NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.239

■“サー”・ジョージ・マーティンを偲ぶ
 去る3月8日、ビートルズのプロデューサーとしてロック史にその名を刻されておるジョージ・マーティン氏が亡くなった。 氏の60年代のお仕事の歴史はそのままビートルズの歴史であり、もし氏がいなかったら、ビートルズ・サウンドそのものが世界的な人気を博することはなかったとまで言われておった。
 自分でセレクトしておいて何だじゃが、左の写真のマーティン氏、クールじゃ。 またインテリジェンスも滲み出ておる。 自信と慈愛に溢れた目をしとる。 こういう方がロック史に深く関わっていたって、意外なようでもあり、やっぱり嬉しいもんじゃ。 わしもこんな風なステキなオジサマになりたかったって、もう遅いわな(苦笑) ソッチはThe-Kingのボスに任せておこう。 今回の新作シャツは、クール・アップで素晴らしい〜。 マーティン氏のようなお方にもピッタリじゃし(笑)

 ロック史上には、マーティン氏以外にも素晴らしいプロデューサーは何人もおる。 60年代末期から70年代初頭にかけてローリング・ストーンズのサウンドを磨き上げたジミー・ミラー氏。 ジャニス・ジョプリン、ラブ、ドアーズ等、今や伝説と化した幾多のバンドを世に送り出したポール・A・ロスチャイルド氏。 70年代後半からのウエスト・コースト・サウンドを世界に通用するサウンドに変換させたテッド・テンプルマンetc・・・。 プロデューサー好きのわしは、彼らに関する資料を出来るだけチェックしてきたつもりじゃが、やはり「ロック・プロデューサーの絶対的フォーマット」はジョージ・マーティン氏であり、その仕事っぷりは現在のプロデューサーにも連綿と引き継がれておる。 いわば「理想的なロック・プロデューサー」がジョージ・マーティン氏であったことをこの機会に大いに強調しておきたい。

 生前の氏が、それこそうんざりするぐらいビートルズとのレコーディングの仔細を事あるごとに聞かれ続けていたことは想像に難くない。 だから氏はよく「ビートルズの4人をいかにスタジオでリラックスさせるかがカギ。 そうすれば自然と彼等の素晴らしい才能が発揮されてくるものだ」といった類の、我々ファンにはどうもピンとこない、煙に巻くような発言を繰り返しておった。 「リラクゼーション・サロンのオーナーじゃあるまいし、もっと気の利いた発言をしてくれよ〜」なんてイライラさせられたけど、それと同時に「偉大な才能を引き出すやり方」ってもんにひたすら興味を掻き立てられたもんじゃ。

 今後は益々「ジョージ・マーティン氏のお仕事」ってもんが解析され続けていくに違いない。 そこでこの度の氏の訃報を機会に、幾多のお仕事を通して氏が完成させた「理想的なロック・プロデューサー」としてのスタイルを、わしが知っておる限りご紹介しておきたい。 「氏はこんなお仕事をしていた」といった書き方ではなくて、優秀なロック・プロデューサーの間では既に常識化しておる「ジョージ・マーティン・スタイル」ってもんを一般論的に書いていくので、どうかお付き合いのほどを。 ひょっとしたら、諸君の中で優秀な部下をお持ちの上司がいらしたら参考になるかもしれませんぞ!(笑)


“サー”・ジョージ・マーティンを偲ぶ
稀代の名プロデューサーから学ぶ、理想的なロック・プロデューサー像


■生意気盛りのロッカーたちを凌駕出来る広大、膨大な音楽知識と人脈■

 ロッカーなんて例えダイヤモンドの原石であろうとも、元々は音楽的にズブの素人じゃ。 ほとんどが独学で楽器を習得し、燃え盛る情熱だけでプレイしておる連中ばかりじゃ。 その自分勝手の極みなプレイをレコード1枚に収めるだけでも至難の技なのに、さらに時代の需要、レコード会社のイメージ戦略も同時に考慮せにゃいかんのがプロデューサー。 こりゃもう、ものすごい量の音楽の引き出しを持ち、同時にその中から適度にフィットするフォーマットを探し出すことが出来るセンスを併せ持っておらんとロック・プロデューサーは務まらん!
 ましてや暴走したがる若きロッカーたちのたずなを締めながらひとつの方向に引率するためには、何はともあれ音楽においてロッカーたちを正しく圧倒出来る豊富な知識と経験はプロデューサーの絶対の必須条件なのじゃ。
 「とりあえずはよお、このオッサンの言うことを聞いとかねえといいレコードって作れそうもねえぞ!」と尊敬の念をもたれることからロック・プロデューサーのお仕事はスタートするといっても過言ではないじゃろう。

 また幅広い人脈ってのもプロデューサーに求められるじゃろう。 優れたロックの楽曲、アルバム全体の演奏において、ファンは聞いたこともない畑違いのミュージシャンがレコーディングに参加しておる場合が案外多い。 概してこれはプロデューサーが自分の人脈から、適材適所のミュージシャンを連れてきておったりしとる。 それがまた作品のクオリティアップに直結しとる場合も実に多いのじゃ!


■良き父親的キャラクター■
 若造ロッカーがとても太刀打ち出来ない音楽知識とともに、ロック・プロデューサーには、ロッカーから基本的に好感を持たれるキャラクターってのも必要じゃ。 音楽の知識がどんなに巨大でも、過去の実績がどれだけ優秀であっても、大東京大学イシアタマ教授みたいな(笑)チョー堅物で、一緒にレコーディング・スタジオに入りたくないようなタイプの人物はロック・プロデューサーには向かないじゃろうな。
 ロッカーの情熱のありかは元より、流行の音楽やファッションにある一定の理解を示しながらロッカーと接することの出来る資質が求められるはずじゃ。 いわば良き父親、兄貴のようにロッカーと接することのできる人物じゃな。

 わしは時々思うことがある。 畑違いの人物じゃが、ボクシング史上最強の男・マイク・タイソンを育て上げた鬼才トレーナーのカス・ダマトの様な、徹頭徹尾上から目線で、才能あふれる若者の頭を押さえつけながら強制的に育成プログラムを遂行するやり方って、ロック・プロデューサーの仕事に当てはまるのか?と。 一時期興味本位でそんなプロデューサーを探してみたことがあったが、結局該当する人物は見つからんかった。
 強いて言えば、初期のローリング・ストーンズを手がけたアンドリュー・ルーグオールダムや、セックス・ピストルズそのものを作り上げたマルコム・マクラーレンなんかはカス・ダマト的ではあるが、彼等はマネージャーとしての強引なバンド・イメージ戦略における勝利者であって、純粋な意味でのプロデューサーではなかったと言える。 まあロックとボクシング(スポーツ)はまったく別物じゃけど、ある意味では“半カス・ダマト”的キャラがロック・プロデューサー・キャラと言えるのかもしれんな。


■暴力を“暴力衝動”に留める抑制力■

 「暴力を〜」って何だかよく分かんない言い方じゃが、ロックの演奏って、ほったらかすと暴力になりかねない! 「暴力」という表現が適切でないならば、「放漫(やりたい放題)」でもええ。 とてつもない非現実的なサウンドワールドが期待されて、大勢のファンがやってくるライブなら「暴力」や「放漫」もある程度は許されるじゃろうが、ロッカーの知名度を上げ、レコード会社の収益を上げるためのレコードではそれは許されんわな。
 かと言って、いい子ちゃん演奏ばっかりじゃあロックのレコードとして成立せん。 だからレコードにおいては、暴力ではなくて、その手前の暴力衝動のテンションで留めておかんといかん。 これは完全にプロデューサーだけが出来る仕事じゃろうな。

 じゃあどうやって「暴力」を「暴力衝動」に変換するのか。 これは色んなプロデューサーの伝記やインタビューを読むと、方法は人それぞれ。 共通しておるのは、冒頭で紹介したジョージ・マーティン氏のコメント通り、「いいレコード作ったる!」って意気込んでスタジオ入りしたロッカーをまずリラックスさせる事のようじゃ。
 リラックスっつったって、酒飲ませたりドラッグやらせたり女の子呼んだりしちゃったら仕事にならん。 まあわしがロッカーだったら、酒を用意しておいて頂ければ、飲まずともそれだけで嬉しいがな(笑)
 例を上げると、まずスタジオを綺麗に掃除しておくことから始まり、お香を炊いたり、花を飾ったり、ロッカーの休憩時間用にTV番組のタイムテーブルをチェックしておいたり、ロッカーのためにサプライズをスタンバイさせておいたりと、そりゃもう様々。 「何だそりゃ。 まるで下僕、下働きじゃねえか!」って驚く輩もいるじゃろうが、優れたプロデューサーって、こんな細やかな部分まで気を遣いながらロッカーにレコーディングさせるのじゃよ。 それがロッカーの暴走を阻止して程よいテンションのプレイを促すのじゃ。

 またレコーディングの場所選びもプロデューサーの重要なお仕事であり、これも暴力衝動を生み出す重要なポイントじゃ。 アルバムのコンセプトによっては、通常のスタジオではなくて、教会、古い城塞、路上のモーテル、ビーチ沿いの簡易スタジオ、山奥の家屋などが利用されるが、大概は特殊な音響効果を考慮してのセレクトじゃ。 従来にない音響効果を発揮出来れば、ロッカーは暴走する必要がないとの判断からなのじゃ。 もちろん、こうした特殊な場所ってのは、様々な誘惑からロッカーたちを守りながらレコーディングに専念させる意図も充分にある!


■ロッカーと一心同体に成れる作業スタイル■

 ロック・プロデューサーの仕事の仕方は、次の2つのタイプに大別される。 スタジオ内で最終テイク(レコード用正規テイク)と判断するまでロッカーに演奏指示を出し続ける「ロッカーと一心同体型」のタイプ。 もう一方は、いくつかのテイクを録り貯めして、後ほど独自で長時間の加工作業をする「サウンド・ビルダー」のタイプ。 80年代中盤あたりから名を馳せたプロデューサーは圧倒的に後者のタイプが主流だったと聞いておるが、現在のところ名プロデューサとして後世に長く名を残しそうな方は、前者のタイプが圧倒的に多い。 よく「何人目の○○(バンド名)」と言われるプロデューサーのほとんどはやはり前者のタイプじゃ。

 結果としてレコードが売れさえすれば、レコード会社としてはどっちのタイプのプロデューサーでも構わないのかもしれんが、わしが思うにロッカー自身のその後を考えた場合、やはり前者のタイプの方が有難い存在であるはずなのじゃ。 単にほとんど最後まで仕事をしたという強い仲間意識以上に、スタジオ内でプロデューサーから学んだ知識、理論、方法論などがロッカーを才能を後々大きく飛躍させることになるからじゃ。 ロック・バカ、スター・バカに成らずに済むためにも、わしは前者のタイプのロック・プロデューサーが望ましいと思うのじゃ。

 因みに後者のタイプの代表例は、ジョージ・マーティン氏とほぼ同世代で活躍したフィル・スペクター氏。 “ウォール・サウンド”と評され、ブ厚い音の壁でサウンド・クオリティを増大させる手法が十八番だったプロデューサーじゃ。
 この人は優れたレコードをたくさん制作しておるが、人物的にはいわゆる“奇人”。 一時期ジョン・レノンのマスターテープを持ち逃げして?、勝手に通販で売り出したり、晩年は奥さんを射殺したりと悪い評判の絶えなかった人物。 人格者としても誉れ高かったジョージ・マーティン氏とは対照的なチョーワル(悪)オヤジじゃ。


■ロッカー、レコード会社と袂を分かつことも辞さない超頑固者!■

 
プロデューサーである前に、一人の大人として優れた性格が名ロック・プロデューサーの必須条件の様に書いてしまったが、実は自分の仕事のスタイルにおいては名プロデューサーほど超!が付くほどの頑固者なのじゃ(笑) その証拠に長年プロデュースしてきたバンドと一度は袂を分けた時期を迎えてしまった方がほとんどじゃ。 というか、一向に変わらぬ仕事のスタイルにロッカー側が一時的にウンザリするようなのじゃ。
 そりゃそうじゃ。 長年の仕事で養った知識と勘を武器とするプロデューサーと、アルバム制作毎にミュージシャンとして進歩してきておるロッカーとが、いずれ衝突するのは当たり前じゃ。 ロッカーに言わせれば、同じプロデューサーとの付き合いが長くなればなるほど「いつまでも子供扱いするな!」ってトコじゃ。
 しかしそんな事でたじろいで、仕事のやり方を変更する様な意志薄弱な方は名プロデューサーにはなれんようじゃ。 名プロデューサーとは、自分の知名度や評判を飛躍させたロッカーと別れても、同じやり方で別のロッカーの優れたレコードを作り上げておるのじゃ! ロッカーの個性よりも、プロデューサーの個性の方がシーンの中で長く通用する事を彼等は身を持って証明しとると言えるじゃろう。
 かつて一緒にレコードを作り上げたロッカーとは別種の個性をもったロッカーを、基本的に同じ手法でプロデュースしたりすると、その作品がロックの新しい潮流を作り出したりするからオモシロイ! やがて仲直り?したロッカーとプロデューサーが久しぶりに一緒に作り上げたレコードは傑作が多い事もまた事実なのじゃ。  


■“ビートルズ? いや、ベイ・シティ・ローラーズの方が凄いよ”■

 ジョージ・マーティン氏が作り上げた「理想的なロック・プロデューサー像」ってもんが、お分かり頂けてきておるならば幸いじゃけど、最後に氏のプロデューサー資質の真髄!とも言えるエピソード、というか発言をご紹介しておこう。
 現在はCDで再発されていないようじゃが、1975、6年頃にビートルズ初のライブ盤「ビートルズ・ライブ・アット・ハリウッド・ボウル」が発売された。勿論プロデューサーはマーティン氏であり、ライナーノーツ(解説書)には氏のインタビューが記載されておった。 その中で、わしにとって今も忘れ難きパートがあったのでご紹介しておこう、確か以下の様な感じじゃった。

 「私には娘がいます。 娘はベイ・シティ・ローラーズ(70年代前半の超人気アイドル・バンド)が大好きでして、最近よく聞かれます。 

“パパ、昔ビートルズのお仕事してたんでしょ? ねえ、ビートルズってそんなに凄かったの? ベイ・シティ・ローラーズよりも凄かったの?”

 私は娘に言いました。
 “いや、ローラーズの方が凄かったよ。 ビートルズはローラーズほどではなかったよ”。

 今はこれでいいんです。 いつの日か、必ず娘にも本当の事が分かる日が来ますから」

 諸君はコレ、どう思う? わしは初めて読んだ当時、「何バカな事を言ってんだよ! なんで娘に本当の事を教えんのじゃバカモノ! それが親の務めってもんじゃろうが!!」って思ったわい。
 でもな、少しばかり大人になってからわしも分かった。 世界に誇れる偉大な自分の仕事を娘に自慢するわけでもなく、ローラーズが大好きな娘さんの気持ちをブチ壊すこともなく、娘さんの成長を穏やかに見守っておるようなこの発言に、ジョージ・マーティンという方の素晴らしい人間性、親心、限りない優しさが溢れておる事を。
 そして、ビートルズ・サウンドが、時代を越え、世代を越え、国境を越え、今も多くの人々の心に浸透し続けておるのは、プロデューサーがマーティン氏だったからに違いないと。


 ビートルズの初期のサウンドって、わしは随分と長い間興味が無かった。 一応ほとんどの曲は知っておったが、アルバムで聞くことは滅多に無かったもんじゃ。 ビートルズなら、わしは断然後期のサウンドを贔屓にしておった。
 それが逆転したのはいつ頃からじゃろうか。 多分、「青春時代も既に遠くになりにけり」の40歳を過ぎてからじゃと思う。 ある時から「若いビートルズ・サウンドって、とても切ない」と感じるようになったのじゃ。 シングル・ヒット曲ではなくて、アルバム収録曲の方じゃ。 シングルカットされなかった曲でも、ハツラツとしたヤング・ビートルズが炸裂しておる楽曲はいくつもある。 それでも、「切ないなあ〜」って胸に迫ってくるようになったのじゃ。
 短絡的な結論じゃけど、若きビートルズがどんなにエラぶってみても、セレブ気取りしてみても、イギリスの貧しい港町リヴァプール出身というDNAから彼等は逃れられないっつう英国ブルース/演歌のような深い陰影のある一種の「裏の裏メロ」をわしは感じ取ってしまったからじゃろう。 それからは初期のビートルズばっかり聞くようになった。 それが高じて、ドイツ・ハンブルグで暴れまくっておった正式デビュー前の音源まで好きになってしもうた。

 ジョージ・マーティン氏が初めてビートルズのデモテープを聞いた時の印象は、「カリスマ性は感じるが、音楽的にはあまりピンとこなかった」らしい。 でも想像するに、マーティン氏は間もなくビートルズ流ロックンロールに潜む「裏の裏メロ」の魅力に気がついたはずじゃ。 そう、わしと同じようにな!(って、すぐ偉人との共通項を決めつけて、自分を格上げしようとするわしの悪癖は治っておらんなあ〜笑)
 ローリング・ストーンズと違って、ビートルズは黒人ブルースのカバーをやっておらん。 しかし彼等にはリヴァプール・ブルースが既に演奏に内包されておったんじゃ。 そこをマーティン氏が見逃さなかった!ってことにしておこうかのお〜♪
 マーティン氏のお仕事の最終到達点は、新しいロックンロール・スピリットと、リバプール・ブルース・スピリットの融和をビートルズのスタジオ・アルバムの中で成立させることだったに違いない。 もしインタビューさせて頂く機会があったのならば、その辺を詳らかにしてもらいたかったのお〜。 “サー”・ジョージ・マーティン氏のご冥福を心より祈る次第であります。



七鉄の酔眼雑記

 
ジョージ・マーティン氏のビートルズ関連以外のプロデュース作品としては、ジェフ・ベック、アメリカ、チープ・トリック、マハヴィシュヌ・オーケストラ、エルトン・ジョン、UFO、ウルトラヴォックス、セリーヌ・ディオンらのアルバムがある。 今回調べ直してみて知ったんじゃが、日本のYOSHIKIのアルバムも手がけておるんだそうじゃ。
 氏の略歴を見ていつも不思議に思うのは、ビートルズ自身で設立した「アップル・レコード」と契約したミュージシャンの作品(ビートルズ関連以外)にはまったく関わっておらんことじゃ。 愛弟子ともいえるポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンは積極的にプロデュースをやっておるんじゃけどな。 ポールもジョージもプロデューサーとしての方法論のすべては氏から学んでおるだけに、恐らく自分が関わると愛弟子の成長に支障をきたすという氏の親心だったのかもしれんな!
 最近はyou tube等でビッグ・アーティストの秘蔵映像/音源なんかが頻繁にアップされており、アップルと契約したミュージシャンの未発表音源も聞くことができる。 そいつをチェックしてみると、ポールやジョージには大変に失礼なんじゃけど、彼等が指揮したのは現場までであり、最終的な仕上げは氏がやっていたんじゃないか?って思える楽曲が幾つかある(笑) それでも氏の名前がクレジットされてないのもまた、氏の愛弟子に対する愛情だったんじゃないのかのお。

 一方、この件に関して別の説もある。 わしの知人である良識派ビートルズ・マニアに言わせると、「ビートルズ活動期にビートルズ以外の仕事を引き受けなかったのは、マーティン氏のプライド」なんだそうじゃ。 氏がビートルズを超一流のバンドにしたのと同時に、ビートルズが氏を超一流のプロデューサーにした。 この事実の重みを分かっておるのは氏だけであり(当時はビートルズ側は若気の至りで分かっておらんかった)、だからこそ氏はビートルズとのコラボレーションに誇りを持ち、ビートルズ以外の仕事に労力を割くことをヨシとしなかったってことらしい。 まあわしのような凡人には到底ワカラン、高過ぎる次元での人間関係のオハナシじゃが。

 氏の訃報に際して、かつてアルバムのプロデュースを任せたロッカーからのたくさんのコメントが寄せられた。 その中でわしがもっとも“引っかかった”のはジェフ・ベックのコメントの一節じゃ。
 「最初のレコーディングの後、昼飯を食べに行った時に、サウンドのクオリティに気付かされたんだ。 “まるでこの部屋で弾いてるみたいなサウンドじゃないか。 クリアですげぇ”って思ったんだ」
 アタマワリーわしは、最初はこの言葉の意味が理解出来なかったが、要するにスピーカーから聞こえてくるサウンドと、自分が演奏している最中に聞こえておるサウンドが、まったく同じ」ってことじゃろう。
 そう解釈した瞬間、何だか氏の仕事に対する判断力(エラソーですんません!)が覚醒した気がした。 「そんなプロデュースが、果たして可能なのか! すげぇ・・・」って(笑) あらためて、氏のお仕事を詳しく知りたいと思ったわい。 機会があったら、ビートルズ以外の作品を詳しくご紹介するとしよう!



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