ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.39

 うむっようクリックしおった。 たかがカード、されどカードじゃがカードの中にはROCK'N'ROLLの魔力に近い何かが存在するのお〜じゃが諸君、賭博はいかんぞ。
 グレースランドからの認定を受けた「ホースシュー・リング」。 あらためてわしからも祝福いたそう! 既に祝福のメールがTHE-KING宛てにぎょーさん届いているようじゃな。 さすがは諸君、やるべきことをよお心得ておるようじゃ。 ここに到るまでの関係者諸氏のご苦労は、さぞや大変なことだったとお察し申し上げる。 また今回は、世界中のエルヴィス・ファンにとっても朗報というべき出来事じゃのお。今回ばかりはわしも少々厳粛にライティングを進めてみようかのお〜。(どこまでシラフでいられるかは保障の限りではないが)
 この「ホースシュー・リング」のボディーラインを飾る優雅な躍動美を眺めておると、「幸福の到来」「成功の証」だけではない、エルヴィス独自の様々な思惑、願望が封印されているのではないか、と考えてしまうほどの、一種神秘的なオーラを感じるわしじゃ。 優れたアイテムというものは、観る者を様々な思いへと駆り立てるパワーが宿っておるのじゃ。


「ホースシュー・リング」グレースランド公認記念寄稿

「ホースシュー・リング」に込められた
エルヴィスの真意とは、これいかに?!


 最近のわしは年のせいか(?)、エルヴィスの一生っつうもんを肩の力を抜いて、おだやか〜に振り返ってみる機会が多くなった。 どんなにたくさんの知識があっても、冷静になって全体を見渡さんと物事の真理っつうもんは見えてこないことが多いもんじゃよ、諸君。 これが出来るのが年寄りの特権じゃっ!
 なんてことはどうでもいいんじゃが、そんなある時、今まで見過ごしていたエルヴィスのある特性をふと見つけたような気がしたんじゃ。 何だと思う? それはだな、キングの名に相応しく、公私に渡って豪華絢爛たる人生を送っていた(様に信じられている)エルヴィスって、実は特定のアイテム、ないしそのブランドに固執するということが極めて少なかったのではないか、ということじゃ。
 事実、エルヴィスが生涯を通して、もしくは長期間に渡って大切にしたアイテムって、はっきりとは分かっておらんようじゃ。 数多くの資料をチェックしてみても、とにかくエルヴィスの周囲は常に膨大なブツで溢れかえっており、どれが本当のお気に入りだったのかって見極めるのは不可能じゃ。 しかもいろんな人がいろんな説を言ったり書いたりしているし、その数もまた膨大じゃ。 果たして、どれが真実やら・・・。 いかに大スターとはいえ、一人の人間が使えるアイテムの種類、量は限られておるしな。

 特にエルヴィスは「国王」「大統領」クラスの超VIP待遇の毎日だっただけに、(もちろん、当人はそんな事は望んでなかったんじゃが、どうにもこうにもならんかったんじゃろう)頼みもしないのに「わが社の最高級品をエルヴィス様に是非・・・」なんつう“オマンジュウ攻勢”は死ぬほどあったはずじゃ。 チャッカリ者のパーカー大佐からは「ぜ〜んぶ、もらっておくように」との命令があったかどうかは定かでないがな。そうなったら、自分でお気に入りを探す自由どころか、選択する自由すら無くなってしまうもんじゃ。 我々が知ることが出来たエルヴィス関連のアイテムの中には、頼み込まれて、押し付けられて、捨てるに捨てられなくて、もうしょうがないから置いといたとか、ちょっとだけ使ってみたとかいったものもかなりあるに違いない。
 そんな状況が続けば、もはや物欲、物に対するこだわりなんてものは無くなってしまうってもんじゃろう。 だからわしは、長くエルヴィスの心をつかんだものって「サークルGランチ」という牧場、そう「サークルG・ホースシュー・リング」の「G]の命名元じゃが、それ以外にはあまり無かったのではないか、と思えてならんな。 関係者や業界が勝手に作り上げたエルヴィス神話のための“お飾りの品”が多過ぎるのではないか、と。



 そんなエルヴィスの数少ないこだわりこそ、「ホースシュー」というモデルであり、そのイワレ(言い伝え)であり、それを具現化した「ホースシュー・リング」であることは間違いのないことじゃ。 「ホースシュー・リング」こそ、エルヴィス自身の意志によって誕生したと言ってもよいじゃろう。 そこにはパーカー大佐の命令も、レコード会社からの要請もない、純度100パーセントのエルヴィスの願望が反映されていると信じてよかろう。
 ロックの歴史の中ではヒーロー、スターが採用したことによって有名になったアイテムは幾つか存在するが、エルヴィスの「ホースシュー・リング」だけはやはり別格なんじゃ。 まさに「ホースシュー・リング」そのものがエルヴィス・プレスリーの魂であり、「ロックなる音楽の創造、出現、普及」というエルヴィスの輝かしい功績のシンボルじゃ。
 もちろん、ここら辺のことはTHE-KINGサイドはしっかりと分かっておるから、恐れ入るわい。 「ホースシュー・リング」はエルヴィス愛用ということだけではなく、ロック史上の大事件が記念されたアイテムであり、それが充分認識された上で製作されとるからこそ、諸君もご存知のあのえも言われん重厚さ、優美さをかもし出すことができるのじゃ。 ここがグレースランド公認という栄誉をいただけた所以なんじゃとわしは思うぞ。

 そしてファンとしてはどうにも気になるのが「ホースシュー・リング」にこだわったエルヴィスの真意とはいかに?ってことじゃ。 
 考えてみれば、「ホースシュー」を生み出し、その伝説を継承し信仰していたのは庶民じゃ。 きらびやかなセレブたちによって発案され、ブランド化したのではない。 そんな「ホースシュー」をリングにしたエルヴィス・・・ここにエルヴィス・プレスリーという人間の本質があるのではなかろうかのお、諸君。 それは、自分は崇め奉られ、仰ぎ見られるヒーローではなく、心はいつもファンとともにありたいという痛ましいまでの思いじゃろう。 エルヴィスが「ホースシュー・リング」にこだわったのは、自分を支えてくれるファンへの「不滅の愛の証」なんじゃ。 だからこそ、結婚式という人生でもっとも華やかでより多くのファンに注目される場面においても披露され、また後に大仕事(ベトナム戦争慰問)を終えたファンに、その労をねぎらうべくプレゼントされたんじゃよ。
 また、エルヴィスが「ホースシュー・リング」を付けながら、到来を切望していた幸福とは何だったのか?と考えることもある。 欲しいものは何でも手に入ってしまうヒーローにも、決して手に入れることの出来ないサムシングがあったことじゃろう。 穏やかなひととき? フツーの生活? 楽しい友人関係? 真実の愛? 我々庶民には想像できない境地を生き抜いたエルヴィスの心の叫びもまた「ホースシュー・リング」に宿っておるような、そんな思いにも駆られるわしじゃ。


 「成功の証」「ファンへの愛」「心の叫び」etc・・・エルヴィスが「ホースシュー・リング」に込めた深〜い真意は他にもあるかもしれんな。 わしとてそれをどうしても知りたい!と願っとることは事実じゃが、あんまり強行に詮索を続けるってのは野暮ってもんじゃろうな。
 エルヴィスの思いを察しながら「ホースシュー・リング」をさりげなく身にまとう者には、きっと天界のエルヴィスから真実の声が届くはずじゃ。 真実の声が届いた時こそ、エルヴィスが「あなただけのエルヴィス」に成る時じゃろう。 とはいえ、そーいうことを深追いするのは心身のためにあまり良くないし、底なし沼にはまって陸地に上がれなくなるぞ。まずは「ホースシュー・リング」をサラリと薬指に身につけて街へ繰り出せばOKじゃ! わしの場合は夜の街で今夜は1967TYPE(ノーマル)じゃ。プレミアム・バージョンの方も持ちどおしいのお〜





七鉄の酔眼雑記   

 先日のとある休日、お隣さんである女流画家さんがわしを宴会に招待して下さった。 隣に誰が住んでいるのかさえ知らん、なんて輩が多い人情味の薄いご時世において、こんなお誘いを受けるわしはなんというしあわせモンじゃろう。 わしの温か〜い人柄がそうさせるんじゃ! ナハハ!! 「招待した人は、みんな友人、知人を自由に連れて来るから楽しいですよ〜」ということで、総勢40人ぐらいのちょっとした規模の宴会になった。
 女流画家さん手作りの心温まるトン汁とおでんが肴であり、お酒は各自の持ち込みだったんで、日本酒、焼酎、ウイスキー、ビール、ワイン、シェリー酒なんかがズラリと勢ぞろい! いやいや酒のハナシではのうて、集まったメンバーは、画家、彫刻家、写真家、通訳、服飾ブローカー、システムエンジニア、防犯装置の営業マンなどと様々。年齢も下は20歳代半ばから上はわしまで(!)とこれまた様々。
 宴会が進むにつれて、なんと集まったメンバーのほぼ半数が偶然にもロック・ファン、更に動物愛好家という共通の嗜好の持ち主であることが判明! ロック談義&ペット自慢なんかでそれは盛り上がった宴会になったんじゃ。 この出会い、この集い、まさにアンビリーバブル(シンジラレナ〜イ)じゃった。 こういうハプニングがあるから人生というのはタマランのじゃ。

 今回の宴会の盛り上がりによって、わしはふと19世紀のクラシック音楽界の巨匠フランツ・リストを思い出した。 リストはその偉大なる人生の後半においてだな、私財を投じ、自宅を開放して「芸術家たちのための交流パーティー」を頻繁に開催していたそうじゃ。 既に名を成した芸術家はもとより、まだ世に出ていない芸術家の卵たちや学問に勤しむ一般学生たちもそのパーティーに招待されていたそうじゃ。
 リスト曰く「同じ志向(嗜好)をもった知らない者同士の出会いは、各々の活動に新しい刺激を与え、それが新しい文化を生み出す原動力となる」と。 わしも人生においてもうちょっと酒代を倹約しておれば、リストのような有意義な「ロック懇親会」なんかを企画できて、人類の平和に貢献できたかもしれんなあ〜。 などと自問自答しておったが、リストは名を成していたからこそ人様が集まってくるんであって、名もない大酒のみのロックジジイがそんなことをやってもあまり歓迎されんじゃろうなあ。 まあご招待を受けた宴会では、出されたお酒はありがたくきれ〜いにいただいておこう! う〜ん、もっとステキな歳の取り方ってないもんじゃろうか?

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