手は油断しているはずだし、あそこはいくっきゃないでしょう」と語っておったが、その冷静な判断と果敢な姿勢に拍手を送りたい。 
 毎回トーンダウンすることなくイキな新作を発表し続けるTHE-KINGもまた同じ! 今回のおNEWのロカタイとベルトもまたまたええ仕上がり具合じゃ! 実にクールでエキサイティングじゃな!! もはやサイドメニューの域を越えたまぶしい〜逸品じゃのお。 
 さてと、わしの方じゃが(比較するのもおかしいが)、前回は「50回突破記念」として、アメリカの幻の黄金時代トゥエンティーズ(1920年代)のオハナシをカマシタが、51回目の今回は(イチロー君の背番号と同じ数字じゃ!)その後編じゃ。
 別に50回で一息ついてテーマを水増ししておる訳ではないぞ。 「80年も前の史実も、結構オモシロイもんだな」と感じていただけるように、今回は“知っ得知識”っつうか、コバナシ的で楽しめるヤツを優先しながら20年代を語ってみたい。 後の「ゴールデン・フィフティーズ」の原型みたいなもんが必ず見えてくるはずじゃ。



ガンコ七鉄コーナー」50回突破記念企画
ゴールデン・フィフティーズ以前に存在した幻の黄金時代
1920年代のジャズ・エイジ、ロスト・ジェネレーションのオハナシ〜後篇


■ Section-6  ホームラン狂騒時代■

 
1920年代とは、ベースボールがアメリカで国民的な娯楽になった時代じゃ。 最大のヒーローは、伝説のホームラン・キングであるベーブ・ルースじゃ。
 20年代以前のベースボールは、次の塁を奪うためのスピードとテクニックが試合の優劣を決っしておった。 ホームランはハプニングであり、ワンシーズンで10本も打てばホームラン打者と言われる時代だったのじゃ。 しかもその半分はランニング・ホームランであり、外野フェンス越えの打球なんつうのは滅多に観られんもんだったのじゃ。
 そこに50〜60本もの大ホームランを一人でかっ飛ばすベーブ・ルースが登場してアメリカ中のファンが熱狂したのじゃ。 ノリのいいとある歴史学者の証言によると、ルースの登場は、約35年後のエルヴィス・プレスリーの登場と並ぶ、アメリカの歴史的な大事件だったらしい。 やがてルースを追随するホームランバッターも次々と現れ、ベースボールは「ホームラン競争、いや狂騒時代」となったのであ〜る。
 ルースはたちまち大統領以上の破格の高給取りとなり、プライベートでは“大酒・大飯・夜遊び”に明け暮れていたらしい。 それでも子供や障害者のファンを大切にし、国民のホームランの期待に応え続けたルースはアメリカの歴史上に残る“キング・オブ・ヒーロー”となったのじゃ。

 ルースの大活躍で懐がえろう潤ったヤンキースは、ルースの入団からわずか3年目の1923年に巨大なヤンキー・スタジアムを建設したのじゃ。 ヤンキー・スタジアムはまさに“ルースが建てた家”だったのじゃ。 スタジアム第1号ホームランもルースが打ってみせた! まさに偉大なり、ベーブ・ルース! 
冒頭の球場の写真は、オープン当時のヤンキースタジアムの貴重なショットじゃ。


■ Section-7 禁酒法時代のキング・オブ・ウイスキー 


 酒を飲んではならん!というタワケた法律は、その代償として大量の密造酒と密輸入酒を生み出した訳じゃが、果たしてそのお味は?ってのは酒好きの方なら興味が尽きないところじゃ。
 じゃが仮に当時の密造酒が残っておっても、さすがに80年も寝かされちゃあ、飲めたもんじゃないのお。 因みに密造酒を作っていたもんを当時は「ブートレガー」と呼んだんじゃ。 違法レコード製造者が現れる遥か昔からこの呼び名はあったのじゃ。
 一方の密輸入酒は、当時最大の人気ブランドが今でもちゃ〜んと存在しており、それはカナディアン・クラブ、通称CCと呼ばれるカナディアン・ウイスキーじゃ。
 アル・カポネの逮捕劇を巡る闘争を描いた映画「アンタッチャブル」の中に、アメリカとカナダの国境において密輸入酒のがさ入れのシーンがあるが、密輸取締官の撃った銃弾で中身が飛び出したブツは、まさしくCCのボトルじゃった!
(と思う) 
 へヴィーリキュール系を好むわしとしては、マイルドでスムーズな味わいのCCはイマイチじゃったが、禁酒法時代の“救いの酒”と知ってからはお世話になる機会が俄然増えたぞ! ウンチクが多いほど酒はウマイってもんじゃ!


■ Section-8 ハーモニカ・フランクのロック起源説(?!) ■

 ハーモニカ・フランクとは、エルヴィスよりもチョイとばかり早い1951年にサン・レコードでロックンロールを吹き込んだ最初のシンガーじゃ。 古い資料によると、「生涯を放浪とロックン・ロールの演奏に捧げた」とされておる。 また「オレ様の方がエルヴィスより先にロックってもんを録音したんだ!」とよくのたまわっておったそうじゃ。
 1907年生まれのフランクは、1924年の17歳から放浪を初めたそうで、その頃からロックをやっていた!とはさすがに言ってはおらん。 しかし興味深いコメントをひとつ残しておる。 ブラインド・レモン・ジェファーソンつうブルースマンが26年に発表したレコード史上初の弾き語りブルースのレコードを発売当時から聞きまくっていたそうであり、そいつを自分のプレイに反映させておったそうじゃ。 
 つうことは、20年代末期あたりにはひょっとしたらちいとばかり「ロック的な音楽」をやっとった可能性がない訳ではない。 50年代以前のフランクの正式な演奏記録はまったく無いので、ここら辺をロックの起源のひとつとして仮定してみるのもオモシロイかもしれんな。 アメリカ音楽大研究協会イシアタマ教授殿、どうじゃろうこの説は?
 このハーモニカ・フランクという男、晩年は「エルヴィスより先に・・・」という事実だけであっちゃこっちゃからお声がかかって少々稼いでいたそうじゃが、「ナッソーもオレ様の方が先に・・・」と言えるほどオシャレではなかったようじゃ。 機会があったら、お墓にTHE-KINGのナッソーとフラップをお供えして差し上げるかのお〜。 そんなことをしたら天国で「こいつがあったらオレ様だってスターになれた!」なんて始まるかもしれんが、まあそれでもいい供養になるってもんじゃ。 先輩は大切にせんとな! 



■ Section-9 アル・カポネもホレた“クール・ダンディ” 

 ここでわしのお気に入りの人物にご登場いただこう。 ご年配の映画ファンには「30年代のギャング映画のスター」として人気の高いジョージ・ラフトじゃ。 映画史上に残る“デッドパン・スター”(無表情でクールなスター)、“カメオ・スター”(名優でいて名脇役)じゃ。
 最高級のスーツをビシッとキメ、その甘いマスクを崩すこと無くいつも無表情。 セリフは少ないのに存在感抜群。 たまに喋る時も唇を動かさない独特のテクニック。 男も女もみんながシビレタ! アル・カポネまでもがシビレタ! カポネは映画「暗黒街の顔役」でのラフトの演技に感動して、ラフトを自分の根城であるレキシントン・ホテルに招待したほどじゃ。

 ラフトの俳優としての名声は30年代からであり、20年代のラフトは実はジゴロをやっとった。(羨ましい!) ジャズの繁栄とともにナイトクラブが街中に溢れて、夜も更けるとクラブというクラブは「ダンスタイム」となる。 それはまた「ラフト殿下のためのステージ・タイム」でもあったのじゃ。
 貧民街で生まれ、少年時代からギャングまがいの生活をしてきたラフトは、そのダーティな生い立ちとは裏腹に社交ダンスの名人であり、夜な夜な貴婦人たちのダンスのお相手をしてその名を上げていたのじゃ。 ジゴロというよりも、社交界のダンス・プリンスだったわけじゃ。
 う〜ん、わしもナリをTHE-KINGのアイテムでキメて夜な夜なネオン街に出かけるとこまではラフト的なんじゃがのお・・・なにかが違うんじゃな、何かが




■ Section-10 ハミルトン・ウォッチの黄金時代 

 ハミルトン製ウォッチ(時計)といやあ〜、エルヴィス愛用のヴェンチュラ(世界初の自動腕時計)でロックファンの間でも知れ渡っておる高級時計じゃな。 ハミルトン社は19世紀末期に鉄道員用の時計の製造で名を上げ、1910年代には軍部ご用達の腕時計を開発してその評価を更に決定的にしておった。 
 そして1920年代になると、はじめはセレブから、やがて庶民にもハミルトン製時計は広がっていって第一次黄金時代を迎えたのじゃ。 精密な時間表示機能と優れた耐久性が自慢じゃったが、20年代は流行に合わせて最先端の洒落たデザインをほどこすようになり、1928年にはベーブ・ルースを擁するニューヨーク・ヤンキースのワールド・シリーズ優勝記念腕時計に採用されたのじゃ。
 特に裏蓋を飾ったアール・デコ
(1910年代から30年代にフランスを中心に流行した美術工芸の様式。 単純・直線的なデザインが特徴)調のデザインがあまりにも話題となり、以後各方面から栄誉の表彰記念時計としてのオーダーが殺到するようになったそうじゃ。
 まあハミルトン・ウォッチは“成功者の証”となった訳で、そのスピリッツはやがてエルヴィスのホースシューリングへと受け継がれていくことになるのじゃ。 エルヴィスがハミルトンを選んだ理由っつうかハミルトン社がELVISに捧げたようじゃが、ここら辺の歴史をしっかりと分かっておったことは間違いなかろう!


  「幻の黄金時代-1920年代」、まったくドアホッ!の禁酒法は別として、実に温かみのある夢がいっぱいのええ時代じゃろう。 この時代から庶民は本当の娯楽ってもんを知り、人生を自分なりに楽しむ術(すべ)を覚えたのじゃ。
 残念ながら1929年にニューヨーク市場で株の大暴落がおきてしまい、30年代は世界的な大恐慌時代へと突入するのじゃ。 そして40年代は第二次世界大戦の時代じゃから、20年代の華やかさはことさら儚く映り、そして酒なしでは語れんような切なさがあるんじゃよ。
 酒といやあ禁酒法時代のコボレ話をもう一発。 古いタイプのウイスキーのミニボトルや携帯用のブリキケースはボディが湾曲しておるが、あれもまた20年代の産物という説があるんじゃ。 あの湾曲型は、密造者が街中で小売をする場合、カフェ・カウンターで隣りの者に「ちょいとダンナ、こんなモンありますゼ」って酒びんをそおっと見せては素早く隠す際に、片手でつかみやすく、太ももの上を滑りやすくするための型なんだそうじゃ。 こういうハナシを知ると、楽しい酒をモットーとしておるわしも、こっそり飲む酒も案外美味かったんじゃないかと!って、わしらしいオチじゃろう!! 栄光の50年代の礎(いしずえ)として、こういう時代があったことをどうか忘れんようにな。




七鉄の酔眼雑記   

 このところ必要があって、テーマを絞って本を読みまくらんといかんことになっておる。 こういう時のわしの集中力ってもんがゼ〜ンゼン衰えておらんかったのでチョイと安心した。 じゃが気がつくと、一休みしている時も本を読んでおったのじゃ。 “お仕事読書”の息抜きとして、読みたい本を読んでおったということじゃ。
 読書のスピードは、当然この“息抜き読書”の方がはるかに早い訳であり、マラソンの途中に短距離走をやって気分転換を図るようなもんじゃな。 これはもはや「高い集中力と優れた熱中性」といった褒められたもんではのうて、「ただの単細胞」なんじゃないかと苦笑してしもうた。
 その昔、アメリカの超人気コメディアンのジョン・ベルーシが「サタディ・ナイト・ライブ」で、不眠不休で飯も食わずに作曲に没頭するベートーヴェンを茶化したギャグがあった。 「楽聖」と崇められるベートーヴェンでさえ、集中し過ぎてアタマがズレてきて周囲からは失笑を買う滑稽な輩になるっつうショート・コメディじゃったが、今のわしもあれに近いもんがあるんじゃないかと(笑)
 思いおこせば、若い時分はロカビリーを何時間も聴き続ける途中の休憩時間でも、ハードロックや交響曲を聴いたりしておった。 やっぱり性分っつうもんは、年をとっても変わらんのお〜。 年よりの異常なガンバリズムは後ほどツケが回ってくるというから、まあ用心はしておくかな!

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