相変わらず | |||||||||||||
ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.194 |
「45年前、40年前、30年前のロック」とやってきたんで、今回は25年前、四半世紀前、「1989年のロック」のご紹介じゃ。 ローリング・ストーンズとポール・マッカートニーの初来日公演を翌年に控えたこの頃、日本では昭和天皇の容体が悪化して大きな時代に幕が降りようとしておったが、世間は依然としてバブル景気で盛り上がっとったな。 そんな極楽・日本を余所に、世界では人類史上に残る二大事件が勃発。 東西ドイツが併合されてベルリンの壁が崩壊。 中国では国家史上最大の民主化暴動「天安門事件」があった。 燃え上がる世界情勢、札束が乱れ飛ぶ日本!の時代のロックを熱〜く語りたいところじゃが、もう遠い昔じゃ。 それにThe-Kingより真夏に向けて粋なクール・ダウンを促すエクセレントでジェントルな新作ブルゾンが発表されたことだし、何事も冷静に振り返るのが大人の男としての振る舞いじゃろうな!(笑) 常に時代を映す鏡であった洋楽ロックじゃが、日本においてはラストスパークの時を迎えておったバブル景気と同様、「最後の輝き」を放っておった頃じゃ。 翌年のストーンズとポールの初来日公演は、日本洋楽ロックの終焉的なイベントじゃったと言えよう。 「最後の輝き」とは簡単に言うと、若者が「洋楽を聞いたり、洋楽アーティストのファッションを着る事が格好いい」と思われた最後の時期ということじゃ。 音楽的にも新進の優れたロッカーが続出し、ベテランロッカーが負けじと「名盤」「名ライブ」を披露しておった。 自分より何世代か前の者と話をすると、現在進行形の洋楽ロックを聞いて大人になっていった若者は、この世代の後はあんまりお目にかかっておらんな。 まさに大勢の「ロックンロール野郎」を生み出した最後の最後の時代だったのじゃ。 2014年ロック回想C 25年前/1989年のロック The-Kingのボスと七鉄が運命の邂逅(かいこう)! それは日本における洋楽ロック黄金時代の終焉の年だった!? |
1 新曲で奏でる、過去と未来 ■フリーダム/ニール・ヤング■ 80年代という時代は、70年代に名声を得た多くのロッカーにとっては生き延びるための苦難のアルバムが続いた時代でもあったな。 一体誰がその悶々した状態を打ち破るか、ってのも当時の興味のひとつじゃったが、エリック・クラプトンとニール・ヤングが80年代の最後の最後において、その困難な状態を克服したもんじゃった。 本作、まずタイトルがいい。 決して若くはないロッカーが付けるタイトルじゃあない! 手にしたこっちの方が恥ずかしくなってくるが、その「恥ずかしさ」を「自信」に変換してくれるような内容じゃ! アコギ1本をバックに「Come on rocking in the free world!」(自由の境地でロックしよう!)と静かにガナるオープ二ング・ナンバーは、一瞬「穴に入りたくなる」ようなアジテーションじゃが、遠い昔に置き去りにしてきたが、決して忘れてはならないスピリットを思い出させてくれる程よい刺激剤となって聴く者をアルバム全体へひきずりこむような魔力を持っておる。 やがて、自分が出来る事を、もう一度メイッパイやってみせようとする中年の清々しい意地がさく裂するナンバーが続く。 「自分は自分でしかない」という大いなる開き直りじゃ。 じゃあ、開き直って何をやったか? それは己が辿ってきた過去の多種多様な音楽の実験を新曲によって再現したのじゃ。 更にこの後に試みることになる新たな実験の断片までも新曲で披露! こんな事をやってのけたロッカーはロック史上唯一であり、 ニール・ヤングにしかできない過去の清算と未来への意志なのじゃ! 2 征服未遂の女との子供は、 たまらなく愛しい!? ■ジャーニーマン/エリック・クラプトン■ 意外に思われる方も多いじゃろうが、クラプトンは本作によって初めて日本でメジャーなロッカーになったんじゃ。 わしの周りのクラプトン・フリークは「クラプトンはさ、すごいアルバムを出さなくたっていいんだよ。 元気に生きているのが分かればそれでいいのさ」とか、よおワカラン事を言っておった。 クラプトンとはそんな一種カルトヒーローだっただけに、本作の大ヒットによってファンは「我が世の春」を謳歌しておったなあ〜。 当のクラプトン本人も一気に垢抜けて、ベルサーチはキメルわ、“アフター・ザ・愛しのレイラ”の新しい恋人は披露するわ、ストーンズ再結成ライブでは自身のコンサートでもやらんようなスゴイ演奏するわ、日本車アスコットのCMに出ちゃうわ、もうスター・クラプトン真っ盛り!って全然アルバムの説明になっとらんな!? 世間のクラプトン・フィーバーを他所に、わし個人としてはブルースの扱い方が格段にス・テ・キになったなあ〜とうっとりして聞いておった。 以前のクラプトンはブルースが好き過ぎてどうやってプレイすればいいのか分からないもどかしさを虚無感にして演出しておった。 頑固なブルース・ファンのわしとしてはそれがどうにも不自然に感じておった。 でも、本作ではクラプトンはブルースを笑顔で演っとるように聞こえたんじゃな。 ブルースを恋人としてではなくて、まる別れた恋人との間にデキチャッタ子供をあやす様なスタンスを感じたんじゃ。 白人プレイヤーがブルースをあやすって、そんな事はありえん話なんじゃが、少なくと本作においてはそんな奇跡があるんじゃよ、間違いなく! スター・クラプトン登場のテーマ「プリテンディング」の豪快なノリもいい。大ヒット曲「バッド・ラブ」のドラマチックな展開もいい。 でも余裕綽々でブルースと戯れる「ハードタイム」「ビフォー・ユー・アキューズ・ミー」なんかに、わしはクラプトンの未来を感じたのじゃ。 3 げに恐ろしきは「銃と薔薇」 ■ガンズン・ライズ/ガンズ・アンド・ローゼス■ 発表されたのは前年じゃが、シングル「ペイシェンス」がヒットしたのはこの年なんで、89年のアルバム扱いをしておく。 凄まじい古典的ハードロックのリメイクでデビューした彼らじゃが、このセカンドで早くも方向転換!? 旧アナログ盤B面は全曲アコースティックナンバーであり、時の「アンプラグド・ブーム」を意識したんじゃろうが、それが若造のクセに恐ろしくキマッテおった! しかもヒットシングルのタイトルは「ペイシェンス」。 忍耐、辛抱っつう意味じゃ。 「All you need is just lil' peicence/オマエには、ほんの少しの辛抱が必要だ」と静かに呟くこの曲は衝撃じゃったよ。 イケイケのヤングハードロッカーがこういう事を歌うか、フツー! B面全部がこんな調子で、激しい求愛を抑えて抑えて歌い、演奏する彼らの秘めたる凄みに「なんて恐ろしいガキどもなんだ」ってノックアウトされたもんじゃ。 洋楽の歴史において、ファーストが当たった場合のセカンドは同じ路線でいくのが当たり前。 かのレッド・ツェッペリンでさえ、名声を揺るぎないものにした後に発表したサードでB面をアコースティックにしたが、ガンズン・ローゼスはセカンドでやってみせたのじゃな。 しかもA面の方は全編新曲のライブ。 スタジオ技術を駆使したコケ脅かしの迫力ではなく、彼らの真実のパワーを証明するような名演の数々。 年端も行かぬバンドの新曲のライブ&アコースティックというアルバム構成は、自分たちの才能に絶対の自信がなければ出来ない芸当じゃろう。 ロック史上に残る素晴らしき反則技じゃった。 4 ロック版“ピューリッツァー賞”作品!? ■ニューヨーク/ルー・リード■ ビリー・ジョエルがニューヨーカーの甘い幻想ならば、ルー・リードはニューヨーカーの闇と現実を歌う! 誰かさんのブログで、素早く呟くようなルー・リードのヴォーカルを、「お経みたい!」って言っておって、ついつい笑っちゃったが、「お経(読経)じゃなくて、朗読と言いなさい!(笑) ルー・リードのアルバムは、原則としてシンプルなロックンロールにお経じゃなくて、朗読ボーカルが被さるスタイル。 歌われる内容によってアルバムの「好き、嫌い」が別れるが、本作は彼のフランチャイズ、ニューヨークに生きる者たちのありふれた、またありふれてない悲喜こもごもを、ジャーナリスティックな視点から裏の裏までブチまけていくような特有のスピード感(抑揚感と言うべきか?)がある。 それはニューヨークという街のスピード感そのものなんじゃろう。 お部屋の中よりも、都会の雑踏の中で流しっぱなしにした方がはるかにリアルに聞こえる、そんなニューヨーク音楽劇じゃ。 一種のコンセプトアルバムなんじゃが、オペラチックなヴォーカルやサウンドもなしに全編を聞かせてしまう、ルー・リードのストーリーテラー的なセンスはロック史でも有数。 本作はその面目躍如な完成度であり、シンガーソングライターにもロックンローラにも人気のある作品であることを付け加えておきたい。 |