NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.187

 「新作ツーボタン・ジャケット」の高貴なフンイキはタマランな〜。 見ておるだけで、英国トラディショナル・ロック紳士になった気分じゃよ。 これは、ち〜とばかり日頃のロック・ライフにインテリジェンスってもんを注入しとうなってきたわい! そこでわしは誓った!

「今年はヴィンテージ・ロッカーの自伝を読みまくるぞ!」

 諸君はご存知じゃろうか。 日本の洋楽業界は、現在ちょっとした「自伝出版ブーム」を迎えておるのじゃよ。 この3〜4年の間に翻訳されて発売になったロッカーの自伝は20冊を越えておるのじゃ。 しかもその過半数は昨年一年間に集中して出版されとるんじゃよ。 まあこれは日本での数なんで、翻訳されていない本場の自伝リストはもっとあるんじゃろう。
 しかしこうも自伝がポンポンと執筆、出版されるってことは、ロックにも長い歴史が出来あがってきたってことじゃろう。 わしも年を取るわけじゃな〜。 わしもソロソロ書くとするか! 「“超ガンコ”七鉄自伝/The-Kingのご意見番という生き方」とか何とか! いやいや、そうじゃなくて、現在は「洋楽冬の時代」じゃからロック関連の書籍が充実してくるのは嬉しいことじゃな〜と思うとるんじゃよ。

 思えば、今から丁度20年前の1994年、大手書籍店の「音楽(洋楽)コーナー」において似たような現象があった。 当時はお歳を召したロッカーは少なかったから自伝があるはずもないが、その代わりに非常に優れたぶ厚い「ロック評伝書籍」が数多く書棚に並んでおったのじゃ。 お蔭で書店でのわしの立ち読み時間が恐ろしく長くなった記憶がある。(結局はほとんど買ったがな!)
 1994年あたりってのは、現在の「洋楽冬の時代」の始まりの頃であり、「ロック評伝書籍」の連発はタイミングが悪かった。 だから2〜3年後にはあっさりと下火になったもんじゃ。 それに合わせる様に、わしもユーラシア大陸放浪の旅に出た・・・。
 1994年、そして今年2014年。 20年の時を経て、日本の出版界は今度こそ本当の「洋楽書籍ブーム」を迎えることが出来るのじゃろうか。 20年前と現在との両方のライナップを見ながら、日本のロック書籍の“あるべき姿”を考えてみたい。


にっぽんロック書籍今昔物語!?
1994年から20年の時を経て復活したロック書籍ブームは続くのか!?


空前の洋楽自伝出版ラッシュだった2012〜13年

 
まず、ここ1〜2年の間に翻訳/出版されたロッカーの自伝リストを挙げてみようか。

ロッド・スチュワート (左写真の“狂気の告白!”って、まさか女のハナシばっかりじゃないだろうな)
ピート・タウンゼント (モッズの旗手ザ・フーの頭じゃが、ムズカシソー)
トニー・アイオミ (サブタイトルが「ヘビメタを創った男」。胃もたれおこしそーじゃ)
スティーブン・タイラー (早過ぎねーか?)
ジミー・ペイジ (ツェッペリン万歳!ばっかりじゃないだろうな)
ニール・ヤング (上下巻2冊って、スゴイ気合じゃ!)
キース・エマーソン (ついにピアノが弾けなくなったか!?)
イングヴェイ・マルムスティーン〜「俺のやり方」 (タイトルが笑える!)
ビル・ブルーフォード (ロック・ドラマー初の自伝か?)
サミー・ヘイガー (ヴァン・ヘイレン再結成に呼ばれなかった腹いせか?)
その他、ポップ・サイドでもバート・バカラック、キャロル・キング シンディー・ローパの自伝が発売になっとる。

更にもう少し時を遡れば、
・キース・リチャーズ「ライフ」
・ロン・ウッド「俺と仲間」
・エリック・クラプトン
・ドン・フェルダー〜イーグルスという生き方
なんかもある。 思えばこの4冊の内容が良くて、そこそこ売れたことが昨年のロッカー自伝出版ラッシュに繋がったんじゃと思う。

 実はな、わしはキース、ロニー、クラプトン、ドン・フェルダーの4冊しか読んでおらん! というのも、あまりにもオモシロ過ぎて何度も読み返しておることもあるが、その次に挑戦したニール・ヤングの内容が“ぶっ飛び過ぎておる”から、なかなか先に進まなくてな〜。 上下二巻、無事読破出来たら詳細をお伝えしよう。 ちなみに、ジミー・ペイジの自伝は評判がよろしいので、安心して読めるそうじゃぞ。
 

キース、ロニー、クラプトンの自伝がオモシロイ理由

 「自伝」と言っても決して「日記」ではない。 一般人では想像も出来ないスキャンダラスな日常をあけすけに書き続けていって、あとは「編集者、頼んだぜ!」では「生涯一キース研究者」「クラプトン絶対信者」でもない限りは読み飽きてくるのは時間の問題じゃ。 スキャンダラスな事を興味本位に書くのは暴露屋さんに任せておけばいい。
 何か大きなテーマ、物語の根幹がなければ読み物としては成立しないのが「自伝」の難しいところじゃ。 これは恐らく監修者、編集者の手腕じゃろうが、キース、ロニー、クラプトン、ドン・フェルダーの4冊がおもしろいのは、物語の根幹が「ロックギター道」でもなく「モテモテはちゃめちゃ私生活」でもなく、「幅広い交友関係」だからじゃろう。

 ちょっと場違いなハナシを引き合いに出すが、先日終わった大相撲初場所で、横綱昇進を逃がした大関の稀勢の里に対して優勝した横綱・白鵬の助言がシンプルでなかなかヨロシカッタ。 「いろんな方と出会って、いろんなことを吸収すること」。
 結局ロックミュージシャンに限らず、自伝の面白さってのは、どれだけいろんな人に出会ったか、どんな影響を受けたか、またどんな迷惑をこうむったか!?っつう人間関係、交友関係の豊かさの記述がポイントになるとわしは思う。 そこら辺をキースもロニーもクラプトンも、出会った人々に敬意を表しながら素直に書いておると感じるのだ。 自分の考え方、やり方、要するに「真の個性」はそこから生まれてくることを彼らは知っておるのじゃよ。 何かとオリジナリティに固執して、「人は人、俺は俺」っつった回想は「作り話」っぽくて、「何か重要な事を隠しておる(忘れておる)」ようで、読み続ける意欲の減退につながってしまうもんじゃ。
 もっとも無理をして「この体験があの曲(あのフレーズ)の誕生に繋がった」とかいちいち明言していく必要はないと思うぞ。 それを連想するのは我々読者の重要な楽しみっつうもんじゃよ。 

 また翻訳本に関しては、全訳されることは稀であり、大体70〜80%の翻訳じゃ。 どこを削除するかってのも隠れたポイントになるんじゃが、こと「交友関係」に関する記述の大幅な削除は控えてもらいたい。
 自伝をオモシロク読ませるポイントはもうひとつ。 これは洋楽ナンバーの対訳にも言えることじゃが、こと日本語翻訳本に関しては、そのクオリティは翻訳者次第じゃ。 翻訳者がどれだけロックに精通しておるか、ってのが重要なんじゃ。 この点に関しては、キースとロニーの翻訳本はなっちゃないゾ! それでもオモシロイんだから、キースもロニーも基本的な文才があるってことのなのか!? 



今こそ再販してほしい、1994年当時の「名ロック評伝」の数々

 さて今度は1994年に遡ってみよう。 わしの当時の愛読書を列記しておくぞ。
@
涙が流れるままに〜ローリング・ストーンズと60年代の死
  (ブライアン・ジョーンズの死の真相と周辺状況の情緒的暴露本)
A
ストーン・アローン〜ローリング・ストーンズの真実
  (ストーンズのベーシスト、ビル・ワイマンの驚くべき記憶力による“ストーンズの自伝”)
B
魂(ソウル)のゆくえ
  (ピーターバラカンによる、ブラックミュージックの優れた手引書)
C
誰がジョン・レノンを殺したか
  (ジョン・レノンの殺害者はCIAのマワシモノだったのか!?)
D
ドアーズ
  (ドアーズのドラマーが綴った、ジム・モリスンの悪魔的実態)
E
耳こそはすべて〜ビートルズ・サウンドを創った男
  (ジョージ・マーティンとビートルズのレコーディング交遊録)
F
アイリッシュ・ソウルを求めて
  (ロックのルーツはアイルランドにあり! ロックのもうひとつの歴史を辿る熱い一冊!)
G
ビル・グレアム/ ロックを創った
  (ロック史上に輝くイベント屋の波乱の人生)
H
流れ者のブルースザ・バンド
 (ザ・バンドの下積み、ドサ周り時代の実態がサイコー!)

 AC以外はすべて専門のロックライターによる評伝じゃ。 全てが翻訳も編集もよく、かなり研究色の強いマニアックな力作であり、本場のライターならではの視点と突っ込み方が素晴らしい。 これらを熟読すればするほどわしはコンプレックスに苛まれたもんじゃ。 絶対に本場のライターにはカナワネーナと。 DNAにロック・カルチャーが生きている人種と、そうでない人種(日本人)との途方もない距離を感じたものじゃった。

 更にF〜Hを出版した大栄出版という出版社は、他にもとてつもないラインナップを揃えておった。
「ルー・リード/ワイルド・サイドを歩け」「トム・ウェイツ/酔どれ天使の唄 」「哀しみのアンジー/デヴィッド・ボウイと私と70’s」 「マーク・ノップラー/ ギターマンの夢」「ボブ・ディラン/果てしなき旅」 「ジャニス・ジョプリン/禁断のパール」「メイキング・オブ・ブルース・スプリングスティーン/涙のサンダーロード」「ブルースに焦がれて (the Roots of Rock)」等など。

 あらためてスゴイと思うな、このラインナップ! こりゃもう、日本のロックファンにはレベルが高過ぎる内容ばかりじゃ。 当時のファンがアタマがタリナカッタと言っておるのではない。 こんな内容のロック書籍は、それまで日本にはなかったので、ロックファンが読破する為にはまずは相当の労力が必要だと思えたからじゃ。 
 しかしこんなハイレベルのロック評伝本が日本の書店に並んでいた時もあったんじゃな〜とあらためて驚いてしまう。 今ではほとんど絶版じゃが、現在Amazonでも安売りはされておらんから恐れ入ったわい。 それだけ内容が充実しておることの証明のようじゃ。

 当時はあまりにもレベルが高過ぎたこれらの書籍じゃが、ロック書籍ブームになりつつある今こそ、装丁を一新して再発売されるといいんじゃがな。 最近になって手元に残っておった何冊かを読み返してみたが、20年前には理解出来なかったことが、今になってようやく!ってパートが結構あるんじゃよ。 これらの書籍を古本にしてしまうのはあまりにも忍びない。 もう一度光を当てるべき傑作ばかりなのじゃ。

 

 ロックファンとしては、音を聞く時間を割いて本ばかり読んでおるのは本末転倒な気もするが、ロックとともに我々ファンも自分自身の人生の歴史ってやつを作ってきたのじゃ。 もうオコチャマじゃないんだから、ロックの愛し方に変化をつけたっていいわけじゃ。 たまには自分のロック愛をクオリティの高い書籍でさく裂させるのも熟年ロックファンの正しい姿勢じゃよ! その為にも出版社様においては、くれぐれも編集者、翻訳者のミスキャストなきことを願うばかり。 あ〜わしが翻訳が出来たらな〜。 これから英語を勉強し直そうかな〜(笑) 
 

 海外のリゾート地に行くと、海だ!山だ!BBQだ!とか騒いでおるのは圧倒的にアジア系人種であり、白人さんたちは思い思いのファッションで木陰なんかでくつろぎながらぶ厚い本を読んでおる光景が少なくない。 わしもあんな感じで、The-Kingファッションをラフにキメながら木陰でぶ厚いロック書籍を読んでみたい! その為には申し分のないツーボタン・ジャケットが発表されたし、
今年は久しぶりにやるぞ! 諸君もThe-Kingでバッチリとお買い物をしてから、たまにはリゾート地でロック書籍を楽しむようなインテリジェンス溢れるロック・ライフを送ってくれ〜♪



七鉄の酔眼雑記  〜自伝は難しい・・・
 
 ロッカーの自伝出版ブームにかこつけて書かせて頂いた今回じゃったが、実はわしな、自伝に関して苦い体験があるんじゃ。 もう10年ぐらい前になるか。 仕事上でお付き合いのあるお二人の方から、「自伝を書きたいので、ゴーストライターをやってくれ」という依頼があったのじゃ。 残念ながらご両人ともロッカーではなかったが、ともに自分自身で立ち上げた会社で立派な業績を上げておる方々じゃった。
 気の遠くなるような回数のインタビューを行い、うんざりするぐらいその録音を聞き返し、予定の10倍くらいの膨大な分量の原稿を書き、そして編集、手直し等を経過して数ヶ月後に原稿は完成した。
 ところが、いざそれを書籍として印刷する段階になると両者ともにストップがかけられたんじゃ。 その理由が、お一人は

「こうやって自分の人生を文章で振り返ってみると、自伝を残して人様に読んでもらえるほどおもしろい人生ではなかった、ってことが分かってしまったよ」

もう一人は
「やっぱり私の自伝を読んで下さいなんてお願いすると、お得意さんから『こいつ、何をエラソーに』って白い眼で見られそうだから」

 原稿は書き上がっているので報酬は全額頂いたものの、書籍として形にならなかったんでとても複雑な思いが残ったもんじゃった。 「恐らく、わしの構成力、編集力が至らなかったのだ」と自分を責めることで中途半端な結果に納得したもんじゃ。
 今さらながらに「この人は自伝を出すことで、自分の“何を”世間に伝えたいのだろうか?」という事をもっともっと突っ込んでインタビューすればよかったと反省をしておるのじゃ。 とにかくお相手の好きなように喋らせてしまって、それを時系列に合わせてまとめただけに終わってしまった様な気もするのじゃ。 ゴーストライターとはいえ、わしの方の自発性が足りなさ過ぎたということじゃ。
 
 こんな思い出があるから、わしはロッカーの自伝には厳しいのじゃ(笑) 自分が知らなかった事がたくさん書かれてあればいい、なんてアマチャンの読者ではないんじゃよ! 
 まだ翻訳されていないビッグロッカーの自伝はたくさんあるので、今後それらを日本語書籍として作品化するのであれば、どうかしっかりとした監修、編集者、翻訳者を揃えて、そのロッカーに興味がない者に対しても書物として通用するような一冊にして頂きたい。


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