NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.219


 「GW直後はバッチリ休養したので、体調は万全!」と、ボスから嬉しいメールが入った! その言葉を象徴するように、新作においては斬新なインタリアン・カラーシャツがわんさか! 開放デーも無事終わり、ふんどし締め直してゴーしとるようじゃ。 わしも旅ボケせんと、せっせと旅を続けるかってワケワカランこと言っとるようじゃが、わしも元気であります!

 二ヵ月前のこのコーナー(Vol.215)にて、ジミ・ヘンドリックス没後45周年に合わせて「ジミ・ヘンドリックスを聞いてみよう〜インストゥルメント編」を書かせてもろうたが、ちと間が空いたものの、今回は第二弾をやってみたい。
 ジミ・ヘンドリックス初心者にとって、とにかくジミのディスコグラフィーってのは厄介であり、オリジナル・アルバムを順繰りに聞いていくというやり方はどうにもオススメ出来ないもんだから(理由はVol.215を読んでほしい)、今回もわし独自の切り口による「ジミヘン攻略法」を授けてしんぜようというワケじゃ。
 それは「カバー・プレイ集」じゃ。 追随者を寄せ付けない圧倒的な超個性派ギタリストであり、場合によってはアバンギャルド寸前のすさまじいサウンドも、他者の曲をやるとなると、多少フォーマットに忠実になるだけに、オリジナル曲よりもいくらか聞きやすいからじゃ。 カバー曲を聞きながら、ジミヘンの凄まじさのほんの一旦を体験しながら攻略していくってのもアリじゃろう!
 ジミ・ヘンドリックスは1970年に亡くなってしもうたので、カバーといっても50年代、60年代に限られておるので、ロックの原体験が50〜60年代ロックである諸君の多くにも興味を持ってもらえる切り口になったらええなと願っておる次第じゃ。
 実は旅の途中、それもつい最近、ぶ厚い「ジミ・ヘンドリックス全曲集」って書籍をなくしてしまったのじゃ。 恐らく宿かバスの中かどちらかに置き忘れてしもうたんじゃろう。 データ中心でそれなりに役に立つガイドブックなので実にイタ〜イ・・・でもしゃーないわ。 情報提供的には片手落ちになってしまうが、わしの“やる気でカバーしたつもりなんでヨロシューな。


ジミ・ヘンドリックス没後45周年に寄せてA
ジミヘンを聴いてみよう!〜カバーテイク集10番勝負編


■50年代編■

♪tune-1〜ロック・ミー・ベイビー

 まずは、先日逝去されたブルース界の巨匠B.B.キングを偲んで、B.B.の代表曲であり、ブルース・ロックの古典であるこのカバーから。 ジミはこの曲がよほどお気に入りだったようで、歌詞を変えただけの替え歌「ラバーマン」という曲まで発表しとるほどじゃ。 
 色んなロッカーにカバーされておる名曲過ぎる名曲なだけに、「何を今更」と敬遠されてしまうが騙されたと思うて聞いてみい! もうB.B.キングもぶっ飛んでしまいそうな、圧倒的なスピード感とハードロック・フィーリングでジミは豪快にキメておる! もうブルースとかロックとか、そういうことはどうでもよくて、ただただ「ロック・ミー・ベイビー」じゃ!

●収録アルバム『モンタレー・ポップ・フェスティバル』 ▼You Tubeリンク


♪tune2〜ハウンド・ドッグ
 はい、お次はエルヴィスのカバー! ジミはイギリスに渡って自らのバンド・エクスペリエンスのリーダーとしてメジャーデビューを果たしたが、どうしても自分自身の「ハウンド・ドッグ」をイギリスのロックファンに聞かせたかった!とコメントしておった。 その有言実行の演奏がコレじゃ!
 BBCのラジオ番組「トップ・ギア」に出演した際のライブであり、犬の吠え真似まで披露するという無邪気な張り切りぶりであり、演奏は完全にハードロック。 それでも原曲の良さをぶち壊さない節度ある暴れ方じゃ。 ジミのエルヴィスに対する敬意じゃろう。

 余談じゃが、ジミは楽屋で女の子たちに囲まれて上機嫌になると、アコギを持ち出してこの曲を口ずさんで周囲を和ませていたというエピソードも残っておる。
 エルヴィスにおいては、滅多に後輩のロッカーに対してコメントを残さなかったのものの、熱心なファン・サイトによると、ジミ・ヘンドリックスとエリック・クラプトンの出現に関しては「驚いた」とと言っておったらしい。 ジミの真似をしてエルビスは左利き用のギターを特注した、というのはウソ! 左の写真は、左右対称に焼き直しただけのモンじゃろうな(笑)

●収録アルバム『BBCセッション』 ▼You Tubeリンク


♪tune3〜ブルー・スウェード・シューズ 
 カールのお父さんが有名ロッカーとのセッションをしたラストアルバム『ゴー・キャット・ゴー』に追加収録されたナンバー。 これは、もっとも不可解?で奇妙奇天烈な「ブルー・スウェード・シューズ」のカバーじゃろうな。 1970年5月のバークレイ公演でのサウンドチェックの際の演奏らしいが、本番のステージにおいて「ジミ・ヘンドリックスたらん!」とするための、少々変態チックなファンク的ウォーミング・アップとでもいうべきか。 ロックンロールの王道をいくこの曲のリズムを、あえてグニャグニャ(ファンク調?)にアレンジして、自分の感性の至るところをチェックしとる、そんな感じのセッションじゃ。 
 そしてもうワン・テイク。 ジミの死後、勝手にスタジオワークを加えて改ざんされたテイク。(アルバム『ミッドナイト・ライトニング』収録) ギターもどこまでがジミだか判然としない。 しかし完成度としては、ジミがもし生きていたらアり?と思えなくもない。 先述のファンクもどきテイクがまとまってはおる。 

●収録アルバム『ゴー・キャット・ゴー/カール・パーキンス』
●収録アルバム『ミッドナイト・ライトニング』 ▼You Tubeリンク


♪tune4〜ジョニー・B・グッド
 B.B.キング殿のお次は、チャック・ベリー殿もぶっ飛ばしてみせるか!ってワケでもないじゃろうが、あの口の悪いチャック・ベリーを完全に黙らせてしまったという名カバーじゃ。 「つ、つまりだな、“ジョニー・B・グッド”ってのは、こういう曲ってことだ」チャック御大はそれ以上は何も言えなかったらしい。
 ジミはテンションが上がり過ぎているのか、どうもヴォーカルの音程が外れる寸前までいっちゃっておるが、それすらも演奏のダイナミズムにプラスアルファーを加えている言ってしまいたいぐらいの爆発モードじゃ。 ジミの「ジョニー・B・グッド」は、1970年のアメリカン・ツアーにおけるハイライトだったようじゃ。
 またジョン・レノンもこの演奏に感銘を受けて、ジョンが後に発表するオールドロックンロールのカバーアルバムの原案を閃かせたとも。

●収録アルバム『イン・ザ・ウエスト』 ▼You Tubeリンク


■60年代編■

♪tune5〜キリング・フロア
 ハウリング・ウルフのハードロック・カバーじゃ! 1967年6月に開催された「モンタレー・ポップ・フェスティバル」は、ジミ・ヘンドリックスの実質的な本国アメリカでのデビューコンサートになったが、そのステージのオープニング・ナンバーにジミはコイツをもってきたのだ。 それは白人寄りのロックをやってはいるが、自分は黒人であり、黒人ブルースを愛しており、ブルース・ナンバーの基盤の上に成立する音楽をやっているのだ、というメッセージでもあったんじゃろう。
 ここにご紹介したいテイクは「モンタレー・テイク」ではなく、1966年10月18日、つまりイギリスでエクスペリエンスとして正式にデビューした直後のパリでのライブ・テイク。 多少緊張気味の「モンタレー・テイク」よりもテンポがややスローであり、ハウリング・ウルフのオリジナルテイクに近く、ブルースの重厚なリズムとロックのかっこよさが実に味わい深くミックスされた名演じゃ。

●収録アルバム『ジミ・ヘンドリック・エクスペリエンス(4枚組ボックスセット)』 ▼You Tubeリンク(リンク切れの為、同時期のスウェーデンのテイク)



♪tune6〜グローリア
 アイルランドの天才ブルース・シンガー、ヴァン・モリスン率いるゼムの大ヒットナンバーのカバー。 思春期の青年が性的に激しく恋焦がれる女性の接近に胸が高まる状況をどぎついエロティシズムで歌ったナンバーであり、破天荒なヴォーカル・テクニックがないと歌いこなせない難易度がウルトラC級なんじゃが、ジミは超変幻自在なギターテクでものの見事に自分の曲にしてしまっておる! 原曲の自由奔放な解釈と自己流アレンジの突拍子のなさ!?それでいて原曲のトーンを外れそうなギリギリの境界線で留まってみせる抑制力のセンス、ジミだからこそ成し得たとてつもない芸当じゃ。

 ゼム時代のヴァン・モリスンはコイツを演ってる時は、自分勝手にエクスタシーに到達してしまうような演技をかましておったが、ジミの場合は自分自身は“性の伝道師”のごとく冷静でありながらも大観衆を頂点に導く、まさにブルースの世界で言う「モジョ」(絶倫者)そのものの様相じゃわい!

●収録アルバム『ジミ・ヘンドリック・エクスペリエンス(4枚組ボックスセット)』 ▼You Tubeリンク(リンク切れの為、同時期のテイク


♪tune7〜サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 

 え! ジミヘンがビートルズ・ナンバーを演ってるのか!!と驚かれたじゃろうな。 ポール・マッカートニーに言わせれば、アルバム『サージェント・ペパー〜』が発売になった1967年6月1日から約一週間後、ジミはこのタイトル・ナンバーのカバーをステージでプレイしたそうじゃ。 ジミの熱烈なファンじゃったポールは、自分の曲がジミにプレイされたことに感激したそうじゃ。 ジミがこの曲をやっとる映像は、ビートルズのヒストリー作品『アンソロジー』の中にも収録されておった。 
 ジミはこのカバーを演奏し始めた直後は、必ず演奏前に「ビートルズがスゲーアルバムを出したんだぜ!」ってコメントしていたらしいが、まあ『サージェント・ペパーズ〜』の発表以上に、わしはジミ・ヘンドリックスの出現の方がスゲーと思うけどな!

●収録アルバム『ジミ・ヘンドリック・エクスペリエンス(4枚組ボックスセット)』 


♪tune8〜オール・アロング・ザ・ウォッチ・タワー
♪tune9〜ライク・ア・ローリング・ストーン 
 ジミはブルースマンだけではなく、ボブ・ディランにも深く傾倒しており、2曲のカバーを残しておる。 割とオーソドックスなカバーの仕方じゃが、「ディランの歌詞は、歌詞の書き方だけではなく、ギターの弾き方まで教えてくれるんだ」というジミのコメントを重ね合わせながら聞くと、なんだがメロディアスでありながら難解でもあるこの2曲の真意が聞こえてきそうな気がする。 ディランはジミのカバーを聞いて、「もうこの曲の著作権の半分はジミにあると言ってもいい」とコメントしておった。

 また、毎年恒例グラミーの前夜祭的に行なわれる「MusiCares Person Of The Year」の2015年度受賞者に選出されたディランは、授賞式のスピーチにおいて

「ジミ・ヘンドリックスを忘れる訳にはいかない。 (中略) 彼は、誰も全く注目していなかったようなわたしの些細な曲を、成層圏の隅まで轟かせて、どれも名曲にしてくれた。 ジミにも感謝しなければ。 彼がここにいてくれたらと思う」

とまで語っておった。 “あの偏屈な”ディランを、ジミはここまで謙虚に、そして熱くさせていたのじゃ。。

●「オール・アロング〜」収録アルバム『エレクトリック・レディ・ランド』 ▼You Tubeリンク
●「ライク・ア・〜」収録アルバム『モンタレー・ポップ・フェスティバル』 ▼You Tubeリンク

♪tune-10 ヘイ・ジョー
 この曲はジミヘンのデビューシングル曲じゃが、実はカバー曲。 「ヘイ・ジョー」のオリジナル作曲者は誰なのか?という議論が古くからされていた謎めいた曲なんじゃが、ロックミュージックの博識者ピーター・バラカンの説によると、60年代初頭に活動していたフォーク・シンガー、ティム・ローズらしい。 んで、有名にしたのは1965年にロサンジェルスのパンク・バンド(のはしり)であるザ・リーブスらしい。 ジミヘンがどっちのテイクを参考にしたのかも諸説様々じゃ!
 歌の内容は、妻を殺してメキシコを逃亡する男のオハナシ、いわゆる「マーダー・バラッド(殺人者のバラード)」じゃが、ジミはティム・ローズやザ・リーブスのテイクよりもずっとスローでブルージーな味わいにアレンジしており、バラードというよりもラメント(哀歌)といえるように演奏しとる。 わし個人的にはジミのテイクが最良じゃ。
 
 
●収録アルバム『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス(ファースト)』 ▼You Tubeリンク


 上記10曲の他には、クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」のインスト・テイクもあるが、これは前回の「インスト編」でご紹介済なので割愛しておくが、オススメじゃ。
 割ととっつきやすいと思われるカバー曲ばかりを取り上げてみたいので、諸君のジミヘンに対する「恐怖感」「畏怖感」「抵抗感」等が少しでも軽減されることを願うばかりじゃ。 ジミ・ヘンドリックスといえども、わしらと同じく、オールド・ロックンロール、ブルースの愛好者だった、と思えば親近感も湧いてくるじゃろう(笑)
 今回ご紹介したカバーテイクのほとんどは、デビューして名声を勝ち得た後のプレイなので、既に「超天才」としての側面も充分に感じ取れるが、最近はデビュー前の半プロ時代の演奏も発掘されてきており、ギタリスト・ジミヘンとしてまだ未完成時代の「これはオモシロイ!」というテイクに今後出会えるかもしれん。 個人的にはフィフティーズ・ロックのカバーがもっと発見されんかな〜と願っておるので、その思いが実現した時はあらためてご紹介しよう。
 「ジミヘン特集第三弾」はいつになるか分からんが、またビギナーにご紹介できる切り口が見つかるその時までごきげんようじゃ!



七鉄の酔眼雑記 〜ミトコンドリアン・ナナテツ

 ジミ・ヘンドリックスの映像を初めて観た時の光景は強烈じゃった。 日時は覚えておらんけど、1970年代初めに、東京・新橋当たりの映画館でみた『ウッドストック』にて“動くジミヘン”を観たのじゃ。  映画『ウッドストック』のラストにジミヘンは登場するんじゃが、ジミヘンの姿がスクリーンに登場するや否や、劇場内のほとんどの客が一斉に拍手しながらスタンディングしたのじゃ。
 ザ・フーが、テン・イヤーズ・アフターが、サンタナが登場しても静かだったのに、ジミヘンの時だけ劇場内に異変が起きたのじゃ。 みんな“動くジミヘン”を観たくてしょうがなかったのじゃろうな!
 ジミヘン登場シーンの約20分間、一度スタンディングした客はそのまんま。 まるで「座ってジミヘンを観るなんて失礼だ!」っつった光景が今も瞳の奥底に焼きついておる。 わしはスタンディングしなかったと思うが、ジミヘンのお姿がスクリーンに収まりきれず、体長20〜30メートルの様に、ただひたすら巨大に観えた。 ロック映画のほとんどは劇場で観てきたわしじゃが、主人公があそこまでビッグに突き刺さってきたのは、後にも先にも例がない。

 映画『ウッドストック』劇場鑑賞から約10年後。 今度は『モンタレー・ポップ・フェスティバル』に出演したジミヘンとオーティス・レディングの映像をカップリングしたフィルム・コンサートに行った。 場所は吉祥寺じゃったな。
 当時の吉祥寺は、ロック野郎とソイツらを相手にしたパプとか喫茶店とかライブハウスとかが多い日本有数の場所だったと思う。 さそがしフィルムコンサートは盛り上がるんだろうな、と期待して午前中から出かけたもんじゃ。
 ところが、客はわしを含めてわずか3人。 上映何日目だったのかは知らんが、あまりに客入りが悪かったせいなのか、劇場の売店に幕が張られて臨時休業にされておった。 だから、暇であくびをしているようなモギリのオネエサンに頼んで一旦劇場の外に出させてもらい、酒屋へ行ってビールを補充してから再入場。 ラストのタイム・テーブルまで自分勝手に盛り上がっておった。 もちろん、最後の上映時間はわし一人。 劇場貸切状態を体験したのは、後にも先にもその時だけじゃ。 『ウッドストック』とはまったく正反対な印象の強い体験じゃったな〜。

 今年公開されたジミヘンの伝記映画の日本の反響はどうじゃったのだろうか? 別に拍手しながらスタンディングしろ!とは言わんけど、なんとか日本でジミヘンの人気が上がるきっかけにならんもんかな〜と気を揉んでおる。 「スゲースゲースゲー」と言われるばっかりで、依然として実の人気がまったく伴っておらんからのお〜。 でも死後45年なんで、いい加減にそろそろリバイバルでも起きないもんじゃろうか。
 しかし『ウッドストック』上映の時のあの光景は何だったんじゃろうかのお。 幻でも見ていたのか、って感じじゃ。 音楽に対しての感動は、よく「胸に突き刺さってきた」「魂を揺さぶられた」って表現が好んで使われるけれど、わしは『ウッドストック』『モンタレー・ポップ・フェスティバル』のジミヘンからは「脳みそを木っ端微塵に破壊された」って感じじゃった。 感動とか感激を超越して、単なるジミヘンに酔いしれる生命体にされてしまったようなものじゃ。 自分が哺乳類だろうが爬虫類だろうがミトコンドリアだろうが、ジミヘン・サウンドを感じられる知覚さえあればそれでいい、とでも言おうか。
 聴く者をそこまで単純化、低級生命体化させてしまう音楽ってのは、もう必要とされない時代なんじゃろうか。 それとも制作側がこの時代に必要なし!と勝手に判断して、“あっても出さない”からなんじゃろうか?
 このわしにもう少し知恵というものがあれば、生涯を賭けてジミ・ヘンドリックスを賢く21世紀の嗜好に合わせてアピールしていくんじゃけどな。 それが出来ていないということは、ジミヘンに知覚のあるミトコンドリア状態にされっぱなしってことじゃな。 それでもいいけど、何とかしたい!ってのがホンネですわい。 神よ、人生最後の知恵を我に与え給え! おっと、その前にThe-Kingで真っ当なお仕事じゃな〜。



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