NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.235

■デヴィッド・ボウイ追悼〜スタジオ・アルバム全28枚箇条書きレビュー
 新年早々からThe-Kingのオシャレでアクティブ感溢れる「ショートコート」に気分ウキウキ状態。 「寒い時期に帰国するのは止めておこう」なんて考えておったが、これさえあれば冬を駆け回ることが出来るな!
 そんな気分の一方、ロック界の「巨星落つ」のニュースに打ちひしがれておるわしじゃ。 デヴィッド・ボウイ逝去。 既に二週間が経過しておるが、なんだか人生の楽しみが確実にひとつ無くなってしまった喪失感から抜け出せんわなあ・・・。 わしのような生まれつき感性の乏しい者にとって、ボウイの数々のアルバムは脳みそを根底から活性化させてくれる希少な存在だったんじゃよ。

 色んな文化がボウイの手にかかると掘り出されたクロームの様に鈍く、鋭く光る。 そして時代と衝突しながら磨き合う構図もまた普遍じゃった。 ついでにわしのトンカチ頭をほんの少しだけ磨き続けてくれよった。 ボウイの音楽はわしにとっては探知機みたいであり、彼の発信地を夢中になって探し続けたものじゃった。
 あの特異な容姿故に、時代のクリエーターとしてのイメージがついて回ったアーティストじゃったが、ボウイ自身は時代を作ったり先導する願望はあまりなかったと思うぞ。 時代の時計の針を自在に操るボウイは、預言者であり、仙人であり、語り部じゃ。 言うならば、時代の中での立ち位置が素晴らしかった!
 ラストの2タイトル、「Next Time」「Black Star」は個人的には傑作じゃ。 我々ボウイ・フリークに向けて贈られた「金言集」であり、ボウイをあまり知らないリスナーにとっては、品格のあるパワー・ポップスじゃろう。
 ただし、“このカード”を切ることはボウイの最終手段の様な予感もあったな。 40年以上も現役であり続けてくれただけでも有り難いのに、わしのようなフリークは表現者にとっては本当に迷惑な輩だったに違いない!?

 デビッド・ボウイが残したスタジオ・アルバムは28枚にも及ぶが、迷惑なフリークからのせめてものお詫びとしてとして、ラインナップ全て、各枚50字限定レビューをやってみたい!ピン!ときたら買ってくれたまえ!!


デヴィッド・ボウイ追悼
各タイトル50字限定、スタジオ・アルバム全28枚箇条書き一気レビュー!


彷徨える吟遊詩人。アイドルかアーティストか!?

★1★.デヴィッド・ボウイ(1967年)
 メジャーデビュー作。 稀代の異端児の売り出し方をレーベルが間違えた感じ。 英国のディランって違うだろう!

★2★ スペース・オデティ(69年)
 若きツラトゥストラのボウイ! フォークチックながらドラマチックな構成が魅力。 隠れた名曲揃い!

★3★ 世界を売った男(71年)
 アングラ・フォークとグラムロックの融合。少々陰鬱ながらロックフリークの心臓に訴えてくるノリ。 ボウイは幾らで世界を売ったんじゃろかw


地球に落てきた男、ジギー降臨!

★4★ ハンキー・ドリー(71年)
 ボウイのメロディメイカーのセンスが開花。 グラムロックの旗手というより素敵にひねられたパワーポップ。

★5★ ジギー・スターダスト(72年)
 全曲コレ名曲!の奇跡的作品。 出来過ぎでお腹いっぱいで酒が美味しくない!?っつう変な名盤。

★6★ アラジン・セイン(73年)
 ポップスターではなく、ロックンローラーのボウイの凄みを叩きつけた名盤。 “ジギー”よりもこっちが好き!


過渡期に発表された、ナイス・アイディアな2枚

★7★ピンナップス(73年)

 60年代ロックのカバー集。シブイ選曲だが、原曲の良さを損なわずに自己流アレンジで磨き上げたセンスは圧巻。

★8★ ダイヤモンド・ドッグス(74年)
 近未来人間の苦悩と享楽を「サージェント・ペパー」風に表現。ボウイ流オペラの傑作。


アメリカン? ヨーロピアン? 豊穣な第二次放浪期

★ヤング・アメリカン(75年)

 当時流行のアメリカン・ソウルに大接近。 こなれていない感じじゃが、俄然垢抜けてきたボーカルが魅力。 ジョン・レノンとも共演。

★10★ ステイション・トゥ・ステイション(76年)
 アメリカンとヨーロピアン・ポップスのエッセンスが混在。ボーカリストとしてのボウイの最初の頂点。


ベルリン三部作とその凄みある余力
★11★ ロウ(77年)
 第三国(独や東欧)からのインスピレーション溢れる異色作。 以降、ライブで効果的に挿入されるインスト曲多し。

★12★ ヒーローズ(77年)
 ヨーロッパ人としての自身生粋の美意識に貫かれた1枚。 “もっとロック的に”演ってほしい苛立ちが無きにしも非ず!?

★13★ ロジャー(79年)
 煌びやかな80年代シーンの到来を意識した、軽快なロックナンバーが目立つ。カルトヒーロー的存在お別れの1枚。

★14★ スケアリー・モンスターズ(80年)
半プロ的ロックが幅を利かすニューウエイブシーンを唸らせた、ド先鋭&カルト・ファッションで彩られた超攻撃作。


アーティストからポップ・キングへ?異例の商業主義路線

★15★ レッツ・ダンス(83年)
 時代の寵児ナイル・ロジャースのプロデュースにボウイが立場を譲ったゆゆしき1枚。 後の名盤の基礎にはなっている!?

★16★ ブルージーン(84年)
 前作でつかんだメジャーヒーローの座にこだわった、娯楽映画のサントラみたいな作品。 これはジャスト80年代的。

★17★ ネヴァー・レット・ミー・ダウン(87年)
 3作続けてしまったポップ路線。 時代が金太郎飴だったのでボウイまでも・・・シナトラでも意識すれば何とかなったはず。


無敵のボウイ・センス唯一の「?時代」
★18★ ティン・マシーン(89年)
 ボウイ初のハードロック挑戦! イギー・ポップになりたかったという説も。 同名バンドのバックアップも完璧だが人気薄。

★★19★ ティン・マシーンII(91年)
 まったくの不振に終わったティンマシーンの最終作。 ハードロックなのにハイセンス過ぎたか? ボウイの看板がセールスの邪魔になっただけかも。


クール、エクセレントなサウンドの復活も賛否両論

★20★ ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ(93年)
 “レッツ・ダンス路線”の反省を踏まえて?シブク時代のダンス音楽への迎合を追求。 結果、先進的サウンド完成!

★21★ 郊外のブッダ (93年)
 同名小説のドラマ化にあたりボウイが作曲を担当したアルバム。 90年代の「ピンナップス」の様なオールドロックの上手いリメイク。

★22★ アウトサイド (95年)
 製作面全てに70年代の先進的姿勢を復活させ、現代デジタルサウンドにて完成させた意欲作。ボウイ衰退説を吹き飛ばした快作。


★23★ アースリング (97年)
 「荒涼とした現代」をテーマにした21世紀型アンビエント的プログレ。 評判は悪かったが、とりあえずアーティスト・ボウイは復活。


見据えていたのは、未来か過去か

★24★ アワーズ… (99年)
 
個人的には近年でもっとも印象の薄い1枚。 前作のアウトテイク?デジタル・サウンドにボウイ自身が飽きてしまった?? 

★25★ ヒーザン(2002年)
 本作にて、ボウイは商業的成功への意欲を捨て去った様。 目線は多彩な自身のキャリアへの敬意であり、「やりたいようにやる!」

★26★ リアリティ(03年)
 最後のロック的名盤。 キンクスやG.ハリスンのカヴァーもグッド。 熟練したロックセンスに初めてジェントルな唱法がマッチ。


最後の美しき招待状
★27★ ザ・ネクスト・デイ (13年)
 10年ぶりの作品。 かつて絶賛された多くのパーツを磨き上げた様な信じ難い傑作!安寧感と瑞々しさ、ロックと室内楽!

★28★ ブラックスター(16年)

 21世紀前後に試行錯誤していたジェントリー・ロックやアンビエント・ポップスへのアプローチが最後に完結。


 以上のスタジオ盤の他に、サントラ扱いの盤やライブ盤が各数枚づつ入手出来る。 またアルバム未収録のシングル盤を集めた編集盤を含めたオムニバス盤も数種ある。 それぞれにスタジオ盤で聞くボウイの音楽とは別種の魅力に溢れておるんで、機会をみて是非そちらも紹介してみたい。

 28枚の箇条書きレビューでお分かり頂けたと思うが、ボウイは最後の最後まで新しいアプローチを貫き、決して懐メロライブで年金を稼ぐような愚行を犯さなかった。 また、ビッグネーム特有の驕り高ぶった放漫な作品がほとんど無かったことも賞賛に値する。 まさに、ロックンロール・アーティストとして天寿を全うしたと言えるじゃろう。 あっぱれ!じゃ。 人として、ロックンロールを愛する者として、わしも大いに見習いたいところじゃ(笑)

 ラストアルバムのタイトルは「ブラック・スター」、輝かない星ってことじゃ。 生前のボウイは光り輝くスターじゃったが、輝きを与え続けていたフリーク、ファンたちにその光を譲るということじゃろうかのお? それとも、星は輝かずとも、いつまでも我々を見守り続けておるということか? それならこっちは責任重大じゃな(汗) わしも「過剰書きレビュー」ぐらいではボウイに納得してもらえんわな〜。 まずは、諸君の中から一人でもデヴィッド・ボウイを聞いてみるか!と思い立ってもらえる事を願っておる!


七鉄の酔眼雑記 〜 デヴィッド・ボウイ日本公演の思い出
 
 デヴィッド・ボウイの日本公演は、わしは都合4回体験しておる。 1978年12月(NHKホール)、1983年10月(日本武道館)で2回、1990年5月(東京ドーム)じゃ。 いずれも以前のヒット曲と最新アルバムからのピックアップ曲をミックスしたセットリストじゃったが、強烈な思い出が3つあったもんじゃ。
 まず過去のヒット曲の扱い方。 それらしきイントロが聞こえると当然観衆から「待ってました!」って歓声が上がり、アレンジは基本的にスタジオ・テイクに忠実なんじゃが、演奏全体のイメージが“新曲”なのじゃ。 それが当時は非常に不思議だったんじゃが、結局その原因はわからずじまい。 2004年のリアリティーツアーの映像を観た時も同じじゃった。 「デビッド・ボウイは常に未来を見据えているから、旧曲も新曲になるんじゃろう」なんて自分を無理やり納得させたりしておった。

 次に二時間ほどのコンサート中、リラックスタイム的、余興的な展開がほとんど無かった。 いわばぶっ通しで真剣なライブじゃ。 これは、かつて日本のロックファンをバカにしたような洋楽コンサートを散々体験してきた身としてはとても嬉しいことじゃった。 じゃが余興的なパートにおいては、大概はそのロッカーの基本的な音楽趣味がご機嫌に披露される場合が多い。 オールドロックンロールとかブルースとか、彼等が大人になる過程で慣れ親しんできた音楽のカヴァーを聞けるから、ファンも一緒になってリラックス出来る。 それがわしが体験したボウイのライブではほとんど無かったんじゃな。
 実はボウイは下積み時代、まだデイビー・ジョーンズという本名を名乗っておった頃、自らサックスも担当しながらブルースのカバーをギンギンにやっておった。 同世代のロッカー同様に、ボウイの音楽的ルーツもまたブルースだったのじゃ。 だからわしは聞きたかったんじゃよ、ボウイのブルースを! いつの日かボウイのブルースに触れる日がくることを密かに楽しみにしておったが、ついに最後までやらんかった。 長年のボウイ・ファンとして、最大のフラストレーションじゃな。
 そして、もうひとつの思い出は、1990年の東京ドーム公演。 気の毒なくらいガラガラだったことじゃ。 アメリカン商業路線に徹した三部作、ハードロック・バンドで臨んだティン・マシーンがいずれも日本で不人気だったってことじゃろうが、日本のファンって案外保守的なんじゃな〜って嬉しいような悲しいような、何とも言えない複雑な気分じゃった。

 さて、デヴィッド・ボウイの代名詞といえば「変身」! 3〜4年毎に音楽性とファッションをコロコロと変えていったことじゃ。 音楽は賛否両論じゃったが、ファッションの方はいつも褒め讃えられておった。 わしから見ても、「さすがのボウイもこれは似合わんなあ」って思った記憶がまったくない。 奇跡のファッション・センスじゃよ。 ボウイ・ファッション変遇の歴史なんかも、いつの日か書いてみたい!



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