NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.270

 只今わし七鉄はミャンマーの旧首都ヤンゴンにおります! またまたロックとはぜ~んぜん関係のない国に来ておるが、そうなれば当然ネタは「ロック回り道紀行」じゃ! 2015~16年の放浪期にやっておったんで、これを機に同シリーズを再開いたしやす。
 ミャンマー滞在記のはしり書きみたいなもんは現在Facebookにアップしとる。 そちらを読みたいお方は、この度のThe-Kingの新作をお買い上げ下さった方のみ、特別サービスとしてわしのページへご案内してしんぜよう!って冗談ですわい(笑) わしのfacebookやこの七鉄コーナーよりも何よりも、まず新作のゲットが先ですぞ! 関東地方の猛暑を吹っ飛ばすような力作じゃぞ!

 そのわしのfacebookじゃが、姪っ子がアップしたヤンゴンの写真を見てソッコーで反応してくれた。 「何だか、とっても不思議な街にいるね」と。 さすがはわしの姪っ子ちゃん。 只今カナダのモントリオールに音楽留学しとるが、ええ感性しとるのお~って内輪自慢してる場合じゃないな(笑) そうなのじゃ、とりあえずヤンゴンの街も人もとても「不思議」なのじゃ。 東南アジアであって、そうでないような。西洋文化とインド文化とアジア文化が静かに交錯しとるというか。 この「不思議な国ミャンマー、不思議な都市ヤンゴン」についてわしの雑感を述べさせて頂こう。

(なお些細な事じゃが、「ロック回り道紀行」のカウントは2014年の第233回におけるVol.7でストップしとるが、その後「東邦編~番外編」「番外編」「カンボジアのネタ1回」「バンコクのネタ2回」をアップしておるので、それら計5回も加えて、今回はVol.13としてあらためてカウント致しやす)



七鉄のロック回り道紀行~Vol.13 不思議の国ミャンマー雑記(前編)
“半世紀の眠り”から目覚めたミャンマー人よ、君は何処へと向かうのか?!



■ Part 1~ヤンゴンはインド系人種が多い ■

 ヤンゴンのダウンタウンに入って最初の印象は、「あぁ、インドが近くなってきたんじゃな」ってこと。 それだけインド系民族が多いのじゃ。ミャンマーは1824年から1937年までイギリス領インド帝国として統治されていた歴史をもち、北部国境の一部はインドと隣接しとるからインド系人種が多いのは当たり前じゃが、東南アジアの国として異例の人種構成じゃ。 ざっくりとした感じでは、ヤンゴン在住者の約半分はインド人じゃな。
 インド人と言えば「インディア・イズ・インディア」という言葉に代表されるように、よそ者を受け入れはするが「全員インド流儀に従ってもらう」といった超頑固な性格は旅行者にとってはとにかく厄介。 「郷に入っては郷に従え」どころの騒ぎではないのじゃ。 わしも頑固じゃけど(笑)、インド人の頑固さはちょっと種類が違って、言葉は悪いが「臨機応変さのかけらもない単細胞モン」ってトコじゃ。 極論からすると、飯屋に色んなメニューがあるのに、カレー以外を注文すると「なんでカレーを注文しないのだ!」と店員が怒り出すような国じゃ、インドは。
 だから空港から乗ったタクシーが、ヤンゴン街中のゲストハウスに近づくにつれ、インドに入国した時に近い覚悟をしたもんじゃ!


■ Part 2~ミャンマー文化に溶け込んだインド人&中華人?! ■

 「インドと同じ国に来たのか?」という覚悟、それはまったくの杞憂で済んだ(笑) ヤンゴンのダウンタウンはインド系人種が多いものの、街中が朝っぱらからカレー臭いとか、カレー以外は食べさせてもらえないとか、異常にしつこい客引きが多いとか、ビールがぬるいとか(笑)、そういうことは一切なし。 インド文字らしき看板も目立たない。 インドの習慣を感じるのは、少々インド風モスクがあって、夕方になるとインド風お経?!がスピーカーで流されるくらいじゃな。 アジアン・インディアというか、インディアン・アジアというか、ミャンマー人とインド人が普通に共存しておるようじゃ。
 わしがもっとも単純にミャンマー人とインド人の共存を感じた光景を挙げようか。 ミャンマー人女性は「ダナカ」と呼ばれる黄色いオシロイの様なお化粧を頬っぺたやおでこに塗りっぱなしにしておく習慣がある。(左写真参照)これはお肌を綺麗に保つ薬用効果があるらしいのじゃが、これを色の黒いインド系女性もやっとる場合が少なくないのじゃ。 塗り方はミャンマー人よりも、もっとたっぷり豪快に塗っとる!お肌を綺麗に保ちたいという女性の願いに国境はないから(笑)、インド人もミャンマー人の習慣を素直に受け入れたんじゃろう。ひょっとしたら「ダナカ」の発祥はインドの方かもしれんがな。

 またヤンゴンにはインド系人種とともに、中華系人種も少なくない。当然中華街と呼ばれる一画がある。しかしここも、ゴールド&レッドのド派手な色使いの看板が延々と続き、「ここが中華街でござい~」といった虚勢がほとんどないんじゃな。 レストランの軒先に北京ダックや真っ赤なチャーシューがずらりと吊るされていたり、怪しげな漢方薬がてんこ盛りにされていて、一歩足を踏み込めば「中華街に来た」というあの実感がまるでないんじゃ。 中華人だってインド人同様に、その図々しさや融通の利かなさは世界的に有名じゃけど(笑)、ことヤンゴンにおいて彼らは表面上は郷に従っておるように見えるのじゃ。


■ Part3~しっかりと都市開発がされておるヤンゴン ■

 現在わしが逗留中のゲストハウスはヤンゴンのダウンタウンにあり、この地域は京都の碁盤の目のような道路開発、都市整備がされており、これは地図をみれば誰の目にも一目瞭然! ダウンタウン内では、目的地のストリート番号を覚えておきさえすればスマホのグーグルマップを見なくても大きく外れてしまうことはない。 とにかく曲がりくねった道というものが存在しないので、徒歩移動がとても楽じゃ。
 またダウンタウンから北に位置するミッドダウンも、道路、商店街、居住区域がきちんと分けられており、緑もふんだんに観ることが出来る。イギリス統治時代に建設された荘厳な外装を誇る石造建築物がたくさん残されており、近代建築物とのコントラストがヤンゴンの長い歴史を物語っておって情緒があるとも言えるじゃろうな。 古き良きイギリスが、ミャンマー、ヤンゴンという国と都市をしっかりと計画的に造った印象が強い。これらの印象もまた東南アジアの都市の中では異例じゃろうな。

 わしが実生活上で注目しておったヤンゴンの都市機能がある。それは「排水機能(下水道機能)」じゃ。スコールがやって来る雨季において、大量の雨水によって街中が洪水状態になるかどうかってこと。 この点においては、少なくともヤンゴンはバンコクよりもマシかもしれん。雨季に訪れたんじゃから、スコールを怖がっていたら外出も出来ん。 だから雨が強かろうが街中を歩き回っておるが、洪水状態で目的地までの迂回を余儀なくされたことは今のところない。 車が水没しておるシーンを見かけたこともない。バンコクなんていまだに茶飯事じゃから「これは大したものだ!」とミャンマー人に褒めてあげたわい(笑)
 でも彼らにとってはヤンゴンの排水機能はまだまだ不十分なんだそうじゃ。 その原因を聞いたところ、イギリス領から独立した後、イギリス政府が作り上げて管理しておったヤンゴンの下水道の地図がどうしても見つからず、以降の下水道の適切な補修や増設に長らく手間取ったからなんだそうじゃ。独立直後と現在では人口の数も増えて家庭用排水の量も膨大になっとるから、現状のままだと困るらしい。 現在日本の企業がヤンゴンの下水道整備に着手しておるとのことで、「ニッポン、ヨロシクオネガイシマス」って、お相手を褒めたはずが逆にお願いされちゃったわい!


■ Part4~コストパフォーマンスの良いヤンゴン日本料理店 ■

  決して豊かではない資金の関係や里心がつく危険性から、海外放浪中は現地の日本料理店は滅多に行かない。 しかし今回の旅ではその禁を解いて、積極的に日本料理店に行っておる。 理由は季節上、今は現地の屋台飯を食うな!とミャンマー人からも強く忠告されとることと、とにかくディープで実用性の高い情報をゲットするために、日本人経営者や在住日本人と知り合いになりたいからじゃ。 今までの旅の予算を上乗せしても「行くべし!」と決めたんじゃ。
 ヤンゴンの在住日本人はまだ何千人レベルであるのに、日本料理店は供給過多気味に多い。その中から事前情報によってセレクトしておいたお店数件に行ったが、どこも想像以上のコスパでちょっと驚いた。
 昼定食なら350~550円で満腹。晩酌兼晩飯ならミャンマービール大瓶2本と料理二品で1000円前後。このお値段を基準に考えれば、お味のレベルは充分じゃ。 バンコクに腐るほどある「なんちゃって日本料理」よりも美味しくて断然リーズナブルじゃ。

 食事をした機会の中では、残念ながら何度かは日本人オーナーやマネージャーが不在の時もあったが、それでも合格点があげられる料理が出てきたのも驚き。 東南アジアの日本料理店は、日本人オーナーやマネージャーが不在だと途端にお味が落ちることは当たり前であり、ご飯やみそ汁、ラーメンのスープすらあったかくないことなんて不思議でも何でもないんじゃ。 日本人が目を光らせていないとすぐに“自分たち流”にしてお客に出してしまうからじゃ。
 東南アジア人の食生活において、鍋料理以外でふ~ふ~息を吹きかけて冷ましながら食べる習慣がないから仕方ないが、日本人不在だろうときちんと日本人の教えを守っておるのに感心したわい。 これはミャンマー人特有の性格なんじゃろうか?
 ただし現地人スタッフしかいない時は、入店直後に聞ける大きな声の「イラッシャイマセー」がない(笑)だからそれだけで、今日は日本人オーナー(マネージャー)がいないな、って分かる!

  なお、旅の紀行文の定番である「現地食ネタ」じゃが、只今ミャンマーは本格的な雨季に突入したばかりであり、衛生状態が一気に悪くなっているから「屋台飯は絶対に食べないように」とミャンマー人からも言われておる。 屋台飯を食べずば旅人にあらず、なんじゃけど、この歳ではら壊して七転八倒は避けたいのでほとんど食べてないからレポートに至らずってのが実状じゃ。


■ Part5~全然酔わない?!ミャンマー産ビールと、
         抜群に安くて普通に吸えるミャンマー産タバコ ■

 ここらで、七鉄お約束ネタの酒と煙草情報じゃ! まずビールじゃが、「ミャンマービール」「ダゴン・ビール」「アンダマン・ビール」が代表的存在。 どれもすっきりとして飲みやすく、お値段やコク&のど越しは、左記の表記順じゃ。 「ミャンマービール」大瓶で市販価格1800チャット(約160円)、500mlロング缶で1500チャット(約130円)、330ml缶で800チャット(約65円)ほどじゃ。どれもアルコール度数は5%と表記されておる。 何故だかわしには「ダゴン・ビール」だけが、一杯目のお味がフルーティーな甘さを感じるのじゃ。
 このミャンマー産ビールなんじゃが、決定的に困ったことがある。 それはだな、どれをどれだけ飲んでも全然酔わないんじゃよ~(笑) 「体調が良すぎるのか?」「まだミャンマーに対して警戒心(緊張感)があるのか?」とも思ったが、もう入国して20日近く飲み続けておるのに、一向に酔わない! 一度真昼間のビアホールで、「どれだけ飲んだら酔ってくるか」ってのにチャンレンジしたが、左の写真通り、「ミャンマービール」を約30分間で大瓶一本、小ジョッキ4杯飲んだ時点で諦めた。 腹いっぱいになってもう飲めない(笑) もちろん全然酔わない!「なんだこりゃ?」って感じじゃ。 別の日に「ダゴンビール」でもトライしてみたが、30分間で小ジョッキ6杯でやはりハラだけ膨れてギブアップ。 これは謎であり、誰に聞いても笑われるばかり(笑)
 ウイスキーに関しては、東南アジアの現地産とわしとは相性が悪いので端から諦めておったが、現地在住日本人から教えて頂いたスコッチ系「Grand Royal」っつういいのが見つかった! ただしイケルのは青ラベルのみで、グレードの落ちる「ゴールドラベル」「黒ラベル」は悪酔い一直線らしい(笑)「青ラベル」は350mlボトルで2250チャット(約200円)。 現在、「我が良き新しい友よ!」状態であります。
 それからミャンマーは「そば焼酎」の産地なんで、現地産は結構イケマス。元々ミャンマーの北部、東部の高原でソバづくりを推奨したのは日本のNGOであり、日本の企業も一時期参入してソバ焼酎づくりも伝授されたとのこと。 現在では日本人団体の手から離れてミャンマー人たちのよって独立した企業が醸造しとるらしいが、昔も今もお味は変わっとらんらしい。

 次にお煙草。 東南アジア産の「メビウス」「ウインストン」「ラッキーストライク」「レッド・ルビー」等は街中で簡単に買うことが出来て、お値段はメビウス一箱1200チャット(約100円)、その他洋モクが850チャット(約80円)ぐらい。 「安いなあ~」と感激しておったが、現地ブランドの「レッド&ブルー」は500チャット(約45円)! 試しに吸ってみたらぜ~んぜんOKなんで只今愛煙中。煙草代が負担にならない、この幸せ!
 ちなみにミャンマー人の喫煙率は高いようには見えないが、街中で吸っていても白い目でみられることはない。飯屋、飲み屋はどこでもテーブルに普通に灰皿が置いてある! ゲストハウス内は禁煙じゃけど、「バスルームで換気扇付けて吸うのはいいよ」ってお許しを頂いておる。


■ Part6~一族経営で居心地の良いゲストハウス ■

 今回の旅でも当然のごとく安宿ゲストハウスに逗留しておるわしじゃが、ここ2~3年ミャンマーは宿代が暴騰しており、ネットでの事前チェック&チョイスにもずいぶんと苦労したもんじゃ。 わしがネット予約したヤンゴンの安宿は、シングルで1泊15ドル。 ベッドはキングサイズで朝食付きじゃが、エアコンの効きは悪いし、シャワーは水圧の低い水シャワーのみ。 日当たりが悪く、部屋の中がなんとなくジメジメしておる。 それでも、ここ以外の同料金レベルの他ホテルの部屋よりはマシ。 仕方なく予約した3泊だけは過ごしてみることにしたが、そのうちにこのゲストハウスが気にってきた。

 どうやらこのゲストハウスは親類縁者一族で経営しておるようで、彼らにとっては仕事場兼住居のようじゃ。 レセプション担当の長男、次男らしき2人のお兄ちゃんが高校生ぐらいで、あとは中学生ぐらいの女の子2人、小学生の男の子数人が従業員として働いておるのがとてもカワイイ。
 ちっちゃな男の子が朝食の用意をしてくれたり(左写真~結構豪華じゃろう!)、ベッドメイキングをしてくれたりするんじゃよ。 それも皆んな実に楽しそうに宿泊者たちの面倒を見てくれるのじゃ。 手が空いておる時は共有スペースでTVを見たりゲームをやったりしておる。 簡単な英語ならみんなOKだし、すっかり仲良くなったわい。 この七鉄コーナーのページ作成も、wifiの繋がり易い共有スペースでやっておるから、自然とみんな集まってきてわしのPC画面を背後からおもしろそうにずぅ~と眺めておるからやりづらくて(笑)
 一番愛想の良くない子が懸命にベッドメイクしてくれた時は感激してチップを5000チャット(約450円)あげたら、それから少しづつ彼に笑顔が出てきたのがとてもうれしかったわい!
 わしはなあ、物心ついた時から家庭の事情で実質母ひとり子ひとりの環境で育ってきたので、このゲストハウスの楽しそうな大家族の生活ぶりが羨ましくなったわい。 おまけに人懐っこい猫も2匹いる! 快適にはほど遠い部屋の状況も、従業員たちのお陰で苦にならなくなってきて、もう二週間以上連泊じゃ! 家族、親類縁者が仲良く一緒に仕事をして暮らしておる姿ってのは、わしには眩しくて仕方ないのじゃ。
 
 この話を色々とお世話になっておる在住日本人に話をしたら、彼はズバリ!と言った。 「それがミャンマー人の昔っからの生活スタイルなんですよ」と。 要するにミャンマー人は、基本的に家族、親戚しか信用しない民族であり、ほとんどの小規模の会社とかお店は家族、親類縁者による経営らしい。 これはミャンマー人、インド系人種、中華系人種に関わらず、どの人種の世界においてもミャンマーでは当たり前のことなんだそうじゃ。
(右写真は、毎朝朝食を用意してくれて、3日毎ぐらいにベッドメイキングをしてくれる宿のカワイイ従業員くんたち)



■ Part7~笑顔が少なく、謙虚でおとなしい国民性 ■

 ミャンマー人と接していると、東南アジアの民族にしては珍しく笑顔が少ないことに誰もが気づくことじゃろう。 総じて、タイ人は“微笑みの国”の国民。 ラオス人は“リトル微笑みの国”の国民。 カンボジア人は長らく続いた内戦から解放された平和の笑みが印象的な国民。 ベトナム人は気は強そうじゃが打ち解けると心安らぐ笑みを惜しみなく頂ける国民。 マレーシア人は経済成長著しい国の健康的な笑みに溢れた国民。 そんな周辺諸国の国民と比較すると、ミャンマー人は愛想が悪いってわけではないが、ちょっと暗いなあ~って印象じゃ。
 しかしわしは古いタイプの日本男児なんで(笑)、東南アジアの男性のイミフなヘラヘラ顔は時には不愉快になるから、ミャンマー男性の素の表情はマジメそうで嫌いではない。 女性の場合はまたちょっと違う。 発展途上国というのは、何処の国でも、かつての日本でも、男性よりも女性が先に垢ぬけていくもんじゃけど、ミャンマーも同様。 しかしミャンマー女性はオシャレと頭脳とのどっちの先進性を追求したいのかがあまり見えてこない不安定な佇まいがある?! その人の実態、本性がなかなか見えにくいのじゃ。 アウンサン・スーチー女史という絶対的な政治リーダーがいるのに、そのスーチー女史すら「国民の敬愛の的、理想的女性像」ってわけでは必ずしもないらしい。 そんなミャンマー人に対して、ミャンマーびいきの日本人たちは、「東南アジアの人たちの中では、ミャンマー人が一番謙虚で素直でおとなしい」と評しておる。

 以上7パートに分けて、ミャンマーとヤンゴンの第一印象を紹介したが、ミャンマー人や在住日本人たちから色々なお話を伺うにつれ、わしの第一印象は少なくても頓珍漢で的外れではないことは分かってきた。 そしてその印象を形成しているひとつの原因を探り当てたような気がしておる。
 ミャンマーはほんの2年半前、2015年3月に半世紀以上に及んだ「軍事政権」が終わりを告げ、民主主義国家として歩み始めたばかりの国じゃ。 ミャンマーの「軍事政権」は、ヒトラーの「ナチ」やカンボジア・ポルポトの「クメール・ルージュ」の様な極端な政策と恐怖政治で一般国民を震え上がらせていたわけではない。 政情が不安定だったとはいえ、外国人旅行者の入国も“いろんな条件付き”だが許されていた。
 それでも秘密警察は厳然と存在し、反政府的言動を行っている者は容赦なくしょっ引かれていたらしい。 当然密告報酬を当てにした密告者たちも庶民の日常生活の中で息を殺してうごめいていたらしい。 庶民の間では「午前2、3時に玄関の扉がノックされたらもう終わり(逮捕、死刑)」という恐怖の言い伝えがあったという。
 そんな中でとにかく一般のミャンマー人は「目立つことなく、おとなしく、普通に生活をする」ことを余儀なくされておった。 普通に生活さえしておれば平和な毎日を送れるが、夢を語り求めること、確固たる自己主張を貫くこと、何事にも興味を持って積極的に取り組むことがまったく許されない状況が半世紀も続いてしまうと、いくら民主化時代を迎えたとはいえ、基本的な「個人が生きていく術」という方法以前に、その概念すらもまだよく理解出来ていないのが一般的なミャンマー人らしい。

 「不思議」という感覚は、知っているようで知らないような、この世にあるようで無いような、その境界線すらあやふやに感じる現象に対して使う表現じゃろう。 「ミャンマー人の不思議」とは、一般庶民が根底に抱えておる「個人が個人として存在し、個人として生きていく(民主化)って、分かっているような分かっていないようなあやふやな精神状況」がもたらしておるんじゃなかろうか?
今後、ミャンマーという国、国民がどのような変貌を遂げていくのか見届けてみたい。 まあ美味くて安い酒と煙草は見つかったし(笑)、少なくともヤンゴンでは知人も何人か出来たし、遠からず再び訪れて生活してみたい国じゃ。


■ 番外編(余談)~或る夜の出来事?! ■

 いわゆる“夜の街”にも出かけてミャンマー人観察をやってみた(笑) 当然、わしら外国人野郎どもを“カモネギ”として狙っとるミャンマーのオネエ様方が待っておる某ナイトクラブじゃが、まあ彼女たちの客への声のかけ方、自分のアピールの仕方はタイとかカンボジアとかと同じ。 「なんじゃ、これじゃあ異国情緒もへったくれもねえなあ~」と思いつつも、高い入場料も払っておるので試しに英語が少し出来るやたらと愛想のいい女性を呼んでみた。(お話しただけじゃ!)

 ひと通りお互いの簡単な自己紹介が終わった後がチト参った。 彼女は一気にテンションが下がっておとなしくなり、ぽつりぽつりと身の上話を始めやがった。 「お父さんが病気で、お母さんがいなくて、お金がなくて、弟や妹が学校に行けない」って類の、いわゆる「泣き落とし作戦」じゃ。 もう聞き飽きた話じゃわい。
 面倒臭くなってきたわしは「ほっほぉ~、そんでお次は、田舎の家の屋根がふっとんで雨漏りしているじゃろう。 その次はママさんに借金があるじゃろう」とか嫌味な逆襲かけて追っ払ってやろうと思ったんじゃが、その前に彼女はシクシクと泣き出しやがった。 泣き落とし作戦に徹底しておるようじゃが、演技はなかなかのもの! 「オマエのは演技だー」とはツッコメナカッタわい(笑)
 ふと周囲のテーブルで客に付いておるオネエ様方をチェックしてみると、やっぱりみんなアピールしてきた時の明るさから打って変って一様に猫背で緊張しとるような感じ。 やっぱりミャンマー人って、基本的におとなしくてあんまり楽天的ではない民族なんじゃろうか・・・。

 「それでオマエ、小銭持ちのスケベオヤジ丸出しで口説いたんだろう!」という諸君の疑念をふり払うべく(笑)、その後の顛末も話しておこう。 彼女の態度にうんざりしてきたわしは「涙を流した分、これで水分補給せえ」ってドリンクウォーターのペットボトルを差し出したら、このジョークは全然ウケナカッタ! 彼女はものすごい形相で睨みつけてきて、わしの膝頭をバシン!と引っ叩くと、新たな獲物を見つけるべく何処へと立ち去った。 こうして、この夜の七鉄のお財布は守られたわけであります!
 ナイトクラブを出る間際、再び彼女が寄ってきた。 「コインのお金ってミャンマーには無いから、日本円のコインを見せて」と。 う~ん、財布を出させてチップをせがむ口実かもしれんが、とりあえず持ち合わせがないことを告げると、「じゃあ今度持ってきて見せてね」とニッコリ。 これも随分と昔に頂いたことのある「See You Again」と同義の常套句じゃが、何だかとても懐かしい気がしたわい。 ミャンマーが周辺諸国より遅れているのではなくて、周辺諸国が失ってしまった素朴さがミャンマーにはまだ残っておるんだな、と受け止めた次第じゃ。

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