NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.248

 突然お暑いでございますなあ〜諸君(笑) 上昇するばかりの気温と、先日やってもうた久しぶりのぎっくり腰で、わしは只今なめくじ状態じゃあ・・・。 そんなダラダラした毎日にThe-Kingが新作ショートスリーブ・シャツ7連発っつう爆弾を投下してくれよった! 相変わらずやってくれるぜ、The-King!! 
 こんな時は爆弾はもっと多い方がええなんて思いながら洋楽サイトなんざをチェックしておったら、今年が「ブリティッシュ・パンク・ロック誕生40周年」であったことに気づかされた。 自身では気付かなかったということは、そう、わしはヘヴィ・メタルとともにブリティッシュ・パンクってあんまり興味がなかったからなんじゃ。 わしにとって愛するパンクとはアメリカン・パンクの方であり、ブリティッシュもんよりも発祥は先じゃ。 だからブリティッシュもんの「40周年」は意識外だったんじゃな。

 おかしなもので、ブリティッシュ・パンク弱者にもかかわらず、昔っからわしの周囲にはパンク・ファンは多かったもんであり、彼らとともにブリティッシュ・パンクの映像をお付き合いで何度も何度も見たもんじゃ。 もっともわしの興味は、極めて黎明期におけるパンク・ファッションにテッズの影響が多少あったこと、サウンドにネオ・ロカビリーの原型が聴けること、ただそれだけじゃったがな。
 それでも「久しぶりにイギリス野郎のアメリカン50sへのスタンスみたいなもんを観てみっか!」ってこともあり、古い映像集を片っ端から漁ったところ、これが事の他おもしろいモンが多かった! 肝心のアメリカン50sとの接点を確認できる映像はほとんどなかったが、なぜブリティッシュ・パンクが「ロック最後の革命期」として語り継がれておるのか、その恐るべきパワーの原型みたいなもんが視覚に突き刺さってきた!
 頓珍漢な指摘かもしれんが、姿かたちは異なるものの、1956年にエルヴィスによって炸裂したアメリカン・ロックンロールと、その20年後の1976年に爆発したブリティッシュ・パンクの2つのスピリットが極めて同類に感じてならんかった! ここで吹き出してしもうた諸君も多いかと存ずるが、今回わしがチェックしたパンク映像集のうちの何本かを諸君にご紹介しながら、「ブリティッシュ・パンク・ロック」登場の意義みたいなもんを再考してみようと思う。
 「おいおい、オメエさんはブリティッシュ・パンクが苦手だったんじゃろう? だったらツベコベ言うんじゃねえよ」というご指摘はごもっとも。 でも10〜20年ぶりにチェックした映像集の衝撃が結構なもんだったんで、やっちまうぞ! パンクとは、まず自己衝動の対象化だったよな(笑) どうか悪しからず〜♪


今年はブリティッシュ・パンク誕生40周年。今宵、みなパンク・ジャンキー!を今に伝える、パンクロック黎明期映像集5選。

♪「パンク・ザ・アーリー・イヤーズ」

 タイトルからして、パンク発祥の頃のライブ映像が見られると期待したんじゃが、それはアテが外れた。 セックス・ピストルズの古い友人、パンクライブ中毒者、ピストルズとの契約を破棄したEMIやA&Mレコードの方々、初期のパンクファッションを生み出したヴィヴィアン・ウエストウッド、ピストルズを作り上げたマルコム・マクラレーン、そしてパンクバンドの連中らのインタビューが主流であり、ライブ映像はおまけ程度。
 でもインタビューがおもしろい。 「なぜパンクやそのファッションが魅力的なのか」「なぜ若者はパンクに走るのか」とどのつまり「なぜパンクが生まれたのか」ってことが、立場の違う者たちがみな一様にストレートでシンプルな言葉で次々と語っていくのじゃ。 そこには冷静な流行評論もあれば、社会に対する純然たるアンチテーゼから個人的な恨みまでが盛り込まれておる。
 そんな彼らの「パンク賛美」は実にリアル。 ロックを演る者も聞く者も、いつの間にかロックをさも大層なアートのように言いたがる風潮が出来上がっておっただけに、「退屈で夢のない社会を吹っ飛ばしてくれるのがパンクだ!」みたいな言い方の数々は胸のすく思いがする。 ライブ映像は、インタビューでの主張を強調するようなタイミングで差し込まれておる感じじゃな。

 驚くべきは、当時ビッグ・スターじゃったグラム・ロックの雄マーク・ボランの登場じゃ。 当時のロックシーンがストーンズやツェッペリンに代表される超エンターテイメント路線か、超高度な演奏力を誇示するプログレッシブ・ロック路線が主流だっただけに、唯一シンプルで快楽至上サウンドを信条としていたマーク・ボランの起用はグッド!
 マークは「パンクロックは、必ず次世代の子供たちにも受け継がれる恐るべきサウンドだ」と予言めいた発言をしとる。 このインタビューの後ほどなくして交通事故で亡くなるだけに貴重な証言じゃ。

 ライブ映像の見所は、まずピストルズの女性版ともいえるスリッツというバンドの映像。 下手クソ極まりない演奏なんじゃけど、それでもヤロウどもが必死に踊り狂っておる(笑) いまどきの中学生バンドだってもうちょっとマシだろうと思える酷いサウンドじゃが、それでもあえて踊ろうとするほど、当時の若者は退屈しておったということか? それが彼らの反抗だったんじゃろうか? まあオープニングのピストルズの演奏だって褒められたクオリティじゃないし、恐ろしく下品じゃ。 それをジョン・ロットンという悪の華の魅力でプレイを突き進むわけであり、その傍若無人ぶりがパンク・ロックそのものって事なんじゃろう。

 またエディ&ザ・ホット・ロッズのライブの熱狂ぶりは、パンク(の一部)がサウンド的にはパブ・ロックから来ておることを証明しており、古いロックンロールの強力なカバーなら当時もイケたってことじゃ。
 一方、イケメンぞろいのジェネレーションXのライブのテンションは、編集映像ながらいまひとつ。 彼らのファッションは充分にパンクなんじゃが、ステージと客席との間に明らかに空白があり、どうも古いタイプのスター専制政治的な構図が見え隠れする。 こういうのはパンクファンにウケが悪かったようじゃな。 わしはブリティッシュ・パンク・バンドの中で彼らは数少ない好きなタイプだっただけに、ニューヨークに行った方がウケタんじゃないかと! 80年代にアメリカで流行したバッドボーイ・ロックにも通じる魅力があり、ロンドンではちょっと場違いじゃ。
 クラッシュやストラングラーズ結成当時のライブ映像はまったく収録されておらんけど、クラッシュに関しては後ほどご紹介する「ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー」の方で拝めたんで不満はない、というか、ビッグネームの登場無しでも本作はパンク黎明期の貴重な資料としての価値は高いといえるじゃろう。 


♪「ザ・パンク・ロック・ムービー」

 初期のパンクスたちの荒々しい演奏を満喫したいならうってつけの映像集じゃろう。 1977年に100日間限定でオープンしたパンク・クラブ「ロキシー」に出演した数多くのバンドのライブ映像を中心とした編集であり、映像監督はイギリス人にレゲエを伝承したと言われるドン・レッツじゃ。 ドン・レッツは「ロキシー」のオーナーでもあり、後に映画監督にもなるので、完成された映像が期待されるところじゃが、なんと映像クオリティはほとんどオーディエンス・ショット! 善し悪し、好き嫌いは別として、この低クオリティが逆に当時のパンク・ブームのとてつもないエネルギーを収録している!と根っからのパンク・フリークには大好評なのじゃ。 ピストルズ、クラッシュ、スージー&バンシーズといった大物からマニアックなバンドまで収録曲は約30曲とボリュームも満点。

 個人的に注目したのは、ジョニー・サンダース&ハートブレイカーズの演奏。 曲目も「チャイニーズ・ロック」「ボーン・トゥ・ルーズ」の人気曲であり、思わず画面に釘付けになった!
 彼らがニューヨークからロンドンに拠点を移していたことは知っておったが、まさかロンドン・パンク立ち上げ直後にやって来ておったとはオドロキ! 彼らは骨の髄までパンクスピリッツが染み込んだロッカーのプレイっちゅうもんを最初にロンドン・キッズに見せつけた功績がある一方で、ロンドンのアンダーグラウンド・シーンにヘロインを浸透させた罪人たちでもあり、落ち着いて映像を見直すと気分は複雑じゃ!?
 
 正直なところ、“まっとうな”ロックファンなら見ていて吐き気がするほど出演者たちの素行は酷いし、演奏もサイッテーのレベル。 「上手い、下手なんて問題じゃねー! フラストレーションをロックで爆発させられるかどうかだ」のレベルのオンパレードにうんざりするじゃろう。 オーディエンスも〇チガイ連中ばっかりじゃ。
 「テメーの目的がどうであれ、人様に聞いてもらうには最低限の礼儀と技術が必要だろう!」「酒やドラッグがなかったら、そこまで勇ましく振舞えねーだろうが!」「明日も未来もないだと?本当にそう思ってんなら、さっさとど田舎にでも引っ込みやがれ!!!」って言いたくなるような連中(&プレイ)ばっかりじゃ。
 でもな、それがパンクなんじゃよ。 パンク・スピリットってのは、既に出来上がったロックやポップスの構成美、メッセージ性、営業姿勢なんかを全て破壊することが原点なんじゃな。 だからこんな演奏、パフォーマンスが成立するのだ、ということをこの作品は見事に証明していると言えるじゃろう。 ロックンロールの歴史の中で、例えロンドン限定で短期間だったとしても、こんな状況が紛れもなく存在したということに、あらためて身震いを感じるじゃろう! でもエルヴィスが出現した時も、熱狂する周囲はこんな感じだったのかもしれん。 違いはエルヴィスらとパンクスの演奏力だけか!?
 
 全編を見終えると、ひとつの感情が芽生えてくるに違いない。 それは“まっとうな”ロックファンならば、「やはりクラッシュとかスージーとかジョニー・サンダースとか、この乱痴気騒ぎから抜け出してシーンに生き残ったヤツは違う」って実感するはずじゃ。
 リーダーのカリスマ性、単なるフラストレーションよりも音楽への情熱、既存のロック・スターへの憧憬と敬意をもった者が、やがて勝ち組となっていくのじゃ。
 当時No.1じゃったセックス・ピストルズに対しても、明確な認識が出来上がってくるじゃろう。 彼らはパンクのアイコン以上でも以下でもなかったのじゃ。 音楽的には深く聞くべき部分は少なく、炸裂したブームを煽り続けただけだったということが分かる。 さしたる音楽的才能もないのにヒーローに祭り上げられた後にヘロインのオーバードーズで若死するシド・ヴィシャスは、まさにピストルズそのものだったのじゃ。
 まあ、ある意味ではそんな事しか思い抱かせないぐらいの強烈なインパクトを残すパンク作品じゃ。 ロックを「金持ちやインテリ連中の不良ごっこ」から「貧乏人たちのエクスタシー」にしてみせたパンクを好きか嫌いか、この作品を観てから判断してくれ!(笑)


♪「ブリティッシュ・パンク・インヴェイジョン」

 英国パンクの侵略!ってな日本語タイトルじゃけど、原題は「British Rock Ready for the 80s」。 80年代へ向けてのブリティッシュ・ロック・シーンって意味であり、いわば「アフター・パンク&ニューウェイブ登場」じゃ。
 クラッシュ、ポリス、ザ・ジャム、ブームタウン・ラッツ、プリテンダース、スペシャルズ、マッドネスら、パンクのどんちゃん騒ぎの中に安住することなく、見事に次なるニューウェイブ・ブームを作り上げることが出来た優秀なバンド連中の素晴らしいライブ映像が網羅されておる。 やっぱり音楽やって食っていくならば、髪の毛おったててツバ吐きながらギターかき鳴らしてドラムひっぱたいてりゃいい、ってわけにはいかない、ってことじゃ。 しかしあの凶暴なパンクに激しく触発された連中の中に、ここまでスゴイヤツラがゾロゾロいたのか!と驚いてしまう。 才能あるミュージシャンのケツまでひっぱたくことが出来たパンクってのを、あらためて見直したりなんかする(笑)

 クラッシュは主にロカビリーにレゲエやカリプソ、ポリスはレゲエとジャズにプログレ!?、スペシャルズやマッドネスはスカ、プリテンダースは60sブリティッシュ・ロックと、バンドそれぞれのベース音楽のスタイルは異なるが、60年代のイギリスで黒人ブルースやR&Bが持ち込まれたことにより数多くの優秀なバンドが生まれたのと同じことが70年代の終わりに起こっていたのじゃ。 しかもみんな若輩モノなのに演奏のセンスが恐ろしくグレイト! ほんのちょっと前まで猛威をふるっておったパンクのサウンド・クオリティを思うと信じられん!
 この作品には含まれておらんが、後にすぐにエレクトロニック・ポップスも花を開かせるだけに、当時のイギリスのロック・シーンの変革のスピードはもの凄いもんじゃ。 パンクの影響や如何に?と誰だって考えさせられるもんじゃ。 

 誠に残念なことに、本作にはストレイ・キャッツが収録されておらん。 これは単なるキャッツとレコード会社との契約条件の規制によるものなのか、編集者の趣味の問題なのかは不明じゃけど、気分的にはスッキリせんわな。
 そういえば、NWBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティシュ・ヘヴィ・メタル)の連中も登場しとらんな。 オールド・ウェイブの復権に関してはパンクは関係ないって事なのかどうかは知らんけど、いずれにしてもどうにも片手落ちの感は否めんなあ。 あっ、ネオロカもNWBHMも、髪の毛がショートじゃないから外されたのかもしれん、なんちゃって(笑)


♪「ロンドン・コーリング〜ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー」
 クラッシュのリーダーであるジョー・ストラマーの生涯を追ったドキュメンタリー映画。 同系の作品に「ビバ・ジョー・ストラマー」もあるが、こちらはスターであるジョーにスポットを当てた作品であり、ジョーがクラッシュ結成前に在籍していたパブ・ロック・バンドのワン・オー・ワナーズ(101'ers)関連の映像が多い本作の方が、パンク黎明期のシーンの実態(の一部)を知るには相応しいかと思う。

 「セックス・ピストルズを観て100万年先を行かれていると思った」という衝撃を表現したジョーの言葉は有名であり、ワン・オー・ワナーズを放り出してクラッシュ結成に突っ走ったジョーの情熱と人柄を、当時のたくさんの仲間たちが熱く語るシーンがふんだんに盛り込まれておる。
 ジョーが男前であるがゆえなのか、元ガールフレンドたちの慈愛に満ちた発言の数々が微笑ましいが、彼女たちはジョーに優遇された経験を自慢したりしないのがいい。 「私がジョーに一番愛されていたのよ」みたいな(笑) それは、ある意味ではダチ公やガールフレンドよりも自分が追求する音楽スタイルの完成に固執し続け、さらに人間としての上昇志向も強かったジョーに対する彼女たちのラブを超越した敬愛の念の現れであり、パンクロッカー・ジョー・ストラマーの純度の高いスピリットを静かに物語っておる。

 随分前に、ジョーに関して某音楽評論家がおもしろい指摘をしておった。 「本当に優れた軍隊の指揮官は、使える部下と使い捨てる部下を選別しながら死線を突破する。 本当に部下から慕われる指揮官は、自らが先頭に立つことで部隊の士気を高めて戦場に向かうが、場合によっては命を落として部隊を全滅させてしまう。 ジョー・ストラマーは明らかに後者だ」と。
 ジョーの書く歌詞を読んでおるとまさに後者であり、神風特攻隊の最前線におるような美しき切迫感が溢れておる。 「本当のパンクとは、本気でなければダメだ。 本気でなければ聴く者の心に届かない」といったジョーのコメントももれなく収録されとるのが嬉しいわい!
 ピストルズに激しく触発されながらも、「あんなもんは所詮ポーズでありビジネスだ。 オレは本当に本気なのだ!」とばかりに、愚直なまでにまっすぐなロック・スピリットを生涯キープしていたジョーの人生が数々の証言から詳らかにされていく。 酒が入っているとなかなか涙モンじゃあ〜。 こういうロッカーを創出しただけでも、パンクロック誕生の意義があった!と言っておこう。

 「ロンドンズ・バーニング」を始め、何曲かのリハーサルの模様も収録されておるが、驚くなかれそのテンションの高さはアルバムに収録された正規のテイクと変わらない! 作り込まれ、練り上げられたピストルズの楽曲のような胡散臭さがないクラッシュ・サウンドとは、未完成の段階の荒削りな状態のままアルバムに放り込まれていたことが分かる!
 音楽的にもっとも博識であり熟練していたミック・ジョーンズが、ベース初心者のポール・シムノンのチューニングをやってあげるシーンなどもあるが、デビュー当時はアマチュア集団の域を出ていなかったクラッシュが全英を圧倒するまでにさしたる時間がかからなかったことを考えると、クラッシュ及びジョーのロックンローラーとしてのセンスはパンク連中の中では飛び抜けていたのじゃ。 そんなロック・バンドとしてのクラッシュの原型が披露される一方で、次々と新しいアイディアを提案しながらバンドを磨き上げていくジョーのリーダーとしての手腕の高さを証明するシーンもあり、パンク・イコール・ノータリンっつったレッテルを貼りたがる上から目線の自称良識派ロックファンにも是非観て頂きたい作品じゃ。

 ちなみにちらりとセックス・ピストルズのギタリストであるスティーブ・ジョーンズもコメンテーターとして登場する。 「ジョーはピストルズを観て気がついたんだ。 もうロカビリーなんてやってる場合じゃないと」と語っておるが、バカモノめが! コイツはストレイ・キャッツの人気をどんな目で見ておったんじゃろう?(笑)などとちょっぴり意地悪な気分になったりした! 


♪「フー・キルド・ナンシー」

  ファンには申し訳ないが、わしはシド・ヴィシャスならびその恋人だったナンシー・スパンゲン嬢に対しては何の思い入れもない。 ただしパンクロック発祥期において、どんな連中がパンクロック・シーン(アンダーグラウンド・ロックシーン)に出入りしていたのかを知るには本作は悪くない作品じゃと思う。

 今だに本当にシドがナンシーを殺したのか否かの結論付けはされておらんが、本作は「殺人犯はシド」といういわば事件当時の暗黙の了解に異を唱える一人のジャーナリストの調査レポートが原案となった映像作品であり、「一体犯人は誰なのか?」に鋭く迫る内容じゃ。 当然調査はシド及びナンシーの生い立ちから始まり、シドがピストルズに参加したり、ナンシーがアメリカからロンドンに渡ってシドを見つけた当時の状況にも詳しく切り込んでおり、二人を取り巻く環境そのものがパンクロックシーンの真実、もしくは闇の部分を教えてくれるので、わしとしては結構興味深く鑑賞出来た。

 シドという男は、どうもパンクロックなんかやらなくても良かった人物の様であり、生まれた時代と出会った環境が悪くて恋人殺害の容疑をかけられた挙句に若死にしたようじゃ。 まあ、殺人事件に巻き込まれなくとも、パンクを愛するがゆえに似たようなダークでスリリングな青春時代を送った若者は沢山いたじゃろうがな。
 一方のナンシーは、間違いなく救い難い生粋のドグサレ・グルーピーだったようであり、彼女の方がパンクの悪の申し子だったようじゃ。 だからシドよりもナンシーの人物像や生活態度の暴露の方が断然観ごたえがある! 「シドがナンシーを殺した云々」ではなくて、「ナンシーがシドの人生を滅茶苦茶にしたのだ」という事実に激しく興味が傾くっぞ。 まったく女ってのは魔物じゃあ〜。

 二人の生活実態を語る方々の数々の証言はやはり衝撃的であるが、シド&ナンシーにあえて好意的な言い方をすれば、「破壊こそパンクだ」のスピリットをかなり履き違えながらも、それに殉ずるのが二人の運命だったんじゃなと思う。
 そこまで若い命を追い込むパンクの悪魔性、死神力にはあらためて言葉を失ってしまうわな。 60年代末期におけるローリング・ストーンズとその取り巻き連中のハチャメチャな日常を暴露した書籍「悪魔を憐れむ歌」の内容も凄かったが、本作の描いた悲惨さはその上を行くな。 
 ストーンズの周囲には何はともあれブルース、ロックンロールがあるという救いがあった。 しかしシド&ナンシーの周囲には音楽なんぞは添え物に過ぎず、パンクロックがもたらしたクズしか集まってこなかった。 才能も目的もなく、ただ享楽を求めてロック・ワールドの本丸に入り込んでしまうと、どんな悲惨な結末が待っておるかってことがお分かり頂けることじゃろう。

 音楽的には何らシーンに貢献しなかったシド&ナンシーじゃが、二人ワンセットがロンドン・パンクの永遠のシンボルになってしまったことは、ロックという音楽が続く限り避けられない悪の属性の代表じゃ。 作品の終盤で「どうやらコイツがナンシーを殺った」という〆が用意されておるが、正直なところ「あっそっ」程度の思いじゃ。 それだけ、本作の原案を提供したジャーナリストのシド&ナンシー調査の内容が凄まじいのじゃ。

 なお余談、参考情報のひとつとして諸君にお伝えしておきたいことがある。 シドはナンシー殺害容疑でしょっぴかれた後に保釈されることになるが、その保釈金の出処はピストルズが契約しておったレコード会社ではなくて、実はミック・ジャガーらしいのじゃ。 もしくはミックがレコード会社に保釈金を出すよう進言したらしい。
 ミックは実はピストルズに対して「ロックの革命児」として敬意を表しており、シドの人となりもよく知っていたらしい。だから「犯人はシドではない」という確信の元にその様な行動に出たということじゃ。
 この事はジョン・ロットン(ジョニー・ライドン)でさえ随分後から知ったほど極秘にされておった。以降ジョン・ロットンは決してミック及びストーンズ批判を口にしなくなったらしい。
 このエピソードは、ひょっとしたらマニアックなパンク本にでも記されておるかもしれんが、わしは昨年東ヨーロッパを放浪中に出会ったイギリス人の老ジャーナリストから聞いた。 信じるか否かは諸君にお任せするが、わしは何故か信じたかったのでご紹介した次第じゃ。


 パンク・ブームとは、結局は「誰が何を歌ってもいい」というロックンロールが忘れかけた自由奔放なスピリットの復権だったのじゃ。
 そこに賢くクールな連中が現れて「ブルースやR&Bだけではなく、あらゆる音楽の下地が成立するのがパンク&ロックンロールである」とやってみせた。
 ロック史上最凶の破壊爆弾であるとともに、荒野に花を咲かせることの出来る最強の栄養剤、それがパンクなのであ〜る!

僕はまさに“この時”を待っていたのだ。パンクは僕を限りなく自由にしてくれる! by デヴィッド・ボウイ


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