NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.213

 左の写真、スタンドマイクのパフォーマンスは若き日のThe-Kingのボスじゃ! 後方でピアノを弾いておるのが、同じく若き日のわしじゃ!ではなくて、1957年9月1日のエルヴィス・シアトル公演でのショット。 しかしわしが知っておる20歳代の頃のボスは、この写真のエルヴィスに似てるな〜(笑) わしに同感の方、「そうだったに違いない」と信じて疑わない方は迷わずお買い物を頼むぞ!(笑)

 言うまでもなく今年は「エルヴィス生誕80周年」。 わしらしいエルヴィスに関するコラムを早いところアップするべきなんじゃが、なかなかどうして、ネット上で“熱すぎる”ブログが乱舞しておるので、どうも及び腰になってしまう(苦笑)
 そこであるお方の存在力を拝借することにした。 そのお方とは、かつて「ブラック・エルヴィス」と称された、永遠のギター・アリスマであるジミ・ヘンドリックスじゃ。 「エルヴィス80周年」の陰に隠れておるが、今年は「ジミ・ヘンドリックス没後45周年」でもあるんで、ロック史上に燦然と輝く2人のキングのエピソードを絡めながら今回はお送りしたい! またわしの好きなベースボール・ネタも久しぶりに披露してるので、どうかお楽しみ頂きたい!



エルヴィス、ジミヘン、イチローetc・・・!?
シアトルにまつわる“ザ・キング・レジェンド”!


■プロローグ■
 今年マイアミ・マーリンズに移籍が決まった日本のイチロー選手。 彼がまだシアトル・マリナーズに在籍中の2012年7月、マリナーズのメンバー全員が見慣れないユニフォームを着てプレイしておったのを覚えておられるか? あれは夏の日曜日に合わせた「1950年代に戻った雰囲気を楽しもう!」というマリナーズのファン・サービスであり、1950年代にシアトルに存在していたシアトル・レイニアーズ(マイナー・リーグ所属)というチームの復刻ユニフォームだったのじゃ。

 「レイニアーズ Rainiers」って聞きなれない英語じゃが、これはシアトル一帯のシンボルであり、富士山に外景が似たレイニー山から引用されておる。 そのシアトル・レイニアーズ存続期間中の本拠地球場は「シアトル・シックズ・スタジアム」(右写真)という。
 ここで早くも「ぉおっ!」と声を上げた方は相当のエルヴィス・フリークじゃ! そう、1957年9月1日にエルヴィスは「「シアトル・シックズ・スタジアム」でコンサートを行っておるのじゃ。 当日バックを務めたスコッティ・ムーアがオフィシャル・ホームページでその時の模様を大々的に紹介しているほど、50年代のエルヴィス・ライブの中でも語り継がれる熱狂を博したコンサートの会場じゃ。
 それでは「シアトル」にまつわる「エルヴィス」をはじめとした「キングな!お話」を始めよう。


少年ジミ・ヘンドリックス、エルヴィスに衝撃!
 「シアトル・シックズ・スタジアム」の歴史を調べてみたが、1957年当時の観客収容人員数は11,000人。 地方都市のマイナーリーグ・チームの本拠地なんで、全客席の三分の一でも埋まれば御の字じゃったとか。 しかしエルヴィスのコンサートでは実に16,000人が集まったとされており、まさにスタジアム開場以来の大入り! いや、シアトルという都市建設以来の大イベントになったわけじゃ。
 エルヴィスはベースボール・プレイヤーの様にベンチから姿を現して(左写真)、セカンドベース付近の特設ステージでライブを披露(右下写真)。
 エルヴィスの衣装は、ラメの入ったゴールドのジャケットにダークグレーのシャツとスラックスだったと数多のHPで記録されておる。 この日エルヴィスは既に昼間にシアトルの隣町タコマでもライブを行っており、シアトルでの開演時間は午後8時半じゃった。 タコマ・ライブの写真も残されておるが、どうやらエルヴィスは着替えることなく2つのライブをこなしたようにも見えるが、果たして?
 この日のライブ映像は発表されておらんが、同月28日のエルヴィスの故郷テュペロでのライブの映像はアップされておったので、参考にご覧下され。 この日と同じ(?)ゴールドのジャケットをエルヴィスは羽織っており、ステージ後方の横断幕もそっくり。 

 ちなみに、シアトル・レイ二アーズは「シックス・スタジアム」が閉鎖される前年1978年まで存続。 じゃがそのニックネームは、エルヴィスがシアトルの前にコンサートを行なったタコマのマイナー・リーグ球団によって1995年に復活。 このタコマ・レイ二アーズは現在も存在しておる。 

 そして驚くことに、このシアトルのライブの観客の中に、当時15歳じゃったご当地出身者のジミ・ヘンドリックスがおったのじゃ。
 「間違いなく俺の人生を変えたコンサート」
とジミは後に述懐しており、その時の感動をスケッチにして残しており、それが現存しておる!(下写真) 15歳の少年のスケッチとして上手なんだがどうかは分からんけど、エルヴィスの姿の周囲を様々に角度を変えて書かれた当日のソングリストがあり、その躍動的な記述がジミの当日の興奮ぶりを伝えておるといえるじゃろう。


「ハウンド・ドッグ」が「アメリカ国歌」??? 
 スコッティ・ムーアのホームページの記載によると、このコンサートにおける興味深いエピソードが綴られている。 以下原文のまま。

 〜Toward the end, Elvis stood quietly before the microphone and announced that the next number would be the National Anthem. He burst into “Hound Dog” instead. John Voorhees, in the Seattle Post-Intelligencer, said the scream from the audience sounded like “12,000 girls all having their heads shaved at once.”〜

 コイツを直訳するとだな、
「コンサートの終わりが近づくとエルヴィスは、マイクの前に静かに佇みながら、次の曲が“アメリカ国歌”であることを告げると、その代わりに“ハウンドドック”を炸裂させたのだ! その日集まった12,000人もの女の子たちは、まるで髪の毛を削がれた様な絶叫、悲鳴を上げたとシアトル・ポスト・インテリジェンサー誌のJohn Voorhees記者は語っている」

 何故エルヴィスは「ハウンドドッグ」を「アメリカ国歌」と紹介したのか? 実はほんの少しだけ「アメリカ国歌」を歌ったのか? いずれもまったく不明じゃ。 有名な歌手やバンドのコンサート曲目を細かく紹介している「セットリスト・ウィキ」によると、当日のエルヴィスのセット・リストには「アメリカ国歌」の記載はない。 ただし熱心なファンのブログでは“歌われた”という記述もある。 エルヴィス・フリークとしては、是非とも若き日のエルヴィスが歌う「アメリカ国歌」を聞いてみたかったもんじゃ。

 なお、シアトルのロック・ファンは約13年後に、新たに出現した「キング」による「アメリカ国歌」を聴くことになる!
 


エルヴィスは赤かった!
 人類初の有人宇宙飛行に成功した旧ソビエトのガガーリン飛行士、不滅の名言は「地球は青かった」、ってそんなことはどうでもええ! ジミ少年の描き残したスケッチのエルヴィスは、赤(橙色?)かった! 
 上の2枚のエルヴィスの当日のモノクロ写真は、どう見てもジャケットは赤ではない。 事実“ゴールドのジャケット”という記録もある。 しっかしだー! 
「ジミ・ヘンドリックスは本当にエルヴィスのライブを観ていたのか、疑わしいもんだぜ!」
なんてホザク輩はこの場で退散せよ!
 これはジミ少年が観た当日のエルヴィスに対する揺らぐことのないイメージだったのじゃ。 燃え上がる炎のようにエルヴィスが真っ赤に見えたのじゃ。 当時のエルヴィスのライブにおける真実を伝える素晴らしい描写ではないか! たかが少年のスケッチだろうが、絵画ってのは写真じゃないんじゃよ。 描く物のイメージで自由に脚色することが許される表現じゃ! それが写真よりも真実を伝えておることだってあるんじゃよ。 ジミ少年の色使いのセンスをわしは大いに褒め讃えたい! 
 
 余談ではあるが、一説によると当時のジミの家庭は貧しくて、チケット代金($1.50、$2.50、$3.50)を払えるようなお小遣いがあったはずがないという。 だからジミは“タダ見”出来る丘の上からライブを見ていたはずだ、なんてショーモナイ説もある。 「シックズ・スタジアム」のレフト・フェンス後方には、(上から3つ目の)写真で見ると確かに小高い丘があり、そこは当時から“タダ見席”“ちゃっかり者の丘”と呼ばれていたそうな!


シアトルは“キングづくし”の街!
 前述の通り、この日のエルヴィスのライブは、昼間は隣町のタコマ、夜間はシアトルの“変則ダブル・ヘッダー”。 その前日にシアトルに到着したエルヴィスは、ダブルのライブの翌日にはまた次の公演地ポートランドへと旅立っており、短いシアトル滞在の間に“何度も同じ鉄道の駅を利用した”なんて英字サイトでわざわざ紹介されておる。
 別にそんな事は大したことでも・・・なんじゃが、その駅の名前が「キング・ストリート・ステーション」!(左写真) “キング・オブ・ロックン・ロール”がキングの名前を冠する駅を何度も利用したってことをその英字サイトは言いたかったのじゃろう。 わしと同じようなノリじゃな、エライ!(笑)

 更にわしから付け加えるならば、シアトルには今でも大きな目抜き通りがあり、そのストリートの名前が「キング・ストリート」であり、駅名もそこから付けられておる。 

 まだあるぞ! この「キング・ステーション」を通る鉄道「グレート・ノーザン鉄道」は、アメリカ史上初めて大陸中央と北西部を横断する大規模な鉄道であり、建設したのは“鉄道王(キング!)”と呼ばれていた人物ジェームズ・ジェローム・ヒル! 鉄道関連のサイトの方では、「キング・ストリート・ステーション」の名前は、この鉄道王の偉業を讃えて命名されたという説になっとるらしい。
 
 そして、まだまだあるぞ!!(笑) 1977年にシアトルから8年ぶりにメジャー・リーグに参入を果たすことになったシアトル・マリナーズが誕生。(1969年に誕生したメジャーリーグ球団シアトル・パイロッツは、一年ぽっきりでミルウォーキーに移転) そのマリナーズの本拠地は「キング・ドーム」じゃ! アドレスがキングス・ストリートだった事が命名の理由らしいが、その背景には「早く、ベーブ・ルースのようなキングを輩出してほしい」という願いもあったとか。(左写真、左側がキングドーム、その右側がレイニー山)

 「キング・ドーム」はアメリカで二番目のドーム球場じゃったが、格安の工事費による突貫工事で完成されたこともあって、開場から10年を経過した頃より設備不良が続出。 1994年には屋根の一部が落下するという事件もあり、1997年に取り壊された。 結局キングドームはその稼働期間中にベースボール・キングを生むには至らなかった。
 ただし、「キングドーム」の後継スタジアムとなった現「セーフコ・フィールド」において、開場直後に待望のキングが登場した! それが“ヒット・キング”のイチロー選手だったわけじゃ。 イチロー選手は、2004年10月1日、「セーフコ・フィールド」にて、84年間破られることのなかったメジャー歴代シーズン最多安打記録の257安打を放った。 イチロー選手が名実ともに“ヒット・キング”になったのもシアトルの地だったのじゃ。


思い出の会場で、ジミは生前最後の故郷凱旋ライブを敢行
 ジミ・ヘンドリックスがシアトルの「シックズ・スタジアム」でエルヴィスのライブを観てから約13年後、1970年7月21日に同じ「シックズ・スタジアム」でジミはコンサートを行っておる。(左写真) 13年前に同じ場所でエルヴィスを観た感動をスケッチにして残していたジミが、スケッチ同様の赤系色のファッションをまとっていることが、なんか嬉しいな!
 1969年、シアトルに初めてメジャー・リーグ球団「パイロッツ」の誕生を機に、「シックズ・スタジアム」は観客席が25,000人収容まで拡張されておった。 しかしパイロッツの戦績が芳しくないことで閑古鳥が鳴いていたが、この日は故郷の英雄の凱旋コンサートで超満員。 「シックズ・スタジアム」は、エルヴィスのライブ以来の大盛況となった。 このジミのライブは、命日(同年9月18日)の約二ヶ月前であり、生前最後の故郷シアトルでのライブとなったのじゃ。

 13年前の自らの強烈な思い出がフラッシュバックして、ジミはエルヴィスのカバーを演ったのでは?と期待して調べてみたが、残念ながら当日のセットリスト12曲の中にそれは見当たらなかった。 この日のライブが収録された作品は今だに発表されていないので、ライブの模様を伝えることができるのは、you tubeにアップされていたオーディエンス・ショットのみ。

 興味深い出来事として記しておきたいのは、この日3曲目にプレイされた「ラバーマン」について。 この曲はB.Bキングの「ロック・ミー・ベイビー」の改訂曲であり、若きエルヴィスが頻繁にトライしていたロックンロール・クラシックのカバー・スタイルを意識していたとされておる。 またジミのオリジナルの歌詞とアレンジによって完成されるまでに、3年もの長い歳月を要したいわくつきの1曲じゃ。
 数々の素晴らしい未発表曲、未発表ライブでアンソロジー化されたCD4枚組セット「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」(2000年発売)の中に、この日のライブの前日7月20日にニューヨークで行われたセッションにおける「ラバーマン」の演奏が収録されており、このセッションで同曲はほぼ完成されたとされておる。 よってそのお披露目の機会が翌21日のシアトル・ライブとなったのじゃ。


 そして8曲目において、13年前にエルヴィスが“果たして歌ったのかどうか判明しない”「アメリカ国歌」が演奏されておる。 ジミの演奏する「アメリカ国歌」は、「ウッドストック」の名演で有名なように、極限までギターを歪ませながら、まるで当時の国家全体の苦悩を象徴するような雑音寸前まで歪みながら荒れ狂うスタイル。 これはひょっとして「ハウンドドッグ」を「アメリカ国歌」と紹介したエルヴィス特有のロックン・ロール・センスを飛躍させておるのかもしれん、なんて勝手に想像するのも楽しいわい! 


ジミ・ヘンドリックスによるエルヴィス・ナンバーのカバーについて
  少年時代のジミのお気に入りのエルヴィス・ナンバーは「ラブ・ミー・テンダー」だったという記述は見つけたことがあるが、真相は果たして?
 正規のアルバムの中で聞けるジミのエルヴィス・ナンバーは僅か2曲。

「ハウンドドッグ」・・・アルバム『BBCセッション』に収録。 1967年に渡英したジミがBBCのラジオ番組「トップ・ギア」に出演した際のライブ。 完全にハードロックに仕立て上げられており、“それなりに”爽快! バンド(エクスぺリエンス)もノリノリで、犬の吠え真似(猫も!)まで披露!誰がやっているんだろう?
 またアンソロジーの第2弾『ウエスト・コースト・シアトル・ボーイ』にも別テイクが収録されておる。 こちらはアップテンポのブルースセッションの中に「ハウンドドッグ」をブチ込む!という荒業じゃ。

「ブルー・スウェード・シューズ」・・・カールのお父さん最後のアルバム『ゴー・キャット・ゴー』の中にも特別に収録されていたテイクで、ご存知の方もいるじゃろう。 アルバムはお父さんを慕う多くの有名な後輩たちとのセッションじゃが、この曲は別個。 1970年5月のバークレイ公演でのサウンドチェックの際の演奏であり、この名曲をなんとかファンク仕立て?にしようとするジミの得体の知れないアレンジが何とも不気味で、ほとんど原曲の形をとどめていない。 ジミの頭の中には、お父さんもエルヴィスもなかったのかもしれない。


■エピローグ■ 
 わしの前職場に、シアトルに留学経験をもつ優秀な後輩がおった。 わしのブロークンなイングリッシュと違って、「さすがは留学経験者!」と感心するような綺麗な発音と多彩な語彙力の持ち主であり、「スターバックス」や「タリーズ・コーヒー」はシアトルから生まれたとか、「ジミ・ヘンドリックス記念館」に行ったとかのエピソードを話していたな。 彼もまた洋楽ファンじゃったが、流行りのヒップ・ヒップ系が大好きってことで、ジミ・ヘンドリックスやエルヴィスには興味なし。 イチロー選手に関しても、日本を思い出すからって理由で、あえて注目しないようにしていたってのは残念じゃったがな。 それでも、興味深いシアトル逸話をいくつか披露してくれた。
 シアトル一帯ってのは、概して人種差別が少なくて移民に優しい所であり、日本人も古くから入植しており、隣のタコマの方に入植した日本人は、前述のレイニー山を「タコマ富士」って呼んでいるとか。 また、その昔チェロキー・インディアン(アメリカの先住民族)が、白人からの迫害を逃れてたくさん流れ込んできた場所なんだとか。
 そう言えば、ジミの母親は確かチェロキー・インディアンの末裔だし、エルヴィスの身体の中にもチェロキー・インディアンの血が流れておる。 彼の話を聞きながら、アメリカ先住民族の魂が、シアトルで「真のキングたちによる伝説を作らせたのかな〜」なんて、わしは少年のような妄想を抱いたものじゃった。

 活躍した時代とジャンルは違っていても、真のキング同士ってのは、得てして同じ場所で神話を作っておるもんじゃな。 「鉄道王ジェームズ・ジェローム・ヒル」「キング・オブ・ロックンロールのエルヴィス」「ギター・キングのジミ・ヘンドリックス」、そして「ヒット・キングのイチロー」 。 キングが4人も揃えば、シアトルに行ってみたくなるな! 諸君もわしと同じようにシアトルに思いを馳せてくれたら、わしはとっても嬉しいわい!
 おっと、シアトルの前に訪れるべき所があるぞ。 それはThe-Kingのオフィスがある東京都墨田区押上じゃ。 ここにも多くのキングたちの魂が宿っておる。 それを知りたい、確かめたいなら、わしのコラムVol.129「東京都墨田区押上地域に眠るキング伝説〜七鉄が紐解く、押上のキングづくしのオハナシ」を読んでくれたまえ〜。 まずは押上。 次はシアトルじゃぞ!



七鉄の酔眼雑記 〜がんばれイチロー!

 年甲斐もなく「がんばれイチロー!」なんて小学生みたいなエールを送ってしまったが、とにかく長い間気を揉んでいたイチロー選手の去就先が決まって良かったわい。 随分と気丈なコメントも発表されて、日本中のファンも安堵したことじゃろう。 だけどわしはどうも心配じゃ。 新しいチーム、マイアミ・マーリンズでも最初は「控え扱い」が確定しておるようじゃが、それ以前にマーリンズというチーム自体が、ちょっとな・・・。
 かつて桑田選手、松井秀選手の最後の所属先となったピッツバーグ・パイレーツやタンパベイ・レイズ同様に、マーリンズってのは日本人選手がいなけりゃまず日本国内で話題にならない知名度が低い球団。 桑田、松井両選手と同じく、この日本でマイナーな球団がイチロー選手の最後の所属チームにならなきゃいいが・・・。

 「イチローを獲得することは、ミック・ジャガーをタンバリンかバックコーラスで採用するようなものだ」という現地メディの表現には苦笑してしもうたが、それがイチロー選手の置かれておる厳しい現実なんじゃろう。 「25歳でも45、6歳に見える人もいるし、またその逆もあるわけで〜」とイチロー選手らしい表現で選手能力の衰えを否定しておったが、今はそれを信じよう。 
 記念のメジャーリーグ通算3,000本安打は、ボッテボテの内野ゴロを間一髪で一塁セーフにした内野安打じゃなくて、WBCでの決勝打のように見事なクリーンヒットで決めてもらいたいもんじゃ。 シアトル・マリナーズはアメリカン・リーグで、マイアミ・マーリンズはナショナル・リーグなんで、3,000本安打がシアトルで達成されることは(シーズン途中にア・リーグの球団にトレードされない限り)ありえないが、どうかこの度わしがかました「キングづくしの地シアトル」からイチロー・レジェンドがスタートした誇りを胸に!?シーズンを通して活躍して頂きたい!

 イチロー表現で言う「その逆もあるわけで」ってのは、「45歳でも25,6歳的な人もいる」って事であり、「ほほぉ〜、ってことは、もうちょっとだけ何歳かづつプラスすれば、わしじゃな!(笑)」っつったら、「そうですね、80歳でも60歳ぐらいな人もいるし」ってツッコミ入れたヤロウがおった!・・・ま、まあ、当たらずも遠からず・・・なのかもしれんけど、実際に今やっとる軍資金ギリの放浪なんてのは、どう考えても実年齢マイナス20歳ぐらいが年齢的にリミットの暴挙じゃ。 わしも頑張ります!んで、誰かエールを送ってくれえ〜(笑)



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