NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.261

 10ケ月ぶりに旅に出て、大好きなヴェトナム麝香猫珈琲をチビチビやりながらリラックスしとるわしじゃ! 華麗なるラインナップのイタリアンカラーシャツ・ニュー・バージョンを拝む前の旅となってしまったものの、しばらくはバーチャルに目の保養をさせて頂こう。
 さて2017年ロック回顧録第二弾をやりたいところであり、45年前1972年のロックの順番と相成るんじゃが、昨年の同シリーズで些細で個人的な理由により1972年のロックはやってしまっておるので、今回はもう一年さかのぼって「46年前/1971年のロック」をお届けする。
 前年の70年にはイギリスでは代表的音楽誌の人気投票で6年連続トップの座をキープしていたビートルズがその座をレッド・ツェッペリンに明け渡すという大事件が起こり、ビートルズはついに年末に正式に解散を表明。 アメリカではジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリン、ロック界のニュー・キングとニューヒロインが相次いで死去した。 60年代後期からものすごいスピードで変革を続けてきたロックンロール・ミュージックは、早くも分岐点に差し掛かったのじゃ。
 ではその最初の分岐点において、どんな作品が生み出されたのであろうか。 時は既にシングルヒット中心の50年代のシーンを忘却の彼方へと押しやり、アルバム1枚のクオリティをロッカーの力量を推し量る物差しにしたのじゃ。 またPAの出現によってスタジアム規模のコンサートが可能となり、一度に万単位のオーディエンスを熱狂させることの出来る高いパフォーマンス性、演奏力が急速に求められる時代にもなった。 もう女の子を騒がせておけばとりあえずはビジネスとしては事足りるロックは見向きもされなくなったのじゃ。 もっと平たく言えば、エルヴィスやビートルズの物真似、フォロワーレベルの連中はお呼びじゃなくなったんじゃ。
  新人ロッカーにはかなりキツイ時期じゃったろうが、その分既にキャリアのある連中は現実をしっかりと受け止めて音楽性に磨きをかけて練り上げた力作が実に多く発表されたのが1971年のロックシーンであると認識しておいて頂きたい。 


2017年ロック回想録A
46年前/1971年のロック
未熟者は去れ。 実力派が幅を利かせてシーンを闊歩する時代がスタート!


1 嵐を駆け抜けたロッカー最後の清廉なる底力
2 “驕れる”ストーンズの快進撃が始まった!
L.A.ウーマン/ドアーズ   ■スティッキー・フィンガーズ/ローリング・ストーンズ■
  傑作と駄作、国賓者と犯罪者。超過激なミュージック・インテリジェンスゆえに、デビューから僅か4年あまりでシーンの天国と地獄を味わってきたジム・モリソンとドアーズ。
 ライブ中の猥褻行為と公衆侮辱罪の容疑でモリソンが極悪人に仕立て上げられ、全米中のコンサートホールから締め出しを食らった彼らが辿り着いた境地は、アメリカン・ルーツ・ミュージックに根ざしたオリジナル・ブルースだった。

 メンバーの結束力しか武器のなくなった彼らの奏でるテーマの数々は、現代(当時)を生きるアメリカンが何処から来て何処へ向かうのか、真のアメリカン・スピリットの提唱じゃった。またそのアメリカン・スピリットへ別れを告げ、生まれ変わろうとしたモリソンの自己鎮魂歌でもあった。
 サイケデリックなドアーズだけでなく、ガレージロック的にブルースを演る彼らもまた、他の追随を許さない孤高のオリジナリティに溢れておる。
 発表から約半年後、モリソンはパリで客死。彼の魂は既に“かの地”にあったのかもしれない。ロサンジェルスという都市を愛する女性に例え、純愛と憎悪を歌いながら今生の別れを告げておるようなモリソンの姿は矍鑠としながらもあまりにも悲しい。そして美しい!
     ストーンズの真の黄金時代の幕開けを飾る傑作ロックンロール集。急速に巨大化、ショーアップ化されていった70年代のロックシーンの中で、流れに素直に従いながらも足元をすくわれずに自らを真摯にスケールアップさせることの出来たのは、本作から溢れ出るロックンロールの多彩なオーラからストーンズが決してブレなかったからじゃろう。
 軽快でキャッチーなロックンロール、長尺なインプロビゼーション、ラフでコミカルなブルース・カバー、物悲しいカントリー、陰鬱なブルース等、ロックンロール・スピリットの元に様々な音楽の集結をもたらし、それらはすべてライブで何十倍もテーマを拡大させる事の出来る魅力に満ちた演奏によって磨き上げられておるのじゃ。

 ビートルズの解散とレッド・ツェッペリンの登場、細分化されたロック各々の自立化、莫大な利益を生み出そうとするミュージック・ビジネス界の変貌、音を立てて変わりつつあったロックの歴史の分岐点において、善も悪も全てのパワーを飲み込んで今まさに驀進しようとするストーンズの雄姿がここにあり、本作を聞いておると、激動だった60年代後半のロックシーンでさえも過去の遺物にしてしまうようなパワーを感じる!

3 二大ロック劇場の架け橋
  4 オー・プリティ・ボウイ!
■フーズ・ネクスト/ザ・フー■    ■ハンキー・ドリー/デヴィッド・ボウイ■
 前作が史上初のロックミュージカル(オペラ)『トミー』だったとはいえ、ザ・フーにとっての初めての“ロックアルバムとしての名盤”が本作じゃ。
 ストーンズを凌ぎ、ジミ・ヘンドリックスと肩を並べる壮絶なライブ・パフォーマンスが信条だった彼らにとって、練りに練って仕上げた
楽曲が並んだ初のアルバムじゃ。 タイトル(“次は誰だ”)が意味深長であり、それは「我々(ザ・フー自身)だ」ではなくて、深読みすれば「狂乱の60年代は終わり、ロックを真のスピリチュアル・ミュージックに出来る者が次の王者だ」ってことじゃろうな!
 かといって極端なアート志向を提唱しとるわけではなく、現にアルバム・カバーにおいて、中央のモニュメントに小便をひっかける(権威への反抗をシンボライズ)悪ふざけもやっており、音楽への真剣さと茶目っ気が同居した彼らのスタイルが健在であることを物語っておるようじゃ!

 勇ましいロックンロールにも、しっとりとしたバラードにも、随所にストリングス、バイオリン、シンセなどのアレンジをかませておるが、初の試みにしては見事にキマッテおる! 時代の利器とロックンロールの基本的なインストゥルメントとの融合性を完璧に把握してから披露したような完成度には恐れ入る。
 わしは派手なアレンジはロックンロールに必要無し!の古い感性のロックファンじゃが、本作だけは異例中の異例として讃えておきたい。 この方法論は、やがてロックミュージカル第二弾『四重人格』の壮大なミュージック・スケールへと繋がっていくのじゃ。
     ジギー・スターダストとして大変身を遂げる前夜、ユニークなシンガーソングライターとしてのボウイのちょっと早い集大成的アルバムじゃ。
 後のアーティストとしてのボウイの原風景を垣間見れる作品として、ボウイの死後になって本作収録曲やその周辺情報が詳らかにされる機会が多いが、確かにアメリカのカウンター・カルチャーやアンダーグラウンド・アートや20世紀初頭の人類史上初のヤングカルチャーなどへの憧憬が素直に表現された楽曲が目立つ。
 でもあんまり英語が分からんわしら日本人は、各曲の美しいメロディに耳を傾けておくべきじゃろうな(笑) ボウイが通常のポップスとは一味違う、格式あるメロディーを生み出すミュージシャンであったことを思い知らされることじゃろう!
 また「ジギー〜」以降の60年代回顧的サウンドではなく、クラシック室内楽のような透明感のある清涼なアレンジで統一されており、数あるボウイのアルバムの中では屈指の「美・アルバム」じゃ。

 さらにジャケット・カバーでも明白なように、既にユニセックス路線をソフトではあるが打ち出しておる。 男性社会じゃった当時のロックシーンでは異例のキャラと音楽であり、オーディエンスがそれを一種宇宙人的ととらえることに成功したようじゃ。
 まあ現代風に言えば、当時のボウイは“不思議くん”だったんじゃ。 やがてオーディエンスの戸惑いと期待を踏み台にして「地球に落ちてきた男/ジギー・スターダスト」を完成させることになる!

5 ジミー・ペイジの矜持
6 命を刻むブギー
レッド・ツェッペリン IV/レッド・ツェッペリン■    電気の武者/T.レックス■
 超名曲「天国への階段」が収録されておるんで、「永遠の名盤」の称号が与えられておるが、わしはロック・アルバムとしての魅力はあんまり感じない。 各曲がものすごく作りこまれた精密機械のような印象が拭えないからじゃ。 何だか心筋梗塞を起こしそうな感触じゃ。
 ただし、ロックという観点から外れて聞きこむと、「天国への階段」を初めとした素晴らしい楽曲が多い。 「天国への階段」の序章ともいうべきブリティッシュ・トラッド臭ぷんぷんの「限りなき戦い」や、「天国への階段」をアメリカ的に裏返しにした「ゴーイング・トゥ・カリフォルニア」などはアコギ・ロックの頂点じゃ。 ロック史上最強のドラマー、ジョン・ボーナムのヘヴィ・ドラムをフューチャーした「レビュー・ブレイク」も震撼モノじゃ。

 ツェッペリンというバンドは、スタジオ的バンドか、ライブ的バンドか、古くから大いに意見が分かれてきたもんじゃけど、わしはライブ的バンドじゃと認識しておった。 ジミー・ペイジも確かそんな発言をしておった記憶もある。
 本作においては、「天国への階段」の異様な際立ちを体現しながらジミー・ペイジは本作を完璧なスタジオ・アルバムにするべく、プロデューサーとして自らの力量の限界に挑戦し、ライブではなくファンが自宅で聞くための名盤を作りたかったんじゃろう。 それは“所詮はハードロック野郎”なる蔑みから脱却し、純然たる音楽バンドとしての昇華と見なしていた違いない。

      遥か昔の発表当時と現在との自分の評価の落差がこれほどデカイ作品はないな! 「ひでえな、これでもロックか」が「無人島生活に持って行きたい」になっちゃってんだから。
 マーク・ボランの魅力が分からなかった当時を振り返ると、どうしてシリアスな切り口でばっかりロックに向かっておったのか、とま若気の至りを痛感する!
 人はボラン・ブギーをセンス至上主義ロックと言うけれど、今になって思えばあれほどヘヴィでフィジカルなブギーはなかった。 単なるセンスだけでは、あの異次元のノリを創出できなかったはずじゃ。

 グラムロッカー最大の魅力は、あの目じゃ。 ボランにしてもボウイにしてもモット・ザ・フープルやスレイドの連中にしても、ドラッグ(かなんか)で焦点が定まっていないのに、常に着地点を懸命に探そうとしているような悲しい目をしとる。
 ボランの眼力はさらに強烈じゃった。 それは肉体でロックを奏でおる証左であり、彼のブギーは自らを宿命の地点へと発動させる唯一の手段だったのじゃ。 ボウイは素晴らしいグラム・アクターだったが、ボランはブルースマンにも通じる生粋のブギーメイカー、ひいいてはロックンローラーだったのじゃ。
 オーディエンスの心臓の鼓動や血流までも自在にコントロールしてしまう恐るべきブギーの創造者マーク・ボラン。 本作はボランがアングラ・シンガーから華麗なグラムロッカーに転身した最初のアルバムじゃが、ボラン節はほぼ完成の域に達しておる。既に命がけ?!タイトル「Electric Warrior」(原題)は実に正しい。 

7 パラノイア・レノンの自己治療ロック     8 ムーグシンセによる新しいプログレ・ハード!
■イマジン/ジョン・レノン ■  ■展覧会の絵/エマーソン・レイク&パーマー■
 世界平和と差別根絶を訴える人気曲「イマジン」にうっとりされとる方には申し訳ないが、このアルバムのジョン・レノンはかなり分裂気味ですぞ!
 激しい政治的メッセージを炸裂させるハードエッジなロックンロールもあれば、気が抜けたようにヨーコさんに求愛するラブ・ソングもあり、ポール・マッカートニーを露骨に非難するえげつないブルースナンバーもある。 その全てが当時のジョン・レノンの赤裸々な姿であり、包み隠さず己の心情を暴露させることがレノン・ミュージックの真骨頂であり、それが商品として許されるのがジョン・レノンというロッカーだけの特権なのじゃ。

 全体の印象としては前作の大傑作『ジョンの魂』のアウトテイク集のような印象は否めず、ミュージシャン、シンガーとしてのジョンのテンションも不安定じゃ。 その分、バックミュージシャンのサポートがシンプルながら素晴らしく、特にジョージ・ハリスンのギターは彼のキャリア中最高の出来栄えじゃ。
 さしたる優秀な仲間も集まらず、孤独の作業を強いられていたポールとの対比はロックの神様が仕掛けた悪戯だったのかもしれんが、スルドイジャーナリズムからはジョンの一貫性の無さ過ぎる制作姿勢を非難する声もあった。
 まあこの凸凹具合もまたジョンの当時の心情そのものであり、ジョン・レノン信者だけ受け止めることのできる特殊なサービスとでもいうべきじゃろう。
     わしをプログレの世界に引きずり込んだ“迷盤”じゃ!クリムゾンやフロイドのような高尚で哲学的な観念とは無縁であり、ひたすらクラシックの名曲を強引にロック調に変換した超反則技サウンドに度肝を抜かれてしまったわい。
 しかもライブ盤なんで、臨場感もたっぷり。 キース・エマーソンという鬼才キーボード・プレイヤーが操る嵐の様なムーグ・シンセサイザーも強烈じゃった。 日本発祥の“プログレッシブ・ロック”という言葉は、確かこのアルバムで決定的となった覚えがある。 「俺は進歩的(プログレッシブ)なロックに酔いしれているんだ!」という恍惚感をもたらすに十分な迫力があったもんじゃ。 まあ、それだけといえば、そうなんじゃけど(笑) 少年がハードロック・ギターに瑞々しい感性を染め上げられるのと同じように、キースのシンセにヤラレタってトコじゃ。

 正直なところ、真に音楽性がプログレッシブだったのはこのバンド結成以前にキースが在籍していたナイスの方なんじゃけど、「もう、うだうだクラシックとジャズとロックの融合なんてやってんのはウゼエ!シンセで全てをぶちかましてしまえ!」ってレベルの内容じゃ。 プレイ自体の単純な斬新さだけが魅力じゃが、その凄さってのはプログレ不毛の地アメリカでもバカ受けしたことからも分かるってもんじゃ。
 なんだか70年代前半のロックシーンに咲いた巨大なあだ花、プログレ版グラムロックがEL&Pだったようじゃが、3人のミュージシャンとしての力量は本物。 プログレ・ブームが過ぎた後もグレッグ(Vo,B)とカール(Ds)は別バンドでしぶとく生き続けたが、リーダーのキースは凋落の一途を辿り一年前に自殺してしもうたのはあまりにも悲しい事件じゃった。

9 道に迷った天才ギタリストの偉大なる気紛れ   10 今宵会う人は皆心温かき
■ラフ・アンド・レディ/ジェフ・ベック・グループ■  ■ニルソン・シュミルソン/ハリー・ニルソン■
 打倒ツェッペリンが旗印だったはずのジェフ・ベックが、何故か黒人2人(ヴォーカル、ベース)を加えてニューバンドを浮上させたんで、当時のファンは皆んな「?」。 しかもヘヴィ・ブルース路線は追求せずにファンキーでファンクなサウンド路線でこれまた「??」。
 まあジェフの気まぐれが引き起こした偶発的なバンドだったんじゃろうが、まだ無名じゃった優秀な新人さん、コージー・パウエル(Ds)とマックス・ミドルトン(Ky)を発掘した名伯楽ぶりは発揮されとる。 タイトルこそ“粗製乱造”じゃけど、新人さんにも黒人さんにも十分に暴れるスペースが与えられておるんで、わしは結構楽しんで聴かせてもらった記憶があるな! スゴイ才能のあるヤツなら粗製乱造もたまには結構じゃよ、ロックなんだから。

 ジェフの奔放なギターと黒人ボーカル、白人ドラマーと黒人ベーシストってのはやはりフィットしないことは誰が聞いても明白じゃろうが、マックス・ミドルトンの流麗なキーボードがこの異種格闘技対決のいびつさをかろうじて音楽として成立させとるから、これはこれでおもしろい。
 雨で濡れた夜のロンドンのストリートを照らし続ける街灯群のような神妙な煌めきがあり、やがて着地点の見えないバンドサウンドをアダルトで一種ジャジーなクライマックスへと導くサウンドマスターとしての役割を担っておる。後にマックスは「ジェフには僕の仕事をもう少し正当に評価してもらいたかった」といった趣旨の発言をしとるが、そう言いたくなるだけの貢献をしとる!
     ファミリーネームの“ニルソン”の通称で70年代に人気を博したシンガーじゃ。ジョン・レノンがやたらと気に入っていて、一時期は飲み仲間だったという有名なエピソードもあり、ロック的作品は無いもののニルソンは常に気になる存在じゃった。
 何だかビートルズがニューヨークに移住してセピアカラーでジャジーな作品を歌っておる感じがするんじゃな。 ポップスとスタンダードとジャズが絶妙にミックスされたサウンドを、七色の声を持つ男と称されたニルソンが自在に歌ってみせるその味わいは、ロックだけに没頭しておった野郎にひととき大人の時間を与えてくれておった。 今でも唐突に無性に聞きたくなる作品じゃ。

 本作はニルソンのキャリの中で最大のヒットになったが、ニューヨーカーらしい生粋の都会人のちょいと枯れ気味のポップ・センスが美しい。 ニューヨークの街角の小さなナイト・バーにきっと似合うサウンドじゃろうと決め付けてウイスキーを舐めながら聞くとタマランな。
 バッド・フィンガーのカバーである「ウィザウト・ユー」を名曲たらしめた熱唱も聞けるし、ロックの名盤の陰にさりげなくそっと置いておきたいもんじゃ。 同じニューヨーカーでコラムニスト/小説家のピート・ハミルの作品が映画化されたら、わしはそのBGMとして本作収録曲を絶対的に推したい(笑)
 ニルソンは名もなき人々の内に秘めた生活心情、恋愛感情をさりげなくすくい上げようとする優しさに溢れたシンガーなんで、大人にも子供にも、ニューヨーカーにもジャパニーズにも愛されるはずじゃ。

 以上ベスト10の選から漏れた名盤としては、
「こわれもの/イエス」
「馬の耳に念仏/フェイセス」
「ラム/ポール・マッカートニー」
「アット・フィルモア・イースト/オールマン・ブラザース・バンド」
「紐育市お前は女さ/アル・クーパー」
「アメリカン・パイ/ドン・マクリーン」
「ハイウェイ/フリー」「マン・イン・ブラック/ジョニー・キャッシュ」 等。

 ほんの一握りのバンドだけが傑出したアルバムを発表していたつい数年前からは想像もつかない個性豊かなサウンドがシーンを乱舞しており、己の音楽性を深化させていくアーティスティックな姿勢がロッカーに俄然求められる時代になったのじゃ。その反面、粗削りで原始的なロックンロールは、余程の腕利きのシンガーかギタリストが居ないと相手にされない時代にもなったわけじゃ。この傾向は70年代中期まで続くことになり、よきにつけ悪しきにつけロックンロール・ミュージックは西側欧米諸国を代表するエンターテイメントとなり、日本にも洋楽全盛時代をもたらすことにもなったのじゃ。

GO TO TOP