NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.212


 新しき2015年のスタート・アップにふさわしく、未来にむけて大きな一歩を踏み出したくなるようなThe-Kingのシューズ3連発に、リーバイのプロデュース「ピストルナッソー」のレギュラー・アイテム、更に「ニュー・ナッソー」という波状攻撃! 諸君の視線が輝く未来へと一直線になっとるところ誠に恐縮じゃが、頭ん中でほんの少しだけ「過去」に思いを巡らせて頂きたい(笑)
 前回に引き続き45年前/1970年度発表のアルバム・セレクション、その後編をお届けするとしよう。 60年代への愛惜と70年代への新たなる決意が交錯した作品を中心とした前編から、後編は完全に新時代へのシフトチェンジが試みられたニュアンスの強いアルバムを揃えてみたつもりじゃ。 よくもまあ、これだけ新しいサウンド・チャレンジが行われたもんだと、記憶を蘇らせるのが楽しくも疲れてしまったほどじゃ。 ロック界からの衝撃の波状攻撃に頭がクラクラしっぱなしで、いちいち「好き嫌い」なんざ言ってられんかったに違いない。 まさにロック史に燦然と輝く「維新の時」じゃった!


2015年ロック回想録A
45年前/1970年のロック(後編)
再生、新生、変革、改革、実験、冒険。
1970年は、未曾有のロック維新の年だった!


Chapter-5 ギターゴッドがたどり着いたスワンプ・ロック
 ジミ・ヘンドリックが亡くなった1970年、もう一人のギター・カリスマのエリック・クラプトンは、自らその冠を脱ぎ捨てる新しいアクションを起こしたもんじゃ。 1966年から続いていたクリーム、ブライド・フェイスにおけるスーパーバンドでのプレイに辟易しておったクラプトンは、デラニー&ボニーっつうブラムレット御夫妻による白人ご夫婦シンガー・デュオのライブに参加して、当時「スワンプ・ロック」と呼ばれていたサウンド・フォーマットに没入したのじゃ。
 「スワンプ・ロック」ってのは日本だけで使われるロック・ジャンルの呼称じゃが、簡単に言うと「溌剌としたブラック・フィーリング溢れるアメリカ南部のロック」となるかな。 ブルースの古典的なスタイルよりも、ファンクのソウルのフレーバーを醸し出すロックじゃ。 エルヴィスの「フロム・エルヴィス・イン・メンフィス」がその名盤じゃし、当時日の出の勢いのオールマン・ブラザース・バンドが典型。 そこに天下のエリック・クラプトンが加わってロック界にブームを巻き起こしたのじゃ。
 デビュー6年目にして初めて製作したソロ・アルバム『エリック・クラプトン』、全面的に参加したジョージ・ハリスンの『オール・シングス・マスト・パス』、そして下記の2枚の名盤と、実に4枚ものアルバムにおいて、“スワンプ・クラプトン”を確認出来る!
(上写真はデラニー&ボニーのステージ。 右端がクラプトン。 右から3人目がジョージ・ハリスン。 左から4人目がボビー・キーズ)

12  クラプトンの新たなる覚醒 13 レイラ、レイラって、キミたち喧しいわい! 
オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン/デラニー&ボニー   ■愛しのレイラ/デレク&ザ・ドミノス■
 クラプトンがスワンプ・ロックに新境地を見出したライブ!と言われる1枚。 デラニー&ボニーは、パワフルな歌唱力を誇り、白人ファンクの世界での実力は歴史的にも有数じゃ。 ブラインド・フェイスの前座としてイギリス・ツアー中に、ステージの端で見ていたクラプトンに衝撃を与えた!という伝説があるのじゃ。
 クラプトンはブライド・フェイスを終了させて、嬉々としてデラニー&ボニーの元へ! 更にデイブ・メンスンも来るわ、ジョージ・ハリスンも来るわ、後にデレク&ザ・ドミノスを形成するメンバーもくるわ、そんな大所帯のバックを率いてのツアーライブがこれじゃ。

 頑固なクラプトン・ファンに言わせれば「ソロの出番が全然少ないじゃないか!」って文句を言ったじゃろうが、これはスーパーロック・バンドではなくスワンプロック楽団なのじゃ。 ソロが少なくてもクラプトンが活き活きとプレイしとるのが伝わってくる。
 バックがご機嫌ならば、フロントのブラムレットご夫妻も絶好調! “こぶし”の効いた骨太なうねりや高音域のハリは白人シンガーならではのニュー・ソウル・スタイル! 観客のノリもすさまじくてスワンプロック系のライブ盤としては最高傑作じゃよ。
 前述の通り、このツアーに参加していたメンバーとクラプトンはデレク&ドミノスを結成して『愛しのレイラ』の製作に入るのじゃ。
 なお近年インターネットのみで限定発売されたCD4枚組のデラックス・セットには、ジョージ・ハリスンがスライド・ギターで参加したナンバーも収録されておる。
     日本語のタイトル・ソングの存在が本作の名盤としての評価を決定付けておるが、この曲は度外視しておかんとアルバムの方の真の価値が聞こえてこなくなるぞ。
 当時のクラプトンは、熱血ラブソング「レイラ」のモデルであるパティ・ボイド嬢以上に!?スワンプ・ロックとこのバンドのメンバーとの共演に惚れ込んでおったのじゃ。
 “バカテク・ハードロック”で200%の爆発を強いられるよりも、クラプトンは“音楽”を演奏したかったのじゃ。 身を委ねられる安心の音楽スタイルとメンバーは、天才クラプトンに初めてのゆとりってヤツを与えたのじゃ。 スーパーギタリストから「クラプトン楽団」のマエストロに転身したクラプトンが活躍するアルバムじゃ、これは。 

 クラプトンを虜にしていたスワンプ・ロックは、いわばデルタ・ブルースという母が長年その存在を隠ぺいしていた優秀な隠し子、ててなし子の成長した姿じゃ。 クリーム時代にクラプトンが手がけたデルタ・ブルースの名曲の仰天カバー「クロスロード」があるように、クラプトンはデルタ・ブルースという「女」の新しい「男」になりたかったのじゃ。
 スワンプの放つデルタブルースの香しさにクラプトンは狂い、その思慕の念に従って数々のブルース・ナンバーを生み出しておる。 原題『Layla and other assorted love songs/ レイラと“その他色とりどりのラブ・ソング”)』ってのは、そういう意味じゃないかのお。


Chapter-6 プログレ&ハード・ロック時代の幕開け
 ブリティッシュ・ロックが「プログレッシブ・ロック系」と「ハードロック系」とにざっくり二つにカテゴライズされて語られるようになったのもこの頃からかな? キーボードやオーケストレーションが躍動しながら、クラシック音楽的な壮大なる感動をもたらすのが「プログレ」。 ギターとヴォーカルのパワープレイ主体で、限りなきカタルシスとバイオレンス衝動をもたらすのが「ハードロック」。
 今からみれば、随分といい加減な分け方じゃけれども、当時はどっちを贔屓にするかで、ダチ公やガールフレンドの質が大きく変わったもんじゃ、ってそれは日本だけのオハナシじゃがな。 わしはどっちだったかって? ハイ、両方とも好きじゃった! 清楚なお嬢様系も、ヤンキーなアバズレねえちゃん系も、両方好きなんです、って何を言わせる!
 しかしそんな現象が起こるほど、1970年には数多くの「プログレ」「ハード」の名バンドがデビューし、また両者ともに黎明期にもかかわらず名盤が相次いで発表されておった。 

14 世にも恐ろしいプログレ様   15 リード・キーボード登場
■原子心母/ピンク・フロイド■    ■エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ファースト)■
 これは“聴き倒す”までには随分と時間がかかったなあ〜(笑) ロック本来の魅力である疾走感、重量感、爽快感とは異質の、緊張、抑制、忍耐を強いる長大な「音楽悲愴絵巻」みたいな世界には参ったわい!
 途中で飽きちゃってジャケット鑑賞で気を紛らわそうとしても“おデブな牛さん”がど〜んとこっちを振り返っておるし、もう精神的な逃げ場がない!? 日本語タイトルは原題『Atom Heart Mother』のどストレートな直訳だしワケワカラン。 「プログレッシブ・ロックとは難解な現代音楽」「その代表はピンク・フロイド」という一般的なイメージを決定付けたのが本作じゃ。
  しかしわしの恐怖感(時には嫌悪感)をよそに、本作を初めとして、以降のアルバム『狂気』『炎』『おせっかい』も全てアメリカで大ヒット。 「アメリカ人ってのは、案外難しくて悲しい人が多いんじゃな〜」って思ったわい。
 
 20世紀も終わに近づいた頃、出会ったピンク・フロイド・フリークを自認する知人からアドバイスがあった。 「『原子心母』はミュージック・セラピーなんだ。 世の中には既製の3分間ポップスでは癒されない種類の心の傷を負った人々がたくさんいるんだよ。 彼らが治療法的に聞く作品だよ」と。 遅ればせながら、わしの知らなかったロックの可能性、新しい魅力を言葉でばっちり説明してもらった気がした。
 それからは本作への恐怖心は徐々に消えていき、聞くタイミングさえ間違えなければ、高尚なヒーリング・ミュージックとしての輝きを受け止める事ができるようになった。
 そして 「ミュージック・コンクレート」「スキャット」「ブルースの裏返し」など、後のピンク・フロイドの必殺技の断片の「散乱美」にも魅了されるようになった! 「死ぬまで理解できないじゃろう」と何十年も諦めておったアルバムだけに、名作として紹介しとる自分自身に驚きを隠せない!? 
     プログレ・サウンドの常套句は、「ロックとクラシックの融合」じゃったが、それをアグレッシブな演奏で一種ハードロック的に展開してみせたのが、キーボード、ヴォーカル(&ベース)、ドラムのトリオ、EL&Pじゃった。 後に新兵器シンセサイザーを大々的に導入することになるが、デビュー当時はキース・エマーソンのキーボードがまるでリード・ギターの様に暴れまくるスタイル。 プログレ、ハードロック、両方のファンから瞬く間に喝采を浴びるようになったもんじゃ。
 キースは当時の日本の音楽雑誌の人気投票では、他の鍵盤奏者をダブル・スコア的にまで引き離す圧倒的な人気者じゃったよ。

 格調高いクラシック的なスコアを、前衛的に解体した楽曲とアダルト・ポップスに改良した楽曲とが彼らの二大看板。 前者ではキースが鍵盤を叩きまくり、後者ではボーカルのグレッグ・レイクがバリトンの美声を披露。 本作において十二分にその持ち味が発揮されておる。 
 「とにかくやりたい事を全身全霊でやってみる!」ってのが当時のロックシーンの風潮であり、楽曲の精神性よりもまず演奏形態で徹底してみせた筆頭がEL&Pだったんじゃなかろうか。 あくまでも実験音楽の類の作品であり、完成度が求められる音楽ではないが、これもまたロックの魅力のひとつじゃろう。 何かと小難しいイメージがつきまとうプログレ・サウンドじゃが、彼らだけはやっとる音楽が明確じゃった!

■その他、主なプログレアルバム■
「ポセイドンの目覚め/キング・クリムゾン」
「トレスパス/ジェネシス」」
「エア・コンディショニング/カーヴド・エア」
「時間と言葉/イエス」

16  無限大のロック 17 キミは逃げ切れるか!?
光なき世界/ウィッシュボーン・アッシュ■    黒い安息日/ブラック・サバス■
  ツイン・リードギターとコーラスワークを主体として、ブルース、トラディショナル・フォーク、ブギーを多彩な演奏力で披露していた懐かしのバンド。 即興演奏も彼らの真骨頂。 ブルースよりもジャズに近いスタイルにより、各楽器の特性を活かしたオーソドックスなテクニックの応酬によって、アンサンブルを変幻自在に展開させていく拡散美の世界じゃった。 そして、彼らもまたデビュー作でその個性を活かしきって最高傑作を作り上げた若き達人たちじゃった。
 コケ脅かし的なパワープレイは一切なく、またキャラ的なスターがメンバーにいなかった事もあり、イメージとしては職人肌、B級ハードロック・バンドの域を未だに出ておらんが、彼らこそ70年代のブリティッシュ・ロック界の多彩な個性確立時代に貢献した代表的なバンドじゃったと思う。

 本作で無限の広がりを感じさせる彼らの音楽性がおかしくなってきたのは、皮肉なことに最高傑作と評されたサード『百眼の巨人アーガス』から。 当時ロック界で話題騒然となっていたツェッペリンの名曲「天国への階段」を意識したような、美しくキメまくった様式美の世界を完成させてしまい、そいつが大ヒットしてしまった。
 更にアメリカ市場にも色気を出して足元を見失ってしまい、彼らの無限性はストップしてしまったのじゃ。 フラメンコでもカンツォーネでもボサノバでもカントリーでも、彼らの手にかかれば如何ようにもロックに変換出来たのに、「なんで『天国への階段』を昇ってしまったんじゃ、バカモノ!」 
      “メタル弱者”を自認するわしが、唯一愛聴していたメタル盤はコレ! 発表当時は「ヘヴィメタル」なんて表現も概念もなく、純粋に“新しいサウンド”として突き刺さってきたからじゃ。

 現在でも活動を続ける長寿メタル・ゴッドである彼らの当時のサウンドは、「ブルース・ロックの革新的な変形」じゃ。 “走るべきを歩く”“上げるべきを下げる”“シャウトをハウリングに”といった徹底的にヘヴィでマイナーなテンションにブルースロックを沈み込めた陰鬱な耽美性は衝撃的じゃった。
 また予想外のスピードの緩急によって、ジャケットに映る黒衣の魔女に常に付きまとわれる様な恐怖感をじっくりと煽り立てる楽曲構成はプログレッシブ・ロック的じゃ。 「人は恐怖(オカルト)を好む」というバンドコンセプトに相応しい出来栄え! 近年発表されたリマスター盤では、低音がよりアップされておるらしいが、聞いてみたいような聞きたくないような(笑)
 遠い昔、「ブラック・サバスは感性じゃなくて、肉体で聞くものだ」って、本作を聞きながらの腕立て伏せが日課という得体の知れん友人がおった! 風の便りによると、彼は今や大手証券会社のお偉いさんとか。 人生ってのは複雑怪奇です(笑)

■その他の主なハードロック的アルバム

「レッド・ツェッペリンIII」
「ファイヤー・アンド・ウォーター/フリー」
「ハイウェイ/フリー」
「パラノイド/ブラック・サバス」
「ハンブル・パイ/ファースト」
「ユーライア・ヒープ/ファースト」 
Chapter-7 “夢から覚めた”再デビューアルバム
 時代の転換期に合わせて新しい現象が相次いだ1970年。 もうひとつの特殊な動きとしては、音楽性を劇的に変化させたり、バンド名やメンバーを変えて再スタートを切った連中のアルバムが続出したことじゃ。
 イギリス勢では、オルガン主体のアートロックから、ギター主体のハードロック路線へと大きく舵を切ったディープ・パープルの『イン・ロック』と、ロッド・スチュワート&ロニー・ウッドという強力な新メンバーを加え、本格的なロックン・ロール・バンドへと転身したフェイセズ(旧名スモール・フェイセス)の『ファースト・ステップ』が代表作。 更にマーク・ボランも、アングラ・フォーク的サウンドから売れ線バンドを目指して、プロジェクト名をシンプルにT.レックス(旧名ティラノサウルス・レックス)として『同名アルバム』を発表しとる。
 アメリカ勢では、ニール・ヤングが時代の要求によって結成されたスーパーバンドCSN&Y(前回Vol.212 Chapter-4「9」参照)を離れて、本格的なソロ活動へと転身して、いきなり名盤『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』を。 ドアーズはサイケデリックな匂いを一層したオリジナリティなブルース・アルバム『モリソン・ホテル』を発表。 大物ロッカーたちの大いなる変化もまた、ロックの新しい時代到来を告げる事件じゃった。

18  彷徨う凄み     19 “紫の神話”スタート!
■モリソン・ホテル/ドアーズ■  ■イン・ロック/ディープ・パープル■
 初期のドアーズとは、詩人ジム・モリスンの描き出す“突き抜けた象徴世界”を、多種多彩な音楽スタイルによって楽曲化する真新しいロック楽団じゃった。
 その豊穣な脳みそと変幻自在なセンスを極限まで使い切ることに疲弊してしまった彼らが、新時代に向けてトライしたのはやはりブルースじゃった。
 ただし、当時の数多のバンドがブルースの即興性に代表される自由な音楽形態に倣っておることに対して、ドアーズがブルースに則しておるのは、サウンドの基本的なグルーブ・パターンと、情緒の起伏に逆らわない表現者としてのナチュラルなスピリット。 ブルースの精神性を追求する形而上的なアプローチじゃ。

 元来バックボーンの異なるメンバー同士が、相互理解と反目とを繰り返して起こす化学反応的な境地を確立しておったドアーズじゃったが、本作はジム・モリソンとともにメンバー全員が喜び、悲しみ、憂うといった家族的な連帯感によって支えられておる。 これこそが彼らが求めたブルース効果だったのかもしれない。
 60年代の代表的ポップ・アイコンであり、光り輝く未知の荒野へと聴く者を先導していたジムの圧倒的な“幻姿”は、現実の不条理への挑戦と逃避を繰り返す凄みのあるリアル・ブルースマン、格調あるロックンロール・ジャンキーに変貌を遂げつつあり、新しいドアーズ、新しいジム・モリスンが迫り来る足音が確かに聞こえる秀作じゃ。
     本作によって突如ハードロックバンドに変身したディープ・パープル。 数多くの名ハードロックバンドがデビューした1970年じゃったが(Chapter-6参照)、何故ディープ・パープルだけがツェッペリンと並ぶ名声を勝ち得たんじゃろうか?
 それは流行のブルース臭やイギリス勢特有の観念的なバンドコンセプトを一切感じさせない、100メートル競争の様なスリル、スピード感が楽曲に満ち溢れておったからじゃろう。 豪快かつコンパクトな起承転結性はクラシック音楽的な構成じゃが、そういう“お芸術臭”までも一蹴する数々の単純明快なリフも強力じゃ。
 「これがコケたら、元のアートロック路線に戻る」っつう計画があったらしい一種の実験作じゃが、時代の風は彼らの変貌に味方したのじゃ。

 正確にはアメリカでも売れ始めたのは2年後の『マシン・ヘッド』からじゃが、様式美を極めた『マシンヘッド』よりも荒削りで即興演奏的な構成の楽曲が多い本作の方が、“ハードロック・アート”として迫力のある演奏が聞けるな。
 そしてヴォーカルのイアン・ギランとリッチー・ブラックモアのギターが興ずる「異種格闘技」みたいな絡み合いは、「純製ハードロック時代」の幕開けを告げる破壊力抜群のデュアリズムとして、その記憶は今でも強烈じゃ。
 


Chapter-8 “マン・イン・ブラック”の新たなる逆襲
  この年、ジョニー・キャッシュ御大は長年のドラッグ依存性を完全に克服したとされておる。 御大の壮絶な人生を振り返れば、「だから何?」って程度のエピソードじゃ。 しかし身体がクリーンになった暁として、御大にとって初めてともいえる社会的な後押しが相次ぐことになったんじゃ。
 前年から続くTV番組「ジョニー・キャッシュ・ショー」は好評を極め、アルバム『Hello, I'm Johnny Cash』はゴールドディスクを獲得する大ヒット・アルバムに。 シングル2曲、「What Is Truth」と奥方ジューンとのデュエット曲「If I Were a Carpenter」もともにポップチャートでも大活躍(「If I Were〜」は翌年グラミー賞を獲得)。 更に当時のニクソン大統領からホワイトハウスに招かれるという栄誉。 御大の復活ぶりをアピールするがごとく、コロンビアレコードは『Hello, I'm Johnny Cash』を皮切りに、『The World of Johnny Cash 』『The Johnny Cash Show』『I Walk the Line(Soundtruck)』 の4枚ものアルバムをリリース。 まさにカントリー界の「マン・オブ・ザ・イヤー」の称号を授けられるような脚光の浴び方じゃった。
 既にジョニー・キャッシュ御大を“ロックン・ロールの枠”の中でイメージする風潮は廃れておったものの、様々な名誉の機会においても“毒を吐く”御大の姿勢は健在であり、決してナショナル・スター的な姿勢をとらない反逆性を貫いておったところはさすがじゃった! 貧困者、囚人、高齢者、薬物依存者など、日の当たらない者たちへの配慮、鎮魂の意を込めて、丈の長いロングコートの全身黒づくめの衣装が定着して「マン・イン・ブラック」と呼ばれ出したのもこの頃じゃ。

20 何故そんなに大声で歌うのか? 聴いてもらいたいなら、もっとじっくりに歌え
■Hello, I'm Johnny Cash/ジョニー・キャッシュ■ 
 ジョニー・キャッシュの1970年代以降の作品は、日本では完全にカントリー扱いにされており、このアルバムを初めとした数々のオリジナル盤は現在廃盤じゃ。 同名タイトルのベスト盤も存在しており、そちらの方が現在は露出度が高いようなので、まずはお間違えのないように。
 オリジナル盤の収録曲は、前述したジューン夫人とのデュエット曲「If I Were a Carpenter」、先鋭的なシンガー&詩人でもあったクリス・クリスファーソン作「To Beat the Devil」、ロイ・オービソンとの共作「See Ruby Fall」を含む全12曲。 ポップ・チャートでも大ヒットを記録した(6位)作品なので、再販を期待したい!

 身体がクリーンになって、時代の風を感じながらも(?)、ジョニー御大のバリトンはますます深み、凄みを増し、特殊な隠語を用いずとも、凡庸な歌詞でダブルミーニングを匂わせるニヒリズムが本当に冴え渡ってきたのは、このアルバムあたりからじゃ。 以前にも増してぶっきら棒に歌う姿は、ミディアム・テンポの楽曲が多いだけに余計に恐ろしい。
 某洞窟において生死の境を彷徨いながらドラッグ依存性を撃退したという御大、悪夢の果てに達した境地や如何に!? この年御大38歳。 カントリーやフォークに対しては実はディレッタント(愛好家ではあるが、専門家ではないというニュアンス)だったと思う御大の、新たなる危険な熟成を感じさせる1枚じゃ。
 サブタイトルに使った「何故そんなに〜」は、当時アルバム2枚だけを残して忽然と姿を消した幻の女性フォーク・シンガーであり、チェロキー・インディアンの末裔でもあったカレン・ダルトンの言葉じゃが、70年代を迎えようとするジョニー・キャッシュ御大に相応しい!


 「ロックの歴史」みたいな書籍によると、大概は「1970年はロックのひとつの時代の終わり」としておおまかに定義づけられておる。 ビートルズが解散して、ジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンが亡くなったから、エンドマークを付けておきたかったのじゃろう。 それは間違いではないが、決して正しいとも言えないぞ。 この度わしが8チャプター、アルバム20枚において紹介してきた通り、大きな新しい動きも続々と起こっておったのじゃ。 「終わりと始まりが交錯したのが1970年」と認識してくれたら、わしとしては嬉しいぞ!

 そして1970年の“大きな新しい動き”は本物じゃった。 8月に開催された「ワイト島音楽祭」では、前年の「ウッドストック」を上回る50万人以上の観客が集結し、より豪華なラインナップのロッカーたちが出演した。 フェス自体は成功とは呼べない複雑な内情もあったようじゃが、ここで脚光を浴びた多くのロッカーたちが後に大輪の花を咲かせたのは、新しいロックがこの年に誕生した象徴とも言えるじゃろう! (上写真は、「ワイト島フェスに出演した時のジミ・ヘンドリックス。 右写真は同フェスのアート・ポスター)
 更に翌1971年には、1970年発表のアルバムが叩き台、源になった素晴らしいアルバムが続々と登場することになる! それは来年の「45年前/1971年のロック」で取り上げるので、それまでこのコーナーを読み続けながら、どうか楽しみにお待ち下され(笑) ボスにクビにされないように一生懸命書き続けていきま〜す!



七鉄の酔眼雑記 〜悲しき豪華ボックスセット

 あれは5年ぐらい前じゃたかな。 都内の小さな某ミュージックショップに偶然立ち寄った時のこと。 お店の出入り口の横にディスプレイ用の小さなデスクがあり、そこに置かれたモニターで70年代初頭のクラプトンのライブ映像が流れておった。 モニターの前には、上記の「デラニー&ボニー・オン・ツアー・ウィズ・クラプトン」の豪華デラックス・ボックスセットの中身、CD4枚と分厚いブックレット、そしてボックスがセンスよくディスプレイされておったんじゃ。 この手のディスプレイをさせると、The-Kingのボスは素晴らしいセンスを発揮するんだよな〜とか思ったが、まあココはそういうオハナシではないんで、その先はまたいずれ(笑)

 「あれ? 通信販売のみのブツなのに、おかしいな」と思って店員に問い正しそうになったものの、思いとどまった。 ディスプレイ・デスクの前でクラプトンの映像を食い入るように観ておる一人の中年男性の仕草が、なんとも切なかったからじゃ。
 その方、年の頃はわしと同じくらい。 ツイード仕立ての立派なジャケットを羽織るナイスミドル風ではあったが、その視線はクラプトンの映像と、ディスプレイされているブツ、さらに“あさっての方向”の三ヶ所を、右手は胸ポケット(多分財布が入っておる)とズボンの右ポケットを行ったり来たり。 明らかに「買うか、買うまいか」を激しく迷っておるご様子。 やがて諦めてディスプレイデスクに背を向けて出口へ向かったものの、すぐに引き返してきて、また逡巡・・・。
 確か税込で9,000円ぐらいじゃったが、その方にとってはその時はキツイ金額だったんじゃろう。 「これを買ってしまったら、子供の誕生日祝いが・・・結婚記念日の会食が・・・今月の小遣いが・・・昼飯代が・・・でも今買っておかないと二度と・・・」とか、色々な思いが錯綜していたんじゃろうな。 結局、その方はブツを買うことなく寂しそうに店を出ていかれた。 一般の中年男性として実に賢明な判断だったんじゃろうが、逆に子供も女房もおらんし、基本的には小遣いに制限のない自分の身の上まで恥ずかしく感じさせる物悲しい一幕じゃった。 現実ってのはやはりリアルじゃなあ。 わしも購入を検討しておったブツじゃったが、「よっしゃ! わしがいただきい〜♪」なんてラッキー気分にはとてもなれんかった。
 
 今でも不思議じゃが、なんで若い頃って、後先考えずに片っ端から欲しいレコードが買えたんじゃろう。 高給取りだったことは一度もないし、酒代や飯代を激しく削ったり、住んでいたアパートがおんぼろだったという記憶もない。 レコードを沢山買って、沢山聞ければ、それだけで幸せだったから、世間様と自分との日常生活の落差をまったく認識していなかっただけかもしれんけど。
 あの方も若い時はレコードを沢山買っていたんじゃろうな。 あのブツにあそこまで反応するってのは、相当のマニアだったはずじゃ。 でも今は買えない現実がさぞ虚しかったことじゃろう。 でも我慢した代わりに、ご家族に喜んでもらえるっつうご褒美があるんじゃろうから、どうか明日を逞しく生き続けてほしいって願ったわい(笑)

 わしも男やもめとしての老後の心配もあるから(もう老後だろうってヤカマシー!)、高価なコレクターズアイテムを闇雲には買わないことにしておる。 これでも我慢しておるんじゃよ〜(涙)って、オメーの場合は酒と旅を控えれば買えるだろう!ってアッサリ言われたことがあったけど、我慢しておることに変わりはないぞ(笑)
 でも我慢した代わりのご褒美って、あるんじゃろうか?とかセコイ事を考えてしまう。 只今やっとる長期放浪は、実は目的は少々シビアじゃし、ご褒美とは違う(と思っておる)。 そうじゃな、こうやって、思い出話を元にしたり出来るコラムを書く機会を頂けることかな〜。



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