NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.238

■44年前/1972年のロック
 そろそろ2016年も春爛漫の季節じゃな〜。 わしもそろそろ本帰国するぞ〜♪ なんつっても、The-Kingより、わしの帰国を祝うような(笑)新作のシャツが出たもんな〜。 激シブ、激クール、激エレガントなラインナップに、まさに気分は春爛漫じゃ!

 わしの不滅のロック魂に、The-Kingがあらたなる起爆剤を与えてくれよったところで、本年度の「七鉄コーナーロック回想録」第二弾は、44年前1972年のロックといくぞ。  数字として区切りよく「45年前(1971年)」と行くべきかもしれんが、その1年後の1972年の方が別の意味で区切りがええ。 この年発表されたロック・アルバムのリストを閲覧すると、「あ〜出揃ったな」って事を実感したもんじゃ。 現在まで継承されたり、時々リバイバルが起きたりするロックのスタイル、末永くお手本とされるロックの名盤のほとんどが、この年までに出尽くしたってことじゃ。 ビートルズがデビューして世界的にロック爆弾が投下されてから、たったの10年! その間にロックは恐るべきスピードで進化し尽くしたってワケじゃ。
 それをもっとも分かっていたのは先日亡くなったデヴィッド・ボウイであり、彼はこの年ロックの終焉を告げるべき名作「ジギー・スターダスト」を発表して、世紀末的ロックスターを演じてみせた。 ボウイのブレイクは、つまりロックの終わりを告げておったのじゃ。 コラムを始める前から「世紀末」「終焉」なんて言葉を連発するとドッチラケテしまうもんじゃが、事実じゃからしょうがない。 この年以降に現れる名盤やブームのスピリットは、基本的に過去の焼き直しなのじゃ。

 わしがこの度選んだ10枚のアルバムは個人的な嗜好に基づいておるので、全てがロックの終焉を飾るべき名盤ばかりではないが、あらためてセレクトした盤を振り返ると、やはり終焉という時の流れがもたらす「サムシング」を内包しておるような気がしてならない。
 諸君においては、純粋に作品を楽しんでほしいのはヤマヤマじゃけど、実際に聞く機会が訪れたら、どうかその辺の空気も感じ取ってもらえるとありがたい。 優れたロック・アルバムは、時代性と無縁であることが許されないリアル・アートなのだから。


2016年ロック回想録A
44年前/1972年のロック
ビートルズ解散からわずか2年、早くも“黄金律”が出尽くしたロックの終焉期


1 天国からの贈り物 2 アルマゲドンの戦い 
イン・ザ・ウエスト/ジミ・ヘンドリックス   ■メインストリートのならず者/ローリング・ストーンズ■
 ジミヘンの死後に乱発された編集/未発表作品の中では、数少ない名盤!
 1969〜70年のコンサートからベスト・チューンが選曲されており、炸裂するギター・スナイパー、ギターで宇宙遊泳をするユニバーサリスト、突拍子もないカバー・アレンジャー、ブルースを超越したブルースマン等、アルバム1枚にジミ・ヘンドリックスの巨大な才能がダイジェストで散りばめられておるのじゃ!

 “イギリス国歌”“サージェント・ペパー〜(ビートルズ)”“ブルー・スウェード・シューズ”“ジョニー・ビー・グッド”とレコード盤初公開の貴重な楽曲セレクトも秀逸。 演奏状態、録音状態も申し分なく、在りし日のジミヘンを偲ぶには最高じゃ。
 じゃがこの作品の評判があまりにも高すぎたことが、リリース側の粗製濫造状態を引き起こしたのは残念じゃ。 なお現在では、複雑な著作権、所有権問題が絡みまくって、当時のオリジナル編集盤は入手不可。
     歴代のストーンズのアルバムの中では“もっとも売れた”1枚らしいが、わしにとっては“もっとも酒が進む”1枚(笑)
 ストーンズ初の2枚組スタジオ・アルバムじゃが、その大枠の中は酒と女とドラッグ、そしてブルースとロックンロールの香りが充満しており、モラルも理想主義も流行も入り込む余地が一切無い最強、最狂のロック・アルバムじゃ。

 本作の完成とともにストーンズは絶頂期を迎えることになり、巨大なスタジアム・コンサートを熱狂の渦に巻き込むロック史上空前のライブが続々と生み出されることになる。 その奇跡のスピリットが本作に溢れており、その後のストーンズ史上で時折訪れる低迷期を脱する方法論としても本作は絶対のフォーマットとしての役割を果たすことになる。
 いわば「ストーンズの魂」といえる本作の基軸とは何なのか? それは恐らく・・・「酒、女&ドラッグ vs ブルース&ロックンロールじゃろう! どっちがどっちに食われるか、 そんな壮絶な綱渡りの様な戦いの中に自らを追い込み、そして己の限りなき欲望に勝利し続けたきたバンドがローリング・ストーンズなのじゃ!


3 多くの謎を引きずり続ける名曲たち   4 マルチ過ぎるロック・アーティスト!
■ジギー・スターダスト/デヴィッド・ボウイ■   ■サムシング・エニシング?/トッド・ラングレン■
 グラム・ロッカーとしてのボウイの名声を永遠にした名盤。 捨て曲がひとつもなく、収録全曲が名曲!と、その人気と評価は今もって衰えることがないようじゃ。
 ボウイ扮する地球に落ちてきた男ジギーとそのバンドが奏でるサウンドは、破滅寸前の地球の狂乱状態におけるエンターテイメントであり、地球人が潜在的に抱える享楽主義を引き出す様な最高級のポップなロックンロールじゃ。 ロック&オペラの豪快な情緒性から、ストリップ劇場や見世物小屋の妖艶な寂寞性まで兼ね備えた1本の絵巻の様な作品といえよう。

 まあこれは世に言う名盤の共通したウイークポイントではあるが、“名曲ばかり羅列”されておって、わしはどうも酒が進まん(笑) ロック特有の遊びがないというか、可愛げがないというか!?
 それにサウンドが意図的にチープなトーンでまとめられておるのがイミフ。 これはブルースやロックの最盛期じゃった50、60年代へのオマージュなのか、未だもって馴染めない重要点!じゃが、あまりにも素晴らしい楽曲群の前にそんな屁理屈は通用せんじゃろうけど。
     ビートルズにも引けを取らないポップ・センスの持ち主、トッド・ラングレン。既に60年代から数々のヒット・シングルを連発してきたトッドが、その才能を2枚組アルバムに惜しげもなくぶち込んだ作品。
 スタジオ盤の2枚組は当時では極めて稀であり、成功作としてはビートルズの「ホワイト・アルバム」だっただけに、発売当初は「暴挙!?」とクオリティが危ぶまれたもんじゃ。 しかしトッドのポップ・センスは無限であり、全編見事にトッド・チューンで統一された非の打ち所のない極上ポップ・ロック集に仕上がっておる!

 しかも全曲全パートの演奏、そしてプロデュースまでトッド一人でやってみせた! こちらは前例の「ポール・マッカートニー・ファースト」を遥かに凌ぐレベルであり、各楽器の演奏力は決して高度なテクニシャン・レベルではないが、手作り感を微妙に香らせる独特のプロデュースにより、スタジオ・ミュージシャンには無い個性的なトーンとアンサンブルの創出に成功!
 本作の発表により、トッドはプロデューサーとしての評判もうなぎのぼりとなり、当時低迷していたハードロックバンド、グランド・ファンク・レイルロードの復活に大きく関与することにもなったもんじゃ。


5 悪魔のコラール 6 極彩軽薄ロッカーの虚飾のロック道!
悪魔と魔法使い/ユーライア・ヒープ■    ザ・スライダー/T.レックス■
  プログレ的な長尺な構成と、ハードエッジなロック・サウンドとの共存を成立させながら、ドラマチック・ロックを地で行ったバンドがユーライア・ヒープじゃ。
 アルバム中の収録曲によって、また1曲中のパートによって、まるで別個のバンドが演奏しておるような異種テイストの混在が彼等の個性でもあったんじゃが、本作は全編統一されたストーリーとアレンジによるコンセプト・アルバム的な作品。

 当時流行のプログレ的アプローチが本作の高い完成度と聞きやすさをもたらしたわけじゃが、プログレバンドがクラシックやジャズ的方法論でアルバムの壮大な統一感を創出していたことに対して、彼等はあくまでも従来のロックバンドとしてのアンサンブルをより強化させることによってスケールの大きい宇宙観を生み出したことは特筆もんじゃ!
 このバンドは後にメンバーチェンジを繰り返すことになるが、その都度凄腕のロッカーが参加を承諾して見事にバンドサウンドに溶け込むことが出来た事実は、本作で証明してみせたこのバンドに宿るロック・バンドとしての高い結集力の成せる業なのかもしれん。 
    アングラ時代からのマーク・ボラン・ファンにはどこか敬遠され、ハード&プログレ・ロックファンたちには毛嫌いされておったのに、当時のグラムロック・ブームによって爆発的な人気を誇った作品。
  T.レックスの魅力とはとりもなおさずボランの特異な存在感であり、それがまったく見えないボラン・ブギーの上澄みしか聞こえてこなかったのじゃ。 ステキだったのはリンゴ・スターが撮影したアルバムのカヴァー・フォトだけ!?

 と、まずは素直にコケ下ろしてみたが、実はコケ下ろせば下ろすほど好きなんじゃ〜コレ! わしには相反する嗜好ってのが同居しておって、硬派で本格的なロックを敬愛する一方で徹頭徹尾“イーカゲンにキメた”ロックも大好き!
 より複雑で高度なテクニックが幅を効かせ、学術的にロック道を極めようとするロッカーが多かった当時のシーンの風潮を逆手にとることが「オレの生きる道だ!」と開き直ったボランのひねくれ根性が本作で炸裂しとる!
 下手クソを気取るロッカーは時々おるが、本当に下手クソが商業路線になったのはボランだけ!? じゃあ何が優れておるかってえと、聞いておる者をイーカゲンがサイコー!ってイーカゲンな人間にさせてしまう?魔法じゃよ。 ボランの実体も曲の本質もボケまくったイーカゲンの極地でなければ、その魔法はかからん!


7 ワイルド・サイドを徘徊せよ! 8 古き良きサザン・ロックの最高峰
■トランスフォーマー/ルー・リード ■  ■イート・ア・ピーチ/オールマン・ブラザース・バンド■
 ニューヨークの異端(変態?)と呼ばれる者の足音、敗残者たちの息遣いが聞こえる。 時折彼らの息を殺したくぐもった笑い声も聞こえる。 そんな作品じゃ。
 ルー・リード自体が、決して大手を振ってストリートを歩かない。 しかしひとたび限られた空間が確保され、そこに秘密のプレゼントが届けられたら、彼は揚々と蘇生し、“ソウルメイトたち”の活写を始めるロッカーじゃ。 だから彼のロックには幻想も夢物語もない。 あるのは、アウトローたちのリアルな生の実態と、その行先じゃ。 
 ビートルズはクソだ。 ストーンズはおこちゃまだ。 ドアーズは大馬鹿野郎だ。 歯に衣を着せぬ他者批判を公然と繰り返すルー・リードじゃが、彼にとっての最大の題材は目の前の現実であるがゆえに、その発言にも納得がいくもんじゃ。
 人は誰しも現実に目を背けたがる。 アーティストだって然り。 勇気を持って果敢に自分の現実に立ち向かって行ったのは、ロッカーではジョン・レノンとルー・リードだけかもしれん。
 「でもな、それでは売れねーんだよ。 だから“グレーな”ジョークをかましてみせたんだ」というルー・リードのイタズラなセンスが俄然光る作品じゃ。 ニューヨーク地方の名士がブルース・スプリングスティーンやビリー・ジョエルなら、名士も恐れる識者がルー・リード!
     天才スライド・ギタリスト、デュアン・オールマン生前最後の参加作品として名高い1枚。 前作「フィルモア・ライブ」の超絶的なアドリブと何ら遜色のない、本作の計算され尽くした構成美によるスタジオ・セッションにまずは絶句!
 ライブのテンション、トーン、インスピレーション・フレーバーをスタジオに持ち込むのは至難の業であるはずが、彼等の手にかかるとそのまんま! ライブ・プレイヤーとして恐るべきナチュラルな資質を持った連中の集合体がオールマン・ブラザースであることを物語る名盤じゃ。 彼等は目の前に客がいようがいまいが、行くべき世界がブレることがない! だからこそ、オリジナルLP盤のスタジオ録音6曲にライブ3曲の変則な組み合わせもまったく違和感なく聴き通すことが出来る。

 当時の彼等は異様なほどライブでの集客力を誇ったもんじゃが、それは壮絶なインタープレイを披露しても客をリラックスさせられる特殊な自制力があった。
 それはカントリーやブルースへの敬愛の精神の高さがもたらす効果であり、デュアンとディッキー・ベッツのツイン・リード・ギターを共存させる最大のファクターじゃ。 スリリングであってマイルド 。オリジナル・オールマン・サウンドの最初にして最後の頂点!
 


9 皆さん、本当にお疲れ様!     10 ハードロック・ジャパンの夜明け
■ジェフ・ベック・グループ(第二期JBGセカンド))■  ■メイド・イン・ジャパン/ディープ・パープル■
 ロック史上有数のアンバランスな作品!ギターとドラムはロック調、ヴォーカルとベースはソウル調、キーボードはフュージョン他八面六臂。
 楽曲もロックあり、ギターインストあり、モータウン系あり、ソウル系あり、とひっちゃかめっちゃか。 もっとも大変だったのはドラムのコージー・パウエルじゃろうなあ〜。 時折半ばヤケ気味にひっぱたかれるシンバルの悲鳴が笑える!
 感性とその時々の興味だけでアルバムを作り続けてきたジェフ・ベックも、当時は何をやっていいんだか分かんなかったんじゃろう。 本作録音中にジェフの気まぐれぶりにメンバーがキレまくったらしいが、容易に想像出来る! ファーストのタイトルは「粗製濫造」じゃったが、それはこのセカンドに相応しいぞ(笑)

 名盤本来の評価基準にはとても達しておらんが、強烈なインパクトを放つ作品ではある。 各メンバーのプレイを切り取って聞くと抜群に個性的だからじゃ。
 決してお互いのプレイは溶け合ってはおらんが、「いちいち(ジェフの)指示通りなんか出来るか!」っつった投げやり感がダイナミックであり(笑)、ジェフはジェフで「 キサマら、オレを誰だと思ってんだ!」って怒りのトーンじゃ。 いいんじゃないか、こんなアルバムがあってこそロックじゃ! 
     若かりし日からメタル弱者じゃったわしが、もっとも聞いた(聞かされた?)メタル系ライブ・アルバムかもしれない!
 ご存知、日本武道館の名前を世界的に有名にしたアルバムであり、メタルというよりハードロックの大全盛時代を象徴する代表的な1枚じゃ。
 1971年の日本公演の中からベストチューンが選曲されておるが、当時は洋楽アーティストの日本公演における手抜き演奏が当たり前じゃったんで、超本格的なライブアルバムのソースが日本公演から出た!という事実だけでも日本のロックファンは誇らしい気分だったに違いない。

 後にディープ・パープルに参加した某有名メンバーが「パープルの連中は、ライブになるとスタジオやリハーサルの時よりも何十倍のエネルギーを放射する」と語ったことがあるが、この発言を本作は如実に証明しておるじゃろう。
 正確無比なリズムセクションのプレイを唯一の制御装置としながら、ヴォーカル、ギター、キーボードが美しく暴れ、絡みまくるプレイはまさ70年代ロックの真骨頂であり、同系他者たちの鏡じゃ。
 あえてケチを付ければ、二度と訪れない閃きってもんが欠落した演奏じゃが、巨大なハードロック的カタルシスをオーディエンスにもたらすのは、ロックライブ特有の意外性よりも、予定調和的な構成力とその増幅センスであることを証明した名ライブ盤じゃ。


 その他、プログレ系ではジェネシス「フォックストロット」、イエス「危機」、EL&P「トリロジー」。
 ハードロック/メタル系では「マシン・ヘッド/ディープ・パープル」や「ブラック・サバスVol.4」。
 ブルースロック系ではハンブル・パイ「スモーキン」やフリーの「フリー・アット・ラスト」。
 フォーク系ではニール・ヤングの「ハーベスト」やジャクソン・ブラウンとバフィー・セントメリーのファースト。
 パワー女性シンガー系ではリンダ・ロンシュタッドのファーストにカーリー・サイモンの「ノー・シークレット」なんかがリリースされておる。
 パンク、ディスコにロックが完全に飲み込まれる時代はもっと先ではあるものの、様々なタイプのシンガー/プレイヤーたちの多彩なテイスト、フィーリングの過半数が、ロックによって強烈な具現化を夢見ることの出来た最後の年が1972年だったのであ〜る。


七鉄の酔眼雑記 〜ロックの終焉を裏付けた?世界的大事件について

 1972年という年を思い出した場合、真っ先に浮かぶのは「ミュンヘン・オリンピック事件」。 同年9月5日、旧西ドイツのミュンヘンのオリンピック開催期間中に、選手村に侵入したパレスチナ武装組織「黒い九月」により行われた人質事件じゃ。 実行グループの名前から「黒い九月事件」とも呼ばれ、イスラエルのアスリート11名が殺されたのじゃ。
 オリンピックは「平和の祭典」とも呼ばれておるだけに、現在世界各地で起こっている「テロ事件」以上に世界を揺るがせた大事件じゃった。 まだ新聞の一面をチェックするような年頃ではなかったわしが、世界情勢をある程度気に留めるきっかけになったもんである。 この事件以降、ゲリラによる殺人事件、テロの報道が多くなったと記憶しておる。

 それまで大きな社会的事件といえば、おかしな言い方になるが、主役は元々善良だった若者たちじゃった。 「社会を変えたい」「体制を覆したい」という青臭い正義感に駆られた若者たちの“集団行動”が、とりあえず報道の世界だけは揺るがしておった。
 そこには軍歌のような役割をもった「歌」があり、その「歌」がロックであり、反体制的フォークだったんで、「ロックが好き」なんて迂闊に言ってしまうと、就職はおろか、アルバイトの口さえ見つけづらいような時代じゃった(笑)
 しかし暴動のシンボルとみなされていた若者とロックは、「ミュンヘン・オリンピック事件」以降は、その有り難くない立場が完全にテロリストたちに乗っ取られた形になったもんじゃ。 そんな最中の1972年に、ロックが音楽的に終焉を迎えていたのも偶然ではなかったと思えるのじゃ。もっともわしは、この頃から本格的、多角的にロックにのめり込み始めておるんで、世代的にも、実質的にも、遅れてきたロック世代の一人というわけじゃ。

 わしには「ロック黄金世代者」の姉貴殿がおるが、今でも時々思う事がある。 姉貴殿はロックなんぞ全然興味がなかっただけに、もし姉貴殿とわしとが生まれる時代が反対になっていたら、わしはどんな人生を歩んだろうか?って。 今まで色んな想像をしてみたもんじゃけど、結論は「わしは社会的無能力者、ただのロックバカで終わってしまったじゃろう」ってことじゃ。
 え?今でもただのロックバカじゃなかったの?ってヤカマシーわい!(笑) もしそうだったら、The-Kingのホームページに参加させて頂けないではないか! まあ、そんな事を思い浮かべながら今回の企画をやらせてもろうたんじゃが、少なくともアルバム紹介文においてはケッコーロックバカじゃな〜(笑)って事で締めさせていただきやす!



GO TO TOP